第15話 菊谷さんの呟きは聞こえないものとする





「菊谷さん! そっちの道行きましょう! 左です、ひだり!!」

「馬鹿か!? そっちは登山道だ! どん詰まりになるだろ!」


「ほらほらほらぁ! もっとアクセル踏んで!信号赤になっちゃいますよ!!」

「五月蝿えぇ! 分かったからちょっと黙ってろ!!」



 ギャアギャアと騒ぎながら僕と菊谷さんの逃走劇は続いていた。

 追手のヘリは相変わらずこちらを煽るように追走しており、自分が絶対優位だとばかりにサーチライトでプレッシャーを掛けてきている。

 ヤクザと殺し屋相手に強気だなと言いたい所だが、実際ピンチなのは僕らの方だった。分かっていた事ではあるが、流石にヘリ相手では分が悪過ぎる。反撃の余地など無く、ワタワタと逃げる事しか出来なかった。


 しかし、追手のヘリもこれ以上の決め手には欠ける様子である。さっきから距離を詰めては離れてを繰り返しているのが良い証拠だった。

 まあ、空から走行中の車を直接止める方法なんてそうは思い付かないだろう。出来るとしたら、今みたいにプレッシャーを掛けて相手を焦らせ事故らせる、くらいだろうか。

 警察のヘリが逃走車を追いかける時だって、地上にいる捜査員と連携することが必須になる。空からの追跡はあくまで位置情報の監視。実際に逮捕するのは下にいる警察官だ。


「監視と追跡だけが役割ならここまで煽ってくる事もないでしょう。つまり、奴には地上で連携出来る味方がいないと推測できます!」


 単純にこっちの逃走する気力を削ごうとしてるだけかもしれないが。


「ならどうする、持久戦か? ヘリの燃料ってどのくらい保つんだよ!?」

「機種にもよりけりでしょうけど、確か満タンで三時間前後だったと思います」

「なげえわ! そんなにこっちの気力が保つ訳ないだろ!」


 人間が極度に集中出来る時間は15分前後。周期的に繋いでも90分の持続で限界にくる。まあそれは追跡する相手にも言える事だが、プレッシャーを掛けられているのは僕らの方だ。多分限界にくるのはこっちの方が早いだろう。


「疲れたら運転代わります」

「根本的な解決になってねえぞ、ジリ貧になるのには変わりねえ……!」


 ならばと素早くスマホの地図アプリを開いて、今走っている場所を確認する。何か手は無いかとピンチアウトしながらマップを広げていると、ある地点で目が留まった。


「菊谷さん、やっぱりトンネル策でいきましょう。このまま20キロ走った先にかなり長いトンネルがあります。GPSで追われてるならこの中で乗り捨てるしかもう手は無いですよ!」


 単純でありがちな手だが、これが今できる最上の策に思えた。物証(車)は残ってしまうがこれはもう諦めて貰うしかない。

 元々、木戸川会の正体もバレている臭いのだ。証拠が残った所で今更である。今は自分の命を優先して貰った方が良いだろう。


「……ちっ! しゃあないか。そこまでナビしろや殺し屋ァ」

「ガッテンっす!」



 さて、方針は固まった。残る問題は……


 チラリと後部座席に視線を移す。


 そこには今回の事件の被害者である少女が未だグッスリと眠っていた。これだけ男2人がギャイギャイと騒ぎ立て、更にはヘリが爆音を掻き鳴らしているのにも拘らず、彼女に起きる気配は全く無い。

 少し眠らせる薬を嗅がせ過ぎたかもしれないが、こんな場面で目を覚まされてパニクられるよりは百倍マシである。是非ともそのまま寝ていて欲しかった。



 だけど、現状と今後を鑑みるとはっきり言って彼女の存在は非常に邪魔だ。



「……トンネルの非常口から脱出したら、次は上空の探索から逃れる必要があります。木々の影に隠れながら山の中を駆けずり回ることになるでしょうね」

「まあ、そうなるか」

「光源の無い夜の山中で逃げ回るのはかなりのハードワークです。覚悟しておいて下さい」

「……おう」

「幾ら体重が軽い子供とはいえ、担ぎながら逃げるとなると危険度が更に跳ね上がります。残念ですけど、その子は車と一緒に置いていきましょう」


 やはり、早い段階で「荷物」は切って捨てるべきだろう。

 それを聞いた菊谷さんは暫く黙ったまま運転していたが、バックミラー越しに後ろを一瞥してポツリと呟いた。


「念の為、バラした方が良いか……」


 彼から飛び出した意外な発言に思わず目を瞬かせる。

 驚いた。この人は脅しで「殺すぞ」と口で言えても、本気で殺るという考えには至らないだろうと思っていた。てっきり「生かして還そう」などと提案するのかと思っていたが、何やかんやでちゃんと悪党ではあるらしい。

