第62話 深夜の熟考ほど沼に入りやすいが朝になると大抵忘れている



 白亜ホテルから善寿庵への帰り道。時刻は既に深夜二時を回っている。

 結局そこそこの量を飲んだし、時間も時間だ。普段の俺ならば酔いや眠気でフラフラだったろうが、今はやたらと目が冴えている。

 神通力を使った覚えはない。暴飲や寝不足による不調も反転通を使えば一発なのだが、色々と予想外の事態に治さずとも脳が完全に覚めてしまっていた。


「……どうすっかな」


 思わず一人ごちるほどに。それもこれも、やはり先程の鋼太郎との遣り取りに原因がある。



 ────以下回想。



「さて、未だあちこち残り火が燻るこの状況。俺や他の面子も、再燃やら延焼やら飛び火やらを防ぐ為にあれこれ苦心をしていた訳だが……」


 やれやれと愚痴をこぼす鋼太郎。しかしその口調は、まるで鬼の首を取ったと言わんばかりに淀みが無かった。


「可燃物厳禁のこの場所で、スピリタスを飲み散らかした馬鹿がいる」


 スピリタス──主成分がほぼほぼアルコールの蒸留酒。消防法でガソリンと同等級に扱われる危険な飲み物で、よく燃える。

 そんなモン、飲み散らかすどころか実物をお目に掛かった事すら無いのだが。多分、そんな突っ込みを入れて良い場面では無いのだろう。


「俺の目を見ろ、戸塚の恭介」

「いや待て待て待て、その前にもっかい確認させろ。……本当に、久留晒藍良は雁天の社長の娘なのか?」


 鋼太郎曰く、一部では結構有名との事。

 メディアの露出はまだまだ少ないが「社長令嬢モデル」で検索すると真っ先に名が出るくらいには知られているそうで。因みに、芸名はカタカナ表記でアイラと書くらしい。


 やけに詳しいが、ひょっとしてファンなのか。


「要注意人物の把握は当然だろ。全国津々浦々、未だ十二万人以上いる『奉援邁進の会』、その全体に注意は払えねえ。だったら見るべきは狙われそうな側だ」

「そのうちの一人が彼女なのか?」

「人質候補の筆頭だろ、どう考えても」

「……人質、ね」


 発想が物騒であるが、今更その程度のワードで気後れするほどヤワではない。裏を返すと、俺は危険な目との遭遇に慣れ始めてるという事で。所謂「そういう星の下に生まれた運命」に改めて辟易しそうにはなったが。

 ともかくとして。確かに敵対同士でトップの家族を狙うのは世の常というか、自然の摂理とも言えるほどの「お約束」であろう。それがボスの一人娘ともなれば尚更である。


 承和上衆による先の式典でのパフォーマンス。実態怪しく、増長著しい「奉援邁進の会」を減衰させたのは確かだろうが、残りがまだまだ居るであろう事は先ほど鋼太郎が言った通り。


承和上衆かみが雁天を受け入れたのは、飽くまで新駅建設の費用に関してのみ」


 そんな都合の良い解釈をした輩が「雁天のこれ以上の聖地介入は許すべからず」と主張していても、別に不思議では無い。


 ────で、そんな状況下。当の社長令嬢が何をしたのかと言えば、まるで意に介さんと言わんばかりの聖地訪問である。

 舐めているというか、奉援邁進の会からすればただただ挑発されたようにしか見えないだろう。正に蛮勇だった。


「しかも、その同行者がまさかの承和上衆みうちの一人だってんだからな。コイツぁどんなコメディだ?」

「俺は何も知らなかった」

「みたいだな、お陰で間抜け具合に拍車が掛かってる」


 言い返したかったが、返す言葉が見当たらない。ぐうの音も出ないとはこの事を言うのだろう。


「久留晒藍良に何の思惑があるのか知りたいが……先ずはお前だ、戸塚恭介。聞いた感じだと無自覚だったとはいえ、連れて来たんだよな? さっきは適当に逸らかしていたが、今度こそ詳しく経緯を話せ」

