第45話 突然道を引き返す人を見ると、勝手ながらエピソードを夢想してしまう



 折角トラックキャンパーがあるのに車中泊をしないのは勿体ない。


 そんな感じで厨二心というか少年心が刺激され、喜び勇んでキャンパーシェルに乗り込んだのは良いものの、僕は直ぐに現実を思い知らされた。

 狭いからでは無い。シェル自体は広々と快適で、手足を伸ばして寝るに申し分ない空間である。が、如何せん今の季節が最悪だった。

 8月中旬の熱帯夜。比較的涼しい高地や山間のキャンプ地ならまだしも、ここは住宅地のど真ん中。地面のアスファルトから昼間に蓄積された熱気がムンムンと立ち登り、不快指数は鰻登りで上がっている。


 めっちゃ暑苦しい。


 一応、天井に空調用の小型ファンが申し訳程度に付いてはいたが。正直、殆ど役に立っていなかった。

 これが大型の「キャブコン」ならば家庭用エアコンが取り付け可能だったそうだが、スペースの限られるキャンパーシェルでは高望みだったらしい。小窓同士でシェルと運転席の空調を繋げるタイプもあるらしいが、残念ながらこのトラキャンはお互いの空間が完全に独立していた。

 結果、夜にも関わらず気温29.5度のクソ空間が誕生。寝苦しいのは当然である。



 サシタロウさんとの逢瀬が終わり無事に懸垂下降もやり遂げた僕は、霧矢さんから「今夜はもう休んでええで」と言われた。

 承和上衆の動向が読めない以上、誰かは見張り役として起きてないと駄目なのだが、今回は譲ってくれるらしい。


 霧矢さん曰く一般の受付時間外にターゲットが来る可能性は低いので、夜はそこまで気張る必要が無いとの事。

 確かに、連中からしても目立ちたくはない筈。

 今日の僕みたいに夜中にこっそり訪れるという可能性も無くは無いが。承和上衆や警察が諸々の事情を病院側に伝えていなかった場合、受付時間外の訪問は寧ろ都合が悪い。何も知らない病院関係者に見つかれば余計な面倒事に発展するかも知れないからだ。


 思い返してみれば、情報トリオが見つけてきた映像は二例とも日が出ている時間帯だった。それも踏まえると、承和上衆が夜に現れる可能性は限りなく低いと言えるだろう。

 とはいえ、万一の可能性もある。誰か一人は夜の監視にあたるとの事。最初の当番は霧矢さんが買って出てくれたのだった。




「殺し屋たるもの、寝れる時にどこでも眠れる訓練を積んでおけ」なんて教訓は教わったものの、寝付けぬ時はとことん眠れないのが人間である。昼間は仕事モードだったので耐えられたが、流石に寝るのは難しかった。


 そんな時こそ知恵と工夫。能力で敵わなければアイテムに頼るべし。という事で、僕は寝る前に近くのコンビニへとひた走った。やはり、熱帯夜のお供といえば冷えピタだろう。

 いや、まあ分かってる。「キャンパーシェルに拘らず、運転席側へ行けばエアコンの恩恵を受けられるんじゃね?」そんな至極当たり前の解決策は僕とて当然気付いていた。

 少年心は時に不合理を理解してても本能に走る。キャンピングカーが目の前にあれば、それは高級ホテルのスイートルームより魅力的に写るのだ。泊まらないなど、あり得ない。



 翌朝、8月13日午前5時30分。


 冷えピタのお陰で目覚めの気分はそう悪くなかったが、やはりそれなりの汗を掻いた僕である。


 後悔? してないよ。



 予想してた通りというか、やはり深夜や未明の時間帯にターゲットは現れず。山盛りに吸い殻が溜まった灰皿の前で霧矢さんは暇そうにしていた。


「やっぱ夜の見張りはいらんわ」


 ダレる、とぶつぶつボヤいていたが。まだ張り込みを開始してから丸1日と経っていない。モチベーションの低下に繋がる発言は控えて欲しいもので。


 程なくしてニキさんやストロボ君も起きて来たので、交代で朝食とシャワーを済ませようという話になった。朝飯は昨日行ったコンビニで買い込んでおいたが、シャワーはいずこか。残念ながらキャンパーシェルにその設備は付いていない。

