第30話 原色よりえんじや紺などの渋めの色、だがマストは黒か白



 さて、

 開院から間もない時間だったが、病院内は予想していたよりも人が居る。


 此方の身としては一応有り難い話だ。

 幾らデカい病院でも、閑散としていれば自分の存在が目立つだろうし。彷徨いていたら職員に声を掛けられないとも限らない。混雑という程ではないのだが、紛れ込むくらいには申し分ない人数であった。

 しかし何となくだが、人と人とのパーソナルスペースが若干広く取られてる気がする。事件の影響で他人を警戒する心理が働いているのかも知れない。


「まあ、寄って来ぬなら良しとしよう」


 外来用の案内図をチラリと確認してから個室病棟のある四階へと足を進めた。



 エレベーターを使えば良かったと後悔したのは階段で三階まで昇ってからである。シンドい。若人あるまじき体たらくだが、流石に四階まで階段で行くとなると足も棒になる。

 無論、練体通を使えば体力的な問題は皆無なのだが。如何せん日常生活で、ましてや移動ごときに神通力を用いるのは俺の信条に反した。


 いや、格好つけたが信条というのは嘘。正直に言うと、実は少し怖いのだ。


 何がと問われると「神通力の副作用」と言うべきだろうか。小学生の頃からそうだったが、どうも俺は神通力を使い過ぎると調子に乗るきらいがある。

 6月の事件の時もそうだった。特に練体通と念導通の使用は、人としての常識的感覚が希薄になるというか、変にハイになるというか。成長し、ある程度のコントロールは出来るようになったが、全能感は未だに感じたりする。…………これを副作用と呼んで良いのかは知らない。


 とにかく、一般人パンピーの振りをして生活する身としては、神通力の普段使いはうっかりボロを出してしまいそうで怖い。使う必要がない場面では極力出したく無いのが正直な所だ。


 そんな訳で、ゼェゼェ言いつつも四階へと到達。

 見渡すまでも無く、ここまで来ると一階の喧騒も嘘のように静かだった。広い廊下は外来の患者は疎か、此処に勤める職員の姿すら今は見受けられない。閑静なものだ。


「廊下を……左だっけか?」


 汗を拭いながらうろ覚えの記憶を辿る。患者の部屋番号も曖昧だったが、さして問題はないだろう。恐らくだが、件の病室の前には直ぐに判る目印があるだろうから。


 ────いた。


 廊下の角を曲がった先。突き当たりの病室の前にパイプ椅子が設置されており、そこにスーツ姿の偉丈夫が腕を組んで鎮座していた。


 予想通り、判り易くて助かる。

 偉丈夫も此方の存在に気付いたのか、視線を寄越してゆっくりと立ち上がった。向こうからは声を掛けて来なかったので俺の方から挨拶をする。


「おはようございます」

「……あんたがそうなのか? 随分と若いな」


 第一声がそれかとも思ったが、まぁ無理もなかろう。今の俺はメンズのガウチョにTシャツという非常にラフな格好だし。おまけにマスクで顔を隠していて怪しい事この上ない。

 風邪気味の大学生と見れば不自然さは無いだろうが。コレが彼の「承和上衆」かと言われたら、俺が逆の立場でも信じなかっただろう。目の前のこの人が、訝しげな視線を送ってくるのも分かるというものだ。


 だが、この対応には正直慣れたものである。過去の三回で似たようなやり取りは経験済みだった。

 努めて冷静に、俺は懐から例の身分証を取り出して男に提示した。


「…………本物、か」


 彼の職務上、疑り深いのは美点だろうが……此方の身としては少々億劫に感じる。暫くジロジロと観察されたが、どうやら一応の納得はしたらしい。

 菊紋様々。


「失礼、確認した。患者はこの中だ。手短に頼む」


 そう述べて一歩引く男。表情からして全然失礼とは思って無さそうだが、まあいいや。気にしても仕方あるまい。

 気を取り直して扉に手を掛けようとしたが、ふと気になる事があったので男に向き直る。


「ひょっとして、病院に来てるのは貴方だけですか?」

「そんな訳あるか、他は今席を外して貰っている。その方が其方にとって都合が良いんだろう?」


 いや、まあそうなんだけど。


「なんだ、今迄もそうしていたと聞いてるが?」

「あ、はい。そうなんですけど…………一応聞きますが、心理士の資格とかって持ってます?」


 そう聞くと男は、一瞬怪訝そうな顔をしたが「ああ、その事か」と呟いて首を横に振った。


「俺は違う。だが、についても話は聞いている。心配しなくても、君が去ったあとに入れ替わりで担当者が直ぐ来るから安心しろ」

「……そうすか」

「諸々の責任は我々が取る。君の考慮は不要だ」


 言い方がアレだが、配慮の心得はあるらしい。言い方がアレだが。

 立ち会いには警察庁本部の信頼された人間が来ると聞いていたが、この人を見ているとエリートと言うより「所轄の刑事デカ」に見えてならない。見た目を含めての話だ。会議室より現場が似合いそうなタイプ、まぁドラマからのイメージだが。





 閑話休題。考慮不要と言うならば、もうそうしよう。

 そう思って再び扉に向き直る。


 だがその時、今度は男の方から予想外の質問が飛んできた。


「ところで聞いていなかったが、後ろのあれは君のお連れか?」



 …………ツレ?


