第9話 いつも穏やかな人ほどキレると本当に怖い




 ひゅうううう……


 まるで、俺と鋼太郎の虚しさを表現するかのように風の音が響いていた。


 何というか、少し気まずい。

 さっきの俺は、他チームのミスで接近がバレたと疑っていたのだ。しかし鋼太郎は、俺達が乗ってきたヘリコプターの音で気付かれたのではないかと指摘。


 恐らくその推測は間違ってないだろう。言われた瞬間、俺自身も納得してしまったのだ。腑に落ちるとはこの事を言うのだろう。

 自分達のせいだったのに他人のミスを疑うとか、一番恥ずかしい話である。


 未だパタパタと、遠くからヘリの音も聞こえていた。

 そういえば、このヘリ特有の風切り音のことを「ブレードスラップ」と言うらしい。意外と取り留めと無い現象にも名称はついているものだ。

 ……今はそんなトリビアはどうでもいいか。


「……お前が」


 などと軽く現実逃避していると、閉ざしていた鋼太郎の口が開いた。俯いて表情は読めないが、なんかフルフルと肩が震えている。


「お前があの時もっと早く電話に出ていたら、ヘリは呼ばずに済んだのに……」

「おいおいおい、また蒸し返すのか? いい加減しつこいぞ、謝ったじゃねーか」

「るっせー!! こんな事になるなら、テメエなんざ放っといて俺ひとり車で来た方がマシだったぜ!」


 …………ほほう、全部俺のせいってか。そこまで言うか、そうですか。


 余りの鋼太郎の言い方に流石の俺もカチンときてしまった。というか、切っ掛けを作ったのが俺だったとしても、勝手にヘリを呼んだのは鋼太郎である。ここまで言われる筋合いは無い。

 こっちにはヘリから突き落とされた恨みもあるのだ。


「はん! あんな排気音が煩え車で近づいたら、どっちにしたってバレてただろうよ」

「あ? てめー俺の愛車にケチつけようってのか?」

「事実を言ってんだよ。大体、お前がさっきY字バランスで固まってなけりゃ、逃げられる前に捕まえられただろーが!」


 口論なんぞしている場合では無いのだが、既に俺も鋼太郎も作戦行動中だと言うことをすっかり忘れていた。

 ああん? おおう? とお互い至近距離に近づきながらメンチを切り合う。


「なんだとコラ、それもテメエがさっさと抜くの手伝わねえのが悪いんだろが」

「はぁあん!? 何でもかんでも他人のせいにしてんじゃねーぞ!!」

「さっき他チームのせいしてた奴が言うんじゃねえ!! テメエ、ヤんのかコラ!?」

「上っ等じゃねえか、背が伸びたからって調子こいてんでねーぞ!」


 一触即発、というかもう互いに胸倉を掴み合っていた。ロリコンヤクザより先にコイツをフルボッコにしてやろうと。




 プププ……プププ……


 耳元のヘッドセットから異音が割り込んだのはその時だった。

 キャッチが掛かってきたようである。そういえば、まだ鋼太郎との通話を切っていない。

 鋼太郎の方にも掛かってきてるようで、奴の動きも一瞬止まっていた。お互い舌打ちして同時に電話に出る。


「「誰だ!? こんな時に掛けて来んじゃねえ!!」」


 そして見事にハモってしまった。

 被せてんじゃねーぞ、ああん? と再びメンチを切り合っていると、通話越しの割り込み相手は静かに答える。


『こんな時……だからですよ?』


 ピシリ。


 相手の声を聞いた瞬間、俺達はまるで石像のように固まってしまった。



--



 グループ通話になっているようで、鋼太郎の着信相手も同じらしい。落ち着いた大人の女性の声。ヘッドセットなので着信画面を見ずに電話に出たのだが、声で誰なのか一発でわかってしまった。

