第20話 知っておくと便利、頑固な汚れが落ちない時に使える裏技




 銃とは縁遠いこの国で生きていても、銃声がどんな音なのか大概の人は知っている。映画、ニュース、過去の戦争動画……様々な映像で耳にする機会はあるだろう。

 しかし、いざ初めて本物の音を聞くと驚く人間は多いもので。分かっていたつもりでも、音の大きさが想像以上にデカいからだ。

 今迄見ていた映像の音が如何に耳に優しく調節されていたかが分かるらしく、鼓膜をハンマーで直接ぶっ叩いたような轟音に大抵の人は衝撃を受ける。


 だが俺の場合、衝撃だったのは初めて聞く生の銃声によるものでは無かった。いや、そっちにも多少ビックリしたが……それよりも衝撃的な光景がいま目の前で起こっている。



 効かぬと高を括っていた青年の銃弾。練体通の前では鉛弾もポップコーンと大差ない筈だった。

 だが、それを受けた鋼太郎は顔面から派手に血の花を咲かせている。世間一般から見れば当たり前で、だけど俺からすれば絶対にあり得ない光景。

 理解が追い付かぬ間に更に3発、立て続けに弾丸を浴びせられていた。


 全部で4発の弾を喰らった鋼太郎の頭はトマトのように真っ赤に染まり、そのまま後ろにドサリと倒れる。


 ──思考停止。


 その後、身体を張った奴のジョークなのかと思ったが、数瞬経って俺の全身にブワリと大量の汗が湧いた。




「ちょっ……ハァ!?」


 弾かれたように、慌てて反転通を鋼太郎に向けて放つ。

 固まっている場合ではなかった。展開が予想外すぎて本当に頭が真っ白になっていたのだ。


 頭に複数の弾丸を撃ち込まれて助かる人間なんてそうは居ない。だが僅かでもバイタルが残っていれば神通力は通用する。たとえ残り一秒の命でも生きてさえいれば一瞬で治る筈だ。

 果たして弾丸の摘出をしないままで良いのか等、色々頭を過ったが……考えている余裕は無い。振り絞れる限りの通力を最速で練り上げる必要があったからだ。


 しかし、全力の通力を込めて注いだにも関わらず、作用している「感触」が全く感じられなかった。反転通が効いていない。


 つまり、即死。


「嘘だろ……おい! 鋼太郎!!」



 一体、何がどうなってんだ。


 弾丸が練体通を貫いたのか、それとも鋼太郎の通力の底が切れていたのか。……どっちもあり得ない。

 鋼太郎の練体通は数いる承和上衆の中でもトップクラス。銃弾どころか戦車砲弾でも余裕で耐え切れると奴は以前豪語していたが、それは俺も認めていた。

 通力の残量にしたって体感で分かる筈である。

 いくら馬鹿でも、読み違えるほど間抜けじゃないだろ……!


