第55話 怪我の治りが早い奴はどうしたって過去の失敗から学べない
「もしかして彼女いた?」
「居ないですけど」
「そう、良かった」
良くない。当然だが、たとえ友達を選ぶ人種でなくとも流石に恋人はちゃんと選ぶ。生憎とサディズムを受け入れるほど寛容なタイプでは無いので、その手の嗜好者と付き合うつもりは毛頭無かった。
というか、
「あのですね、恋人が犯罪者とか御免被りたいのですが」
「ああ、もちろん貴方が
どう? ちゃうねん。
その受け皿役が嫌なんよ。
「気質に抵抗があると言ったんです。痛いのも嫌ですし」
「そこを何とか受け入れて欲しい。大丈夫、一周通り越したら逆に気持ち良くなるから」
「知りたくも無えんですよ、そんな境地」
相手を説得するには先ず笑顔から。
という事で、お互い顔だけはニッコニコで会話を進めていた。傍からすればカップルが仲睦まじくお茶しているように見えるのだろうが、此方としては非常に不本意である。
その水面下。正確には机の下の彼女から死角になる位置にて、俺は鴨の水掻きが如く必死にスマホを操作していた。お悩み相談の掲示板に再度投稿……などではなく、芦川さんへのメッセである。SOSはやはり出した方が良い。
画面をあまり見ずにフリックしているので多少文章は荒くなっているだろうが、最低限、今の状況と店の場所は伝わっている筈。後は応援が到着するまで彼女をこの場に留めておけば良いという寸法だ。
幸いと言って良いかは分からぬが、向こうは此方に執着を見せ始めている。なので足止め自体はそう難しく無いだろう。
「最初のオススメは初心者コース。ビギナーさんにも安心してご利用頂けるよう充実した安全サービスが売りなの。それでも顧客満足度は大手にも引けを取らないと自負してるわ」
とか考えている間に謎のセールストークが始まった。
普通なら適当に相槌を打って聞き流すところだが、いちいち耳に引っかかるワードを使ってくるので中々に手強い。
初心者コースってなに、そんで大手ってどこだ。
このままペースを握られるのは不味い気がする。露骨に話題転換をしてもわざとらしいので、自然な感じで逸らしたいところだった。
「質問があります」
と言うと、いそいそと他のコースの説明が始まったが、そうじゃない。
「猶予って、具体的にどのくらいなんですか? 無いと言う割には落ち着いているように見えるので」
自制心の限界ラインなんて、本来自分でも把握は難しい。梁坂さんはまるで天気を読むかのように語っていたが、語っている様があまりに平気そうだったので未だにタガが外れる姿を想像出来なかった。これで「もう直ぐ」と言われてもいまいちピンと来ないのは当然だろう。
暫し思案したような間の後、梁坂さんは両手の指で一と二の数字をビビッと提示した。
「残り一日、二日かな」
「……短いですね。てか、そんなハッキリ分かるんですか?」
「分かるんよこれが。たとえばそうね……風邪を引いた時ってさ、前兆で上あごの奥がやたら痒くなるでしょ。あの感覚に近い」
どうなのだろう、人によると思うのだが。生憎と此方は風邪とは縁のない「何たら」なので、その辺の自覚には疎かった。引いたとしてもすぐに神通力で治しただろうし。
……喉のイガイガってやつの事だろうか。
「悪寒もくしゃみも鼻水も無いからシンドくは無い。だけど後からその辺の症状が確実に来るんだろうなぁって分かるから辟易すんの」
「風邪は上咽頭の炎症から始まるって言いますからね。……要するに、そのくらいちゃんとした確信が体感であると」
例えが今一つ分かり難かったが、一応理解した。しかしそこまでの把握が可能なら、果たして自己管理は出来なかったのかと問いたい。
大体、プロだか知らぬが、欲求の度に解消するほどコンスタントな殺人が出来る世の中でもあるまいし。曲がりなりにも今まで精神を保ってきたのなら「限界」を自分で決めつけるも尚早に思える。
いやまあ、本当の本当に余裕が無いからこそ、なり振り構わずここに来たのかも知れないが。
殺人欲求を持ちながら一方で呵責の念もちゃんと有るとか、やはり歪だ。その強烈な矛盾からくる認知的不協和が彼女のストレスに拍車をかけているのだろう。本人は非憑依型の解離性同一症かもと言っていたが、あながち的外れな分析では無いのかも知れない。
