第36話 男子とは女子の前で格好つけたがる生き物である
「何名様ですか?」
「二名です」
出迎えてくれた店員さんに人数を告げて席へと案内して貰う。
通された先は以前来た時と全く同じテーブルだった。
特に意識もなく前と同様に窓側へ座ろうとしたのだが、思い直して通路側の椅子に座る。別にカップルではないのだが、何となく女性に奥のソファ席を譲った。
それを見た彼女は「どうぞそちらに」と俺に窓側を勧めたが。もう座ってしまったので今更立ち上がるのも格好がつかないだろう。首を横に振って座って下さいと促すと、彼女は少し苦笑した表情で「じゃあ失礼します」と言ってソファに腰を掛けた。
ここでふと「奥のソファ席が苦手な人もいる」という話がある事を思い出したのだが。今更それを聞くのもどうかと思ったので辞めた。
エスコートって難しい。
10分ほど前。
俺が本当に「あの時の人物」なのかを確認すると、彼女は深々とお辞儀をしてきた。
最敬礼、それもほぼ90度に近い。
道のド真ん中でいきなりそんな事をされると此方としては結構焦る。実際ちょっと目立っていたし、早く頭を上げて欲しくてワタワタする俺。傍から見ればさぞ滑稽に映っていただろう。
暫くして漸くお辞儀を辞めた彼女は「少しお話し出来ませんか?」と聞いてきた。
「お時間の都合が良かったらですけど」
都合も何も、今日の俺ほど暇な人間は世のニートを除いて他に居ない。というより休みを持て余している学生なんて半分ニートみたいなもんだ。時間の都合なんて幾らでもあった。
尤も、他に用事があったとしてもこの誘いを断る訳が無いのだが。ずっと彼女のことが気になっていたので当然であろう、寧ろ俺の方から提案したかったくらいである。
──と、そういう流れで俺達は今この喫茶店に入店している。外は暑いしじっくり話を聞きたかったのもあったので。お誂え向きに以前エイさんと入った店が目の前にあったので丁度良かった。
「
先ずはお礼を、とそう述べて再び頭を下げる女性。改めて畏った態度を取られてもむず痒いだけなのだが、此処は素直に受け取った方が話が早い。
「戸塚恭介です。ご記憶が戻られたんですね、梁坂さん」
自分の名前をしっかりと言えるのならばそういう事だろう。俺の問いかけに、患者もとい梁坂さんは顔を上げてコクリと頷いた。
「はい、お陰様で」
「怪我の具合は……」
「歩くくらいであれば問題ありません。思ったほど大した怪我ではなかったみたいです」
ふむ。
注文したアイスコーヒーを前にガムシロップを入れるべきかどうか迷った。普段なら2つは空けるところだが、今は女子の手前だ。
「俺、逆にコーヒーはブラックでしか飲めないんだわー症候群」が発症しそうになる。
「警察の方にも出頭したんです」
「大丈夫でしたか?」
「しっかり怒られました。当然と言えば当然ですよね、逃げたんですから」
「……まあ、そりゃ警察も心配しますよ」
あはは、と空気を誤魔化すかのように梁坂さんは笑った。
やっぱしょーもない見栄を張るのはやめよう。
ガムシロ投入、見栄とは諸刃の剣なり。こういうのはバレるのが一番ダサい。
「差し支えなかったら、どうして逃げたのか聞いても良いですか?」
俺がそう尋ねると、空笑いをしていた彼女の顔が更に気まずそうになった。さて、なんと答えるのだろう。
「その、言いにくいのですけど……」
「はい」
「貴方が怖くなったので逃げました」
「ですよね」
普通、口から銃撃喰らってピンピンしている奴を人間とは呼ばない。まともな感性を持つ人ならそんな化け物は恐怖の対象として映る筈だ。実際、関西弁男は俺のことを宇宙人と呼んでいたし。