「いや、確かに切っ掛けは俺かも知れないけど、別に主導していた訳じゃ……」

「いいから、全部話せ」

「……」


 悔しいが、今回ばかりは分が悪い。

 仕方なく、覚えている範囲で先ほどより細かく経緯を語った。

 とは言っても、宿泊券を手に入れたのは偶々フォトコンで大賞を取ったからだし、行き先がこの村だった事も(俺の迂闊な部分があったとはいえ)偶々だ。

 久留晒さんの同行に至っても本当に偶々。偶々雛川先輩と彼女に親交があり、偶々先輩が良かれと思って彼女を誘った。


 全ては「あに図らんや」の連続。そこには悪意も思惑も共謀も、介在する余地など無い筈である。


「余地が無いかどうかはこれから精査する」


 そう述べて、パチンと指を鳴らす鋼太郎。


「お菊」

「お呼びで」


 スッと突然奴の背後から現れたのは、面識のある人物だった。

 弘香誘拐事件の時に俺達が取っ捕まえたヤクザ者。四代目木戸川会の元構成員、菊谷善二である。


「居たの?!」

「ご無沙汰しておりやす」


 スジ者特有の、足を開き両手を膝に置くスタイルで深々とお辞儀してきた菊谷氏。

 最後に見た時と偉く態度が違う。どう反応して良いか戸惑っていると、鋼太郎が彼に向かって偉そうに指示を出した。


「動ける人員使って久留晒藍良の周辺をもう一度洗い直せ。仕事、交友、教団内での立ち位置……全部だ」

「へい」

「あと、お嬢方の護衛にコイツも付ける。旅館の面子と……漆香うるかさんにも伝えとけ」


 此方を顎でしゃくる鋼太郎。もしかしなくても「コイツ」とは俺の事だろう。有無を言わせず手伝いを押し付けるつもりのようで。

 いや、流れからしてそうなるだろうとは思っていたけども。別に断るつもりも無かったが、やっぱりそうなるのか。


「漆香さんも来てるんだな」


 取り敢えず、奴が発した中で一番気になった単語について聞いてみる。


「護衛対象が女だからな。流石に『おっさん連中』だけだとカバー仕切れねえのよ」


 今度の鋼太郎の溜め息にはガチ気味の辟易の感が漂っていた。

 菜々瀬家仲良し三姉妹が次女、菜々瀬ななせ漆香うるか。彼女は今、雛川先輩達の隣部屋を貸し切って待機しているとの事。

 ついでに言うと、おっさん連中とやらの警備も結構な数が居るらしい。


「そんだけの人員は一体どっから…………って、もしかして、木戸川会の連中をそのまま使ってんのか」


 菊谷氏を見ると案の定だったようで。「世話んなっとります」と、また頭を下げてきた。


 つまり駅前の清掃員も送迎の運転手も、売店に居たあの厳つい爺さんも、全員が木戸川会だった訳だ。

 確かに構成員は「弘香の事件」の折に纏めて捕縛したと聞いていたが。その後、どう始末したのかについては聞いていない。どうやら解体して(物理的にでは無く)組織ごと取り込んでいたらしい。


「正確には木戸川会プラス、似たような反社組織の複合体だ。木戸川会の他にも承和上衆うちにちょっかいを出して来た馬鹿がちょいちょい居てな。纏めて潰して、今は丹生にぶ家で預かっている」

「先ず浮かんだのが『使えるか使えないか』についてだけど……それ以前に、信用出来るのか?」


 下手をしたら、奉援邁進の会とかよりシンプルに危険な連中である。そんな奴らを身内に引き入れてしまったら本末転倒な気もするのだが。


「その辺の心配は無えよ。コイツらのに就いたのは、鞠香まりか漆香うるかの鬼姉妹だ」


 得意気に語る鋼太郎。

 その横で全身をガクガクと震わせ始めた菊谷氏、脳裏にナニかが過ぎったのか。菊谷氏は雑念を払うかのように大きく頭を振り、その後深呼吸をしてからそれでも震える声で、


「姐さん方には、ホント良くして頂きやして……」


 と、感謝の言葉を絞るようにして述べた。

 確かに心配は要らないっぽい。しっかり教育とやらが行き届いている様子である。

 若干行き届き過ぎて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っているように見えなくも無いが。何故か彼と一緒に鬼姉妹から尋問を受けた身としては……まあ、不憫に思う。が、同情はしない。そもそも彼らの自業自得だし。