そう考えると少しだけ気の毒に思えてくる。
稀代の殺人鬼。人を殺すプロ。
同情する余地なんて無い筈だが、境遇を鑑みると米一粒分くらいの哀れみは湧く。ほんの一粒だけ、本人の弁を信じるならばだが。
「ストレスの方に限界が来たらどうなります?」
「さあ? こっちが聞きたいくらいだけど、少なくとも自我は消えそう」
「理性が失せて破滅的な殺戮行為に?」
「可能性としてはあるかもね、わかんないけど」
……やはり振り払うだけでは不味いか。これまでの話、鵜呑みにするつもりも全く無いが、彼女が野放しにして良い人間で無い事だけは十分に理解した。
かと言って、今ここで俺一人が騒ぎ、彼女を取り押さえても暴漢扱いされるのがオチだろう。このまま適当に駄弁って引き留めておくのが吉っぽい。
「やっぱ恋人は無理ですね」
「ええー……駄目? 打算ありきの恋愛は嫌?」
「ウルトラ打算的だろうと偏見は無いですよ。ご存知の通り、こちとらだいぶ特殊な家柄でして。見合いや政略婚なんかの話も未だ良く耳にしますし」
「なら良いじゃん」
「肝心の採算が絶望的に合ってないでしょーが」
幾ら時間稼ぎの為の適当な会話だとしてもだ。そこで「え?」という顔をされると本当に困ってしまう。
「じゃあ身体だけの関係にする?」
などと提案してきたが、言ってる事が一緒なんだよなあ。
「俺を釣りたいんでしたら、もうちょい別のメリット出して下さいよ」
我ながら中々に下衆っぽい台詞を吐いたと思う。しかし、それを聞いた彼女は割と真剣に悩み始めた。
比喩表現でなく、文字通り「死ぬほど痛い」に見合う対価。早々に浮かびようがないと思うのだが。お金でも提示されるかなーと思っていたら、
「じゃあ情報提供とかどう?」
少し意外な提案が飛んできた。
「情報?」
「貴方を襲った関西弁男と覆面男、それについて私の知る
「対価としては弱いですね」
「そうかな? 言っとくけど、連中を甘く見ない方が良い。業界でもかなり遣り手の部類よ」
──実際、結構苦戦したでしょ?
まあ、それを言われると確かに。
特に関西弁男は「響」を数発撃ち込んでも立ってるほど頑強だった。こんなタフな人間がいるのか、とかなり驚いたものである。
その上、何度も不意を突かれてしまったのも事実。関西弁男の言葉を借りるなら、俺は警戒心とやらが他者より一層欠けているらしいが。
「いくら超人染みた強さがあってもさ、四六時中は気を張れないよね」
「枕を高くして寝たいのなら……って奴ですか。確かに、奴らの正体や目的が気にならないと言えば嘘になります」
そうでしょうとも、と彼女はしきりに頷いていた。
「連絡手段もある。奴らから譲り受けたスマホがまだ生きてるし、なんなら私が誘い出しても良い。……来るかは分かんないけど」
成る程。
利となりそうな話ではある。が、まだ弱い。取り引きが成り立つかと問うなら否であろう。その程度の対価で俺が「死ぬほど痛い」を享受すると思っているなら片腹痛い。
「…………」
片腹痛いのだが、しかし情報自体は惜しい気がする。
この後、事が進めば梁坂さんの身柄はちゃんと確保されるだろう。そして警察ないし、承和上衆の誰かが取調べなりして彼女の背後関係を洗う筈だ。ならば関西弁男や覆面男についても、その時に聞き出せれば良い筈である。
だが果たして「自発的な協力」と「無理やり聞き出す情報」では一体どのくらいの差があるだろうか。
幾ら歪で救いようがない動機でも、懸けた願いは真剣で。なのに頼りにしていた俺に裏切られたら、怒りやショックは一入だろう。しかも彼女は程なくして「狂う」と宣言している。そうなれば、まともな聴取が出来ない可能性は無きにしも非ず。寧ろ高いと考えるのが道理だろう。
もしかすると今この瞬間を逃せば、関西弁男らの情報は二度と得られないのかも知れない。そんな推測を踏まえると、梁坂さんの付け値は案外妥当なのかも……と思ったり。
……結論を出そう。
「お断りします」
やっぱ痛いのは御免である。
