第14話 この問題がわかる人も挙手して下さい





 逃走中の車内で見つかった、怪文書風に書かれていた謎の文章。内容は非常に短いのだが、肝心の意味がさっぱり分からない。


『今更、車の乗り降りにお前の助けは必要ない。自分の尻でも拭いていろ』


 なんだこりゃ、である。菊谷さんに内容をそのまま伝えると、「まるで介護を拒む頑固ジジイの台詞みたいだな」と感想を述べた。

 確かに、たかが車の乗り降りくらいで人の手助けが必要なのは、要介護者かよっぽど小さな子供くらいだ。そして先の台詞を小さい子が発したとしたら、サスペンスを通り越して最早ホラーである。偏屈な老人の台詞という方がまだ納得が出来た。

 先程のバレリーナの件といい、この人は中々モノの例えが上手い。


 だが、例えが上手かったところで結論が出ないのも事実だ。内容もそうだが、問題は何故そんなご老人の憎まれ口を書かれた文章が、こんな所から出てきたかである。しかも怪文書じみた手法でだ。


 ……まあ、だからと言って別にいま取り合う必要は無いのだが。

 中々凝った演出の謎解きではあるが、今は意味不明な文章に付き合っているほどの余裕は無い。見なかったことにしておくのが無難に思えた。


「面白そうですけど、今は放置しましょうか」


 そう提案して怪文書と時計をグローブボックスに戻そうとしたが、何やら思案顔をしていた菊谷さんから待ったが掛かった。


「あぁー待て待て、殺し屋。その前に、ちょっと座席の下を探ってみてくれねえか?もしかしたら何かあるかもしれねえ」

「……何かって何です?」

「知らん。いいから、手ェ突っ込んでみろ」


 菊谷さんの曖昧な言い方に若干訝しみながらも、取り敢えず言われた通りに座席の下を探ってみる。最初は何も無いと思ったが、奥の方に手を伸ばすと、指先に何かが当たってガサリと音が鳴った。

 手の感触からして紙袋らしきものらしい。ガムテープで軽く固定されていたが、外すのにそう苦労は掛からなかった。

 引っ掴んでズルズルと引っ張り出すと、案の定、百貨店で使われるような取手付きの紙袋が現れる。意外とデカイ。よくこんなサイズで狭い座席の下に収まっていたものだと感心するほどだ。


 引っ張り出した紙袋を見て「ビンゴ、かな?」と呟く菊谷さん。思わず、彼の顔をまじまじと見た。


「ひょっとして、いまの怪文書の暗号ってコレの事が書いてあったんですか? 凄い、よく解けましたね」

「いや、暗号ってほどのモンでもねえよ。割とそのままの意味だったぞ、それ」


 ポリポリと頬を掻きながら「まあ、多少知識は必要だけどな」と付け加えて、解説をしてくれた。


「『助手席』って言葉な、あれ日本独自の言い方らしいんだ。アシスタントシートとそのまま英訳しても海外じゃあ通じねえ。ラップトップの呼び方を勝手に変えてノートパソコンって呼んでいるのと同じだな」

「ほうほう」


 分かっているような顔でしきりに相槌を打つが、ノートパソコンが和製英語だった、という事も僕はこの瞬間まで知らなかった。寧ろそっちの方にビックリしたのだが、それを言うと話が脱線しそうなので今は流して続きを聞く。


「由来は諸説あるらしいんだが、有力説のひとつにタクシー用語の名残りってのがあんだよ。大正時代あたりのタクシーってのは外国産のゴツい車で、車高も無駄に高かったらしい。おまけにその時代の客は着物姿が多かったから、乗り降りには人の手助けが必要だったんだと」


 彼らは「助手さん」と呼ばれ、運転手の隣に座っていたそうだ。後にその職業が無くなっても「助手席」という言葉はそのまま残って定着したのだという。


「つまり、ここに書かれている『お前』って助手席に座っている人……この場合、僕の事を指しているわけですか」


 ピラピラと怪文書を振りながら聞くと、菊谷さんはコクリと頷いた。確かに、今教えて貰った知識を踏まえると、怪文書は僕に向かって発しているように見える。

 はぁー、と感心した。意外と物知りな菊谷さんにだ。凄い、ともう一度褒めると「まあ、映画で知った知識が偶々当て嵌まったんだけどな」と謙遜していた。


「じゃあ、この後半の文章『自分の尻でも拭いていろ』っていうのは……」

「それも、そのままの意味だな。自己責任を取るって意味の方じゃなくて、単にケツの下に手を入れろって言いたかったんだろ。正確には座席の下だがな」

「なるほど、だから助手席の下に何かあるのではと思ったんですね?」

「確証は無かったがな。正解だった事に俺も驚いてるわ」


 素晴らしいアハ体験であろう。彼は満足そうに頷いていたが、すぐにその顔を正して此方に質問を投げ掛けてきた。


「で、正解の景品は何だったんだ? まさか今度こそ爆弾だった、とか言うんじゃないだろうな?」

「惜しいですね、ニアピンです」


 菊谷さんのアハ解説を聞いている間に袋の中身は確認済みである。景品は二種類入っており、それらと一緒に新たなメモも入っていた。開いてみると、またも怪文書風に切り抜き文字で書かれていたが、今度の内容は僕にも理解出来た。


