第35話 自分で名乗るのもそうだが、他人から呼ばれると余計に小っ恥ずかしい


 

 姦しいツクツクボウシの声を聴きながら思った。

 ここの所ってか二週間以上、雨が一滴も降ってない気がすると。


 気がすると言うか普通に事実で。実際、スマホを起動して週間天気を見るが、もうずっと晴れマークが続いていた。それも爽やかなオレンジ色のマークだけではない。ギラギラと真っ赤に染まった「猛暑マーク」も所々に散見している。


 どうやらこの地獄はまだ終わらないらしく。視線をスマホから天へ移すと、ビルの隙間から見えるデカい夏雲。だが位置が遠い。「こっち来て日除けになんねえかな」と念を送るが、奴はまるで巨岩の如く動こうとはしなかった。

 まあ当然なんだけど。不毛と分かっていても、季節相手に恨言を言いたくなる今日この頃。




「……だる」


 8月20日、相変わらずクソ暑い日々は続いていた。

 炎天の空の下。今日も今日とて揺ら揺らと、まるでゾンビみたいな足取りで近所のスーパーに買い出しに出ている俺。

 一応、片岡のアドバイスに従い帽子は買ったのだが、薄っぺらいコレ一枚では暑さ対策として不十分に思えてならない。寧ろ熱が籠もり、頭が蒸れて不快ですらある程だ。

 でも被らないよりかは幾分かマシか。そうぼんやり考えながら、だらだらと家路を目指す。買い物は既に終えており、ついさっきの事ながら既に何を買ったかあまり覚えていない。適当に食材を選んだ事は覚えているが、どちらにせよ俺の料理の腕なんてたかが知れている。


 ……そう 、料理をするのは俺である。

 世界が認めた(認めてない)クッキングマスターはもうこの街に居ない。




 それは一昨日の昼過ぎ頃のこと。白姉は格ゲーの最中に「そろそろ村帰るわ」と唐突に言った。

 3連敗して不機嫌になったのかと思ったが、彼女が俺の部屋に来てそろそろ一か月になる。「大人の夏休みって短いのね」とボヤいていたが、社会人にしては十分過ぎるほどと言って良い余暇だったろう。いい加減、戻らないと不味いと思ったらしい。

 来る時も唐突だったが帰る時も唐突で。次の日の朝、つまり昨日。「んじゃ、楽しかったわ」と最後に言い残して、彼女はあっさりとこの街から去って行った。


 元々は家出人。そんな人の鋭気が養えたのなら此方としても嬉しい限りだが。しかし笑顔で見送った後、俺はすぐ絶望に気付くことになる。


「…………飯は?」


 村の仕事を投げ出してきた適当な性格と相反し、白姉の家事スキルは意外にもベテラン級。特に料理の腕前は金を取れるレベルと言って良い。その恩恵を受けた一ヶ月足らず。短い期間ではあったが、俺の舌を調教するには十分過ぎた。

 人間は贅沢を味わうと元の生活に戻れなくなる、と言うのは本当らしく。あの食卓が拝めなくなると思うと昨日の今日でもう億劫になっている。


 これが「胃袋を掴まれた」って奴だろうか。

 いや、どちらかと言えば"餌付け"のそれかも知れない。やはり「舌を調教された」と言う表現が正しい気がする。


 犬か? 俺は。


「まあ……だとしてもだ」


 いい歳した大人が家出して押し掛けてきたり。子どもの頃と性格が様変わりしていたり。

 最初は俺も色々思ったりしたのだが、なんやかんやで楽しかったのも事実。台所事情を抜きにしても、白姉が居なくなったのは結構詫びしいもので。


「やっぱ作るの面倒い。晩飯は誰か誘って外で食うか」


 夜になればこの暑さもまだマシになろう。

 スマホを再び起動し、誰かいないかとアドレス帳を開く。

 五十音順に並んだ連絡先。一番上に表示された「芦川佐助」の名前を見て、俺はなんとも言えない気持ちになった。





 あの事件から今日で一週間が経つ。

 結局、その日は事情聴取やら報告やらで殆ど潰れてしまい、プールどころの話ではなくなってしまった。

 白姉がブチブチ文句を垂れたのは言わずもがな。警察相手に説明するよりも彼女の機嫌を宥める方に苦労したものである。


「イミフ過ぎんだけど?」

 