 ツレって誰だ。

 後ろにいた? ……ひょっとして白姉か? 車で待つのが退屈になって追って来たのだろうか。


 だとしたら、不味い。

 俺はまだ水着の課題について結論を出していない。いや、ワンピかビキニかの二択についてはとうに決まっている。当然ビキニだ。


 だが、まだ「バンドゥ」か「ホルターネック」のどっちにして貰うか決め切れていない……!

 この選択に悩むとは俺も迂闊だった。白姉の「サイズ」を考えるとやはりホルターネックか。いやしかし、バンドゥ特有の首肩ラインの露出感は捨てきれない。

 ここは白姉に選択して貰うのがベストだろうか? 

 ……否、ここでバシッと決めなければ男が廃る。白姉は俺に託したのだ。


「……おい、聞いてるか?」


 よし決めた。


「バン……いや、Vワイヤーバンドゥで!」


 ガッと振り返って叫んだ先に居たのは、杖を突き、腰がくの字に曲がった御老人。突然の俺の行動にビックリしたのか、目をパチクリさせて此方を見ている。

 隣の刑事を見るとこっちもポカンと口を開けて俺を見ていた。


「ブイワイ……なんだって?」


 もちろん白姉は何処にも居ない。


「……逆に聞きますけど、あの方が俺のツレに見えますか?」


 スッと片手で御老人を示しながら刑事にそう問う。どう見てもこの病院の患者だろう、と。

 一転した俺のテンションについて来れないのか、彼は関節の錆びたロボットのようにぎこちない動きで首を横に振っている。

 俺はスンとした顔を崩さない。悪いが、勘違いは無かった事にして貰おう。



 ドサリ。


 そんな居た堪れない空気を破ったのは何かが倒れる音だった。

 見ると、先程の老人が腰を押さえて倒れ伏している。「イタタタタ……」と、か細い声まで聞こえてきた。タイミング的に、もしかしなくても俺が叫んだのが原因か。


「おいおいおい……」


 反応が早かったのは刑事の方。さっきのぎこちない動きとは一転して、素早く老人に駆け寄ろうとしていた。


「此処の関係者を呼んで来てくれ。素人が下手に動かすのは駄目かもしれん」

「待った、俺が診ます。その方が早い」

「…………ああ、そういやそうだったな」


 彼に妙な間があったが今は捨て置こう。決して俺が承和上衆である事を忘れていた訳ではあるまい。

 ともかく俺が原因かも知れない以上、助けない訳にはいかなかった。不用意に神通力を使うのは良くないかも知れないが、誤魔化しようは幾らでもあるだろう。


「大丈夫ですか?」


 老人に近付き、助け起こそうと手を伸ばしながら身体の中で「通力」を練る。


 腰押さえているし、腰だよな? 

 ……聞いた方が良いか。いや、この際だし全身フルに治して良いだろう。この歳ならどっか他の所も悪い可能性があるし、その方が確実だ。

 詫びも込めてサービスはしておこう。


「スマンなぁ、ちょっとビックリしてもうて」

「ああいや、こっちの方こそ。すみませんでし、た…………」



 違和感。

 遠目で気付かなかったが、老人と呼ぶには肉付きが良い。背も思っていたより高く、腰を曲げていなければ俺より高いんじゃなかろうか。

 そして何より、声が若すぎる。

 

 お腹の辺りに違和感。

 老人の腹ではない、俺の腹にだ。視線を下ろすと腹部中央にナイフの柄のような物が生えていた。ような物というか、ナイフの柄だ。


「ほんまスマンな、悪いんやけど……」


 プシュッと、掴んだ柄を勢い良く引き抜いた老人(?)は、俺の手も借りず、何事も無かったかのように立ち上がる。

 やはり背筋を伸ばした彼の身長は、俺よりもずっと高かった。


 再び視線を腹に戻す。

 ボタボタとこぼれ落ちる真っ赤な血。どうやらは本物らしい。めっちゃ痛いし。


 そして、彼は真っ赤に染まったナイフを俺の首筋、頸動脈に当てがった。


「そこ、どいて欲しいねん」


 シュカンと何処か小気味良い音が鳴り、今度は首から派手な噴水が上がっていた。

 と思う。何せ俺の首からなので全景が見えない。おまけに視界が一瞬で霞んできて、ピントが合わなくなっていた。


「ぃあ……?」


 ベシャリ。


 堪らず床に倒れ伏す。

 視界はもう赤一色で。そう言えば、白姉の水着の色をまだ決めていなかったと思い出した。


(……まあ、赤は無し……か、な)


 そんな事をボンヤリと。

 そして、そのまま俺は意識が飛んで……というか死んだ。




 ──────

 ────

 ──







 …………なんて、そのように犯人からは見えている事だろう。

 展開が急過ぎたので、俺もちょっとどうすれば良いのか頭が回らなかったのだ。


 取り敢えず、治した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る