第24話 スーパーを横切る怖いヤツ

 午後三時、地元N市駅に戻ってきたヒロキは駅に隣接するビルの上階を目指す。テナントのほとんどが公共施設であるそのフロアーは店舗が入居する下階とは違って人影はまばらだった。

 ヒロキは周囲に気を配りながら誰もいないテラスに出る。見下ろせば眼下にはパノラマ模型のように広がる駅前ロータリーとペデストリアンデッキ、陽の傾きとともにそろそろ冷たくなってきた風が彼のくせっ毛をさらりと揺らした。

 ヒロキはスマートフォンの中で眠るよもぎの姿を思い浮かべながら心の中で問いかける。


「よもぎ、おい、よもぎ。起きろ、今なら誰もいないぞ」


 やわらかな陽射しとビルの日陰が描くコントラストの中をロータリーに沿って弧を描くように進むバスやタクシーの流れを見下ろすヒロキ、その視界の片隅によもぎの頭がちらりと映る。同時に自分の手をギュッと握られる感触を得た。


「よもぎ、復活しました」

「大丈夫か、疲れとか」

「全然大丈夫です。さてさて、お夕飯のお買いものですね」


 二人は手をつないだまま地上階にあるスーパーマーケットへとエスカレーターを下りていった。


「ところで今夜のメニューはどうするんだ?」

「白菜のクリーム煮はいかがでしょう。簡単でおいしいんですよ。ベーコンと白菜をホワイトソースで煮込むんです」

「ほんとに名前のまんまの料理だな」

「でもでも、おいしいんですよ。お野菜もたくさん食べらるし」


 他愛もない会話をしながら二人は店内を回って必要な食材をカゴに入れていく。


「白菜とホワイトソース缶はさすがにちょっと重たいな」


 ヒロキは「フンッ」と力を込めて会計を終えたばかりのレジ袋を片手で掴むと、空いたもう一方の手にファションブティックの黒いロゴが目立つパステルピンクの紙袋を下げる。その姿はまるで荷物運びの従者だった。よもぎはヒロキとともに紙袋の黒い手さげ紐に手を添えると、彼の手をやさしく包み込むように握った。


「ふふふーん、ふんふふーん。でもでも、なんかいいですね、こういうのって」


 よもぎは楽しそうに並んで歩く、いつもの鼻歌とともに。こうして常に手をつないで歩くことにこそばゆさを感じるものの、ヒロキも内心ではよもぎとのこんな生活も悪くないものだと思い始めていた。買いもの客たちのカートの流れを右に左にと避けながら進む二人の前に出口が近づく。目の前を駆け回るこどもがヒロキとよもぎのつないだ手をくぐり抜けて行った。

 こうしているとここにいる誰もよもぎが幽霊だとは思わないだろう。そして今風にアレンジされた制服姿のよもぎはさしずめヒロキの妹だ。実体化したよもぎはそれほどまでに自然に映っていた。



 そろそろ夕刻、店内は買いもの客であふれ始めていた。人の流れが交錯する中をヒロキは荷物が当たらぬように注意しながら進んでいく。するとそのとき、よもぎが急に立ち止まった。ヒロキの手を握る強さが尋常でないことを物語っている。


「急にどうしたんだ?」


 ヒロキの問いかけた瞬間その手からよもぎの感触が消えた。同時にヒロキの頭の中によもぎのこれまでにないほどに怯えた口調が響く。


「今、スマホに入りました」

「ああ、わかってる。何があったんだ?」

「よくわからないんだけど、急に吸い寄せられそうになって……きっとすっごく波長が強い人がいるんだと思います。よもぎ、ヒロキさんの手を握ってても負けちゃいそうな気がして、それで……」


 ヒロキはその場に立ち止まった。そんなヒロキを買いもの客たちが怪訝けげんな顔で見返しながらけていく。周囲の視線を気にもせずにその場でぐるりと目を凝らす。しかし彼には怪しい気配など感じられず、そこに不審な者も見当たらなかった。


「ヒロキさん、あまりキョロキョロしないで。もし見つかったら……ああ、ドキドキが止まらないです」


 ヒロキが動きを止めると、よもぎの焦るような声が響く。


「ヒロキさん。まっすぐ前だけを見て進んでください。立ち止まらないように、相手に気づかれないように」

「わかった、了解した」


 ヒロキはまっすぐと前だけを見ながら足早にエントランスを抜けて食品スーパーを後にした。



 店内が買いもの客で混み始めたその頃、エントランスの脇にある小さな喫煙ボックスの中で一人の男がたばこの煙をくゆらせていた。ひょろりとした長身の男はふいに何かを感じたのかボックス内から前を行き交う人の流れに目を向けた。

 煙とヤニで白く濁ったガラス扉の向こうを両手に荷物を抱えた青年が早足に横切っていく。男は去り行く彼の後姿を目で追いながら深く吸い込んだたばこの煙をガラスに向かって吹きかけた。

 男は下卑た笑みとともにだらしなく開いた唇の隙間から黄ばんだ歯を見せる。そして根元までいきった吸い殻を灰皿に投げ込むと、張りもツヤもなく伸ばし放題の金髪を無造作にかき上げた。

 灰皿から上がる細い煙をつまらなそう眺めながら「チッ」と軽い舌打ちをする男、彼はボックスの扉を開けると目の前を行く買いもの客を威嚇するように睨みつけながら夕刻の雑踏の中に消えて行った。

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