「まあ、しっかりやってくれ」

「うす」


 少し調子に乗り、歳上に向かって偉そうな態度を取ってみた。

 芦川さん等、歳上のスタッフに対してまだまだ敬語を捨てきれない俺なのだが。この人相手だと強気を保てるのは何故なのか。


「にしても、いくらなんでも警備が少し大袈裟過ぎないか? 久留晒さんが襲われると確定した訳じゃ無いんだろ?」


 それを言うと、鋼太郎は本日何度目か分からない溜め息を吐く。


 甘い、と。


「昨日だけで既に三人、村に危険物を持ち込もうとした馬鹿を捕らえてる。全員、奉援邁進の会だった」

「マジか、てか良く見つけたな」

「そこはホレ、蛇の道は蛇。後ろ暗い奴を探すなら、同じく後ろ暗い過去を持つ連中に任せりゃ良いってな。ま、捕まえた奴らは全員素人だったが」


 そう述べる鋼太郎の視線の先には、今し方と打って変わって鼻を高くしている菊谷氏の姿があった。

 もう一つの心配であった「使えるか使えないか」についての疑問は杞憂だったらしく。腐っても元無頼漢。警備の面々は、前職の経験から同種の匂いを嗅ぎ取れるらしい。

 売店の爺さんが俺を一般人で無いと見抜いた件からも(雁天側のボディガードと思われたようだが)、索敵に関して言えばそこそこ役に立つと見て良いだろう。


「護衛は滞在期間中だけで良いのか?」

「取り敢えずはそうだな。いくら奉援邁進の会が十二万人以上いると言っても、実際に凶行に走る馬鹿は数えられる程度だろ」


 信者に余計な刺激を与えないよう直接の注告は避けたらしいが、そもそも承和上衆うちの『脅威』に対するスタンスは『防ぐ』ではなく『撃滅』。芽を摘むのが基本である。

 久留晒さんの真意は不明。しかし彼女の来訪は「不穏分子を肥大化する前に炙り出せる」と、ある種好意的に受け取る事も出来るそうで。

 いやまったく、捉え方が物騒なのかポジティブなのか、表現に困るところではあるが。要するに鋼太郎達は、久留晒さんを罠のエサにするつもりらしい。


「来てしまった以上は仕方がないし、どうせなら利用するまでだ。承和上衆は久留晒藍良の滞在を黙認。このまま凶徒狩りを続行する」

「いや待て。久留晒さんは自覚があるだろうからこの際良いとして、問題は一緒に居るもう二人だろ。彼女達は何の事情も知らない唯の一般人だ。危険には晒せない」

「だから警備を厚くしてんだろ。巻き込むのが嫌なら精々お前も身体を張るか、若しくは上手く言い包めて旅行自体を中止しろ。俺は正直どっちでも良い」


 面倒臭そうに述べる鋼太郎は、任務中に酒を飲んでいる姿も相まって非常にやる気なさげだった。



 ────以上、回想終わり。



 相変わらず対応の仕方が大雑把というか、鋼太郎らしいっちゃらしいのだが。そもそも上の連中、アイツを警備責任者なんかにして一体何がしたいのか。

 確かに、昔から荒事の統括は「丹生家」の仕事だったらしいが、いくら人手不足、若手に経験を積ませる為だと言っても毎度毎度の無茶振りが過ぎる。


 まあ今回の場合、現場責任者が誰であろうと恐らくやる事は変わらないだろうが。


 先ず前提として雛川先輩と片岡、この二人を危険に巻き込みたくは無かった。出来ればナニカが起こる前に、とっとと村から出て行って欲しいところである。

 だが久留晒藍良、彼女は暫く村に残って貰った方が良いかも知れない。もう来てしまった以上、ある程度の「炙り出し」が済むまでは警備の行き届く村内に居る方が安全だろう。

 理想としては先輩と片岡に朝イチで村から去って貰い、残った久留晒さんのガードをガチガチに固める。


「どうやって?」


 パッと直ぐには思い浮かばなかった。少なくとも、俺の正体を隠したまま為すのは不可能だと思うのだが。


 そもそも、


 護衛対象がソガミ教徒。

 護衛人が承和上衆。

 この時点で色々オカシイ。


 襲って来るのもソガミ教徒と言うのだから困惑も一入である。どう立ち回るのが一番良いのか、本気で分からなくなっていた。




 それに、別の問題がもう一つ。


 白亜ホテルと善寿庵との距離はさほど離れていない。両方とも同じ開発区の西側斜面に位置しており、歩いて二十分も掛からない距離だった。

 鋼太郎はやる気なさそうにしていたが、一応何かあれば直ぐに駆けつけられる距離に居る訳で。確かに練体通ありきならば、辿り着くのに一分も時間は掛からないだろう。

 しかし普通に考えて、同じ旅館で待機する方が非常時にも素早く対応出来るだろうに。現場を指揮する立場でありながら護衛対象から微妙に離れ、しかも酒を飲むという怠慢ぶり。この「微妙に」が「命令だから渋々やってやる」という鋼太郎の心情を如実に表している。