 俺だってそう思う。一応、当事者ではあるが事件の全容なんてわかる筈も無く。起きた事だけを俺なりに説明したが、自分でも途中から何を言っているのか分からなくなっていた。

 今回の件はそれだけ異様だったと言える。


 因みに、芦川さんに対する報告でも似たような反応をされてしまった。


「……とにかく、こっちの予定は取り下げて今からそちらへ向かいます。恭介さんはそのまま待機していて下さい」


 暫く押し黙った後の電話越しからの指示である。初めてのおつかいで失敗した子どもになった気分だった。

 でも、俺は悪くない筈。寧ろよくやった方だと思うのだが、しかし謎の居た堪れない感。…………否、居た堪れない理由は分かっていた。俺が悪くないと言うのも正直微妙なところである。


 何せ、少し目を離した隙に例の患者が姿を消してしまったので。


 いやほんと、「何故に」と問いたい。色々ぶっ飛んだ一日であったが、この日一番の謎がこれだった。



 彼女が消えたのは、外にいた他の刑事達と会った直後の事である。


 待機していた刑事は三人。外にというか、一階のロビーで遭遇した。銃声の音を聞きつけて中に入ってきたらしく、そこで如何にも怪しい血塗れの男(俺)を発見。何事かと、むこうの方から此方に問い詰めてきた。


「────、────!?」

「────! ──────!!」

「──?」

「────、──」

「!! ────! ──────!!」


 俺が抱えていた故、その時まだ患者が居た事は確かだ。詳しいやり取りの内容までは記憶に無いが、とにかく必死に起こった事を説明したのは覚えている。言葉数は少なかったが一応彼女もフォローしてくれていた。

 そのお陰もあってか、刑事達はとりあえず話を信じてくれたらしい。確か三人のうち二人が確認に行く為、現場となる四階へと駆けて行った筈。

 もう一人(恐らく派遣されてきた臨床心理士)はロビーに残り、近くに居た病院関係者を呼び止めていた。緊急事態の旨を伝え四階への立ち入りを制限したかったのだろう。

 

 ────そう、ここまでは良い。多少バタついたとはいえ、想定していたよりもスマートな流れであった。


 問題は、そのあと俺が医師と思われる男に捕まってしまった事。そっちの時の会話は今もよく覚えている。


「君、その怪我は」

「大丈夫です。俺の血じゃ無いんで(嘘)」

「……では誰の?(訝し気な目)」

「あー、実はさっき血液製剤を運んでいる人とぶつかってしまいまして」

「……今日の納入予定は無い筈だが」

「…………えーっと(やっべ!)」


 しどろもどろになったのは言うまでもない。聞かれる展開までは予想していたのだが、こうも簡単に用意した嘘を疑われるとは思っていなかった。

 いっそのこと本当の事を言うか迷ったが、やはり説明するのはややこし過ぎる。俺は大層あたふたした。


 ────あたふたしている間に、患者は消えていた。






 やっぱ俺が悪い気がする。

 消えたと知った時の俺の更なる焦りようは、推して知るべしだろう。臨床心理士の人と一緒にギャアギャア騒ぎながら探したのは言うまでもない。捜索は追加で来た警察の応援と合流するまで続けたが、結局見つける事は出来なかった。


