第16話 これからもよろしくです!
ヒロキはよもぎから少しでも情報を得ようと努めて明るく問いかける。
「そうだ、君、苗字は? 苗字は思い出せないの?」
「苗字……ごめんなさい……覚えてない……です」
「ジンジャーティーの作り方は覚えてるのに、自分のことはさっぱりなのか」
「ごめんなさい……」
「いや、こっちこそ、また責めるようなこと言っちゃったか」
よもぎは左右に首を振ってヒロキの心配を否定する。
「しかし、これは厄介な展開になりそうだよなぁ」
よもぎは意気消沈した面持ちでカップを両手で持つと、ほとんど冷めてしまった紅茶を口にした。冷めたエグ味が舌の奥にかすかな苦味を残す。そしてよもぎはわずかな記憶を辿りながらゆっくりと話し始めた。
「よもぎ、気がついたらあの神社にいたんです。何がどうなったのかわからなくて、お外に出ることもできなくて、それでずっとあそこにいたんです」
それはよもぎにとってはあまり思い出したくない記憶だったのだろう、身をすくめて気を紛らすようにカップの模様を目で追いながら続けた。
「たまになんとなく波長が合いそうな人が来るんです、初詣とか七五三とかたくさんの人が集まるときなんかに。そんなときはついて行ってみるんだけど……ついて行ってみるんだけど、やっぱり気がつくと神社に戻ってるんです。よもぎ、わけがわからなくて、怖くて怖くて。なのでずっとあそこにいたんです。そうしたらヒロキさんがやって来たんです。よもぎ、なんかビビッと来て、あっ、この人だ、この人しかいない、って思って」
ここでよもぎはようやっと顔を上げてヒロキを見る。真剣な眼差しがヒロキを見つめていた。
「この人しか、って……しかしオレには霊感とかそういうの全然ないし。心霊とかって信じてなくはないけど今まで幽霊だとか見たことないし、恥ずかしながらクジ運なんかも全然ダメダメだぜ」
「そうじゃないんです。霊感とかそんなんじゃなくて、ただなんとなく、なんとなくそう感じて、それでついて行ったら、今度は出れちゃったんです、神社から」
「ってことはさ、やっぱりオレは君に
「め、迷惑ですよね、いきなり押しかけちゃって、ヒロキさんのこと、全然考えてなくて。ほんとに……ごめんなさい」
よもぎはか細い声でそう言うと再び下を向いてしまった。
「それにヒロキさん、『今日だけ』だったのを『しばらくは』って言い直してくれたけど、でもやっぱ困ってたみたいだし……」
ヒロキはよもぎの言葉が終わる前に手を挙げて続くそれを制止した。
「でも帰るところなんてないんだろ? とりあえず状況は理解したし、波長がどうとかってのはまあ置いておいて、それよりなにより君はオレの心の中を覗いたじゃないか」
「あれは……その……」
「だからさ、これからのことは、まあ、これからのこととして」
「……」
よもぎはうつむいたままヒロキの口から出るであろう続く言葉を待っているようだった。ヒロキはよもぎの様子を気遣いつつ言葉を選んだ。
「妙なことになっちゃったけど、こんな展開もあり、なのかな、って」
よもぎは顔を上げヒロキを見る。
「よもぎ、ここにいてもいいんですか?」
「まあ、その、とりあえずはお互いのプライバシーを尊重しつつ、オレにもオレの生活があるわけだし、その、うまくバランスが取れれば、まあ」
「ほんとに?」
「だって放り出すわけにもいかないだろ」
「幽霊だけど?」
「でも君は怨霊とか怨念とかには見えないし、悪い感じもしないし、だから問題ない……と思う」
「ほんとのほんとに?」
「くどい!」
そのときのヒロキにはまだ覚悟も自信もまるでなかった。しかしここは虚勢を張ってでも決断するべき場面なのだと彼は瞬時に理解していた。
よもぎの顔に明るさが戻る。ちゃぶ台の向かいで目を輝かせる笑顔が瞬時にヒロキの目の前に移動した。
「うわっ、相変わらず驚かされるなあ」
「ヒロキさん、ヒロキさん、よもぎ、よもぎ……」
「おっ、おい、わかった、わかったから。とりあえず落ち着けよ、な、な?」
ヒロキの腕に抱きついて頬を寄せたよもぎのその目は涙で潤んでいた。
「よもぎ、お役に立てるようがんばりますから」
「そんなこと言うなよ、困ったときはお互い様でいいじゃないか」
ヒロキはよもぎの頭にやさしく手を当てながら、照れを隠すようにソッポを向いてつぶやく。
「しかしまあ、こんな展開も……あり……なんだよな」
するとよもぎは顔を上げ、涙を拭いて満面の笑みを浮かべた。
「ヒロキさん、あらためて、これからもよろしくです!」
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