 菜々瀬鞠香ななせまりか。今作戦に参加出来なかった、妹の弘香をする菜々瀬家の長女である。


『そろそろ作戦報告をして欲しいのですけど……あら? 聞こえていますか? 私です。鞠香です』


 固まって返事をしなくなった俺達に、鞠香さんは一方通行で語り掛けていた。

 いつも通りとても穏やかな口調なのだが、何故だろう。まるで背中に刃を突きつけられているかのような鋭いプレッシャーを感じる。

 電話越しからでも強い殺気が伝わってくるのだ。


 いや、理由は分かっている。これは弘香を誘拐した犯人に向けている殺気だ。決して俺達に対して向けられているものでは無い。……今の所は。


 例え車以上のスピードでフルマラソンを走ったとしても、俺達にとっては大した運動量ではない。

 実際さっきは俺も鋼太郎もそこそこの距離を走ったが、息切れどころか汗のひとつも掻いてはいなかった。これも練体通のお陰である。

 しかし今は、緊張と焦りで2人共ダラダラと脂汗を流していた。

 作戦開始から既に十分以上。未だ犯人どころか、弘香の確保も出来ていないからだ。

 今更ながら喧嘩してる場合じゃなかったと思い出す。


「…………あーー、鞠香さん? 何故アンタから掛かってくるんすか? 全体指揮はうちの親父だったと思うんすけど……」


 下手くそ過ぎる敬語で鋼太郎が何とか返事をするが、口角がヒクヒクと動いていた。

 今、必死で言い訳を考えているのだろう。俺に責任を擦りつける可能性はあるが、そんな安い手が通用する相手ではない。連帯責任は免れないだろう。

 そして、それは俺にも同じことが言えた。


『そんなの、早く弘香の声が聞きたいからに決まっているでしょう。我慢出来なくて、あなたのお父様に無理を言って私が電話を掛けたんです』


 勿論、弘香はここにいない。

 原因は誰かさんが女子との会話に夢中で、誰かさんがY字バランスで遊んでて、誰かさんと誰かさんが仕事をそっち退けで仲良く喧嘩していたからだ。

 誰かさん二人はあたふたするしか無かった。


「ああー、そうなんすか。けど、作戦行動中に電話掛けてくるのは困るっすよ。弘香ならちゃんと無事に送り届けるんで……」

『…………は? 作戦行動中?』


 ピシリ。


 今度は擬音ではない。電話の向こうから実際にそんな音が聞こえてきた。恐らく鞠香さんの手に力が入って、受話器にヒビが入ったのだろう。

 無論、俺達も再び固まる。


『……どういうことでしょうか? 作戦開始からもう随分時間が経っていますけど。私、とっくに弘香は救出できてると思って電話したんですよ? あの子のGPSも動いてますし』


 しまった、鞠香さんもGPSをチェックしていたのか。どうやら弘香を連れて逃走中の犯人を、俺達が救出して現場を去る動きと勘違いしているらしい。


 おいヤベーぞ、どうすんだ。と鋼太郎を見るが、奴の目は右往左往と泳いでいて全く宛にならない。

 ここを馬鹿に任せるのは危険だ。そう思って俺が話そうとしたが、その前に鋼太郎が暴走した。


『まさか、あの子を連れて逃げられたんじゃ……』

「アッハッハ、嫌だなぁ! 作戦中って言ったのは、家に帰るまでが遠足って意味っすよ! 弘香ならもうとっくに救出して、今から帰るところっす……なぁ? 恭介」


 こ、この野郎……!

 まさか嘘で誤魔化すつもりか! 絶対悪手だ、絶対バレる。しかもそんな最悪のタイミングで、俺にパスを出しやがった!


