第27話 可憐
翌日もヒロキはキャンパスに顔を出して新学期から履修するゼミの下調べを進めていた。訪問のほとんどがアポなしであるため教授はおろか助手すらも不在で空振りに終わることもあったが、それでも何度も顔を出すことで研究室の皆さんに顔を覚えてもらえればと彼なりに考えていたのだった。
この日、ヒロキは四つの研究室を訪ねたが、話を聞くことができたのは一部屋だけだった。そして午後三時、ヒロキは疲れた
「なあ、よもぎ」
歩きながらヒロキは心の中で声をかける。
「もし、またあいつがいたらさ、今度はオレの方から話しかけてみるよ」
「事情聴取ですね、ヒロキさん」
「そんなんじゃなくて、ただの情報収集だよ。とりあえず世間話のつもりで話かけてみるさ」
相変わらず閑散とした春休み中のカフェテリアを覗いてみると今日もまた一番奥の四人席に一人陣取るあの女子学生の姿が見えた。デジャ・ヴ、ストレートロングの髪を赤いヘアゴムで後ろにまとめて読書をしているそのシーンをヒロキは以前にもここで見たような気がした。
「よし、行くぞ」
ヒロキはよもぎにそう声をかけると前だけを見てずんずんと進み、彼女が座る真向かいの席に無遠慮に腰を下ろした。
「やあ、昨日はどうも」
女子学生は読んでる本を閉じると顔を上げてヒロキを見た。その表情は落ち着き払っておりどこか余裕すら感じられた。
「やあ、ってあなた、その態度って昨日の私よりも
平然と答える彼女に負けまいと彼もあえて不遜な態度を演じる。
「昨日はすっかり意表を突かれたからな。今日はこちらから色々聞かせてもらおうと思ってるんだ」
「ふふふ、そんなに虚勢を張らなくても、もっとフランクでもいいんじゃないかしら? ね、太田クン」
「えっ?」
彼女の言葉に不意を突かれたヒロキは続く言葉を失った。
「理学部化学科三年の太田ヒロキクンでしょ?」
「な、なんでオレの……」
すかさずよもぎの声がヒロキの頭に響いた。
「ヒロキさん、やっぱりヘンです、この人」
確かによもぎの言う通りだ。ヒロキは彼女を警戒して身構える。
「そんなに危ないものを見るような顔しないでよ」
それでもなお警戒心を緩めないヒロキに彼女は姿勢を正して切り出した。
「あらためて自己紹介するわ。私の名前は
可憐はヒロキのスマートフォンが入っているポケットを見て続けた。
「よもぎちゃん……よね。よろしくね」
彼女は微笑みながらよもぎにも語りかける。
「ちょっと驚かせちゃったかも知れないけれど、私、あなたたちが思っているほどヘンな人じゃないわよ」
ヒロキは呆然として言葉を失ったままだった。この女子学生、
「な、なんで……なんで知ってるんだ、オレたちの名前を」
「そうね、その前に」
可憐は空になった紙コップを手に持ちヒロキに向かって言った。
「コーヒーのおかわりをお願い」
「お、お願いって……オレがか? お前、後輩だろ」
「あら、先輩ならなおのこと、後輩の女子には奢ってくれるもんじゃないの?」
可憐はニコニコと笑いながら手にした紙コップをブラブラとさせた。
「それに」
可憐は紙コップを揺らす手を止めて続ける。
「こちらの分野では私の方がずっとずっと先輩だしね」
ヒロキは憮然とした顔でぶっきらぼうに席を立つと自販機の前に立った。可憐のと自分のと、熱いブラックコーヒーが入った二つの紙コップを手にしたヒロキは席に戻ってその一つを可憐の前に差し出した。
「ありがとう、いただくわ」
可憐はカップを受け取るとふぅふぅと息を吹きかけて一口、ヒロキも席に座り熱いコーヒーを一口飲んで大きなため息をつく。すると彼の気分も先ほどにくらべてずいぶんと落ち着いてきた。
「さてと、お話しなくちゃならないことは色々あるんだけど、まずはこれね」
可憐は紫檀のネックレスを撫でる。
「よもぎちゃんが怖がっているのはこれじゃないかしら?」
笑みを浮かべる可憐の背後に半透明の白い影が浮かび上がった。ヒロキは思わず目を見開いて声を上げた。
「そ、その白いのは、犬か?」
「犬じゃないわ、狐よ」
すると可憐の背後に映る白きモノが実体化した。その頭は彼女のそれよりも一回り大きく、ルビーのように赤く輝く目がヒロキを睨みつけていた。可憐の腰のあたりから覗く太く長い四本の尾、それが可憐の腰から下半身に巻きついている。ヒロキがもう一度見直そうと目を凝らすとその姿は一瞬にして消えてしまった。
「うわ!」
ヒロキは立ち上がって半歩退いた。
「声を出さないで! 今日は誰もいないから見せたのよ。まあ、もし誰かいたとしてもこれが見える人なんて滅多にいないけどね」
可憐は周囲を気遣いながら声をひそめて続けた。
「でも太田クン、あなたにはこれが見えた。よもぎちゃんの影響もあるのでしょうけど、とにかくあなたはもうこっち側に片足半分突っ込んでるようなものなのよ」
「こっち側って……」
「今後その子と自分に降りかかるかも知れない
「……」
有無を言わさずに続く可憐の言葉をヒロキは黙って聞くしかなかった。
「とにかく、すぐにでも始めないと」
「始めないと、って何を始めるんだ?」
「ん――、修行ってほどのものじゃないんだけど、そうねえ、エクササイズみたいなものかしら」
「エクササイズ? なんだそりゃ?」
そしてヒロキは飲みかけのカップを手にしたまま続けた。
「それに……赤の他人のオレたちになんでそんな……」
「さあ、どうしてかしらね」
可憐は天井を見上げて何か言葉を選んでいるようだったが続く言葉は無く、残ったコーヒーを飲み干して言った。
「なにはともあれ……ようこそ、こちらがわへ、ってところかしらね」
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