第13話 殺気を感じることが出来る人は挙手して下さい




 殺し屋として訓練を開始したのが今から7年前。

 当たり前だが、殺しの世界でいきなり現場に放り込まれる事は流石に無かった。血反吐が出るような地獄の修行(楽しかった)をこなし、漸く仕事が貰えるようなったのはその2年後だ。

 それでも師匠曰く、全くの素人からだと結構早い部類らしい。

 以降の5年間、様々な任務を与えられて修羅場は何度も経験している。死に掛けた事だって一度や二度では済まなかった。


 お陰と言っていいのかどうか。

「気配」という代物に僕はとても敏感に反応するようになっていた。必然だったのかも知れないが、これも一種の職業病と呼べるだろう。

 五感が鋭くなったと言うべきか。耳での聴き分けや鼻での嗅ぎ分け。眼に関しても動体視力や瞬間視力、深視力はだいぶ向上したと思う。


 そして、その中でも最も鋭敏に育った器官がある。


 肌だ。


 肌と言っても、「触覚」や「温度感覚」が鋭くなったのとは少し違う。何かと問われれば、たぶん第六感に近い。

 センサーと言ったらいいのか。たとえ音や匂いがしなくても、生き物や危険が近くに迫ると肌が察知してくれるようになっていた。ピリピリと、まるで軽い静電気に触れたかのような感覚が走るのだ。




 (何なんだ? この気配は……)



 その敏感肌が嘗てないほどに反応していた。


 バチバチと、これはもう静電気どころじゃない。護身用のスタンガンでも当てられているのかと思うほどだ。

 こんな経験は今まで無かった、はっきり言って異常だ。背後から銃を向けられても、此処までは感じたりしない。


 熊でも山から下りてきたのだろうか?

 ……いや、動物なら音を出すし、今は獣臭もしない。間違いなく人間の筈。

 ならば、同業者の可能性……それもあり得ない。彼らなら「気配」ごと消そうとする筈。今、倉庫の外にいる奴はそんな素振りを見せていなかった。


 プロとは到底思えない、だけど気配は尋常じゃない。どうにもチグハグな連中だ。



 軽く混乱していると、菊谷さんにペシペシと右腕を叩かれる。見ると顔を真っ赤にして踠いていた。

 そういえば、さっきからずっと彼の口を塞いだままだ。ついでに鼻の方も塞いでいたらしい。つい癖で、無意識に"獲り"に掛かっていた。

 ……これも職業病という事にしとこう。


「ぶはっ! は、はぁ……殺す気か! おい!!」


 めちゃくちゃ怒っていたが、怒声は非常に抑えられている。

 小声で怒鳴るとは意外と器用な。どうやら、何となく状況は察しているらしい。


「ふぅ……で、いるのか? 外に。何人だ?」


 そして結構冷静だった。下っ端でも流石はヤクザ者。カチコミには慣れてますってか。


「います。変な奴らが、多分ふたり」

「2人? ……少ねえな。それなら、俺とお前でヤれんじゃねえのか?」

「やめといた方がいいでしょう。外の奴ら、なんか化け物くさいです。PMCを雇ったのかって言ってたアレ、あながち間違ってないのかも……」

「そんなにヤベーのか、ありゃ冗談だったんだが」


 無論、PMCが日本において大手を振って活動出来る筈ないのは僕も分かっている。

 そもそも軍人なんて会ったこと無いから、外の気配がそれに該当するのかは不明だ。他にパッと思い付く危険対象がいなかったので、そう述べただけである。


 だが結局、奴らの正体が熊だろうが殺し屋だろうが軍人だろうが、知った所で納得なんて出来ないだろう。それほど外にいる奴の気配は常軌を逸している。

 いっそ妖怪変化の類であった、という方が納得できた。


「幸いにも、奴らは囮の倉庫に気を取られているようです。脱出のチャンスは十分にありますよ」

「それなら良いんだけどよ……つーか、そんな事までわかるお前もどうかと思うぞ」


 あそこまで気配が鋭かったら、逆に居場所が手に取るようにわかる。相手が常人だったら、ここまで正確な位置は掴めないだろう。


 化け物2人は二手に分かれて、隣の倉庫の出入口を塞いでいた。

 挟撃するつもりらしい。タイミングを合わせて同時に突撃するのだろう。その瞬間が僕らが脱出するチャンスだ。


「まだエンジンは掛けないで下さい。タイミングは僕がシャッターを開けた瞬間にお願いします」


 そう言い残して車からソロリと降りる。忍び足でシャッターに近づいて、ゆっくりとしゃがんだ。


 音が出ないよう慎重に鍵を外して、何時でも開けられるよう取手に腕を伸ばす。その時、自分の手がめちゃくちゃ汗ばんでいる事に気がついた。

 心臓の鼓動も耳に届くのかと思うくらいに高鳴っている。

 