あの時はその関西弁男や覆面男、自分の命を脅かすもっとヤバい奴が側にいたから感覚が麻痺していた訳で。危機から脱出できたと自覚した時、彼女は一度冷静さを取り戻したのだろう。そこで俺に対し、改めて恐怖が芽生え始めても何ら不思議ではない。
「こっちの奴も……寧ろこっちの方が危険なのでは?」と。
耐えきれず隙を見て逃げた、と言うのも頷ける話だ。あんな事があった後では尚更であろう。
「すみません、命の恩人なのに」
「いやいや、気にしてないです。寧ろ、謝るべきは俺の方でしょう。貴女への配慮が完全に足りていなかった」
今度は俺が頭を下げると梁坂さんは慌てて手をぶんぶんと横に振った。
「違います違います! 私が勝手な勘違いをしたのがいけないんです! 戸塚さんは悪くありません!」
いやいや俺が、いやいや私がと互いに謝り合う図が完成する。暫く謝罪合戦が続いたところでふと目が合い、同時のタイミングであははと笑った。
「やめましょうか、お互い悪かったという事で」
「そうですね」
コーヒーを飲んで落ち着こう。
ガムシロ投入はやはり正解だったようで、程よい甘さが脳にゆっくりと染みる。
一息入れたところで梁坂さんが話題の方向を変えてくれた。
「戸塚さんは学生さんですか?」
「はい、この近くのH大です」
「おお、頭良いんですね」
良いのだろうか。ごくごく平均なレベルのとこだと思うのだが。
切り替えてくれたのは嬉しいのだが、無理に持ち上げられても気まずさは否めない。が、折角の褒め言葉、悪い気はしなかった。前期テストで「不可」の点数が三科目あった事は黙っとこう。
「真面目な人もいれば、チャランポランな奴だって結構多いですよ。……まあ、ピンキリですね」
一応謙遜はしておくが。
「そうなんですか? でも、私から見れば大学行けてる人は皆んな凄いですよ。勉強苦手だったので」
「甚だ意外ですね、とてもそんな感じには見えませんけど」
「もう全然。……そうですね、高校時の偏差値は日本人の平均年齢くらいでした」
「随分と面白いぼかし方しますね」
さて幾つだろう。スマホで調べたら一発だろうが、本人の目の前でそれをするのは憚れる。
「高齢化で平均年齢は年々伸びていると聞きます。リンクしてるなら貴女の偏差値も経年で伸びていくかも知れませんね」
「フフッ、何もしなくてもですか?」
ちょっとだけウケてくれた。少し上からのジョークになってしまったが大丈夫だったらしい。片岡辺りに聞かれてたら「我が身を省みて下さい」とか言ってきただろう。
「まあ、今さら勉学とか私には無理ですよ。手に職をつけるなら身体で覚えた方が性に合ってますし」
「何かされてるんですか?」
「一応、リラクゼーションサロンでバイトさせて貰ってます」
「へえ、マッサージですか」
「はい。正確には『揉みほぐし』の方ですが」
どちらにしても、プロのそれを俺はやって貰った経験がない。そもそも「神通力」があるのでボディケアをあまり必要としない身なのだ。凝りや肉体疲労なんて治そうと思えば直ぐに治せる。
「興味ありますか?」
「えーと……まあ、少しだけ」
しかし、リラクゼーションとは文字通り心身を整える技術と聞く。心のリラックス効果にも繋がるらしい。
別にそこまでストレスが溜まってるという訳では無いが、その点では俺が受けるのも全然アリだ。
以前居酒屋で披露された「片岡マッサージ」とどっちが気持ち良いだろうか想像したが……比べるも何も、そういや俺はまだ片岡からマッサージして貰ってなかった。雛川先輩がやって貰ってるのを傍から見ていただけである。
やっぱアレ、しがない男子からすれば頼むのは難しいもので。リラクゼーションサロンの敷居を跨ぐのもまた然り。本来どっちもハードルが高すぎる。
なのでまあ、むこうから誘って貰えたら結構ありがたい話であって。
