第56話 ヒーローごっこなんてやるもんじゃ無い



 トーストを落とすと何故かバターを塗った面が下を向く。その確率はカーペットの値段、或いは新品度の度合いによって比例するとか。なんて、科学的根拠のない法則だが「こんな時に限って」を枕詞に置く「不幸あるある」は往々にして実在するそうで。

 実際、サンドイッチを落とせばパンは開いて中身が下を向くし、ドリンクを倒せば重要な書類に向かって零れ、寝坊してズボラな服装で出掛けた時に限って気になってた異性と遭遇する。


 しかし、それらは日常に潜む「ありがちな不幸の連鎖」であって、間違っても「殺人鬼に変な薬を盛られ、そのタイミングで巻き込みたくない知人と遭遇する」みたいな奇想天外を指すものでは無い。

 この知り合いが元海軍特殊部隊の最強料理人とかであれば「地獄で仏」だったのだが。生憎と場所はアイオワ級戦艦の艦内にあらず、ごくごく普通な喫茶店の入り口である。

 故に遭遇した知り合いが、だったとして文句は言えないだろう。


 尤も今は薬のせいで物理的に文句も何も言えない。────文句というより警告をだ。下手したら誰かしらの犠牲が出るかも知れない状況で、マーフィーだのソッドだのジョークを並べている場合では無かった。


「戸塚くん、大丈夫ですか?」


 嘘だと言って欲しい状況である。

 先程別れた筈の片岡が目の前にいた。


 ホームパーティーの買い出しがあるとスーパーへ向かった彼女だが、どうやら戻るところと鉢合わせしてしまったらしく。中身が詰まった買い物袋をぶら下げて、心配そうに此方を覗き込んでいる。

 相変わらずの表情の読み辛さではあったが、眉尻がだいぶ下がっていたのでそういう事にしとこう。


 具合が悪そうな人に声を掛ける、それが知人なら尚更だろうが。申し訳ないけど、今はそんな彼女の常識的美徳が少しだけ煩わしい。心配してくれるのは勿論嬉しいが、タイミングが最悪だった。


「こんにちは、恭介のお友達?」


 無論、俺は答えることが出来ず。なので梁坂さんが応対している。俺のことをサラッと下の名呼びする辺りが抜かりないが、それは置いといて。


「大学で同じサークルです。あの、貴女は?」

「オン友よ」

「……オン友?」

「オンライン上の友達。サシオフ(サシでオフ会)で会ってからはリア友だけど。まあ、彼とはちょくちょく会う仲よ」


 隣の口から流れる虚言。あまりの淀みの無さっぷりに「やっぱさっきの身の上話も全部嘘なんじゃねーの?」とフラつきながらに思った。よくもまあ、適当な設定がスラスラと出てくるもんである。


「そうですか……あの、それで彼はどうしたんですか? 具合悪そうですけど」


 梁坂さんの堂々としたる態度に片岡が何かを怪しんでいる様子はなかったが。当然、梁坂さんからすれば不審に思われたくないだろう。不本意ながらそこは俺も同じ想いだった。


「それが急にフラついちゃって。多分、熱中症だと思うんだけど」

「そうでしたか……えっと、だから店の中で休まれてたんですよね?」


 怪しんでいる感じではないが、少し困惑している様子の片岡である。まだグッタリしている俺、それを担いで移動しようとしているのだから当然の疑問だろう。

 下手な誤魔化しはリスクを上げそうだが、


「暫く様子見てたんだけどね。なかなか回復しないから、もう病院行こうってなったのよ」


 梁坂さんは上手くいなす。「だから先を急ぎます」と言わんばかりに俺を連れて歩き始めた。


 此方としても、今は合わせるしかない。


 しかし、頑張ってついて行こうとするのだが、俺の足は制御が狂った二足歩行ロボットばりに上手く動かず。半ばズルズルと引き摺られる形で無理やり進む格好だった。


「救急車を呼んだ方が良いんじゃ……」

「意識はあるし水分補給もちゃんと出来た。それに、私の車が近くだからそっちの方が早い」

「なら、そこまで手伝います」

「気持ちは有り難いけど、貴女両手が塞がってるでしょ? こっちは大丈夫よ」



 でしたら、ちょっと待ってて下さい。


 そう述べて、片岡は喫茶店の中へパタパタと駆けて行った。

 恐らく荷物を預けに行ったのだろう。店側からしたらなかなか迷惑な要求だろうが、一応は緊急時という名目がある。俺も自分の買い物袋をあの店に置いて来たのだから、多分片岡もすぐに手ぶらで戻って来るだろう。


