10万円あったら
右側の枕元でベッドを見下ろすミケに、タマは緊張して近付いた。階段を上りきった位置から、ベッドの足元を通り過ぎて、ミケの隣に行こうとしたが、それはやめた。タマは左側の枕元に立ってベッドを見下ろした。
タマが顔を上げると、ミケと目が合った。見つめ合ったまま、数秒が経過し、タマが勇気を振り絞って「買おうか」と言おうとしたとき、
「ミケさん。そのサイドテーブル素敵でしょう。」
店長の声だった。
ふたりがはっと顔を上げるたときの緊張した面持ちに、店長は事態を察した。
「ベッドとセットで売っているのよ。系列店ではマットレスの買い取りはしていないんだけどね、知り合いがご両親のベッドが高級なあまり捨てられないと言うから、特別に買い取ったの。」
「じゃあ、前の持ち主はご夫婦で、最近亡くなったということですか。」
「違うのよ。海外に移住したの。買い換えたばかりだったのに、息子に家具付きで家を譲ったそうよ。でも、ご両親のベッドで眠るのは抵抗があるって……。」
店長の話は、どこまで本当かわからなかった。
それでも、ふたりの気持ちは決まっていた。
「いくらですか。」
店長は目を輝かせた。
「全部セットで15万円でどうかしら。」
「15万……。」
ミケは、顔を伏せて悩んでいる素振りを見せた。
「だってね、普通に買えば、サイドテーブルだけで10万円するほどの品物なのよ。」
どうやら、これ以上安くはならなそうだと思ったミケは、タマに視線を送った。タマは頷いて、
「買います。」
こうして、ふたりはこれから毎晩同じベッドで眠ることが決まった。
一週間後の日曜日、タマは仕事で、ミケはお休みの日曜日である。
ミケは洗面所で、タマのベリーショートをいじっていた。
「今日のご希望はありますか?」
ミケがふざけて聞いた。
「美容室ごっこだ。」
タマは笑った。
「違うの。グルーミングごっこなの。」
「わんちゃんですか?」
「ねこちゃんです。」
ミケは細い指でタマのふわふわの髪の毛を撫でた。
タマは目を閉じてされるがままになっていた。
「じゃあ、行ってくるね。」
「うん、ベッドの捨て方は段取りしておきます。」
「よろしくね。」
「いってらっしゃい。」
「いってきます。」
タマが出かけると、ミケは寝室の床に座ってカレンダーをにらんだ。
タマと相談した結果、一番お金をかけずにベッドを捨てる方法は、トラックをレンタルして、ごみ集積所に持ち込むことだった。
ごみ集積所が空いている時間を調べ、それからレンタカーを予約するつもりだ。
ベッドフレームとマットレスをトラックに積み込むことを考えると、ふたりそろってお休みの日に設定しなくてはならなかった。
店長が融通を効かせてくれたので、こちらがベッドを捨てる日を決めてからダブルベッドを受け取る日を決めることになっている。
今週、二人そろって家にいる日はない。自分たちでベッドを捨てようと思うと、来週の火曜まで待たなくてはいけない。
ミケはカレンダーを見るのはやめて、スマホを握り締めた。
「粗大ごみ、捨てる」
検索すると、位置情報から現在地周辺の粗大ごみ引き取り業者を見ることができた。
3件の検索結果それぞれに電話を掛けたが、ベッド二つに加えてマットレスも二つ捨てるとなると、どの業者でも見積もりは3万円を提示された。
「考えさせてください」と3件目の電話を切った後、ミケは腕組みをして数分考えた。
ベッド自体には15万円をタマと半分ずつ支払って7万5千円を使った。特別給付金を10万円もらったので、余りは2万5千円。
ミケはスマホの発信履歴を開いた。そして、1件の引き取り業者に電話をかけた。
「ただいま」と言った唇をそのままに、タマは口を閉じるのを忘れてしまった。玄関から見える寝室が、がらんとして床が見えているのだ。
「ベッドは、どうしたの。」
ミケは、少し興奮した様子で答えた。
「地元の運送屋さんにお願いして、今日引き取ってもらったの。」
「高くつくから、自分たちで捨てに行こうって言ってたでしょ。」
「給付金使い切っちゃった。」
「そんな……。」
「いいじゃない。働いて得たお金じゃないんだから、地元の活性化に使うことができて嬉しいよ。」
「値切ったでしょ。目がギラギラしてる。」
