第13話 にゅーよく、にゅーよく
白い息を吐きながら帰宅すると、ヒロキはすぐにポケットからスマートフォンを取り出してちゃぶ台に置く。すると大きく伸びをしながらよもぎが画面から抜け出してきた。
「すっごく久しぶりのお買い物で、よもぎ、とても楽しかったです」
「そりゃよかった。ならばまずはちゃぶ台から下りてくれないか」
「ハ――イ」
よもぎは重力を感じさせない軽やかさでちゃぶ台から下りると、その足で浴室に向かおうとする。
「ま、待った、待った! てか君、風呂のことまだ何も教えてないだろ」
「大丈夫です! よもぎ、ちゃんと見て覚えました」
「見たって、風呂?」
「ハイ!」
「ハイって、オレの風呂?」
「ハイ、です」
「マ、マジか。見たのか」
「でもでも、後ろからだから問題ないです」
「いやいや、それは反則だろ……って、やっぱ見られてたのか」
ヒロキは困惑の表情を見せながらもすぐに気を取り直すと、よもぎに「待て」のポーズを示しながら脱衣スペースへと急いだ。
たった今買ってきたばかりのコンビニ袋を洗濯機のフタの上に置く。無造作にカゴに放り込んであった自分の下着類を底の方に隠す。続いて濡れた床を使用済みのタオルで軽く拭う。そして最後に棚からふんわり乾いたタオルを用意して準備完了、ヒロキはよもぎに声を掛けようと振り返る。するとそこには既によもぎの姿があった。
「うわっ! すり抜けて来たのか、ドアを」
「だってだって、よもぎは幽霊ですから、ヘヘッ」
「ったくもう、油断ならない展開だ。ここにはJKに見られたら困る……いや、なんでもない。それよりもう一度ちゃんと使い方の説明をしよう」
狭いスペースの中でヒロキはよもぎの
よもぎの髪がヒロキの鼻先をかすめる。
「あっ、ごめん」
ヒロキは慌てて半歩下がろうとする。
「そっか、こうすればいいんですよね」
よもぎは思いついたようにポンと手を叩くと目の前で半透明になって見せた。こうすることでよもぎはあらゆるものを透過してすり抜けることができるのだ。
「ほら、これなら大丈夫です!」
「なあ、これってオレの
ヒロキは目の前で起きている現象に無理やり納得しながら説明を続けていたが、話しながら今ここには男性用のトニックシャンプーしかないことに気がついた。
「しまった! シャンプーこれしかないんだ。さっきいっしょに買えばよかったな」
「ほんとに大丈夫です、そんなお気遣いはいらないです。だって、よもぎは幽霊なんですから。さ、ヒロキさんは向こうで待っててください。もう夜中だし、よもぎ、ささっと入ってしまいますので」
「わかった。もし困ったことがあったら遠慮なく呼んでくれ」
ヒロキを見送ったよもぎは透明化して姿を消す。次の瞬間、ドアを開けることなく浴室内に移動していた。一糸まとわぬ姿となったよもぎは服が消えただけでなく両サイドの小さな三つ編みまでもが解かれていた。
よもぎはさっきまで説明していたヒロキの顔を思い浮かべながらシャワーの水栓を開ける。FRP製の床に水音を響かせながら徐々に湯温は上がり浴室内は湯気で満たされていく。もうもうと立ちこめる真っ白な湯気はよもぎの全身をふんわりと包み込んで冷えた
首筋から肩にシャワーを当てると冷たかった頬と耳も紅潮していく。温かな湯水は小さな胸の膨らみの合間をすり抜けて下肢を伝わり、足先までをもあたかも血が通っているかのように火照らせた。
よもぎは湯気の中で軽く目を閉じて久しぶりの喜びを全身で感じていた。
「お――い」
「は――い」
ヒロキの声によもぎはこだまのように答えながら濡れた髪をかき上げて声の方を見ると、目隠しガラスの向こうに後ろ姿のシルエットが見えた。ヒロキが浴室を覗かぬようにとこちらに背を向けているのだった。
「おっと、そのまま聞いてくれ。着替えをここ置いておくから。オレのだけど洗濯してあるからパジャマ代わりに使ってくれ」
「ありがとうございま――す」
よもぎの元気な返事に続いてシャワーの音に混じった鼻歌らしき声が聞こえてきた。
「ふふふふーん、ふんふふーん」
ヒロキが初めて耳にするそのメロディーはきっとかつてよもぎのお気に入りだった曲なのだろう。しかし今のヒロキはその曲に対する好奇心よりも、妙な達成感と満ち足りた気分でいっぱいだった。
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