 少し興奮し過ぎだ。コレが仕事に支障をきたす事は分かっているが、どうにも抑えられない。

 久しぶりのワクワク感なんだ、楽しまない方がどうかしてる。


 フゥーー、と少し落ち着く為に大きく息を吐いた時、外の化け物の気配が一層に膨れ上がった。


 来る。


 ビリビリと肌に走った電撃に鳥肌がザワザワと沸き立つ。




 ガゴッ!!、バキン!!


 金属同士が衝突したかのような激音が二ヶ所同士に鳴り響いた。どんな重装備かは知らないが、鉄製の扉とシャッターを破壊したらしい。


 (派手なゴングだなぁ! オイ!)

 

 ブチ上がったテンションに倣らうように、一気にシャッターを上まで持ち上げた。


 迅る気持ちを抑えつつも、素早く外の様子を確認。やはり、化け物の気配2人以外に人はいなさそうだ。

 デカ過ぎる気配の影に他が潜んでる可能性もあったので、そちらに気を配る必要はどうやら無さそうである。


 ならばさっさと車に乗り込もう。

 そう思いながらふと視線を横に移した時、僕は「そいつ」と目が合った。


 ほんの一瞬の思考停止。

 目に映った何とも異様かつ珍妙な光景に、頭に大量のはてなマークが浮かんだ。が、一旦それを振り払って素早く車へと引き返す。


 エンジンは既にスタートしており、いつでも発進できる状態だった。


「行きましょう。多分、慌てなくても大丈夫です」


 車に飛び乗り、バタンと扉を閉めて菊谷さんに発進を促す。

 僕の曖昧な言い回しに、若干訝しんだ顔を見せながらも彼は車を発進させた。まあ、説明するより見て貰った方が早いだろう。正直、アレをどう説明したらいいのか僕には分からないし、何より時間が惜しい。


「なんだ、ありゃ? バレリーナか?」


 すれ違い様、奴を見た菊谷さんの感想がそれだった。

 言い得て妙だ。確かに、後ろ向きに脚をピンと上げた奴の姿は、何となくバレエのアラベスクを彷彿とさせる。

 僕は最初、出来損ないのY字バランスだと思ったが菊谷さんの比喩の方がしっくりきた。


 どう言う理由で彼があんなポーズをとっているのかは知らないが、今はあの体勢から動けないらしい。此方に向かって何かを喚いていたが、近付いてくる様子はなかった。

 たぶん「待ちやがれ!」的な事を言ってるのだろうが、素直に従う義理はないだろう。変なポーズをしてはいるが、気配はやっぱり化け物級のままであった。


 依然として興味は尽きないし、テンションが下がった訳でもない。だが、今は仕事が最優先だ。


 若干後ろ髪を引かれながらも、僕たちはその場を後にした。




--




「────ダメだ、やっぱ誰も電話に出てくれねえ」


 夜道を走行し始めてから暫くして、菊谷さんはどこかに電話をかけ始めた。多分、事務所や上司の携帯に片っ端から掛けているのだろうが、誰も応答しないらしい。

 まあ、イレギュラーが発生したんだし状況報告はするべきだ。彼の不安な気持ちも分かる。だが、運転中は前に集中して欲しい。追手についてもまだ振り切ったとは言い切れないのだし、それ以前に運転中のながらスマホはダメ絶対。


「リダイヤル作業は僕がやりますよ。繋がったら渡しますから、菊谷さんは運転に集中でお願いします」

「悪りい、頼むわ」


 そう言って菊谷さんからスマホを預かった。

 そして、そのまま電源をこっそり落とす。


 ……いや、だって、二度三度試して誰も出ないのであれば、たぶん暫くは繋がらないだろうし。

 そもそも此方に襲撃があった以上、彼方の事務所も襲われている可能性がある。菊谷さんの手前、一応掛けるフリは続けるがもう二度と向こうと繋がらない、なんて事態もあり得るだろう。

