第34話 その時、鷹は竜に勘違いした

 屋上に到着し、涼しいそよ風に当てられながら、猫丸はその場で待機する。

 予想外の事態に頭を悩ましていると、出入り口の扉が開かれる音がした。


 「どうしてお前達もここに居る?」

 「いや、俺達ここで飯を食うついでに、あの転入生の顔を見に行ったんじゃねぇか」

 「そうですよ。勝手に一年生の教室に入ったかと思えば、勝手に屋上に一人で行って。私達のこと忘れないでくださいよ」

 「それと、私にこの怪我を負わせたことを謝罪しろ!見ろこの額を。我が偉大なる竜の赤鱗が、より赤くなってるではないか!」


 振り返ってみると、そこには件の居る教室まで一緒に行動を共にしていた三人の姿が。

 衝撃的展開のあまり、彼女達の存在を忘れてしまった。

 厄介だな。出来れば野次馬の居ない状況で話をしたかったんだが。


 ――放課後に変更しとくべきだったか?いや、今は一秒でも早く、アイツがここに居る理由を知りたい。


 詳しいことを訊く暇はないだろうが、とにもかくにもこのモヤモヤを少しでも解消しなければ。

 三人に気取られぬよう、密かにそんな計画を立てていると、また出入り口の扉が開かれる音がする。

 一斉にその方を見てみると、例の転入生少女が屋上に姿を現してきた。


 ――なーんだ、せっかく二人きりになれたと思ったのに。


 残念。と、少女は少し不満げにため息を吐いた後。


 「ネコォォォォ‼久し振りィィィィィ‼」


 歓喜の叫びを上げ、腕を大きく広げながら猫丸目掛けて走ってきた。

 突然の猛ダッシュに、思わず目を見張る野次馬三人組。

 このまま抱き付き、流れに乗じてキスでもしてやろうか。そんな企みを練る少女に、猫丸は無言で腕を広げると、少女の手を全て往なし、右腕を拘束すると同時に自身の右足で左足を絡め、残った左足で少女の首を押さえた。


 「イダダダダダダ‼ちょっ、絞まってる!絞まってるってマジで!」


 激痛に悶え、悲鳴を上げながら、少女は猫丸の体を何度も叩く。


 「何故お前がこの学校に居る?答えろ、レイ」

 「こここ答える!答えるから!取り敢えずコレ外して!」



 感動の再会が失敗に終わり、屋上の空気は何とも不思議なモノに変わっていた。


 「あの、黒木さん。ひょっとしてその方とお知り合いなんですか?」


 三人を代表する形で、九十九つくもが猫丸に尋ねる。

 差し伸べた手の先には、ようやく卍固めから解放され、首に手を添えながら咳き込む少女。


 「ええっと、コイツは……その……」


 紅音達の視線が自分に集まり、どうにかして話をはぐらかす手段を模索する猫丸。

 彼女の正体を話す訳にはいかない。紅音はともかく、他二人。九十九とまつりの一般人コンビには特に注意しなくては。

 彼女の正体を知られれば、連鎖的に自分まで被害を被る危険性がある。

 まず、自分が彼女と何らかの関係性があるという線を消していって……。


 「いや、俺達は別に知り合いでも何でも……」


 と、その時だった。突然、少女は飛び掛かる様に猫丸の腕に抱き付き、


 「Здравствуйтеコンニチハ!アタシノ名前ハ、レイホーク・シルバードデス!ネコカラハ『レイ』ッテ呼バレテマス!ヨロシクデース!」


 恋人ですとアピールする様に、勝手に自己紹介を始めてきた。

 

 「‼」


 努力も気遣いも虚しく、猫丸は愕然すると共に振り返る。


 「オイ、なにで自己紹介してるんだ」

 「仕方ないでしょ。貴方のところのハゲが、何でか本名そっちで登録してたんだから」

 「ああ……、成程」

 ――お前もか……。


 小声でコソコソと話す猫丸達に、紅音達は何をしてるんだろうと頭上に疑問符を浮かべる。 

 腕から離れた後、まるで天使を思わせる様な笑顔を振り撒きながら、少女、もといレイホーク・シルバードは紅音達の元に近付くなり、三人に握手を求めた。


 「シルバードさん……ですね。私は咬狛かみこま九十九と言います。黒木さんには、いつも仲良くしてもらっています」

 「ツクモ?変ワッタ名前デスネ。ヨロシクデース、ツクモ先輩!」

 「鬼頭きとう祭だ。よろしくな。シルバードは、黒木と親しい仲なのか?」

 「ハイ!モウトテツモナク長イ付キ合イデース!」


 レイの活き活きとした返答を聞き、祭はフーンと唸りながら猫丸の方を一瞥する。

 ふと目が合い、猫丸は首を傾げた。


 「何だ?」

 「いや、別に……。シルバードは、黒木のことを気に入ってんのか?」

 「勿論デース!マツリ先輩モ、格好ヨクテ素敵デスヨー」


 煽てるレイ。褒めてもらいはしたものの、何処か複雑な表情を見せながら、祭は「ハハハ」と苦笑いする。

 それを見て、猫丸がレイの背後に近寄ると。


 「そいつ女だぞ」

 「Какаяハアッ⁉」


 ボソッと告げられた一言に、レイは信じられないと言わんばかりに仰天した。

 すぐさま祭の顔を注視し、猫丸の言葉の真偽を確かめる。

 急に迫ってきたかと思えば、勝手に顔をベタベタと触られることに、祭が驚いたまま固まっていると。それ以上に驚いた表情を浮かべながらレイはよろめくように後退りし、倒れそうになるところを猫丸が抱えに入る。