「やだなあ、ここに越してくるときに引っ越しをお願いしたのを覚えていて割引してくれたのよ。値切ったわけじゃないもん。」
タマは、ミケが積極的に交渉して値切ったに違いないと確信していたが、それ以上は聞かなかった。
「ごはん、外に食べに行こうか。ごちそうするよ。」
「うん。行こう。」
ふたりは着替えをして、出かけることにした。
洗面所でミケがメイクを直していると、タマが顔を出して尋ねた。
「ねえ、ところで、今日はどこで寝ようか。」
ミケはニコッと笑った。
その夜、ふたりは床に冬用の羽毛布団と毛布をあるだけ敷いて、その上で眠った。肩を寄せて。
「案外、寝心地いいじゃない。」
ミケが言った。
「うん。床もなかなか気持ちいいね。」
タマは、眠そうに答えた。
ミケは暗闇に慣れた目で、タマの顔を見た。
タマは目を閉じて、静かに呼吸をしている。
「おやすみなさい。今日から毎日、一緒に眠るのよ。」
ミケはタマの細い肩に額をつけて眠りについた。
その次の日曜日、ミケは仕事の日曜日、タマはお休みの日曜日。
ふたりが一緒に眠るようになって、1週間が経過した朝。
朝食を食べながら、タマが言った。
「私、朝すっきり起きられるようになったよ。ミケのおかげだね。よく眠れるようになったみたい。」
「私もだよ。翌朝まで疲れが残らないっていう……。」
実際は、ベッドに入る時間が早くなったのである。それぞれのベッドに入り、眠ることは、専門学校時代のそれぞれの家に帰る時の「バイバイ」に似ていて、特にミケには切ない時間だった。それで、「バイバイ」までの時間を引き延ばすために、なかなか自分のベッドに入らずに床に座ってだらだらしていたのである。
「それに、一緒にいられる時間が増えたみたいで嬉しい。」
「そういえば、専門学生時代は、学校は朝から夕方まで一緒で、バイトも一緒だったもんね。」
「お互いの家に泊まることも多かったし。」
ふたりは、しばし、学生時代に思いを巡らせた。
「さあ、行かなきゃ。」
「うん。ベッドを華やかにする飾りを探しておくよ。」
高級ベッドは、質はいいが、ふたりにとってはどっしりしすぎて地味だという話をしていたのだ。
「うん。何かキラキラのやつをお願いします。」
「任せておいて。」
キラキラのやつを求めてタマが向かったのは、例のリサイクルショップの1階だった。
ベッドの購入を決めたとき、1階で見つけていたのだ。
私たちが3カ月前に、M市の系列店で売ったブランドバッグを。
リサイクルショップで売りに出されるにあたって、修繕とクリーニングが施されたバッグは息を吹き返していた。
価格はひとつ1万5千円。
(ミケだって、給付金をはたいてベッドを処分してくれたんだから……。)
迷う理由は無かった。
色違いのバッグを手に、ふたりは毎日一緒に過ごした。
それは、キラキラの学生生活を象徴するアイテムだ。
「あら、ミケさんの。」
店長の声がして、タマはゆっくりと振り返った。
「何か気になるものがありますか?」
「あのバッグ、買おうと思って。」
「どっち?」
「両方です。」
価格はひとつ1万5千円、ふたつで3万円だ。
買取価格よりもずっと高値で、今、タマはふたりの思い出を買い戻そうとしていた。
「おかえりなさい。」
「ただいま。遅くなりまして。」
「来て。」
タマはミケの手を握って、寝室まで歩いた。ベッドの足元で立ち止まる。
「ほら、華やかになった。」
右側のサイドテーブルと、左側のサイドテーブルに、色違いのバッグが置かれている。
ミケは目を丸くして。
「私たちの?」
「そう、あの店で売られてたんだよ。給付金使い切っちゃった。」
「帰ってきたのね。」
「ミケの真似をして、値切ったよ。」
「だから、私は値切ったりしないってば。」
繋いだ手をそのままに、ミケは片腕でタマに抱き着いた。
タマはわざとバランスをくずして、ベッドに倒れこみながらミケの細い腰に腕を回して強く引き寄せた。
「離れられないよ。結局、戻ってきてしまうんだから。」
「うん。離れられない。」
ミケとタマは気が合って同居中。
これからも、ずっと一緒に暮らす予定。
10万円あったら 神戸 茜 @A_kanbe
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます