第19話 二人の通信プロトコル

「よもぎ、それが片付いたら話があるんだ。オレからのちょっとした提案みたいなものなんだけど」


 ヒロキに相槌をしながら食器を洗い終えるとよもぎは半透明になってすぐにまた実体化する。これはよもぎがいつも見せるワザ、こうすることで濡れた手から何事もなかったかのように水気が消えるのだ。


「相変わらず不思議だよな。一瞬消えてから実体化すると水が切れてるんだもんな」

「えへへ、そうなんですよ」

「幽霊の役得みたいなもんか。それにしてもよく考えたもんだな、そんなワザ」


 よもぎはヒロキの提案なる言葉にワクワク顔でちゃぶ台の前に座った。


「それでそれで、お話ってなんですか?」


 よもぎは出会った時からの制服姿かパジャマ代わりにヒロキが与えたシャツとスウェットパンツしか着ていない。いくら幽霊とは言え高校生である、本音ではもっともっとおしゃれをしたいのではないか。

 それによもぎは毎日のように食事の準備をしてくれているのだ、そんな彼女にお礼のひとつもするのが男子としての甲斐性ではないか。昨年の暮れにバイトで稼いだ給料がまだ少しだけ残っているしなんとかなるだろう。

 そう考えたヒロキは今日、思い切ってよもぎに服をプレゼントする提案をしたのだった。


「いきなりだけど、買いものに行かないか? その……君の服とか」

「よもぎの服ですか?」

「いや、その、いつものお礼というか……」

「そんなそんなお礼なんて。でもでもうれしいです!」


 よもぎはガッツポーズをしてみせた。


「それならおめかししなくちゃ……って、あっ、そっか、だからお洋服を買いに行くんですね?」

「まあ、そのとおりなんだが、その、恥ずかしながら予算が……まあその、ひとつ、お手やわらかにたのむ」


 ヒロキは片手で拝むようなポーズをとる。よもぎは突然の提案に大はしゃぎだったが、ヒロキが限られた生活費でやりくりしていることもよもぎは当然ながら理解していた。よもぎはそんな彼を彼女なりに気遣うのだった。


「ヒロキさん、心配ご無用です。こう見えてよもぎはしっかり者なんですから」



 勢いで提案してはみたものの、さてどうしたものか。JKファッションなんて彼にとっては完全なアウェイであり苦手分野である。ひとり駅前広場を歩く彼の頭に唯一浮かんだのはあの街だった。


「よし、渋谷に出るか。地下鉄なら乗り換えなしで行けるしな」


 そう思った瞬間、頭の中でよもぎが小さな声を上げた。


「い、いけぶくろ……」


 それはずいぶんと弱々しい声だったがヒロキはその言葉を聞き逃さなかった。


池袋いけぶくろ? 今、池袋って言ったよな?」


 周囲の人目もはばからずに強い語気で聞き返すヒロキの態度に戸惑いながらよもぎも小さな声で返す。


「はい……池袋……」

「もしかして、何か思い出したのか?」


 よもぎの記憶に手が届きそうに思ったヒロキは知らず知らずのうちに問い詰めるような口調になっていた。


「あっ、ごめん。もしかしたら何か糸口が掴めるんじゃないかって、そっちに気を取られてしまって、それで……」


 そうだった、よもぎの記憶については触れないようにしよう、そう決めていたではないか。ヒロキはついつい好奇心が先に立ってしまったことを後悔した。


「ううん、いいんです。確かに『いけぶくろ』って言葉が自然に出てきたんだけど、よもぎ、それ以上はほんとに思い出せないんです」


 ヒロキはポケットからスマーフォンを取り出すと画面の中で困惑するよもぎに微笑みかける。


「よし、行こうぜ池袋に。難しいことは抜きにして、まずは行動だ」

「はい、ヒロキさん。よろしくです」


 よもぎの声に明るさが戻った。ヒロキは軽やかな足取りでN市駅の改札を目指した。



 池袋いけぶくろ駅の改札を出たヒロキは人波を避けて柱の影に身を寄せると、周囲を気遣いながら小声でよもぎに話しかけた。


「よもぎ、よもぎ、聞こえるか」

「はいは――い、感度良好です、どうぞ」


 よもぎの声がヒロキの頭の中に響く。


「でもでもヒロキさん、さっきもそうだったけど、いちいち声に出さなくても心の中で想ってくれるだけでちゃんと通じますよ」


 よもぎはそうは言うが、しかしまるでテレパシーのようなやり方にヒロキはどうにも勝手がつかめないのだった。それに自分の心の中のすべてが筒抜けになってしまう不安もあった、なにしろ相手は自分に憑いている幽霊なのだから。


「ヒロキさん、ヒロキさん、心配ご無用です。ヒロキさんの心の中を覗いちゃおうなんて、そんなこと考えてないですから」


 ちょっと待て、しっかり伝わってるじゃないか。やはりよもぎには自分の心が丸見えなんだ。ヒロキは周囲のことなど忘れて大きなため息をついた。


「ではではヒロキさん、こうしましょう。ヒロキさんがよもぎとお話するときは目の前によもぎを思い浮かべてください、顔だけでもいいですから。それを合図にしましょう」


 なるほど、イメージするかしないかで情報の取捨選択をするわけか。まるで幽霊相手の通信プロトコルみたいだ。ヒロキはよもぎに言われるがまま目を閉じて彼女の顔を思い浮かべてみる。そして今度は声に出さずに問いかけた。


「これで通じてるか? どうぞ」

「通じてますよ、聞こえてますよ。どうぞ」


 するとよもぎはヒロキの返答を待たずに笑い出した。


「あははは、可笑おかしい、なんか可笑しいです、ヒロキさん」


 突然の笑い声にヒロキはビクッと身体からだをこわばらせながら目を開くと、人波を気にしながらまたもや小さく声に出した。


「おい、いきなり驚かすなよ」

「だって、だってヒロキさん、いちいち目をつぶるんだもん。それにトランシーバーで話してるみたいだし」

「しょうがないだろ、慣れてないんだから。それよりどうだ、池袋に来てみて何か思い出せそうか?」

「う――ん、なんか覚えがあるような無いような、まだよくわからないです」

「そうか……まあ焦っても仕方ないな。よし、まずはよもぎの服を見に行こう、それがここに来た目的なんだから。今日は買いものを楽しもう」


 するとまたもやよもぎが突然に声を上げた。


「ヒロキさん、今よもぎの頭の中で一瞬だけど地下街みたいなところにお店が並んでるのが浮かびました。そこにお洋服がたくさん並んでます」

「それって、ファッション・ゲート・パークじゃないか? 確かあそこの地階と一階はブティックばかりだ。よし、行ってみるか」


 ヒロキは足早に交差点を渡ると目的の地を目指して真昼の雑踏を急いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る