 介助してくれる人間は既に一人居る。だから此方としては「それじゃお大事に……」という流れになるのを淡くも期待したのだが。どうやらそうもいかないらしい。

 分かってる、片岡は良いやつだ。フラフラになってる知人を無視できるタイプではない。



「良い子だけど鬱陶しいわね」



 ボソリと呟かれたその声から、凡そ温度を感じられなかった。恨めしげに喫茶店を見つめる梁坂さんの目からはハイライトが消えている。

 初めて見せた明確な殺意。しかし、口元をペロリと舐める仕草だけは何処となく淫靡な雰囲気が漂っており。

 ずっと懐疑的だったのだが、どうやらマジでガチのようで。漸く俺は彼女のことを「殺す側の人間」なのだとハッキリと自覚する。そして、さっきあれほど本人が自信ありげに述べていた「残り一日、二日の猶予」という証言は全く当てにならないのだと理解した。

 結局、彼女にとっての理性とは「鍵が刺さったままの檻」に過ぎないらしい。


「かの……に、てを……すな」

「嗚呼そうね。確かに手を出しちゃ不味いよね。でも、ちょこまか付き纏われると私も困るのよ。車があるって言ったのも嘘だし」

「いまのうち……にげら……るだろ」

「無理よ。こんな牛歩じゃどうせ直ぐ追いつかれる」


 相変わらず上手く動かないのは顎や舌も同様で。それでも何とか言葉は紡げれたが、肝心の説得の願いが叶わず。快楽への執念か、自我への未練か。いずれにせよ、まだ俺を諦めるつもりは無いとの事。



 そうしている内に結局片岡には追いつかれてしまった。

 俺の歩行を補助しようと、梁坂さんとは反対側の位置で身体を支えてくれるのだが、複雑。両手に花というシチュエーションに喜べないパターンがあるとは思わなんだ。状況はどんどん不味くなっている。


「────かたおか、おれはだいじょうぶ。おおげさにしなくていい」


 出来るだけ平静を装って、出来るだけ何でもないように。大きく息を吸ってから「普通っぽい声」を無理矢理に出した。

 しかし、此方の説得も難しいようで。


「信用出来ません。大丈夫な人はそう言いますが、大丈夫じゃない人も同じ事を言います。それに、熱中症を甘く見たら駄目です」

「それでも……だいじょうぶなんだ。かまわなくていいから」

「構いますよ。フラフラじゃないですか」


 中々思い通りにいかず焦りが募る。それでも、そのフラフラの頭で考えなければならなかった。片岡を今すぐに俺達から引き離す方法を。

 近道と称して適当な路地裏を進んでいるが、もくてきちなんて存在しないのだ。今は俺の心配に気が入ってるようだが、グズグスしていたら片岡も流石に不審を覚えるだろう。そうなれば、彼女は確実に梁坂さんの標的になる。


 ……最悪、強い言葉での拒絶も辞さないが。


「前に会った時、私言いましたよね? 暑さ対策はしっかりして下さいって。環境は守らずとも己が健康は守るべきで……」

「すまほ」

「……はい?」

「スマホをわすれた。さっきのみせに」


 嘘は言っていない。正確に言えば、忘れたというか梁坂さんの手によって置いていかされたのだが。


「わるいがとってきてくれ。いますぐ」


 多少強引でも引き離す。

 今なら喫茶店とそこそこの距離があるから、片岡が走ったとしても、戻って来るまでに少しの間が空くだろう。その間に移動して撒けば良い。分かれ道を二、三回曲がれば見失うには十分な筈……


「────ああ、心配不要です。戸塚くんのスマホなら、さっき私が店の人から預かりました」


 迂闊。そんで最悪だった。

 個人の位置情報を得るのに最もお手軽なマストアイテム。きょうびウチの連中でなくとも、スマホから居場所を辿るなんて訳無い話で。

 だから梁坂さんは警戒して喫茶店に置いてきたのに。それが今、ここにあるとか。


「流石に貴重品だったので、喫茶店側も困惑してましたから……」

「もう駄目ね」

「……何がですか?」


 これでは彼女が「決断」してしまう。


「ごめんなさい。車までの距離、少し見誤っていたみたい。これなら恭介を連れて歩くよりも、私が走って取ってきた方が早かった。だから悪いんだけど……」


 だから悪いんだけど、今からでも車を回すから二人で待っててくれる? 