「御礼になるか分からないですけど、無料でサービスさせて下さい。その場合だと担当が私になっちゃいますけど」
「……良いんですか?」
「勿論です! ……と言っても私、まだまだ未熟ですので下手かも知れませんが」
「ああ、そこは大丈夫。そもそも俺には良し悪しが分かりません」
なら大丈夫ですね、と梁坂さんは笑う。
彼女はテーブルにあったホルダーから紙ナプキンを一枚抜き取ると、ペンを取り出してサラサラと字を書き始めた。恐らく店の名前と住所だろう。書き終わったのを受け取ると、ご丁寧に簡単な地図まで描いてくれている。
「いつでも来てください」とメッセージ付きであった。
「薊区ですか」
「あ、ごめんなさい。ちょっと遠いですよね」
「いやいや、電車一本で行けますから」
ふむ。
もう少し、甘いものが欲しくなった。メニューを取りデザートの項目を開く。喫茶店にしてはそのラインナップは少ないが。
「──そう言えば、俺の事は刑事さんから聞いたんですか?」
タルトとワッフル、どっちにすべきか悩みながら。
俺が質問をすると、コーヒーを飲もうとしていた彼女の手が止まった。
「え?」
「ほら、さっき警察に出頭したって言ってたじゃないですか。その時に俺への誤解が解けたのかなって」
「あ、はい。あまり詳しくは聞けませんでしたが、事件に協力してくれた『一般の方』とだけ教えてくれました」
「それだけですか?」
「そうですね、恩人にお礼を言うどころか逃げてしまったんです。自分の誤解だと知らされた時は焦りました。警察の方を通して連絡取れないかと思ったんですけど」
「……そうですか」
「だから、こうして偶然再会出来たのは良かったです。ちゃんとお礼と謝罪の機会が出来ました」
そう言って、心底嬉しそうな顔を見せた。
パタンとメニューを閉じる。
「頼まないんですか?」
「はい、やっぱり辞めました」
「遠慮なさらないで下さい。ここの支払いは私が持ちますから」
これもお礼です、と言う梁坂さん。そんな彼女の顔を改めて観察する。
年の頃は俺とそう変わらないだろう。長い黒髪に意志の強そうな瞳。最初病院で会った時は怯えた表情が印象的であったが、今はその面影は全く見られない。
気丈に振る舞っているという感じでもなく、完全に事件から立ち直ったかのように見えた。
「どうかされました?」
「何でも…………いや、そうですね。梁坂さん、あの事件について話をしても良いですか?」
「? はい、大丈夫ですよ」
目の前にいるのは一時的とはいえ、心因性ショックで記憶が飛んでしまった患者だ。本来なら、原因となった事件を深く蒸し返すのは避けるべきなのだろうが。
「あの時偶然居合わせたとはいえ、俺も一応当事者ですからね。やっぱり事件について色々考えてしまうんですよ。この一週間はずっとそれでモヤモヤしてました」
「分かります、怖い事件でしたもんね」
「はい、そして変な事件だとも思いました」
この事件、やはり謎が多い。
1、どうやって犯人らは梁坂さんが入院している病院を特定したのか
進行中の未解決事件、その犯罪被害者を匿えるような大型病院……この条件に当て嵌まる医療施設は、渦中だった薊区内だけでも20箇所以上に上る。
更に言うと、実際彼女が搬送された「矢港市総合病院」は薊区外に位置していた。市内全域にまで候補が拡張されるとなれば、延べ100箇所以上から彼女が搬送された先を特定しなければならなかった事になる。
当然、搬送先は一般に公表されていなかった。刑事が関西弁男に「何故この場所がわかった?」と質問していた事からもその裏付けは取れる。
にも関わらず、奴らはドンピシャであの病院を引き当てていた。偶然だったとは考え辛い。
2、何故犯人は複数いたのか
