第54話 互いに利益を得ることができる共生関係を愛と呼んで良いのか以前の問題だった



 ネットによく転がっている体験談の一つ。頭頸部癌の治癒の為、頭部全体に神通力を施された人からの投稿。

 ちゃんと治ったのは万々歳で感謝の念は勿論なのだが、同時に耳に複数カ所空けていたピアス穴にも神通力の効果が及んだらしく。「贅沢を言うな」と返されそうだが、綺麗に塞がってしまったのが微妙に残念だった……という話。

 他にも申告していない虫歯まで治ったとか、一生残る筈だった傷痕が消えたとか。治癒の巻き込まれ、棚ぼたエピソードは結構多い。


 傾注すべきはこれらの記事から解る事、神通力のメカニズムの一端である。

 完治させるだけならば「施す者」は傷病の種類や重症度を深く知っておく必要は恐らく無い。最低限、治癒すべき領域さえ正しく把握していれば良いのではないか。

 胸部なら胸部、腹部なら腹部。その箇所に当たりさえすれば、そこにある本人の知らない異常でさえ完治しうるだろう。外部の人間からすればそんな推測が泡立つ訳で。

 

「つまりさ、あの時私に与えられた役柄は関西弁男からの餞別でもあったのよ」


 あの後、身の上話の続きを散々に喋り倒した梁坂さんは、漸く今回の核心に迫る話に入ってくれた。


「記憶喪失を治すなら神通力は必ず脳味噌に向けられる。そうなれば、私が抱えていた問題も一緒に解決するだろうってね」

「それが貴女のお目当てですか……サイコパスが治るとでも?」

「或いはそれが原因の心労とか? 若しかしたら非憑依型の解離性同一症なのかも知れない。とにかく、日に日に酷くなってんのよ……ガチで洒落にもならないくらいにね」


 要するに、ストレス等で頭が狂いそうだから何とかしろと。一応話の筋は分かったが、まだ色々と疑問は残る。


「だったら、病院から遁走する必要無かったじゃないですか。そのまま残って記憶喪失を演じ続けてたら良かったのに」

「男共が燥いだせいよ。御膳立てしてくれたまでは良かったけど、当人達が現場で騒ぎ過ぎた。お陰でこっちにちゃんと神通力を掛けて貰えるか分からなくなったのよ」

「……まあ確かに『目撃者の確保』という観点だけで見れば、関西弁男が暴れたあの時点で貴女に神通力を施す必要は無くなった訳ですけど」


 しかしそういう事情であれば、あの男達の行動はだいぶ不可解が過ぎる。結局、彼らの凶行は梁坂さんの目的を邪魔したに他ならないのだから。最初から別の思惑でもあったのか、はたまた彼らにとっても想定外の事態が起こったか。

 いやまあ、何かしらはあったのだろう。「頭のイカレた女を神通力で治して欲しい」だけでは今回の事件は色々と大袈裟過ぎる。


「それにさぁ、アンタ既に使ってたでしょ」

「?」

「神通力よ。私を抱えた時に」


 そういえば確かに使った。正確に言うとあの時、ボロボロになった刑事を治すついでに彼女も一緒に治した。

 だけどそれは彼女を抱き上げて走る為、怪我に障るのは不味いと慮っての行動。それも脳は含まず、腹と両掌にしか当てていない。完治では流石に不自然過ぎるので内臓や神経系のみに絞る程度の治癒である。

 しかし、此方がどこまで調整したかなんて当時の彼女が知ろう筈も無い。


「当てられた瞬間にさ、偶々意識してたからお腹の感覚で神通力が施されたのだと直ぐに判った。でも肝心の脳にまで届いてるかどうかが判らなかったのよ。だって、そもそも私は記憶喪失じゃ無いから」


