第二章

第23話 ホームパーティーの主催者が料理上手である必要は無いが上手いに越したことはない


 


 気不味い、と思った。


 相手と心が通わず、落ち着かないさまを表すこの言葉。他者との相互不理解の時に使われがちだが、俺はすこし別の意味でこのワードを使った。

 本来は「空気」や「雰囲気」の状態を指すと思うのだが、今回の場合は違う。



「気持ち」だ。俺の「気」が不味い。



 要するに、一人でテンパっていた。


 電車のクロスシート。その内の一つで今、四人の男女が向かい合って座っている。

 内訳は女三人に男が一人、この一人の男が俺な訳で。


 一応述べておくが、男女比が悪いこの状況にテンパっている訳では無い。

 確かに「女三人寄れば姦しい」と言う言葉がある通り、彼女達三人の会話は盛り上がっていた。他の乗客にウザがられない絶妙なボリュームで。

 その会話に混ざれないのかと言われたらそんな事も無く、彼女らの内の誰かは時折俺にも話を振ってくれる。女子の内二人は俺と同じサークルの仲間だし、残りの一人もさっき知り合ったばかりだが非常に気さくだ。

 俺一人が取り残されてる訳では無い。


 旅行の雰囲気も相まって、彼女らは非常に楽しそうだった。俺も表面上は笑顔を取り繕っている。傍から見れば和気藹々で、全員が会話を楽しんでいるように見えるだろう。



 けど駄目だ。

 やっぱり落ち着く事が出来ない。

 気が気でなく、気が不味い。



 俺からすれば、この状況は爆弾に囲まれていると同義だった。


 いつ爆発するか分からない三種の爆弾。


「禁秘」「天然」そして「崇拝」


 それぞれが絶妙かつ珍妙なバランスで立っており、ちょっとした振動で簡単に倒れて起爆する恐れがある。

 大袈裟な表現かも知れないが、俺にとってはそれぐらいの死活的な問題だった。



 何故こうなったのか。

 俺一人が気不味くなっている理由。


 分かってる。あの時、俺がまたもしまったのが原因だ。




 事の起こりは約二ヶ月前に遡る。

 




--





 今日から梅雨明けらしい。


 今年の六月は例年より雨が降らず、湿気は多けれど雨傘の出番はそんなに無かった。


 このまま梅雨が明けるのではと思っていたのだが、それは前半戦だけの話だったようで。

 七月も中旬に入ると、雨雲がまるで帳尻を合わせるかの如く遣らなくてもいい仕事に励み出した。連日に渡って怒涛の長雨を降らせ続けたのである。


 結果、全国各地で水害が発生。農作物にも深刻な影響が出ているのだとか。

 今年の野菜は高騰しそうだ。──まあ、男子学生は野菜なんぞ摂取しない生物なので(個人の意見です)俺としては問題無い。


 さて、そんな側迷惑な梅雨前線もやっと北上し、漸く晴天に恵まれたのは良いのだが……



「……だる」


 今度は太陽が頑張り過ぎである。

 梅雨が明けた途端にコレだ。真夏日を超えていきなりの酷暑。ジリつく直射日光が地面に溜まった雨水を一気に気化させ、地上のコンディションをエゲツない事にさせていた。

 焼く日光と蒸す蒸気。外に出るとまるでスチームオーブンレンジにでも入った気分になる。


 特に田舎から出てきた俺にとっては地獄と言えた。都市部の夏は地方よりも辛い。ビルの反射光やアスファルトの放射熱が気温上昇に拍車を掛けているからだ。あれか、ヒートアイランド現象って奴。

 こういう時だけは地元の村が恋しく思える。アッチもアッチで夏はまあ暑いのだが、コチラの加熱調理器内よりかは万倍マシだろう。




 俺こと戸塚恭介はそんな炎天の空の下、近所のスーパーへ向けて徒歩で移動していた。

 時刻は正午ちょい過ぎ。平日であるが今日は大学の前期試験最終日だ。


 偶々選択していた科目の都合により、俺は他の奴より一足先にこのテスト地獄から解放されている。

 ……出来栄え? ノーコメントで許して欲しい。


 しかし、この暑さのせいでその解放感も半減以下になっていた。テスト地獄の次は灼熱地獄、人によってはこっちの方が辛いと言う奴もいるだろう。

 なるべく日差しを避けて影のある所を選択しながら歩いてたが、建物が多くとも無い所には無いもので。残念な事に信号待ちの横断歩道手前には、日光を遮るセーフティゾーンが存在しなかった。