今回の事件は元々「通り魔」であり、単独犯と考えるのが普通である。しかし、実際病院に現れたのは関西弁男と覆面男の2人組。
関西弁男は「世に警戒心を促す為」だと言っていたが……動機そのものに主張の偏りが凄い。その上、抽象的である。徒党を組んでいたにしては、やり方もスローガンも曖昧すぎると思えてならない。
無論、覆面男の人となりが分からないので「共感した」と言われたらそれまでなのだが。
3、何故病院に来たのか
「生き残りの口封じ」と考えるのが尤もらしいと言えばらしいのだが。理由がそれだと逆にリスクの方がデカいだろう。警備が居るであろう事は誰でも想像がつく。目撃者を更に増やすかも知れないし、下手すれば普通に捕まる。
そもそも、今回の通り魔は繁華街のど真ん中で犯行を繰り返しているのだ。目撃情報を恐れるなら最初からあんな目立つ場所は選ばない。
「成る程、分かりやすいです。まとめるのお上手ですね」
「…………正直、1と2について此方では想像のつきようがありません。奴等の行動は『通り魔』という枠組みからも逸脱し過ぎていますから」
まさに犯人のみぞ知る、という話だ。
「3についても同様です。俺がいくら答えを考えた所で正解かどうか知る術がない。…………ですが、3の答えを考えていたら、鍵になるかも知れない点が一箇所だけある事に気が付きました」
「鍵……ですか?」
「はい。そこをハッキリさせれば、1と2についても答えに辿り着くかも知れません」
Q. 奴らは何故病院に来たのか。
「口封じが違うとすれば、次の可能性として挙げられるのが『標的への執着心』だと思うんです」
これは当時からも想像していた。
「執着心……」
「犯人側からすれば、梁坂さんは唯一仕止め損ねた獲物ですから。……完璧主義かプライド。いずれにしても、これが理由だとすれば『口封じ』よりもよっぽど質が悪いです」
単なる口封じであれば俺や刑事に顔を見られた時点で目的は瓦解する。もう梁坂さんが狙われる理由は無くなるだろう。
しかし、奴らが執着心で動いているのであれば話は別だ。己の実利を度外視して狙ってくる相手ほど怖いものはない。
何せ、終わりが見えないのだから。
「そんな狂気に晒されている貴女が何にも怯えず、堂々と出歩いている事に強烈な違和を感じたんです」
「…………」
「事件からまだたったの一週間。犯人だって捕まってません。普通なら家に閉じこもるか、出歩くにしても連れがいないと無理ですよ」
暫く固まった梁坂さんは、俯いてから声を絞るようにして言った。
「仕方なかったんです。閉じこもるにしても買い出しは必要ですから。近くには頼れる人がいなくて……」
それこそ警察に頼める話だ。警護を頼むなり、お遣いを頼むなり。方法は幾らでもあるだろ。
「それは……混乱してて」
「思い付かなかったと? それもあり得ません。警察に出頭したのが本当なら、向こうから打診があった筈です。彼らは貴女が思っているより職務に忠実ですよ」
「…………」
「大体、俺と平気で会話してる時点で貴女はおかしい。誤解を知ったとさっき言っていましたが……避ける筈なんですよ、真っ当な感性の人間なら」
銃弾を3発喰らっても生きており、尚且つヒトの手を切り落とした男。
謝辞の気持ちが勝つ筈ないのだ。見かけた瞬間に先ずは全力で逃げる、これが当たり前の反応であろう。
「なのに貴女は自ら俺に話し掛けて来た。とても解離性健忘を患うような、メンタルが弱い人の行動とは思えません」
4、梁坂彩子とは何者なのか
「答えて下さい。そこが解れば俺のこのモヤモヤも少しは晴れるかも知れない」
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