 つまり、彼女からすれば明確な判断材料なんて無かったのだ。目的である「サイコパス性」或いは「ストレス」が、治ったかどうかも直ぐに判別は出来なかっただろう。

 だから彼女は咄嗟に確認してしまった。


『自分と知り合いなのか』と。


 もし神通力が頭にまで施されていたら絶対に出ない発言である。それは「記憶喪失は嘘だった」と吐露したに等しい。


 正直、俺としてはその辺の細かいやり取りなんてハッキリとは覚えてないのだが。


「でも確か俺、普通のリアクションしましたよね? 『貴女に記憶が無いのは当然』っていう素のリアクション。であれば、嘘の露見は杞憂だったと判ったのでは?」

「あの時は状況が特殊過ぎたから。多分あの場にいた全員が冷静じゃなかったと思う。実際、私も自分の失言に気付いたのはアンタから下ろされた後だった。……だからアンタが『頭にも神通力を掛けていたけど私の失言には気付いていない』という可能性も十分にあり得た」


 もし「気付いていないパターン」であるならば暢気に構えて居られない。どんな間抜けだろうと冷静さが戻れば彼女の嘘に直ぐ気付く。

 場所は一階のロビー、出口とは目と鼻の先である。脱出するには絶好のタイミングであった。

 一旦去るか、それとも残るか。迷った挙句、彼女は最終判断を直観に頼ったらしく。


「貴女が病院を去った理由は分かりました」

「ま、結局裏目に出たみたいだけど。アンタの口振り聞くとそんな感じよね」

「…………それで、今度こそ治してくれと?」

「そうそう。最初はアンタのご察しの通り、適当に誑かして情で絆そうとか考えてたんだけど」

「本当に明け透けだな……」


 最早オブラートに包む気も無いらしい。


「そっちも色々勘付いたみたいだし、なんかもう良いかなって。猶予もそんなに無いし、いっそストレートに頼むのも有りでしょ」

「……猶予?」

「時間の猶予、心の猶予……で、どうかな? 治してくれる?」


 コツコツと自分の頭を指で叩く梁坂さん。頭痛薬くれる? みたいな軽いノリで頼んできた。


「無理です」

「……やっぱり人殺しを助けるのは嫌?」

「いえ、心情的に無理だと言ってる訳ではありません。犯罪者にも治癒を受ける権利ぐらいはあるし、俺の中でもその辺は飲み込めています」


 特に今年の夏、俺は既に何人もの犯罪者を治癒してきた。今更である。尤も、梁坂さんほどヤバい奴はそう居なかっただろうが。


「だったら何で……」

「心情的にではなく、能力的にそもそも無理だと言ったんです。神通力で精神障害は治せません」

「…………看板に偽りあり?」

「普通にです」


 承和上衆の神通力はあらゆる怪我や病気に対応出来る。が、それは飽くまで「身体面」に限っての話だ。感情を起因とする「精神面」まではその範疇に入らない。

 脳損傷による高次脳機能障害とかならば兎も角として、他人の精神にそうほいほい干渉出来る筈が無い。そもそも、そんな事が出来るのなら病院でのゴタゴタだってもっと穏便に済ませられただろう。関西弁男を催眠術みたいな技で懐柔、無力化……なんて、いよいよ化け物が過ぎるだろうが。


「梁坂さんも薄々気付いてたんじゃないですか? 病院で『頭にちゃんと当てられたかどうか』なんて不安、普通直ぐには思い浮かばない。解離性健忘患者に神通力を施す際のリスク『精神ケアは不可能』という予想が前提に無いと出てこない危惧です」

「……まあ、あれだけ沢山あるネット体験談の中に精神障害者の治癒の話が一例も無かったから。もしかしたら、とは思ってた」

「正しくその通りです」


 神通力で心は救えない。

 梁坂さんにもう一度ハッキリ告げると、彼女は「そっかー」と述べて大きく溜め息を吐いた。







「あまり残念そうじゃないですね」

「ご推察の通り、ある程度予想してたからね」


 伸びーンと体を伸ばすポーズをとる梁坂さん、その様は自然体でごく普通の女性にしか見えなかった。本人曰くサイコキラーらしいが、傍目からではとてもそうは見えない。コーヒーおかわり頼む? と聞いてきたので、頷いて了承した。