 

「顔を見られてる可能性も無いとは言い切れませんからね。後ろから襲ったんでほぼ心配は無いんですけど……まぁ念の為に処理しといた方が後顧の憂いは断てるでしょう」


 記憶力の良い子なら、意識を失う直前の一瞬でも案外ハッキリと情報を覚えられたりするものだ。大丈夫だろうとタカを括って、後々に自分の首を絞めることになった同業者の話はよくよく耳にする。

 この業界は慎重すぎるくらいが丁度良い。


「実行するなら僕の役割なんで、車を停めたら菊谷さんは先に降りて……」


 ガチャリ。


 僕の言葉を遮ったのは菊谷さんがこちらに向ける拳銃だった。



「…………ああ、もしかしてバラすって僕のことですか?」

「いや? ちゃんとその子を殺すのかって意味で聞いた。お前がそれに頷いたからこうしようって思ったんだ」

「銃が嫌いだとか言ってませんでしたっけ? てか、持ってたんですね」

「苦手だって言ったんだ。それに持って来てないとは一言も言ってねぇ」


 そういえば、そうだっけか。

 納得と同時にちょっと安心もした。やっぱりこの人はどうしようもなく悪党に向いてない。


「うーん、やっぱり菊谷さん足洗った方が良いですよ。優し過ぎます」

「腐っても極道だからな、ガキを殺す外道にゃなりたくねーんだよ」

「誘拐に加担してる時点でそう大差ないと思いますけど」

「ちゃんとケジメは付けるつもりだ。……どちらにしても仕事ヤマを果たせなかった俺は責任を取らされる。なら最後にてめえの我ぁくらいは通したい」


 その事務所も無事である可能性は低いんだけどなぁ。


 試しにもう一度、木戸川会の事務所に電話してみるが、やはり誰も出る様子は無かった。もう木戸川会の組員はここにいる菊谷さん以外は存在しないのかもしれない。

 ずっと鳴りっぱなしのコール音をハンズフリー機能で菊谷さんにも聞かせる。


「結論を出すのはまだ早いです。ケジメの取り方を考えるのは全部終わってからでも遅くありません」

「……その子を殺した後でってか?だったら願い下げだ。お前を撃つ方がまだ気が楽だろうよ」


「殺しません」

「…………あん?」

「殺しませんって。菊谷さん勘違いしてますよ、僕は『処理する』と言ったんです。あの子を殺すとは一言も言ってません」

「同じじゃ、無いのか?」

「処理の仕方が違うんですよ。あの子には暗示を掛けて記憶を消すだけです」

「暗示って……そんなもん効くわけ……」

「高確率で効きますよ。消す記憶は意識を失う直前の部分だけですし、寝ている今なら掛けやすいです。相手が子どもだったら尚更高い効果が期待できます」


 どうせやるなら早い内にやっておいた方がいいか。

 そう思ってモソモソと助手席から後部座席に移動する。

 菊谷さんは心配そうにソワソワしだした。銃を尚も僕に向けておくべきか迷っているようで、上げたり下げたりを繰り返してしている。運転に集中して欲しい。ヘリがまた迫って来てますよ。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな!? 実は殺す為の嘘とかじゃないんだよな!!?」

「信じて下さい。というか言ってませんでしたけど、この子には生きていて貰った方が逃げる我々としては都合が良いんです」


 追手の目的は十中八九この子の奪還だろうし。

 仮に僕が殺してしまったら、逆上してより苛烈に追いかけてくる可能性が高い。逆に生きて還せば追撃が緩くなることが期待出来る。



「それに、この子を殺すのは殺し屋の矜持に反します」

「あん? 矜持?」


「プロは不必要な殺しはやらないんですよ」


 ドヤ顔で決めてから暗示に取り掛かった。





 ぼそぼそぼそぼそ…………


 寝ている少女の耳元で何かを繰り返し唱えているサマは、傍から見ていて犯罪的に映るだろう。直前の決め台詞が台無しである。

 菊谷さんは何とも言えない表情でバックミラー越しにその様子を眺めていた。


 心配性だなぁと思ったが、それが彼の良い所でもある。まるで変態を見るような視線を送っているが、まぁ水に流してあげようじゃないか。


 それにこの記憶消去は少女にとっても都合が良い筈だ。割と手早く意識を奪ったつもりではあるが、たとえ一瞬でも恐怖に駆られる時間はあっただろう。そこの記憶が消えてしまえば、トラウマが残る心配もしなくて良い。

 つまり、両者万々歳の素晴らしい結果に終わるのだ。グッジョブ僕。今日も世界は平和である。


 ぼそぼそぼそぼそ…………



「なんか、絵面がなぁ……」


 菊谷さんの呟きは聞こえないものとする。

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