第12話 依り代はスマートフォン

 慌ただしく出かける準備を始めたヒロキを追うようによもぎも玄関の前に立つ。


「ヒロキさん、ヒロキさん。どうしてお買いものにリモコンなんか持って行くんですか?」

「これか? これはスマホだよ」

「スマホ?」

「そう、スマホ。携帯電話」

「ええっ、これって電話なんですか? すっご――い、見せてください!」


 ヒロキが手にしたスマートフォンを掲げると、よもぎはそれを覗き込みながら恐る恐る液晶パネルに指を伸ばしてみる。そしてそこにタッチした瞬間、その姿は小さな画面の中に吸い込まれるように消えてしまった。


「おい、よもぎ、よもぎちゃん!」


 ヒロキはキョロキョロと周囲を見渡すもよもぎの姿はどこにも見えない。


「こっち、こっち、見てください!」


 ヒロキは手にしたスマートフォンの画面に目を落とすと、そこにはロック画面の中で微笑むよもぎの姿があった。ヒロキは思わず素っ頓狂な声を上げる。


「なんだこれ、どうやって入ったんだ? てか、出て来れるのか?」

「う――ん、ちょっとやってみます」


 よもぎが画面の中でジャンプする。するとヒロキのすぐ隣に実体化して現れた。


「うわっ、マジでいちいち驚かされるなぁ」

「ヒロキさんと一緒に行きたいなって思ったらなぜかはいれちゃったんです。それで、出なくちゃって思ったら出れちゃったんです」

「なんだそりゃ」

「よもぎにもよくわからないんだけど、きっとそういうもんなんですよ」

「ま、いいか。なんかオレもだんだん慣れてきたよ。そうだよな、そういうもんだよな。それでいいんだよな」

「そうそう、それでいいんです。それではよもぎもご一緒させていただきます」


 そう言って再びよもぎはスマートフォンの中に消えるとロック画面の中でにこやかなポーズを決める。


「よし、行くか」


 ヒロキはよもぎが憑いたスマートフォンを落とすことがないようにしっかりと握りしめると深夜の寒空を見上げながら部屋を後にした。


 その寒さはダウンコート突き抜けて素肌にまで冷気が浸み込んでくるほどだった。冷たいというより痛いくらいに冷えてしまった髪をかき上げながらヒロキが見上げる空には街路灯などいらないほどに白く明るく輝く月があった。


「う――さびぃ――」


 ヒロキは湯冷めを心配しながら早足で最も近いコンビニを目指す。ほんの数分でたどり着いたその店のガラスは全てが白く曇り、それが外気と店内との温度差を強調していた。

 身をすくめながら小走りで駆け込んだ店内はとにかく明るく暖かく、冷え切っていたヒロキの耳たぶがみるみる温まっていくのがわかるほどだった。

 さて、目指すのは日用品のコーナーだ。しかしその向かいには雑誌のコーナーがあり、そこでは帰宅途中であろう二人の男性客が並んで立ち読みをしている。さてヒロキがこれから買おうとしているのは女性用の下着だ。立ち読み客との位置関係は背中合わせになるが、やはりどうしても周囲の視線は気になってしまう。

 ヒロキは棚の向こうに見えるレジカウンターもチェックする。深夜だからだろう、そこには二人の店員、ヒロキと同い歳くらいの青年と中年男性がそろって手持ち無沙汰な様子で立っていた。ヒロキは女性店員がいなかったことにまずは胸を撫でおろした。


 しかしこんな深夜に女性の下着を買うことになるなんて……だめだ、だめだ、こういう場面では自意識過剰が一番の敵なのだ。自分が思うほど他人は自分を見てはいない。とにかくシラっとカゴに入れてレジに向かえばそれでいい。平常心、とにかく平常心だ。

 ヒロキは自分で自分にそう言い聞かせると腹をくくって目指す棚の前に立った。しかしそこで重大なあることに気づく。おかげでせっかくの意気込みも虚しくその場で固まってしまった。

 コンビニに並ぶ下着である、それほどの種類があるわけではない。だがしかし女性用である。それもJK向けである。いったいどれを選べばよいのだ。

 サイズ構成はどうなっている?

 やはりSとかMとかLとかなのか?

 身の丈一七五センチメートルのヒロキから見たよもぎの身長はおそらく一五〇センチメートルくらいだったろうか。その情報だけでサイズが決まるのか?

 いや、決まらないだろう。

 ヒロキは記憶をたどりながらこれまでの光景を思い返してみた。

 くりっとした大きめの瞳にセミロングの髪、そのサイドには小さな三つ編みが揺れる。ブレザーを着た小さな肩と、そして胸。待てよ、胸、胸は……だめだ、思い出せない。

 さっきまで目の前で会話をしていたのに肝心なところを思い出せないのだ。結局ヒロキはこれといった答えを出せないまま少ない種類のそれらを手にしては何度も何度も見くらべていた。先ほどまでの逡巡しゅんじゅんがウソであるかのように周囲も気にせずに並ぶ商品をただひたすらに。

 するといきなり背後から袖口を引っ張られた。まずい、深夜に女物の、それも下着の前だ。まさか店員か?

 ヒロキが恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは店員ではなく制服姿のよもぎだった。よもぎはヒロキの顔を見上げながらダウンコートの袖口をしっかりと掴んで言った。


「驚かせちゃってごめんなさい。でもこうしてないと戻れなくなっちゃいそうで」


 よもぎはヒロキに寄り添うように立つと棚に手を伸ばして迷うことなくショーツとキャミソールを手にした。


「やっぱり女の子が買うのが自然です。それに見てください、ほら、こういうのってフリーサイズだったりするんですよ」


 よもぎは先導するようにヒロキの手を引いてレジに向かうと商品を店員に手渡す。ヒロキは周囲の目を気にしながら会計を済ませると、それを無造作にポケットにしまい込んだ。


 二人が手をつないで外に出た途端、火照ったヒロキの頬に寒風が吹き付ける。しかし暖気を十分に含んだダウンコートとこれまでの緊張のおかげでまるで寒さは感じなかった。

 よもぎはヒロキの耳に顔を近づけて「ありがとう」とささやく。同時にヒロキはその頬にやわらかく湿った感触を感じた。

 ヒロキが驚いた顔でよもぎを見返すと彼女はいたずらっぽく笑ってVサインをして見せる。そして周囲の目など気にすることもなくヒロキの前から瞬時に消えてしまった。そしてひとりその場に残されたヒロキがスマートフォンのロック画面を確認すると、そこにはうれしそうに微笑むよもぎの顔があった。

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