第35話 その時、鷹は猫の話を笑った

 その名前は、今も辺りに降り頻るどんな雨音よりも、真っ直ぐに鷹の耳を貫いた。


 「……紅竜レッドドラゴン?ねぇ、それって確か裏社会アタシ達の界隈で超有名な筈なのに、ありとあらゆる情報が不明っていう、伝説の殺し屋よね?」

 「ああ、その通りだ」

 「その伝説の殺し屋が彼女?」

 「ああ」

 「存在事態怪しくて、なのに世界最強とか謳われている殺し屋が?」

 「そう、アイツだ」


 真面目な顔と共に、猫丸が即答し続ける。

 無論、それ等全ての情報は猫丸が抱いた勘違いに他ならない。

 紅音は伝説の殺し屋でもなければ、世界最強と謳われてもいない。

 ただ言動がちょっとイカれていて、頭の中が自分を中心に巡るファンタジー世界で満たされているだけの、何処にでもいる普通の女の子だ。

 が、猫丸はそのことに気付いていない。

 彼女を誤った解釈で捉え、自分より遥かに高次の存在として認識してしまっている。

 まだ一度だけしか面会してないおかげで、猫丸程勘違いの悪化させてないレイは、体をプルプル震わせると、


 「アハハハハハハハハハハハハハハハ‼」


 眼に涙を浮かべ、猫丸の話に抱腹絶倒で応えた。

 この学校で生きていく為に必要不可欠の情報を教えてやったというのに、逆に小馬鹿にされてる様に思えた猫丸は、ムッと不機嫌な顔をする。


 「オイ、こっちは大事な話をしてるんだぞ」

 「ご、ごめっ……!いやだって、そんなこと絶対有り得ないのに、超ガチな顔して言ってたから。つい……」

 「俺はお前の為を思って言ってるんだ。いいかレイ、あの女の前で妙な真似だけはするな。俺達はいつ消されてもおかしくない状況に立たされているんだ」


 何とか危険を伝えようと、猫丸が忠告を続けた。

 一頻り笑った後、レイは息を整え、調子を平常に切り替える。


 「はー、久々にこんな笑った。ネコってば少し考え過ぎだって。あんなのが伝説の殺し屋な訳ないじゃん。一緒に居た他二人の方がまだ強そうだったよ」

 「お前はまだ一度しか顔を合わせてないから気付いてないだろうが、奴を見掛けだけで判断するな。俺も甘く見た結果、自分が奴の手中に落ちていたという事実を悟るのに、大分時間を掛けてしまったんだ」


 忌々しい初対面の日の記憶が蘇り、猫丸の顔付きが段々と苛立ちを顕にしていく。

 あの日、あの時、あの女は初め弱く見えた。自分より圧倒的に弱く見えた。

 英語はまともに話せないし、体育の時間には、他の女子達と比較すると鈍臭さの際立った動きを見せていた。

 隙の塊で、華奢な体格は腐食の進んだ棒切れみたく脆そうで。殺ろうと思えばいつでも殺れそうな、そんな女だった。


 しかし、真実は違っていた。


 全てが罠。演技。テスト。

 簡単に誘いに引っ掛かる馬鹿なのか。短慮を起こし、そのまま愚行に走る阿呆なのか。

 所詮はそれまでの人間なのか、自分は試されていたのだ。

 

 ――あの女は見た目に反して計算高い……。油断すれば爆発寸前の火薬庫に、自ら足を突っ込む結果となる。


 しつこいくらいに念を押す様に言われ続け、流石にレイも違和感を覚えると、気軽な感じで尋ねる。


 「ネコ、ひょっとしてビビってる?」

 「?誰に?」

 「あの竜姫たつき紅音って人に」


 その一言を聞いた瞬間、猫丸は目を見開いた。


 「ネコが一人の相手にそんな臆病になってるとこ、アタシ初めて見た」

 「俺が……臆病?」


 レイが頷く。「そっ」と呟く様に答えた後、顔を寄せ、鷹の如く鋭い碧眼で、眼帯で覆われていない猫丸の右眼をジッと見た。


 「アタシが知ってるネコは、どんな奴が相手でも決して及び腰になったり、逃げ腰になったりすることはなかった。――でも今は違う。今のネコは、ただのちっぽけな鼠を、巨大な竜と勘違いしてるみたい」