第一、承和上衆を狙う賊徒は関西弁男や覆面男だけでは無い。そんなのは氷山のほんの一角。対応する度、いちいち刺されるような目に合うのを俺は良しとしない。
痛みで喜ぶドマゾでは無いのだ、身体は治っても心に大きな傷が残ろう。神通力で精神は治せないのだから尚更である。
「────そぅか」
だから、つい本気のトーンで断ってしまった。それに対する彼女の簡素なリアクションを見て「しまった」と思ったがもう遅い。
まだ応援は到着していないのに、なに「話は終わり」みたいな空気を作ってんだろう、俺は。時間稼ぎする為の会話じゃなかったのか。嘘でも悩む振りくらいしとけば、もう暫くは時間を引き延ばせただろうに。
いやしかし、彼女とて引き下がれない状況に変わり無いのも事実。だったら、まだ焦る必要は無い……そう考えたところで俺は机に突っ伏した。
ゴチンと、鼻から。
鼻尖とその下の軟骨がツンと痛み、実感した時にはだくだくと血が机の上に広がっていた。鼻血を出すなんて随分と久し振りである。
机を拭かなきゃと焦りつつ、先に鼻血を止めなきゃと気付いてから、そう言えばなんで俺は机に鼻をぶつけたのかと疑問に思った。
眼前暗黒感。単に立ちくらみとも言うが、それの十倍くらい酷い奴が現在進行形で俺を襲っている。
こんな症状、少なくとも俺は初めてで。頭が上手く持ち上がらず、天板スレスレの高さでかなりふらついていた。尚も止まらない鼻血がポタポタと垂れているのだが、鼻頭を押さえようにも腕すら上手く上がってくれない。
紛うことなき神通力の出番なのだが。如何せん頭がふらついている為に通力が練れない。これに関しては以前にも経験している。
つまり、なんかヤバい。
「やっ……ちょっと、大丈夫!?」
焦った声……いや違う、焦ったように聞こえる演技の声だ。そんな声の主、梁坂さんは甲斐甲斐しい手つきで俺の顔周りや机を、取り出したティッシュで拭いている。此方はもうされるがままに、振り解く力は全く出ず。冬場のシングルコートの犬が如くプルプルと震える事しか出来なかった。
そんな俺の耳元で梁坂さんは囁く。視界は廻って意識も朦朧としているのに、聴覚だけはやたらハッキリと機能していた。
「コーヒーに盛ったの」
何を、と問いたかったが今となっては舌も回らない。呼吸以外に口が機能を果たしていなかった。
「脳や神経にダメージが入ると神通力は使えない、仮説は正しかったかな? 集中力が要りそうだもんね」
「……プフォ」
「ふふ、心配しなくてもフラつきは三十分くらいで治まるから」
そう告げると彼女は立ち上がった。逃げられる、と思ったがそうでは無いらしく。「会計済ませてくるからちょっと待ってて」と述べて店員の方へと向かっていった。
その間になんとか通力が練れないか試してみたが、出来る気配は一向に無い。多分、病院の時の血管迷走神経反射よりも症状は酷いと思われる。本当に何の薬が使われたのか。そしていつの間に盛られたのか。
なにより目的である。これから彼女はどうする積もりなのだろうか。
無論、フラッフラの頭では深く考えられる筈もなく。
「そりゃあ、机の下でコソコソされたらこっちも焦るよ。横槍が入ったら流石にお手上げだからね」
取り敢えず、俺の画策が酷く拙かった事だけは理解出来た。戻ってきた彼女の台詞がそれを明瞭に物語っている。
つまり、また俺は下手をこいた訳だ。あれだけ散々言われて尚、それを自分で戒めて尚、俺の中に警戒心は生まれなかったらしく。……いや、まったく情けない。
「スマホは此処に置いて貰う。何処か落ち着ける場所、誰の邪魔も入らないところでもう一度ゆっくり話し合いましょう」
よいしょと腕を肩に回されて、まるで酔っ払いを誘導するかのように店の出口へと向かわされる。店員から「大丈夫か」と声を掛けられたが、俺は答えられず、梁坂さんはスマイル会釈でスルーしていた。
歯痒いが止むを得まい。店の人を巻き込むのは筋違いだろうし、そもそも意思表示すら
だから、最悪と言わざるを得なかった。
「────戸塚くん? どうしたんですか?」
店を出た途端に片岡と出会してしまったのだから。
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