 動揺と混乱が醒めぬ内に、今度は俺にその銃口が向けられていた。鋼太郎の時と同様に狙いは頭部らしい。

 仮に奴の拳銃が何か特殊で、本当に練体通を破る力があるのだとしたら俺には防ぎようがないのだが。

 咄嗟に出来たのは両腕で顔を覆うことだけだった。


 再びの轟音、連続で3発。

 腕にズババッと何かが当たる感触。痛みは無かったが足下に沢山の血が舞った。──死、




 ……を一瞬覚悟したが、何か変だ。

 弾は腕を貫通していない。──生きてる。


 サッパリ意味が分からず恐る恐る腕を確認すると、両腕共ベッタリと血で覆われていた。

 しかし、何故か腕に穴は空いていない。いや、コレ血に見えるけど違う。


 赤い塗料だ。




「…………ペイント弾?」



 しまった。


「おい、馬鹿!! さっさと起きろ!!」

「────だあ! クソ!! なんだ、前が全然見えねえぞ!!」

「やっぱりか! 紛らわしく倒れてんじゃねえ!!」


 死んだ筈の鋼太郎。奴を再び見ると、目を押さえてバタバタと踠いていた。赤く染まったトマト頭の命はどうやら健在のようである。

 つまり、反転通が効いた感触が無かったのは奴が死んだからではない。全く無傷の健康体だったからという事だ。──そりゃ治す箇所が無かったら、神通力が作用する筈も無い。


「貴方には防がれましたか」


 青年の声に反応して奴らを見るが、その姿はなっていた。


 立ち込めていたのは高濃度の真っ白な煙。発生源はいつの間にか地面に複数転がっていた、スプレー缶のような物からである。

 これもアクション映画でお馴染みの奴だ。スモークグレネード。


 ……こんな物まで用意していたのか。まさかの二重の目潰しとは、マジあいつ何なの。


 煙は見る見る内に広がっていく。夜の闇も相まり、程なくの間すら無く奴らの姿を覆い隠していた。すぐ隣にいる鋼太郎の姿ですら確認出来ない状況である。



「ちっ……!」


 念導通で煙を吹き飛ばしたかったが断念せざるを得ない。神通力だってそう万能ではないのだ。「刃」の他に俺が使える念導通は、内部破壊の「きょう」と離れた位置の物を持ち上げる(軽い物限定)「ゆう」の二つのみ。

 「響」も「遊」も個体、液体には作用するが気体には殆ど干渉出来ない。実体無き煙に放ったところで、多少揺らぐぐらいの効果しか得られないだろう。


 鋼太郎は使えない。奴は練体通の練度は非常に高いが念導通についてはからきしだ。脳筋故。

 その上、今の奴はトマト頭。チラリと腕を確認すると、付着していた塗料は既に凝固し乾き始めている。どうやらただの血糊ではないらしい。鋼太郎の目に入ったこれを直ぐに拭うのは難しいだろう。

 姿は見えないが、きっと今も目を押さえて陸に上がった魚のみたいにバタバタしている筈である。役に立たないなら俺が動くしかない。




「最優先は……弘香!」


 これでまた弘香を連れて逃げられたら最悪だ。もう言い訳なんて出来ない。

 視界も最悪だが無視して突っ切る。車への方向は分かるし、たった数歩分の距離だ。


 直ぐに到達(目測誤り激突)。後部のスライドドアに手を掛けるが鍵が開いておらず、仕方ないので「刃」でドア枠を四角に切り落とす。

 中を確認すると弘香は無事だった。流石にこの状況でこの子を回収する余裕は無かったようだ。

 というより、この子が俺達にとって追撃の足枷になると判断したから敢えて置いて行ったのだろう。


 取り敢えず弘香のシートベルトを外し車の外へ。そのまま抱えて煙の範囲外へと運び出す。50mぐらい走った所でようやく煙から抜け出せた。


 

 あ、菊谷発見。


「チェストおおお!!!」

「んな!?」


 当然と言えば当然だが、煙幕によって相手を見失ったのはお互い様だったようだ。


 煙を抜けた先で偶々見つけた犯人の片割れ。氏は警戒しながら移動しているようだったが、全く見当違いの方向を向いていた為、此方には気付いていなかった。

 これ幸いと、弘香を抱えたまま後ろから近付き奇襲をしかける。声なんか上げたら奇襲にならないのだが問題無い。「刃」の射程圏内に入れた時点で勝負はもう決まっていた。




--




「おい、もう一人は何処行った?」


 地面に転がった菊谷氏を見下ろしながらそう問い詰める。

 四肢を切り落とされて転がっている様は、達磨というより「生きたマネキン」と例えた方が的を得ていた。そのパーツは彼の周りに無造作に転がしてある。

 切ると同時に止血もしたから死ぬことはまず無いだろう。


「知らねえよ。煙の中で二手に別れたから」

「そりゃそうだ、その方が逃走成功率が上がるわな」


 溜め息を吐いて周りを見渡す。

 ただでさえ夜の林の中という見通しが悪い中、スモークグレネードの煙は更に広がりを見せていた。こんな状態では、逃げた青年を見つけ出すのはほぼほぼ不可能だろう。

 菊谷を見つけられただけでも運が良かったと言って良い。


「スマホ持ってるか?」

「持っているが、アイツの番号なんて入ってねえぞ。昨日今日、会ったばっかの奴だ」

「ならここで俺が大声で呼びかけても……無駄かな」

「無駄だろうな。例えその声が届いたとしても、俺は奴にとって人質に全くならねえ」


 手足を捥がれた瞬間は外聞もなくギャアギャアと喚いていたが、程なくした今は落ち着いてくれたようだった。菊谷氏は受け答えに従順である。漸く敗北を受け入れ、腹を括った様子だった。