 「勘違い……だと?」


 事実、その通りであった。

 本人には自覚がないし、レイも紅音を勘違いしてないかと問われれば違っていたが、その様な馬鹿げた症状までは至っていなかった。

 鼠を竜と勘違いする。甚だ馬鹿げている。馬鹿げているとしか言いようがなかった。

 ゆっくりと顔を離し、レイが再び歩きだすと、傘を持つ猫丸が濡れないようにと一緒に歩く。


 「何かネコ変わっちゃったね。いつものクールさが半分欠けて、穴埋めに間抜けっぽさが追加されたみたい」

 「随分と失礼な言いようだな。俺は何も変わってないぞ」

 「変わったわよ。何かちょっとガッカリしちゃった。ったく、この学校に来てそうなったのか。はたまた、あの女が原因でそうなったのか……」


 項垂れながら、ため息混じりに苦言を呈するレイ。

 頭を抱え、隣を歩く猫丸にチラッと目を遣った後。


 「ねぇ、ネコ。一つ訊いてもいい?」

 「何だ?」

 「仮にあの女が本当に紅竜レッドドラゴンだとして。ネコはあの女殺すの諦めちゃった?」

 「まさか。自分が上だと確信出来次第、すぐに縊るつもりだ」

 「そっ。それなら安心した。――でも、あんな小鳥相手に、慎重になる必要はない」


 そう言うと、レイはカバンから折り畳み傘を取り出し、「それ、貸してあげる」と告げてから新しく広げた傘の中に入って、猫丸の前を歩き始めた。


 「待て!」


 猫丸が引き止めに声を掛ける。

 何故傘を二つ所持しておきながら、途中まで一つの中に一緒に入ろうとしてたのか。そんな疑問を後回しにし、背後から注意を投げ掛けた。


 「お前は奴がどういった人間か知らないからそんなことが言えるんだ。いいから俺の言う事を聞け!お前には、俺の二の舞になって欲しくないんだ!」

 「えっ、何?ひょっとしてアタシの事心配してくれてんの?ヤダもう、ネコったら!一体いつからそんな優しさ覚えたのよ!」

 「そうじゃない。お前がやらかせば、俺にも飛び火が来る羽目になると言いたいんだ」

 「やっぱり優しくないわね……。そこだけはちっとも変わってないんだ」

 

 残念と言わんばかりにレイがガックシと首を垂れる。

 しばらく歩き続け、二人は交差点に差し掛かった。帰り道が別々になっていることが解り、猫丸達はこの場で別れることとする。


 「それじゃ、また明日ね」

 

 バイバイと手を振りながら去るレイに、猫丸は同じ様な感じで振り返した。

 姿が見えなくなるまで振り続け、ようやく視界から消えると同時に、ハッと思い出す。


 「しまった……。この学校に来た理由を訊くの、忘れた」



 ホテルに戻り、借りていた部屋に踏み入るや否や、レイはベッドに勢いよく飛び込み、顔を枕に埋めたまま唸り声を上げた。


 「はー、疲れたなー……」


 慣れない日常のせいか、いつもより疲労が溜まっているのが解る。

 体勢をうつ伏せから仰向けに変え、照明に当てられながら今日の思い出を振り返った。


 「まさか本当にネコが表の学校に通ってるなんてね」


 おそらく、いや、間違いなく彼の意思じゃないだろう。

 大方、いつもみたくあのハゲに我が儘を押し付けられたに違いない。

 高校に通って欲しいという、新しい我が儘を。

 どうしてそういった考えに至ったのかは知らないが、碌でもない事は確かだ。


 「それにしても、何で男友達が出来てなかったのかしら、アイツ。普通、最初は同じ性別の子とつるむでしょ?」


 屋上での出来事を振り返り、レイはふと頭に浮かんだ疑問を呟く。

 あの時、猫丸の周りには三人の女子生徒が居た。

 巨乳アンド眼鏡という、自分と真逆の特徴をした女子生徒。

 男の様な外見をした、むしろ本当に男なんじゃないかと未だに困惑させてくる女子生徒。

 そしてもう一人……、猫丸が一番に警戒し、自分も瞬時に正体を見破られたことから、警戒の対象に位置付けられた。

 両腕に包帯を巻き、意味不明の言動が途轍もなく印象的な女子生徒。


 「あん中から彼女とか出来ちゃったらどうしよ……。ってヤバッ、何か想像しただけで殺意が湧いてきちゃった」


 無意識に指で銃の形を作ると、それを天井に掲げ、人差し指の先に一人の少女の顔を思い浮かべる。

 的となるのは勿論、あの女の顔だ。

 

 「紅竜レッドドラゴン……ねぇ。正直まだ半信半疑……でもないか。話聞いただけじゃ、疑わしい気持ちの方が全然上だし」


 猫丸の話を信じてない訳じゃない。ただ確信が持てないのと、確証がないから信じきれていないだけだ。

 あの小鳥の正体が竜……。

 あの少女の正体が伝説の殺し屋、紅竜レッドドラゴン

 すると、レイはベッド脇に立て掛けられたケースを一瞥し、それを手に取るなり、目の前に置いた。

 ロックを解錠し、ゆっくりとその中身を開いていくと、黒い相棒が顔を覗かせる。


 「紅竜レッドドラゴンだろうが何だろうが、このまま生かしておく訳にはいかないわよね」


 危なげな独り言を述べると、レイは相棒の冷たく、逞しい体を指でなぞり、ニヤッと凄惨な笑顔を浮かべて、


 「明日、頃合いを計って殺しましょう」


 その言葉に応える様に、相棒の銃口が鈍く光り輝いた。

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