 一応、申し訳程度に電柱の細い影が有るには有るのだが。そのスペースは散歩中の犬畜生が我が物顔で占領中である。


 まあ、でもアレだ。地面からの放射熱に近い位置で晒されている分、彼らの方が辛かろう。今回は譲ってやる。



「あ、戸塚くん。奇遇ですね」


 譲ってやると言いつつも日陰で涼む犬を恨めしげに見ていると、不意に背後から声が掛かった。

 振り返るとそこに居たのは、俺と同じサークルに所属する同期生。


 片岡直奈。


 白基調の涼しげな色合いのシャツに、ゆったり気味ハイウエストパンツのコーディネート。

 いかにも「女子大生」な装いの女の子がこのクソ暑い環境の中、涼しげな顔をしてそこに立って居た。


 この酷暑でも彼女特有のポーカーフェイスは健在のようである。


「片岡、そっちも前期試験終わったのか?」

「はい。今日の午前で選択科目も全部済みました」


 相変わらず声のトーンにも抑揚が無い。らしいっちゃらしいのだが、そんなテンションで後ろから突然声を上げないで欲しかった。ちょっとビクッてなっただろ。

 挙動にはなるべく出さなかったが、正直心臓に悪かった。


「今帰り? 駅とは方向逆だけど」


 努めて平静な顔を装って再度片岡に尋ねてみる。

 電車通学の彼女とこの辺で会うのは珍しかった。というか普段から学部も違うので、大学内でもサークル以外で会う事自体が稀なのだが。


「タコパです」

「……ほう?」

「たこ焼きパーティー、仲間内で試験の打ち上げやりましょうって話になりまして。今日、ランランのお家でやるんです」


 成る程。

 ランランさんが誰かは存じぬが、恐らく片岡と同じ学部の友人だろう。パンダではあるまい。


「ミカエルとアンジーも参加しますよ。戸塚くんも一緒にどうですか?」

「大天使にハリウッド女優も参戦するのか。俺にはちょっとハードルが高いな」

「渾名ですよ。皆んな純日本製の学生です」

「だとしてもやっぱハードル高えよ。女子会に単身で乗り込めるほど俺は女慣れしてない」


 その愉快な渾名の中に男がいないとも限らないが、たぶん響きからして全員女だろう。顔見知りなら兎も角、ほぼ無接点の女子の家に上がり込んでタコパを楽しめるほど俺は剛気ではない。