 その様相はバーで話を聞いていた時から勿論気付いていたが。俺は奴に文句を言えなかった。最初に「もう少し真面目にやれ」と言い掛けたが、奴の鋭い眼光がその文句を阻んだのである。浮かんでいた曇りなき感情、「怒り」に俺は気圧された。

 実際には無かった会話だが。もし俺が「真面目にやれ」と口に出していた場合、以下の遣り取りに発展していただろう。


「元はと言えば、お前がもっとしっかりしていれば防げたトラブルだ」


 先ずはそんな台詞で俺を牽制してから、


「でもな、恭介。俺は別にお前が面倒ごとを持ち込んだ件に対して、そこまで怒ってる訳じゃねえのよ。言っちゃなんだが、この程度のトラブルは日常茶飯事だからな」


 一度引いて油断を誘う筈である。恨み言なら奉援邁進の会、凶行を起こす馬鹿に直接言うべきだと。

 しかしその後、奴は怒涛の口撃で俺に本音をぶつけてくるに違いない。違いないのだ。


「だがな、俺は今回の件でどうにも納得いかねえ事が一個だけある」


 プルプルと怒りに震えた後にきっとこう叫ぶ。


「────境遇の差だ! ぜってぇオカシイ!! 俺は定時を過ぎてもまだ働かされて、その上! 周りは堅気じゃねえむさ苦しいおっさんばっかじゃねーか!! 一方のお前はなんだ!?」

「おい、落ち着け。酒が溢れる」

「これが落ち着いていられるか!! なんでテメェだけ若え女を三人も侍らせてんだ!? 両手に花でも、まだ余るじゃねーか!! 残った一輪はどこに飾った!? 言って見ろ!!」

「いや、知らねえよ……」

「しかも内訳は女子大生二人に、残る一人は現役モデルだと!? 大概にしろよテメェ、なーにが『真面目にやれ』だ!! テメェが一番巫山戯てんだろうが!!」



 ────マジで賭けてもいいが、絶対こんな展開になっていた筈だ。下手をすれば、奴の協力が得られなくなる位にまで関係が悪化していただろう。

 以前「弘香の事件」の際にも、奴は俺が女子とノホホンと酒を飲んでいた件でしつこく皮肉を飛ばしていたし。今回、奴の雰囲気からして、あの時とは比になぬほど腹に据えかねていているのは間違いない。


 ギリギリで地雷を踏まずに済んだのは僥倖だが、鋼太郎のモチベーションの低下は結構深刻だった。

 警備の統括がアレでは流石に困る。何か上手い方法を考えないと駄目かも知れない。




 思わず立ち止まり天を仰いだ俺。目を閉じて大きく息を吸い、久々に故郷の空気を肺いっぱいに溜め込んだ。

 どれだけ側の開発が進んでいようと田舎は田舎、空気は誤魔化せない。俺の鼻腔を擽ったのは、木々と土とドクダミが混ざった馴染み深い匂いだ。


 考えを纏める為の行為ではない。考えを放棄する為の所作である。


 結局、いくら悩んだところでやる事はシンプルだろうから。

 取り敢えず、朝になるを待とう。先ずは漆香さん部屋に挨拶に行き、今後の連携について確認すればそれで良い。

 たかが三日……いや、もう残り二日だ。通力を上手く管理すればその程度の時間、不眠不休で動けるし、人手だって大勢居る。変に心配する必要は無い。


 そう言い聞かせ、思考をポジティブに切り替えたところで善寿庵に辿り着いた。時間も時間故、意気揚々なままに玄関扉を開ける訳にもいかず。音を立てないよう、俺は慎重にロビーへと上がり込む。


「────遅かったですね。何処まで行ってたんですか?」

「うふぉいっ!?」


 薄暗闇の中、突然現れた片岡に素っ頓狂な声を上げてしまったが。

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