 尋ねると、此処から2キロ程離れた場所に24時間営業のスーパー銭湯があるとの事。若干遠い。行ってる間にターゲットが来たら最悪であろう。汗は気持ち悪いが仕事は優先しないとだし、風呂は諦めるしか無さそうだった。


 という感じで若干諦めかけていたが「そこまで気ぃ張ると後が保たへんで」と意見を述べる霧矢さん。さっさと交代で行って来いとの事。但し、次回以降からは夜のうちに済ませとけと言われてしまった。

 まあ、当然か。次からは運転席側で寝た方が良さそうである。

 因みに、朱音猫さんは銭湯と同程度離れた場所にあるビジネスホテルに泊まったそうだ。野郎どもと一緒に車中泊は嫌だったらしい。その朱音猫さんは6時を少し過ぎた時間に合流、シャワーは先に済ませて来たとの事。

 なので一番手は霧矢さん、次いでストロボ君、ニキさん、最後に僕が風呂休憩を取る運びとなった。各々の移動は車に積んであった折り畳み自転車が活躍。この辺の準備の良さは流石と言うべきだろう。


 皆んな手早く済ませていたが、僕の番がくる頃にはなんやかんやで既に8時を経過していた。

 キコキコと自転車で銭湯へと向かいつつ街の様子を観察。近くで通り魔が発生したにも関わらず、想像していたよりも人出が多かった。通勤のラッシュ時というのもあるのだろうが、割と平常な空気感に見える。

 呑気なのか、鈍いのか、それとも肝が座っているのかは知らないが。まあ確かに、近くと言えど一応地域は跨いでいるし、渦中の薊区ですら疎らながらに人出があったのだ。この辺の人からすれば、薊区の通り魔事件は対岸の火事なのかも知れない。

 今まさに、黒幕の一味がチャリでこの街を彷徨いている訳だが。目の前にいる犬の散歩中のお婆さんにこの事実を教えたらどんな顔をするのだろうか。


 そんな事を思いながら犬とお婆さんの傍を通ろうとすると、近付いた途端にシュバッと距離を取られてしまった。別に気配を殺していた訳では無いし、何かをするつもりも毛頭無かったのだが。成る程、ちゃんと危機感は蔓延しているようである。

 にしても、ご老体とは思えぬ素晴らしい瞬発力……ひょっとしてこの人も元プロなのでは。


 なんて、下らない妄想を浮かべながら銭湯へと向かっていた僕の方が呑気だったのかも知れない。まあ、見通しが甘かったというよりはタイミングが悪かったと言うべきだろう。

 マーフィーの法則みたいなやつが働いたのか知らないが、「非日常」は気を抜いた瞬間にやって来た。




 キィィィ。



 次の瞬間に急ブレーキをかけて固まった僕を犬とお婆さんが更に不審そうな顔で注目している。「なんだコイツ」と言いたげな視線を両者から向けられたが、取り繕う余裕すら忘れてしまっていた。

 昨日の熱帯夜と朝からの遠慮ない日差しで既に大量に掻いていたが。再び背中からブワリと噴き出た汗を実感しつつ、僕はガシャンと自転車を反転させる。

 在らん限りの力をペダルに込めて爆走を開始。元きた道を逆走しながらスマホを取り出し、霧矢さんに電話を掛ける。「ながらスマホ」になるがそんな悠長な事を言っている場合ではない。