 「嘘でしょ……。どっからどう見ても男じゃない。何?あのバケモノクオリティーの偽装は」

 「解るぞその気持ち。俺も初めて知った時は天地がひっくり返るような衝撃を受けた」

 「よく聞こえねぇけど、あんまり良い気がしねぇな……」


 再び小声で会話を繰り広げる二人を前に、祭は何とも言えぬ感情に襲われる。

 一拍の時間を置いた後、レイはゆっくりと立ち上がり、最後に控えた紅音の前に手を差し出した。


 「レイホークデス!先輩ノオ名前ハ?」

 「…………」

 「……?紅音?どうしたんです?」

 

 何故かレイをジッと見たまま、固まり続ける紅音。

 徐々に眼は鋭くなり、ただならぬ空気がその場に流れた。


 「アノー……。オ名前……」


 意味も解らないまま顔を見られ続け、レイが困った反応を示す。すると――、


 「――これも運命か……。成程、どうやら我々は逢うべくして逢った。そういうことらしい」

 「ハイ?」


 突然、何かをボソボソと呟き出す紅音。

 尚も意味が解らず、レイは心の中で「何だコイツ」と思い、この人とはあまり関わらないでおこう。そう考えに至り、手を引っ込めようとした次の時。

 紅音はレイの手をギュッと握り締め、「フッフッフッ」と不気味な笑い声を発しながら、


 「我が名は竜姫たつき紅音!歓迎するぞ!我等と同じ、暗黒世界の住人にして、漆黒の空を羽ばたく銀の翼、シルバーホークよ!」


 と、高々に叫び上げた。


 「シルバーホーク?」

 「名前を略しただけですよ。ほら彼女、レイドって名前じゃないですか」

 「ああ、成程」

 

 いち早くあだ名の原理を解明した九十九が、祭にそれを教える。

 無論、それは正しい推理だった。

 紅音の名付け方は猫丸と時と同様、フルネームから引用した、ただの縮小。

 単調で、何の捻りもなく、愛称としても微妙なモノだ。……が、


 ――嘘……。コイツ、何でアタシの異名を……?

 ――やはり、気付いていたか……。


 それは裏に生きる彼女達にとって、ある意味想像以上に突き刺さっていた。


 『銀鷹シルバーホーク』――それは、ロシアが生んだ天才スナイパー、レイホーク・シルバードだけが持つ、色の付いた異名である。

 猫丸が『黒猫ブラックキャット』という二つ名で呼ばれているのと同じ様に、彼女もまた、得意の狙撃の腕から勝手に作られ、勝手にその二つ名で呼ばれていた。

 『レイ』という唯一の愛称で呼ばれることもあるが、それは猫丸を含む、数少ない折り合いの良い同僚だけ。

 彼女の掲げる看板は、その世界で広く知られている、銀色の呼び名以外に無いも等しかった。

 それを口にしたということは、すなわち……、


 ――この女も、アタシ達と同じ……!


 そういうことである。


 放課後。

 急な雨に見舞われ、猫丸は外の雨音を耳にしながら玄関先で佇んでいた。

 天気予報は晴れだったか、雨だったか。見ていなかったので、どちらにしろ傘を所持してないという結果は変わらない。

 多くの生徒が予期していなかったのか、傘を広げて帰る者はチラホラとしか見受けられず、それ以外の者は意を決し、ずぶ濡れになる覚悟で走っている。

 自分もそうしようか。カバンを頭に乗せ、土砂降りの中を突っ切ろうとした――その時。


 「一緒ニ入リマショー」


 背後から片言口調のレイが現れ、水色の傘を開くとそれを猫丸の頭上に置いてきた。


 「何で片言で喋っている。お前日本語ペラペラだろう?」

 「そりゃあ、流暢に会話出来てるより、ちょっと片言でぎこちない方が、頑張って覚えてきました感が出て可愛いでしょ?」

 「いや解らん」

 

 くだらないことを訊いてしまったと後悔するや否や、代わりに持とうと猫丸は無言で傘を握り、共に雨の中を歩きながら口を開く。


 「レイ、あの時はバタバタとしていて聞きそびれたが。改めて教えて……――」

 「待って、先にこっちから質問させて」

 「……ああ、解った」


 無理矢理ストップを掛けられた直後、猫丸は静かに了承した。

 これから訊かれることは、推理しなくても解っている。

 おそらく、いや、間違いなく。


 「あの竜姫とかいう女……。一体何者?」


 彼女の事だ。

 そこから先の表情は、校内で見せる微笑みは一切なく、ただの一人の殺し屋の物へと変わっていた。

 

 「アイツ、アタシの事『銀鷹シルバーホーク』って呼んでいたわ」

 「ああ、そうだな」

 「どうして裏社会あっちで通ってる名前を……。ねぇ、もしかしてだけど、彼女もアタシ達と同じ……」

 「ああ、その通りだ」


 猫丸が返答した途端、レイはやっぱりかとばかりに頭を抱える。

 彼女にとっても予想外の事だったのだろう。まさかこんな所に、猫丸以外の裏社会に通ずる者が居ただなんて……。

 だがしかし、彼女はまだ大事な事を知らない。

 ただの殺し屋なら幾分かマシだ。問題なのは、紅音がそれよりも遥かに危険な存在だという事。


 「レイ、一つ重要な事を教えてやる」

 「?重要な事?」


 これ以上に何かあるのか。危うく正体をバラされるところだっただけでも肝を冷やしたというのに、まだ何か残っているのか。

 正直もうお腹いっぱいだが、彼が重要と言うのなら間違いなく重要なのだろう。

 もう何を言われても驚かないと、レイが心の中で待ち構える。それに合わせ、猫丸は一旦立ち止まると、彼女と正面に向かい合い、真剣な顔付きと共に告げた。


 「奴は、竜姫紅音は『紅竜レッドドラゴン』だ」

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