 ハッキリと言及はしてないが。恐らく薊区の通り魔の正体も関西弁男でなく彼女だったりするのだろう。暢気にコーヒーしてる場合じゃないのは確かだろうが。


 通報とかした方が良いのだろうか、とふと思う。しかし物証とか無いだろうし、流石に梁坂さんも警察の前でペラペラ自供するとは思えない。……いや、芦川さんを通せば警察も動いてくれるとは思うけど。


「ねえ、私ばっかじゃなくてそっちの話も聞かせてよ」


 悶々と悩んでいると、梁坂さんが突然そんな事を言い出した。


「……? 別にこっちは話す事なんて無いですけど」

「ああ、違う違う。今方の堅苦しい内容じゃなくてさ、普通の世間話的な。犬派か猫派かとか、朝はパン派かご飯派かとか」


 何でも良いから貴方の事を知りたい。


 女性からそんな風に興味を持たれるのは男冥利に尽きるだろうが、相手がサイコキラーだと話は変わってくる。どこまでも遠慮したかったが「精神を神通力で治せない」と知って自暴自棄になられるよりかはマシだ。

 

「……犬派でご飯派です。ついでに言うと辛党よりかは甘党で、キノコよりタケノコ派。行楽は山派で洋画は字幕派、蕎麦よりうどん派で出汁は関西風の方が好きですね」


 なので取り敢えずノリを合わせておく。


「女性の水着は?」

「ビキニ派です」

「ふむふむ……」


 なんなんだ一体。

 

「訝しげな顔してるなぁ。私はアンタと仲良くなりたいだけなんだけど」

「さっき、適当に誑かして情で絆すつもりとか言ってませんでしたっけ」

「神通力がストレスに効くならそのつもりだったんだけどねー。一番シンプルな解決への早道だし。それが駄目だったからセカンドベストに切り替えただけ」

「セカンドベスト?」

「……いや、第一案は飽くまで『叶うなら儲け』程度の期待だったから、実はこっちが本命かな」


 どっちだよ。

 というツッコミをする心境の一方、ここで漸く俺は嫌な胸騒ぎを覚えた。

 何となくだがここから先の彼女の台詞は聞きたくない、根拠は無いが何故か本能が忙しなく訴えている。何でも良いから適当な理由をでっち上げてでもここから離れろと。


「本当に、良い人紹介してくれた。最初の話じゃ三十代半ばのインテリ風って聞いてたけど……やっぱ年齢は近い方が良いよ。上でも下でも離れてると何処かしら気を使う。それに見た目も中々に私好みだ」

「…………」

「先ずはお友達から……なんて段階を踏むのがセオリーだろうが、私は出来るだけ早く君と親密になりたい」

「どうしてですか?」

「言ったでしょ、猶予がもう無い」




 「空腹感」とは、前回の食事量が多いほど感じやすい。消化をしきった胃袋も、より膨らんでからの方が萎む時の音も大きく鳴ろう。

 前回のから約一週間、あの時彼女は五人も同時に平らげてしまった。反動で襲う「衝動」は嘗て無いほど大きく、暗く、黒く、禍々しく。身を任せれば見境いが無くなる。


 恐らく、タガが外れれば二度と戻って来れなくなると彼女は知っている。なるならば、


「こんな私でも理性は惜しいのよ。この病気を治せないなら逆転の発想、必要なのは『頑丈な受け皿』でしょう」

「受け皿?」

「歳の近い『殺したがり症候群の女』と『刺しても刺しても死なない男』。あつらえたかのような組み合わせじゃん、絶対良いパートナーになれると思う」

「…………」

「互いが互いを支え合える素敵な関係、相利共生って言うんだっけ。そんなのはどうかな?」

「どうかなって」


 先ず言いたいのは、「それ相利共生じゃ無えよ」だろう。どう考えても一方的な片利共生……否、こっちは多大な痛みを被るので、もう完全な「寄生」である。何を以って俺にも利があると言ってるのだろうか、このサイコパスは。


 しかし、これで漸く彼女の真の目的が分かった。


「最初から俺の身柄が目当てだったんですね」

「丁度、彼氏も欲しかったのよ」


 よく言う。玩具ダミーサンドバッグの間違いだろ、無限再生機能付きの。


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