 さっさと出ろと念を飛ばしたのが効いたのか、都合3コール目で繋がった。




『何やねんキョージー。俺は今から仮眠……』


「標的が現れました! 大幡通りヨーコク堂交差点前! 今すれ違った!」


 電話に出た途端に文句を言い始めた霧矢さんの言葉を遮るように、食い気味に叫ぶ。それに対する彼の返答は一瞬の沈黙。

 声を呑んだというよりは少し疑っている感じだ。疑念はごもっともではあるが、僕は霧矢さんと違ってこんな時にまで冗談を言う質ではない。


『……ホンマに? 早過ぎん?』

「あんな化け物じみた気配、他にそう居ませんて! 百パーガチです!」

『────全員、直ぐに準備せえ! ご来客や! 状況開始すんで!』


 こっちの必死さが伝わったのか、向こうも直ぐに切り替えてくれた。

 電話越しにバタバタギャアギャアと彼らの騒ぎ声が聞こえて来る。人の事は言えないけど、そんなに大声だと近所から怪しまれるんじゃなかろうか。


『キョージー! あと何分で戻って来れる?! 奴らより遅かったらお前の役、ニキさんと替えるで!』

「裏の細道を通れば5分で帰れます! 標的の位置から病院までは信号が多い。僕の方が早く着けます! それと……!」


 叫びながらズザザザとドリフトを決めながら路地裏に飛び込む。車では通れない幅の病院への近道。ここを通れば競争でも負けない筈。

 マジで周辺地図を覚えておいて良かったが、かなりギリギリになりそうではある。


『それと、なんや!』

「奴ら車を変えています! 紫の軽バン! 映像にあったグレーのコンパクトカーじゃない! 捕捉を間違えないように!」

『わかった! とにかく、お前は早よ戻ってこい!』


 スマホを切って更にスピードを上げた。




 ────電話を終えてからキッチリ5分後。


 何とか間に合ったらしく。滑り込むようにしてコインパーキングに戻った僕は、乗っていた自転車を放り捨てた。そのまま止まらず待機していた車へと真っ直ぐ向かう。

 エンジンが掛かっていたのはオフィスカーでもトラキャンでもなく、普通のセダン車。昨日、ここに来るまでに霧矢さんと乗って来た車である。飛び乗った瞬間に車は動き出し、コインパーキングを後にした。


 運転席にストロボ君、後部座席には霧矢さん。僕を含めたこの三人で現場へ向かうのは打ち合わせ通り。

「ステージ袖のアイドルが如く秒速で着替えろ」という文言と共に霧矢さんから変装の衣装が渡され、言われた通りに狭い車内で身を捩りながら着替えを開始した。

 白の半袖カッターシャツに黒のスラックス。変装と言っても、ごくごく普通のシンプルな服なので着付けに問題はない。

 二人は既に変装を終えており、ストロボ君は僕と同じ夏用スーツ。普段から掛けている眼鏡も相まり中々に似合っている。

 一方の霧矢さんは、ブカブカのグレーパンツにカーキ色のポロシャツという……何というか、此方も別の意味で地味な格好。付け髭とカツラが光る完全なお爺ちゃんスタイルだった。


 元々の距離が目と鼻の先だったのであっという間に病院へと到着。

 ざっと駐車場を見渡したが、先程見た標的の車はまだ到着しておらず。オペレーター役の朱音猫さんからの通信によると、まだカメラにもそれらしき車体は映って無いとの事。


『本当に見たんでしょうね?』とヘッドセット越しから僕に問い掛けてくる彼女に「あの気配は間違いないです」と真面目に答える。『大体、気配ってなんなのよ』とごもっともな言葉が返って来た。

 何なのよ、と聞かれても「気配は気配です」としか返しようが無い。

 

の様子はどうや?」


 どう説明しようか悩んでいたら、今度は霧矢さんが朱音猫さんに問い掛けていた。少しの沈黙の後に彼女からの返信。


『丁度いま、病室前から一人離れた。他の階にいた二人も移動してる。……病室前に残ったのは昨日遅れて来た大柄の男だけ』

「警察側にも動きがあったっちゅー事やな」


 信憑性の一助にはなりそうだが。まあ、どの道すぐに答えは出るだろう。そう思いながら駐車場の端で待機していると「アレじゃないっすか?」とストロボ君から声が上がった。

 彼の指差す方向を見ると、駐車場の入り口に向かって走ってくる車を確認。確かにさっき見た軽自動車だ。あの彩度高めなメタリック調の紫は間違いない。

 偏見だが、ギャルやヤンキーが好んで乗っていそうなカラーリングの車である。承和上衆が乗って来る車種とは思えない。ストロボ君も「なんかイメージと違うっす」とボソリと呟いていた。


 だけど、ここからでも感じる強烈な「気配」に改めて僕は確信を持つ。あの車には絶対、承和上衆が乗っていると。

 同業である霧矢さんにもその気配が伝わったのだろう。標的の車を見た瞬間、ストロボ君にセダンの停車位置を調整するよう細かく指示を出していた。奴らの停車する場所からは死角になり、且つ少し頭を出せば目視しやすい位置に移動させる。


「俺も確信した。よってエビデンスは不要、全員仕事に集中しろ」


 霧矢さんの放った言葉は何となくリーダーぽかった。いやまあ、リーダーなんだけど。

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