 相手方も困惑するに決まってる。それ以前に、今の誘いは片岡なりの社交辞令みたいなモンだろうし。


 という訳で断ると、彼女は「そうですか」とコクリと頷くだけだった。


「私だけ午前中に早く終わったので、先に買い出しをしておくと申し出たんです。今からそこのスーパーに行く所なんですよ」

「あ、そうなの? 俺もそこへ晩飯の買い出しなんだけど」

「なら一緒に行きましょうか」


 そう言って片岡はちょうど青になった横断歩道を渡り始める。

 マイペースだなぁ、と若干思いながらも俺も片岡と並んで歩を進めた。まあ、こっちについては断る理由が無いので普通に乗って良いだろう。


「にしても、こんな暑い日にタコパか。流しそうめんとかの方がよくね?」

「室内なら外の暑さなんて関係無いでしょう。エアコンをガンガンにすれば夏でも鍋パが出来ますよ」


 それを聞いた俺はウンウンと頷く。


「温暖化が止まらない訳だ」

「戸塚くんは環境思想が深い方でしたか。だとしたら、今の私の発言は不快でしたかね?」

「いんや全然。ただ、感心無くても今日みたいなクソ暑い日に外歩いていたら、ボンヤリと考えたりはするもんだろ」

「耳が痛いですね。私なんか冬も暖房爆上げして、アイスクリームを食べるので」

「……別に俺はお前に対して環境問題をどうこう言いたい訳じゃ無えからな?」


 堅苦しい話をしたかった訳では無い。単に「今日は暑いね」という当たり障りのない話題を振りたかっただけだ。

 だったらと、片岡は手に持っている物をフリフリと振りながらこう言った。


「なら、こういう暑さ対策したらどうでしょうか。環境を守らずとも己が健康は守るべきです」


 考え方として半分間違ってんだろうが、俺にとっては有難い意見であった。

 ただ、片岡が今お勧めしている暑さ対策はちょっと真似出来ないだろう。彼女が手で振っているのは夏の女性のマストアイテム。日傘である。

 最近は日傘男子なる者がいるそうだが、俺には少し抵抗がある。帽子やハンディファン辺りから始めた方が良さそうだ。


「戸塚くんは日傘似合いそうですけどね」

「それ、褒めてんの?」


 ちょっと良くわからない。






 そんなこんな話しながらやっとスーパーに到着した。冷房のしっかり効いた店内に入り、フウと大きく息を吐く。

 やはりエアコンは偉大だ。片岡の言う通りガンガンにすべきだろう。


 お互い買う物は違うのだが、なんとなく店内も片岡と一緒に周った。大体の人からしてスーパーで歩くコースは決まっているもんだし。

 壁側の陳列棚をぐるりと一周して、その後内側をウロウロし、レジへと行く流れだろう。


 特に何も考えず、ひょいひょいと目についた商品を籠に放り込んで行く。普通の主婦は献立に悩みながらアレコレ食材を吟味するのだろうが、生憎と俺は悩めるほどのレパートリーが無い。

 丼物→パスタ→炒飯→焼そばor焼うどん、というローテーションが毎日組まれてる。今日は炒飯の日だ。


 ふと、いつもと違うアレンジをしようかと思い立つ。そういえば以前、片岡から炒飯の変わり種レシピを教えてもらった気がした。

 どんなレシピだったか、どうにも記憶に霞が掛かっていて思い出せない。割と最近に習ったと思うのだが、ここのところ色々あったので忘れてしまったのだろう。


 聞けばいいか、と隣にいる片岡を見ると彼女は既に結構な量の商品を籠の中に入れていた。四人分なのだから量が多いのは分かるのだが、そのラインナップが中々面白い。どうやら片岡もたこ焼きをアレンジする気のようだった。

 小麦粉や卵や天かす等、たこ焼きの基本材料があるのは良い。だが、問題は具材の方。少々尖ってる物もあって思わず俺は二度見する。



 ⭐︎キムチ、チーズ、餅、ウインナー、エリンギ



 うん、この辺はまだ良い。俺もたこ焼きのアレンジレシピの存在は聞いた事あるし、入れても問題なさそうなメンバーだ。



 ⭐︎ゴーヤ、ニンニク、チョコレート、イチゴ



 この辺は結構癖が強そう。好みが別れる所だろう。スイーツ系は女子が好きそうではあるが。



 ⭐︎イカ、エビ、ホタテの貝柱



 タコが居ねえ。他の魚介を試すのは良いが、肝心の主役を外すな。タコパじゃなくなる。



 ⭐︎グミ、タブレット菓子、海鼠腸このわた、タバスコ



 完全に罰ゲーム用だろ。ロシアンルーレットする気か。

 あと良く海鼠腸売ってたな。



 ⭐︎たこわさ



 タコいたぁ! 普通の買えや!



 声には出さなかったが脳内で激しく突っ込んでいた。


 ランラン、ミカエル、アンジーなる人達は買い出しに行かせる人選を間違えたようだ。まあ逆に、その三人がこのラインナップを片岡に頼んでいる可能性もあるのだが。

 ……うん、パーティーならこういうネタがある方が盛り上がるだろう。少々イロモノが多い気もするが、本人達が良いのであればそれで良い。


 俺が口出しすべき事では無い。だが片岡からアドバイスを聞くのは辞めとこうと思った。





「ところで戸塚くん、体調の方はもう大丈夫ですか?」


 買いたい物は揃えたし、そろそろレジへ向かおうかと考えていた時である。唐突に思い出したかのように片岡が口を開いた。

 手にはらっきょう漬けのビンを持っている。籠に入れるべきか迷っているらしい。



「……体調? 何の話だ?」


 生憎と俺は、世界で最も体調不良と縁遠い人種なのだが。


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