 頭を過ったのはやはり「覆面男」の存在。取り逃がした奴が戻ってきて、隙を見て攫っていったのではないかと。

 この想像をしてまた更に焦ったのだが、それは杞憂だった。というのも、覆面男にはなんとアリバイがあったらしい。後になって知ったのだが、奴はそのとき四階に現れていた。


『覆面男による関西弁男への助太刀』


 実態は全く読めないが、やはり別件ではなく共同正犯だったようで。


 刑事曰く、関西弁男は"一時的に"完全に取り押さえられていたと言う。だが、応援が駆けつける前に覆面男が出現。背後からの不意打ちにより刑事は強襲を喰らったのだとか。

 結局、覆面ともども関西弁男には逃げられてしまったらしい。


 ……まあ、言いたいことは色々あるが。

 確かなのは、時系列的に見て「覆面男」及び「関西弁男」に患者を攫う余裕は無かったと言う事。両名共に患者失踪の直接関与は考え難いのである。

 攫われたので無いとすれば、その失踪は自主的であった可能性が高い。

 つまり今回の騒動。関西弁男には逃げられ、覆面男にも逃げられ。そして何故か、患者の女性にも逃げられるという結果に終わった。


 この半端ないモヤモヤ感。

 あの時こうしていれば、なんて「たられば」がずっと頭を巡っている。

 幸いにも強襲された刑事は軽傷で済んだそうだが。それでも患者失踪の謎も相まり、俺の心にはシコリが残っていた。


 あれから一週間、事件に進展の様子はない。犯人共は見つからず、そして患者も見つからず。


「……仕事も来ねえし」


 「暫くは待機でお願いします」という芦川さんからの指示があって以降、彼からの連絡も途絶えていた。その後どうなったのかなんて知る由もない。ニュースを見る限りだと、連続通り魔はあれ以来止まったらしいのだが。


 なんだかなぁである。




「あ、戸塚くん。また奇遇ですね」


 ぼんやりしていたところで声を掛けられた。

 以前と全く同じシチュエーション、同じセリフ。今度は流石に驚かないぞ。


「片岡じゃん、なんでここに?」


 声を掛けてきたのはやはり片岡。まだ夏休みは只中である。なので驚くとまではいかずとも、こんな大学の近辺で出会すのは意外だと思った。

 相変わらず、この炎天下でも彼女の表情は涼しげだ。


「なんでって、今日サークルの日ですから。寧ろなんで戸塚くんは来なかったんですか」

「あー……忘れてたわ」


 悶々としてた故、うっかりしてた。そう言えば、メールで活動スケジュールの変更が来てた気がする。


「まあ、顔出しは自由なんですけどね」

「基本駄弁るだけだもんな」


 本日の活動はもう終了したらしい。


 とりあえず、最近どう?的なノリで近況を聞いてみる。

 その反応をみると、彼女は結構休みをエンジョイしているらしく。例の趣味を兼ねたマイナースポーツの撮影など精力的な夏休みを過ごしていたそうで。相変わらずキャラに合わないアクティブ振りだと思った。


「戸塚くんは今日も買い出しですか?」

「ああ、いま帰り」

「じゃあ今回は入れ違いですね。私は今から向かうところです」

「……ひょっとして、またタコパするのか」


 片岡はこの辺に住んで居ない。なのにまたこの辺のスーパーに買い出しに行くのだと言う。だとすれば、前回のように誰ぞの宅でホームパーティーをするのではないかと予想した。


「今日はタコパじゃありません」

「ほう」

「アヒパです」

「…………アヒ?」


 初めて聞いた、なんだアヒパって。


「……家鴨アヒルを…………掻っ捌くのか?」

「中々ワイルドなパーティーですね」

「違うのか」

「アヒージョパーティー。略してアヒパです」


 ああ、アヒージョね。

 片岡曰く、たこ焼き機を使って作るんだとか。窪みの一個一個に別々の素材を投入するらしい。バケット片手にそれを囲んで突っつくそうで。


「ちょっと楽しそう」

「来ますか?」

「いや、いい。ハードル高いって前にも言ったろ」


 やはり女子会に男一人で凸るのは抵抗がある。

 前回同様に断ると、片岡も「そうですか」と前と同じ感じで頷き返した。


「次のサークルは来てくださいね」


 別れ際、そう最後に述べた彼女に片手を上げる。スーパーへ向かうその背中を見送りながら、「またぞろ変な食材をチョイスするのでは……」と頭に過ったが。

 まあ、俺には関係ない。晩飯を誘う候補から片岡が消えたのはちょっと惜しいと思ったが。今日がサークルの日であったのならば、まだ他のメンバーが近くに居るだろう。


 その辺から誘うか、とスマホに視線を戻そうとした時だった。


「あの……」


 またも誰ぞから声を掛けられた。

 見ると、モノトーンカラーの夏服に日傘を差した若い女性。


「やっぱりそうだ」


 女性は俺の顔を見ながらそう呟く。


 一瞬、誰だか分からなかった。何せ彼女と会ったのは過去に一度きりだし。自己紹介らしい事もやってない。

 故にお互い名前すら知らないのだが、それでも彼女は俺に声を掛けてきた。

 長い黒髪に、「あの時」は感じられなかった意志の強そうな瞳。この一週間、ずっと頭の片隅にいた人物。


「通りすがりのヒーローさん…………ですよね?」


 失踪中だった患者はそう述べ、驚く俺に向かって微笑んだ。


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