第10話 やっぱりビデオはベータマックス

 テレビから聞こえる深夜アニメのオーバーリアクションで頓狂な声、それがかえって部屋の静けさを強調していた。二人の会話が途切れた瞬間、これまで抑えていた気恥ずかしさが湧き上がる。しかしそんな沈黙を破ったのはよもぎだった。


「こんな遅い時間にアニメなんて……子どもたちなんて寝てるのに」

「深夜アニメだよ。毎日夜の十時頃から始まって、夜中の二時、三時くらいまでやってるんだ」


 よもぎはちゃぶ台に置いたリモコンを再び手にして番組表ボタンを押した。


「うわっ、ほんとだ」

「曜日によって多少の違いはあるけど、ほぼ毎日こんな感じだよ」

「これじゃアニメ好きな人はみんな寝不足になっちゃうじゃないですか」

「まさか、リアタイ視聴なんてしないよ。そういう連中はみんな録画してるんだ」

「リアタイ……それってもしかしてリアルタイムのことですか?」

「そう、大当たり」

「やったぁ、よもぎ、だんだん慣れてきました」

「はは、そりゃよかった」

「それでそれで、ヒロキさんもビデオに録ってるんですね」

「ビデオ?」

「やっぱVHSかなぁ……でもでも、ヒロキさんはなんとなくこだわりがありそうだから、もしかしてベータですか?」

「円盤だよ、円盤。DVDとか、いやBDかな。だけどオレは録画するほどのアニメファンじゃないし」


 よもぎは「ふ――ん」と気の抜けた返事をすると、今度はテレビ台の下に置かれた機器を覗き込む。


「よもぎちゃん、今度は何?」

「これってビデオじゃないですよね、全然小さいし」

「だからそれがDVDだよ。確か円盤もそこいらにあったと思うんだけど、見てみるか?」


 ヒロキは立ち上がると台の下を覗き込むよもぎの隣に座ってプレーヤーの周囲を探るように腕を伸ばした。するとそこには同じく興味本位に探っていたよもぎの手、二人の手と手が触れ合う。耳元でよもぎの微かな息遣いを感じながらその手にほんのりとした体温を感じるヒロキ、彼は女の子と手が触れたことよりも、幽霊なのにその手が温かいことに驚きを隠せなかった。


「あっ、ご、ごめん、あの、その……温かいんだな、って」

「温かいって、よもぎがですか?」

「いや……その……幽霊なのに、その……」

「あ――っ、よもぎはお化けだから冷たいって思ってたんですね。でもでも、よもぎにもよくわからないんです。そっか、よもぎは温かいんですね、そっかぁ」


 よもぎはやさしい笑みを浮かべると、そっと目を閉じて小さくつぶやいた。


「よかった、そう感じてもらえて、よかった」


 テレビの中では相変わらずアニメキャラたちが賑やかに騒いでいたが今の二人の耳にはそんな喧騒はまったく届いていなかった。



「え――っ、こんなに小さいんですか? これってCDと同じじゃないですか。よもぎはもっとこう……」


 ヒロキが手にしたDVDを目にしたよもぎは両手を顔の前で広げながら驚きの声を上げた。


「こんな、レーザーディスクみたいなのだと思ってました」

「レーザーディスクなんて、マジで君は昔の人なんだな。さて、とりあえず見てみるか、面白いものじゃないけど」


 ヒロキがディスクをセットして再生ボタンを押すと、よもぎはクッション片手に彼の隣にやってきた。ヒロキに寄りかからんとするように座るよもぎ、彼女から発せられるほんのりとした温かさがヒロキの身体からだに伝わってくる。そしてよもぎの肩がヒロキの上腕にふわりと触れるそのたびにヒロキの心はドキドキと高まっていくのだった。

 画面に映るそれは就活生に企業が配布したPR動画だった。ゆったりしたイージーリスニングようのBGMとともに企業理念や社会貢献事業の話などが淡々と語られるそれはお世辞にも面白い代物ではなかった。

 案の定、五分もしないうちによもぎはリモコンをいじくり始めた。当てずっぽうに押したボタンでディスクの再生が止まって画面が切り替わる。するとこれから始まるアニメのパステル基調で明るいオープニングが画面いっぱいに広がった。初めて目にする深夜アニメに興味津々なよもぎの細い肩が軽快なテーマ曲に合わせて微かに揺れている。


「よもぎ、集中しちゃうとダメなんです、ごめんなさい」


 そんなよもぎの言葉がヒロキの脳裏をよぎった。今、彼の目の前ではよもぎがアニメに夢中になっている。その内容から今は夜の十一時であることがうかがえる。いつもならばそろそろ風呂に入る時刻だ、やはり言うべきことは言わなくてはならない。ヒロキは呼吸を整えると意を決してよもぎに声をかけた。


「あの、よもぎちゃん、ちょっといいいかな」


 その声は届いているのだろうか、よもぎは相変わらずアニメに見入っている。


「そろそろオレ、風呂に入りたいんだけど」


 よもぎの肩が少しだけ動いた。やはり聞こえているのだ。


「よもぎさん、ワタクシ、お風呂に入りたいのですが」


 ヒロキはわざと慇懃いんぎんな口調で語りかけてみる。すると彼女は一瞬ヒロキをチラ見したもののテレビ画面に向いたまま明るい声で応えた。


「ヒロキさん、これ面白いです、女の子みんなカワイイし。なのでよもぎはもう少し見てたいです」

「いや、しかし……」


 この子はこのまま見続けるのか?

 しかし言うべきことは言わないと。

 それにしてもなんでオレは遠慮なんてしてるんだ、自分の部屋なのに。

 よし、言おう、言うぞ!


「よもぎちゃん、オレはこれから風呂に入る。入るゾ!」


 するとよもぎはこちらに振り返ってバイバイの手振りをしながら笑いかけた。


「どうぞどうぞ、ごゆっくりぃ」

「いいのか、ほんとにいいのか? 風呂だぞ、脱いじゃうんだゾ」

「それならよもぎは消えてることにします」


 よもぎはその一言を残して目の前から姿を消してしまった。

 ひとりヒロキだけが残された部屋の中、目の前では中学生と思しき女の子キャラ三人が手に手を取って空に向かってジャンプしている映像が明るいテーマソングとともに流れていた。

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