 鋼太郎を睨むと、口パクで「合わせろ!」と叫んでいた。

 どうするか一瞬悩む。正直、本当のことをゲロった方がまだマシな気がする。もしも嘘がバレたら俺も鋼太郎も絶対に半殺しでは済まない。

 しかし、今はとても奴が吐いた唾を飲み込める空気ではなかった。一か八か、ここはもうコイツに合わせるしか無いのだろう。

 覚悟を決め、出来るだけ平静な声を装って俺も鞠香さんに話しかける。


「お久しぶりです、鞠香さん。鋼太郎が言った通り、弘香は無事に保護しましたよ。今は疲れて眠っています……起こすのは可哀想なので代われませんが」


『あらあら、そうでしたか。私の早とちりだったんですね。声が聞けないのは残念ですが、無事ならそれでいいんです。お二人共、ありがとうございます』


「いやいや、良いんです。心配してたんですよね?」

「ハハハ、すんません。俺がややこしい言い方したせいっすね」


 案外あっさり信じてくれたようだった。

 あとはこの嘘を現実にするべく、速攻で弘香を取り戻せば問題ない。……結局、馬鹿の機転に救われたということか。


 その馬鹿を見てみると、ドヤ顔でサムズアップしていた。若干イラっとしたが、まあ今回はコイツの手柄である。俺も親指をぐっと上げてサインを返した。




『…………ところで、実は今日が弘香の誕生日なんです』


 そうと決まれば、とさっそく追跡を再開しようとしていたら、鞠香さんがポツリと呟いた。

 お前知っていたか? と鋼太郎を見るが、奴はフルフルと首を横に振っている。

 確かに弘香は六月生まれと何となく聞いた事はあった気がする。だがそれがまさか今日だったとは。凄い偶然である。


「それは……気の毒ですね。折角の誕生日なのに」

『そうでしょう? そうでしょう?? 嗚呼……なんて可哀想な弘香! 一生に一度。十歳の誕生日にまさかこんな怖い思いをするなんて』

「「…………」」


 俺も鋼太郎も罪悪感でいっぱいになった。実はまだ弘香はその怖い思いから脱出できていないからだ。いまさら口が裂けても真実を言う事は出来ないのだが。


 そして何故か、罪悪感と共に嫌な予感も同時に沸いた。


『そこでお二人に新たなミッションです。今日、日付けが変わる前に弘香を我が家に送り届けて下さい。……折角、今日の為にご馳走もケーキもプレゼントも用意したんですもの。ちゃんと誕生日パーティーをしてあげたいんです』


 シュバッと腕時計を確認する。現在、午後10時30分。日付変更まで後一時間半しか残されていない。


『終わり良ければ全て良し、とまでは言いません。でも十歳の誕生日が怖い記憶として一生残るなんて、あの子にとってあんまりでしょう? ちゃんとお祝いして、少しでも良い思い出を残してあげたいじゃないですか』


 確かに鞠香さんが言っていることは理解出来る。尤もではあるのだが……というか、俺は弘香が疲れて寝ていると伝えた筈。内容は嘘だけど。なのに今日、今からパーティーを決行するというのだろうか?


「あー、気持ちは理解出来るんすけど……ここからだと、山白村までかなり距離あるっす。流石に今からじゃ車を飛ばしても間に合わないというか……」

『聞いていますよ? お二人はヘリコプターで現場に向かったんですよね? なら帰りも呼び戻せばいいじゃないですか。それなら普通に間に合いますよね?』

「……よくご存知で」

 

 鋼太郎の細やかな抵抗は一蹴された。俺も反対したかったが、どうにも良い伝え方が思い浮かばない。鞠香さんの言葉からは、まるで反論を許さないかのようなプレッシャーを感じるのだ。

 しかし今から救出する時間も考えると、正直間に合うかどうかは微妙である。もう、一分一秒と無駄には出来ないだろう。


『ああ、あとこれは勿論言うまでも無いのですけれど……移動中に万が一、誘拐犯同様あなた方も許しません。後から神通力で治せるとか関係無いですからね?』


「「…………ゑ?」」


『絶対にですよ? あの子を連れて来なさい。それが出来たら特別にお二人もパーティーに参加する事を許可しましょう』



 ……嗚呼そうか、そう言うことか。


 これは、ヤバい。

 恐らく鞠香さんは俺達の嘘に勘付いてる。でなければ救出成功と報告した後なのに、わざわざ今から「無傷で」という文言を使う訳が無い。


 パーティーというのは恐らく建前だろう。

「今、本当に救出が出来てるかどうかはどうでもいい。とにかくさっさと弘香を私のもとに連れて来なさい(背後に般若)」と彼女は言っているのだ。


 こんな状況で建前を使ってくるあたりが逆に恐ろしい。


『それではお待ちしてますね♪』


 プツンと一方的に電話を切られた時には、俺も鋼太郎も全力でダッシュしていた。

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