第17話 二人のルールブック
よもぎとヒロキ、二人の奇妙な同居生活が始まった。
霊体であるよもぎは日々試行錯誤を繰り返すことで自らが持つ特性を理解、把握していく。それは自身の透明化、半透明化と実体化の使い分けや依り代への憑依、近距離における瞬間移動など、ヒロキにとってはすべてが初めての目にするものばかりで、それらを目の前で見せられるたびにヒロキの好奇心は刺激されるのだった。
そんなよもぎの特性のひとつにヒロキが「ワザ」と呼んでいる現象があった。よもぎが水仕事を終えたときに自分を半透明化させることによって濡れた手がすっかり乾いてしまうのだ。いや、乾くというよりむしろ、なかったことにする、という表現が適切なのかも知れない。これは半透明化による透過性を応用したものだった。ヒロキはよもぎが見せる「ワザ」を目にするたびにその原理や仕組みについて説明を求めるのだが、よもぎの答えはいつも同だった。
「う――ん、よくわからないけどできちゃうんです」
あっけらかんと笑ってそう言うよもぎとのやりとりにヒロキはまんざらでもない気持ちを抱くようになっていた。
よもぎは会話の端々で自身の記憶に話が及ぶといささか困った顔を見せることにヒロキは気付いていた。ヒロキは不慣れな共同生活に支障を来さぬよう、なるべくその話題に触れないよう気遣っていた。ところが日を追うごとによもぎには料理に関する断片的な記憶があるらしいことが判ってきた。
「たまにふと、どこかで料理をする景色が浮かぶんです」
よもぎが言うにはその光景は家のキッチンではなく、どこかもっと広く無機質な場所なのだそうだ。それを聞いてヒロキはなんとなく察した。
「それって学校じゃないか? 調理実習とかさ、部活とか」
「う――ん、そうかも知れないし……わからないです」
記憶のヒントはつかめないものの、それでもよもぎには料理について何らかの思い出やこだわりがあることは確かだった。
思い返せば初めて迎えた朝、あのとき彼女が出してきたジンジャーティーもそうだった。よもぎはジンジャーティーを覚えていたのだ。ならばこれから食事を重ねるごとによもぎが過去を思い出すきっかけが掴めるかも知れない。ヒロキはそこにこれからの希望を託すことにした。
そんなよもぎのこだわり、そのひとつが朝食だった。
これまでヒロキは朝ギリギリまで寝ているために朝食を抜くことが多かった。しかしよもぎはこれを許さなかった。たとえ温めたミルク一杯でもいいから何かを胃に入れるようにと言うのが彼女のルールだった。
有言実行、よもぎは毎朝ヒロキのためにあり合わせの簡単な食事や、何もないときには温かい紅茶一杯だけでも用意する。そんなよもぎを見ながら、この子がかつて育った家庭は毎朝母親が食事の用意をしてくれていたのだろう、そして記憶がなくともよもぎにはその習慣が身についているのだ、ヒロキはそう考えていた。
しかしよもぎはヒロキが食事を始めると必ず依り代であるスマートフォンの中に消えてしまうのだった。
「だってよもぎは幽霊ですよ。ほんとは食べなくても全然平気なんです」
そうは言うものの、目に見えずともよもぎと同じ部屋にいるとわかっていながら自分だけが食事をするということに対してヒロキは寂しさと少しばかりの心苦しさを感じてしまう。
「それならひとつ提案があるんだ。この部屋で食事をするときはよもぎもいっしょに食べてくれないか? そりゃ食べられないこともあるかもだけど、それならばお茶だけでもさ」
「でも……よもぎの分までなんて……」
「そんなこと、気にするなよ。ひとりも二人も同じようなものさ。どうせなら二人で食べる方がおいしいって」
よもぎの顔に笑みが戻る。
「ヒロキさん、ありがとう。よ――し、よもぎ、これからもがんばっちゃいます!」
こうしてよもぎはヒロキの提案を快く受け入れたのだった。
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