 菊谷さんも薄々気付いてはいるようだが、敢えて口にしないでいる感じだった。


 それに可能性は低いが、このスマホのGPSにも警戒しておいた方がいい。

 さっきの追手は色々想定外だったので結局何者かは予想つかなかったが、奴らがこの携帯のGPSパスを入手してないとも限らない。

 木戸川会の中に裏切り者ユダがいる可能性もあるが、潜伏場所が最初からバレていた事はまず間違いないだろう。

 いずれにせよ、ここに至るまでに身に付けていたものは全部交換したいところである。


 というか、この車もやっぱり危険だ。引っ張り出してきた経緯といい、こっちに発信器が仕掛けられてる可能性だって十分あり得た。

 これが僕の仕事だったら、絶対に爆薬を仕掛ける。やはり早いとこどっかで乗り捨てるべきだろう。


「これ、何処に向かってるんです?」

「流石に今、市街地に戻るのは不味い。北に30分ほど走った所に廃ホテルがあるからそこに行こうと思う。最近は廃墟ツアーだかで偶に人が来るらしいが、この時間だったら流石に誰もいねえだろ」


「じゃあ、そこの1キロくらい手前でこの車を隠せそうな場所を探しましょう。避難場所からは少しでも離した方がいいです」


 別の移動手段は、最悪明日の朝までにその辺の民家から車をパクれば良い。今はとにかく、追跡される不安要素を出来る限り潰していくべきだ。


「その後は事務所と連絡が着くのを待つしかねえか。……あと、電源切ったの分かってるから掛けるフリすんの止めろ。気持ち悪い気の使い方すんな」

「あー、やっぱバレてましたか」


 そうだろうなと苦笑しつつ、菊谷さんに切ったままのスマホを返した。連絡の方は僕のスマホから掛ければ問題ない。流石にこっちの携帯まで把握されてるとは考え難いし。まあ、もう一度掛け直すのは廃ホテルとやらに着いてからでいいだろう。




「…………ん? ……なんだ? この音……」


 ピピピピ、と小さく電子音が聴こえたのはその時だった。自分のスマホか?と一瞬思ったが、すぐに音の発信源が自分の懐からではないことに気付く。どうも助手席側のダッシュボード、正確には車検証などを入れるグローブボックス内から音が鳴っているらしい。

 敢えて放っておいても良かったのだが、このタイミングで突然鳴り出した異音はちょっと不気味だ。流石に無視するのは少し憚れる。

 菊谷さんも音が気になっているのか、チラチラとこちらに視線を送ってきた。

 ……だから、あんたは運転に集中して欲しいのよ。ええい、仕方ない。


 まさか本当に爆発物とかじゃないよな?と若干ビビリつつ、そぉーっと下開きの蓋に手を掛ける。ゆっくりと取っ手のロックを外すが、特に妙な引っ掛かりとかは感じない。


 意を決して開けてみると、中に入っていたのは拍子抜けというかある意味予想通りというか、音の正体はデジタルで小さめの目覚まし時計だった。いや、オフィスとかによくある卓上時計と言ったほうが正しいか。それのアラーム機能が作動していたらしい。

 なんでそんなものがグローブボックスに入っているのかは甚だ謎であり、こちらを正面にちょこんと鎮座している様は妙なシュール感がある。一応、菊谷さんに「時計があるけど覚えあります?」と確認してみるが、彼は首を横に振った。つまり、これもイレギュラーということか。


 スマホのライトを使ってボックス内をよく観察してみたが、特に怪しげな配線が時計と繋がっているとかは無さそうだ。どうやら爆弾の類いでは無いらしい。

 恐る恐る手に取って上部のボタンを押すと、ようやく煩かったアラームは止まってくれた。


 全く、人騒がせな。


 ホッと一息ついた所で僕はようやくソレに気が付いた。時計の背部の先程まで見えなかった位置に、小さく折り畳まれた白い紙がセロテープで貼り付けてある。

 何ぞ?と思いながらベリっと剥がして紙を広げてみて、ギョッとした。そこには新聞の切り抜き文字を組み合わせて文章が書かれていたのだ。

 まるでサスペンスドラマでよく見る怪文書のようだった。古典的な手法だけど、こうして実物を見てみると不気味さが半端ない。

 内容はこうだった。


『今更、車の乗り降りにお前の助けは必要ない。自分の尻でも拭いていろ』

 


 ふむ、怪文書にしては妙な文章である。

 というか、意味が全くわからねえ。

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