 そう述べて表通りを指差した。

 方向に気を取られる片岡。その隙に梁坂さんは担ぐのを辞め、スルリと俺の腕から肩を抜く。


 この嘘が「一人で逃げる為のもの」であるなら今はそれでも良い。しかし彼女はまだ俺の事を諦めていない筈。

 だとすれば、次に起こる事は嫌でも予想がついてしまう。


 片側の支えを失い蹌踉よろける俺。

 二分していた重さを一手に背負い、踏ん張る片岡。


 そして、


「かたおか、にげろ」

「え?」


 梁坂さんは徐ろに一歩後ろに下がり、ショルダーバッグから折り畳みの日傘を取り出した。





--





 その後の顚末。


 梁坂さんが日傘をカチャリと操作すると、先端から伸びてきたのはアイスピックを彷彿とさせる巨大なニードルだった。これを見て俺は、彼女が本当に先の通り魔の犯人なのだと確信する。

 芦川さんの報告にもあった話だが、全六件中最初の五件の凶器が「針状の特殊なモノ」と穿通跡から推測されていた。こんなトリッキーな得物を使う酔狂なんて一度にそう何人も出ないだろう。ほぼ確定と見るべきである。


 なんて、一瞬の認識の間。その間に梁坂さんは片岡に向かって動き出し、俺も梁坂さんに突進を仕掛けていた。


 勿論、神通力は使えない。都合良く体調回復が間に合う訳でもなく、依然としてフラフラで。

 しかしそれは平衡感覚が狂ってるだけであって、筋力自体は平常時と近い位までには戻っていた。一瞬変な方向に行きかけたが、身体自体は一応動く。


 対近接武器のやり方なんぞ知らないし。知っていたとしても、この時の俺は細かい動きが無理だったから関係ない。出来るのは精々、もつれるようにして彼女の身体に組み付く事。本当は武器を持った手を掴みたかったが、そんな余裕すら全然無くて。

 組み付く、押し倒す、そのまま体重で押さえ続ける。やれた事はそれくらいだ。傍から見れば立派な強姦魔だが、そんな事を気にしてる場合でも無かった。


 ただ印象的だったのは梁坂さんの変貌で。


「────邪魔しないで!!!」


 激昂する様はヒステリックと呼ぶに相応しかった。


「このままじゃ私のワタシが死んじゃうでしょ!!? 駄目じゃん!!」


 組み付きから逃れようとバタバタ藻掻き「どいて、どいて」と叫びながらニードルを俺へと振り下ろす。何度も何度も、腕やら肩やら背中にも突き刺さった。

 痛いし熱いしで最悪だったが、意外としっかり耐えられたのは「片岡を守らないと」という使命感に他ならない。あとから思えば若干ヒロイックな展開に酔っていたのかも知れないが。とにかくそんなモチベーションのお陰で彼女を押さえる事に成功した。


「離してよぉ!!」


 尤も、耳を通るは悲痛の声だったが。

 段々とその叫びが「幼子の駄々」に聞こえてくるから不思議だった。組み付いている体勢故に顔を見る事は出来なかったが、多分泣いていたと思う。


「分かってんのよ!! 全部自業自得って事くらい!! ────でも思っちゃうじゃん!! あん時事故ってなかったらって!! パパとママが生きてたらって!! あんな男に捕まらなかったらって!! 普通の生活があったかもって!! 無かったのよ!! 気が付いたらもうこうなってた!!」


 いつの間にか刺突攻撃は止んでおり。一頻り一人で叫んだあと、力尽きたかのように彼女の抵抗は無くなっていた。


 主張の内容は支離滅裂な部分も多かった。

 それこそ自分勝手で子ども染みているようにも聞こえたし、何処となく同情の余地があるような気分にもさせられた。痛みとフラつきのせいで、もう訳が分からなくなっていたんだと思うが。


 ただ、最後に呟いた彼女の台詞は今もハッキリと耳に残っている。


「────ヒーローなら助けてよ」


 これに俺がどう答えたのかは覚えていない。たぶん何も答えられなかったんだと思う。

 言えたとしても、近づいてくるサイレンの音に掻き消されただろうが。

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