第32話 いくら超人でも怒涛の展開にはついて行けない
「お邪魔しまーす」
倒れた男を刑事に預け、俺は病室へと突入した。最初に目に入ったのは中央に設置されたベッドである。
いかにも病院らしく、味気のない簡素なベッド。本来なら患者が寝ている筈なのだが、そこはもぬけの殻だった。
白いシーツは乱れており、先程の悲鳴も相まって嫌な予感を彷彿とさせる。
肝心の患者がいない。だが、悲鳴が上がったのはついさっきで、出入口も俺が今立っている此処ひとつだ。この部屋に誰も居ない筈は無いのだが。
「一体どこ……に………っ!?」
探そうとしたら、普通に俺のすぐ隣に居た。入り口側の隅で蹲っている女性を発見。
焦った。ビビって咄嗟に「響」を撃つ構えをしちまった。
乳白色の寝巻きと思われる格好に、両手から見えるグルグル巻きの包帯。患者で間違いないだろう。取り敢えず無事みたいだが、何かに怯えている様子である。頭を抱えて小さく震えていた。
──ひょっとして、記憶が戻ったのだろうか。トラウマを思い出してパニックになったとか。
「大丈夫ですか?」
声を掛けると、ビクリと肩を震わせた彼女は恐る恐る顔を上げて俺を見た。怯えた表情、だが俺に対して怯えている感じではない。
何があったか聞こうとしたら、その前に彼女はビッと窓を指挿して震える声で言った。
「窓……窓から男が……」
……ここ、四階なんだけど。
「……覗いてきたの?」
「ちがっ! 入ってきたの! 今も部屋にいる!!」
いるって何処によ? 室内を見渡すが、俺達の他には誰も居ない。確かに窓は開いているのだが、この部屋が四階であるという事を考えると、どうにも信じがたい話だった。
幻覚か、はたまた何か勘違いでもしてるのではとも一瞬思った。
しかし、間違ってたのは俺の方だったのようで。
「……あ」
念の為にとベッドの反対側を覗くと、いた。伏せた姿勢で固まっていた男とバッチリ目が合う。
どうやら、入り口からは見えない位置で身を潜めていたらしい。患者の妄言では無かったようだ。
…………つーか、誰だコイツ。
「誰あんた」
「…………」
問うと男はムクリと立ち上がり……立ち上がるのだが、無言のままである。
この病院の関係者である可能性は万にひとつも無いだろう。変質者の類いである事は間違いあるまい。
なにせ此奴、白い被り物のような物で顔全体を覆っているので。
中肉中背、白シャツにスラックス。そして目の位置に穴が空いたシンプルな覆面。背格好からして確かに男だが、それ以外の情報を得ることは出来なかった。
「何とか言えよ」
「…………」
どうやらさっきの「お喋り関西弁男」とは正反対のようで。こっちの「覆面男」はまるで一言も喋らなかった。覆面の上からボリボリと頭を掻き、どうしようかと悩んでいる様子である。
見つかった割には落ち着いているというか、意外と余裕そうに見えた。
てか、ホントに誰。タイミング的に関西弁男の仲間だと思うのだが、今回の事件は「通り魔」だった筈だ。
通り魔って普通、単独犯じゃないのか。徒党を組むとか、最早「通り魔」越えて「ギャング」だろ。
まさかと思うが、別件が重なったとか言わないよな?
聞きたい所だが、覆面男はまるで口が無いとばかりに頭を掻いたままダンマリを決め込んでいた。
……まあ、どちらにせよ、今は拘束するしかあるまい。尋問は警察に任せるのが一番合理的だ。
「……相手が悪かったな」
先制で決めさせて貰う。「響」を展開し、遠慮なく奴へと放とうとした。
が、
「あ?」
先手を取られたのは俺の方だった。
眼前を突然と覆った白い壁。
「響」を放つ直前の刹那。奴は側にあったベッドの掛け布団を片手で引っ掴み、投げつけるように俺へと被せてきた。
まさかの手段で意表を突かれ、一瞬生じた反応の遅れ。その隙に、奴はいきなり攻撃のラッシュを仕掛けてきた。
腹に一発、胸に二発、首筋二発、顎に一発。
まるでサンドバッグにでもなった気分だ。
恐らくは素手だろう。攻撃は布団の上からだが、衝撃はかなり重い。急所も捉えてるし普通の人なら昏倒するレベルではなかろうか。
言わずもがな、練体通を展開済みなのでダメージ皆無ではあるが。
しかし、「響」が撃てない。人であれ物であれ、触れた瞬間に作用するのが「響」である。故に薄い掛け布団だろうと貫通は無理だし、何より視界が遮られては対応しようがなかった。
……邪魔くさい。
払い除けて今度こそ「響」を放つ。
が、次はなんと躱された。
上半身をアバウトに狙ったのだが、それが仇となったらしい。奴は身体の向きを捻ると同時に上体を落とし、偶然か、不可視である「響」を初見で躱した。
更にそこから、流れるような後ろ蹴りによるカウンター。
軸足の左膝は殆ど曲げぬまま。上体を限界まで倒して、テコの原理の様に持ち上がった奴の右足。それが勢いよく突き伸ばされて、俺の胸部に炸裂する。
「海老蹴り」……トリッキーだ。味な真似を。