「ニアピン?」

「爆弾ではないですけど……まあ、危険物ですからね」


 二種類の景品の内の一つ、ガサリと音を立てながら取り出したそれは、怪しい黒光りを放っている。僕も菊谷さんも仕事柄、馴染みのある道具だ。


「チャカかい」

「このメモ曰く、のお助けアイテムだそうです」

「お前、本職だろ。自前のは?」

「持ってきてないですよ。今日は使わないと思っていたので」

「そりゃそうか」


 今日の仕事はあくまでも誘拐で、殺しの予定なんて元々無かったのだ。プロだからこそ、余計な殺しはしない……師匠から最初に教わった事はそれだった。


 しかし、現在状況は一変している。何かしらの武器が欲しいと思っていたので、棚ボタとは言え銃が手に入ったのは幸いだった。果たしてコイツがさっきの化け物に効くのかは甚だ疑問ではあるが、それでも無いよりは大分マシだ。


「……でも、どうせなら22口径が良かったなぁ。僕、ゴツい銃って嫌いなんですよね」


 ガチャガチャと動作を確認しながら少し不満を零す。重いし嵩張るから大口径の拳銃はどうも苦手だ。


「何処のどいつの仕業か知らねえけど、仕組んだのはウチの組員じゃねえのは間違いないな。ウチで用意出来るのはトカレフかマカロフ……後は精々、安く買い上げた密造のレンコン回転式拳銃くらいだし」


 弄っている銃を横目で見ていた菊谷さんがそう漏らす。

 今、僕が手にしている銃がそのどれでも無いのは分かるが、何処のメーカーの何という名の銃なのか迄はちょっと分からない。職業柄、この道具に触れる機会は多いけど、別にガンマニアではないので銘柄とかにはそこまで詳しくなかった。

 まあ、何であろうと的に当たりさえすれば問題無い。しかし見たところ、バレル周辺を送り主が独自にカスタマイズしているらしく、撃つときは相当クセが強そうな代物である。

 何故この様なじゃじゃ馬を。そもそも、こんなあからさまに怪しい物を信用して使っても大丈夫なのか、という前提的な問題もあるのだが。


 メモには「逃走用」お助けアイテムと書かれていた。

 何処の誰かは知らないが、僕達がこういう状況になる事は完璧に予想されていたらしい。いや、誘導されたと言う方が正しいか……とにかく、気持ち悪いことこの上なかった。周りくどい怪文書のメッセージと言い、見えない所から影で楽しんでいるという雰囲気がひしひしと感じられる。


「使えるものは使っとけよ、他に武器が無いなら尚更だ」

「菊谷さんは持っておきたくないんですか?あ、それとも持参してます?」

「俺ぁ銃、苦手なんだよ。そもそも、あんまり撃ったことねえし」


 何となく、この人らしいと思った。

 では、お言葉に甘えてこの銃は僕が使う方が良いだろう。たとえ使い慣れていない銃だとしても、標的に当てる位の自信はある。それだけの訓練はやってきたつもりだ。


「まあ、贅沢は言ってられないですよね」


 マガジンは一つだけで、弾は既に込められていた。全部で7発。無駄撃ちは出来ないから、ここぞという場面でしか使えないだろう。



 ワンボックスカーは順調に夜の道を走っていた。

 今のところ、例の化け物達が追いかけてくる気配は感じられない。窓の外を眺めるが、杉林と田畑の間を延々と走る道は見ていて非常に退屈であった。


 普通なら、このまま何事もなく逃げ切れるのではと淡い期待を抱く所であろう。だけど、そんな筈がないと僕の中では確信がある。

 というか、折角面白くなってきたのだ。ここまで来て普通に逃げ切れた、という拍子抜けな展開だけは勘弁して欲しい。

 もちろん車の処分など、追跡される要素を出来るだけ消すつもりではあるが、それはそれ。というより、そこを本気でやらないと楽しむ為の意味にはならない。


 あの時、貸し倉庫で僕らは早々に引き下がる選択をした。こっちも一応プロなので任務と安全性を優先してその結論に准じたのだが、折角楽しくなりそうなイベントを少しでも長引かせたかった、という理由も無かったと言えば嘘になる。

 退屈を晴らす不穏な日常……態々向こうから御出でになったのだ。此方としても、歓迎しないままで終わって欲しくなかった。


「早よ来い、早よ来い、早よ来い……」

「何がだ?」

「おっと、失礼。何でも無いです」

「……いや、何となく解ってきた。お前が楽しそうな時は、恐らく俺にとっちゃ凶兆の顕れなんだろ」


 失敬な人である。心配しなくても仕事に手を抜くつもりは一切無いのに。






 菊谷さんの嫌な予感が当たったのか、それとも僕の願いが届いたのか。例の追手が追いついてくるのにそう時間はかからなかった。

 走行中の車内にまで響くローターの轟音。再びのヘリコプターである。どうやらGPSで追われているのは間違いないらしい。結局、どこに仕掛けられているのか探る前に見つかってしまった。


 相手のヘリは今度こそ逃さんとばかりに、やたらと低空飛行で車の後ろにピッタリと張り付いている。

 サーチライトで眩しく照らされ、我が事ながら映画のワンシーンみたいだと少し感動したのは誰にも内緒だ。

 だがその威圧感は半端ない。


「ヤクザ者の車に煽り運転とは良い度胸だ!」

「いや相手ヘリなんですけど」


 意外と余裕あるなこの人も。


 状況が状況だけに菊谷さんの脳内にアドレナリンが出まくっているのかもだが。だけどパニックになったり、逆に悲壮に駆られて諦めムードになられるよりはずっと良い。


 これは負けてられない。こっちもテンションを上げていかねば。


「アパッチじゃ無いのがせめてもの救いですね!」

「馬鹿野朗、こんな所に攻撃ヘリがいて溜まるか!」

「銃で応戦しましょうか!?」

「ハリウッド映画じゃねえんだ。落とせるわけないだろ!」



 よしよし、楽しくなって来た!

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