「こんなナリだぞ。もう開き直るしかねえだろ」


 ごもっともである。



 それにしても、結局あの青年は何だったのだろうか。

 鋼太郎を行動不能に追い込んだ特殊?ペイント弾といい、忍者ばりのドロンを見せた煙幕といい……漫画から飛び出してきた怪盗キャラなのかと問いたい。

 対峙している時、余裕はあれど油断しているつもりなんて更々なかった。なのに神通力を使えない唯の人間を前にこのザマである。

 あんなビックリ逃走アイテムを持ち歩いていた事にも驚きだが、それを使い熟しまんまと逃げ果せるあの「慣れてる感」。奴は自身を外部から雇われたと言っていた。てっきり誘拐そっち系のプロかとも思ったが、菊谷氏は奴の事を「殺し屋」と口走っている。


 物騒な単語だ。それこそ映画や漫画ぐらいでしか聞かない職業名ハンドルネームである。

 マネキンに問い詰めるが、詳しくは知らないの一点張りだった。なんでも、初対面の開口一番。聞いてもいないのに「自分、殺し屋やってます!」と自己紹介してきたのだそうな。

 真偽は不明。だが先程の冷静な受け応えや逃走の手腕を見る限り、見た目通りの堅気では無いことは確かだろう。

 なんだか、取り逃してはならない面倒臭い奴を取り逃してしまった気がする。



 その後周辺をウロウロして捜したが、やはり青年の姿を見つけることは出来なかった。足跡くらい残ってくれないかと淡い期待もしたが、そう易々とは行かないらしい。

 まあ、相手が本当にその手の「プロ」だと言うのなら、手掛かりなんぞ残してくれる筈もないだろう。


 煙は漸く晴れ始めていたが、もう時間的にタイムオーバー臭かった。遠くの方から響く低いローター音がそれを告げている。どうやらお迎えのヘリが到着したようだ。



 仕方なく帰ろうと弘香と菊谷氏の胴体を担ぎ直した所で、背後からパキンと落ち枝を踏み締める音が鳴った。慌てて振り返ると、そこに居たのは殺し屋の青年ではなく鋼太郎である。

 焦るから、復活したなら声くらい掛けて欲しい。


「漸く起きたか、役立たずめ」

「おい待て、言い過ぎじゃねえか?」

「言い過ぎなもんか。お陰で二手に別れた片方を逃す形になったんだからな」


 まあ、煙幕があったから鋼太郎が動けても取り逃した可能性は高いのだが。俺が菊谷氏を見つけられたのも全くの偶然だった訳だし。


「で、お前どうやって血糊これ落としたんだよ。俺の腕に着いたのは全然取れねえんだけど」


 鋼太郎の顔は青年のペイント弾によってベッタリと着色された筈だった。喰らってから即効で乾いたそれは、多少擦った程度で落とせるものでは無かったのだが。事実、俺の腕は未だに赤く染まったままだ。

 警察や軍人が訓練で使う「シムニッション」は直ぐに洗い落とせるよう、水性の塗料が使われていると聞く。

 だが今回の塗料は多分違うだろう。どちらかと言えば防犯用のカラーボールのそれに近い。簡単には落ちぬ、明らかに「攻撃用」の塗料であろう。


 今の鋼太郎の顔はそれが綺麗さっぱりと落とされていた。まるで殻を剥いたゆで卵のようなスベスベスキン。目にも大量に入っていた筈だが両眼ともパッチリと開いている。

 流石に「反転通」では肌や目に着いた異物は取り除けないだろうに。やり方が分かるなら教えて欲しかった。


「やり方も何も、新品と交換しただけだ」

「……あ?」

「いや、だから自分の顔の皮◯◯ピーして目ん玉もピーって……んで、新しいのを反転通で再生させたんだっつの」

「…………思い付いても普通やるか?」



 馬鹿って時々すげえ。

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