──という感想を抱く間に、更なる「予想外」の攻撃は続く。
突然、右足首を引っ張られる違和感。気付いた時にはもう遅かった。一気に足を持ち上げられ、堪らず仰向きにすっ転ぶ。
直前に喰らった蹴りにより、上体が仰け反っていたのが効いていた。幾ら練体通で膂力が上がろうと体重は変わらない。バランスを崩している状態で足を引っ張られたら、転ぶ。
「こんにゃろ……う?」
ガチャリ。
いつの間に取り付けられたのか。布団を被せられた直後か、はたまた海老蹴りを喰らう直前か。
足首に巻かれていたのはクライミングなんかで使われる登山用のロープ。先端はカラビナフックでしっかりと固定されており、覆面男の手にはそのザイルが握られている。俺の足はコイツで引っ張られたらしい。
てか、どっから出てきたんだ、このザイル。
因みに、俺の足首とは反対側……覆面男の握るザイルの先端は、奴の腰へと括りつけられていた。
「…………」
「…………」
相変わらず覆面男は喋らない。俺も倒れたまま、無言になって奴の眼を見る。
彼が何しに此処へ来たのか解らないし、その考えなど理解できよう筈もない。だが、次に奴が起こすであろう行動は何となくだが解ってしまった。
素早く踵を返す覆面男。
向かった先は、開け放たれていたこの部屋の窓である。
「……待て待て待って。早まんな! 俺、話聞くから!」
俺の静止も虚しく足は窓枠に掛けられる。そして、一切の迷いなく奴は階下へとダイブした。
覆面男が視界から消える。奴から伸びていたザイルもシュルルル、と窓の向こうへと消えていった。
──逆側の先端は俺の足に繋がれたまま。
「馬鹿だろ!?」
あっという間に長さは尽き、ビンッと張られたザイルに引っ張られる。もの凄い勢いで窓へと吸い込まれ、
「こなくそ!!」
ダイブ寸前のタイミングで窓枠にしがみ付いた。
……ギリギリセーフ。足は半分外に出ていたが、なんとか身を投げ出されずには済んだようだ。
──危ねえ。
別に俺は落ちても問題無いのだが、こっちが踏ん張らなければ覆面は結構な確率で死んでいた。はっきり言って、無茶が過ぎる。
階下を覗くと、覆面男は地面スレスレの位置でぶら下がっていた。激突は免れたらしい。長さは予めから計算されていたようである。
「イーサン・◯ントかよ……舐めやがって!」
練体通を強化、片足を窓枠に乗せて身体を固定。
覆面は腰のザイルを外そうとしていたが、そうは問屋を卸されては溜まらない。外す前に一気に引っ張り上げて仕切り直しだ。
病院の階高四階分の長さ、ざっくり18m(めっちゃ適当)。覆面男の重りがあろうが、俺なら5秒以内で巻き取れるだろう(多分だが)。マグロ専用電動巻き上げ機、それ顔負けのスピードで一本釣りにしてやる。
「なーんか、オモロイ事になっとるやん」
「面白かねえよ! バレる(逃げられる)かバレ無えかの瀬戸際だ! 見てないで手伝え…………」
え?
「よっしゃ、任しとき」
がしりと背後から腰に手を回された。
「──ついでにプロレスごっこの続きもやろうや」
抵抗する間もなく、グワリと持ち上げられた俺。視界が窓の外から天井へ、そして入り口側の壁にへと縦回転に移動する。
次の瞬間には頭から床に叩きつけられた。
「ブフッ!」
痛……くは無えが、脳が少し揺れた。衝撃は凄まじく、思わず鼻水が飛び出すレベル。
まさかスープレックスをガチで喰らうとは思わなかった。
……て言うか、此奴、
「レフェリーおらんから、ピンフォールは無しにしたるわ」
スープレックスでホールドをかましたまま、そう軽口を叩く「関西弁男」。
「なんで、お前が……」
「刑事さんなら廊下で寝とるで」
「……! ああそうかい、そんなら……」
現在、関西弁男と俺はスープレックスホールドを「掛けた」「掛けられた」の体勢にある。言い換えれば、「バックブリッジ中の奴」の上に「足を振り上げた俺」が折り重なっている状態とも取れた。
プロレスは受け手に対しても姿勢制御が求められる。だからあんなに技が綺麗に決まる訳で。
「お前も寝てろ!!」
姿勢を無視して足を奴へと振り下ろした。腰を練体通のパワーで無理矢理反らせ、勢いは殺さず膝だけ曲げて位置を調整。丁度、奴の腹があるであろう場所目掛けて踵を叩きつける。
ドコッ。
「うおぅ!」
狙いは完璧だったが、直前のタイミングで避けられてしまった。ホールドを解いて横に転がり、素早く距離を取られてしまう。
「危ない危ない。脱出の"跳ね"にしてはヤンチャ過ぎるやろ」
「……煩えなぁ、レフェリー居ねえんだろが!」
予期せぬの出来事の連続。軽薄な男の態度。──おまけに神通力の連続使用。
色んな要素が重なって、さっきからアドレナリンがドバドバと止まらない。
イライラやら興奮やらで冷静さが保てなくなってきた。
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