第36話 その時、鷹は竜の声に驚愕した

 翌日。

 退屈な授業も終わり、時刻は既に午後の五時を越えていた。

 明るくも暗くもない、霞がかった青色の空を、レイは札幌駅のJRタワー屋上端側から見上げる。


 「あ~、空が近いって気持ちいいわね!」


 うーんと背筋を伸ばすレイの足元には、持参した黒光りのケースが置かれていた。

 その重厚かつ圧倒的存在感が、これから闇の仕事が執り行われることを詳らかにする。


 「それにしても、まさかこんなあっさり誘い込めるとはね」


 これから始末する標的ターゲットの顔を思い浮かべ、レイは少し驚いた様子でいた。

 まさかここまで順調に事が運ぶとは、正直思っていなかった。

 今朝、レイは紅音を狙撃ポイントに誘導するよう、二人で一緒にお出掛けに行こうと誘った。

 猫丸から色んな話を聞き、もっと仲良くなりたいと思った。親睦を深めたいと思った。

 適当な嘘出まかせを並べ、紅音をデートにお誘いした。


 結果、向こうは二つ返事で了承してきた。


 「な~んか腑に落ちないわね……」


 レイは不服な顔でそうぼやくと、懐からいつものミルクキャンディーを取り出し、包装紙を剥がすなり、その中身を口に運ぶ。

 いつもはまろやかな味が口いっぱいに広がる筈なのに、今回に限って伝達が鈍い。

 どれだけ緊張していても、こんなことはなかった筈なのに。

 ここまで恐ろしいくらいに順調で、完璧な程に予定通りではあるものの、予想通りかと問われれば少し違っていた。

 正体が殺し屋だと解っている私の誘いに、彼女は疑う素振りすら全く見せず了承してきたのだ。

 素直なくらいに。真っ直ぐ過ぎるくらいに。

 それが逆に恐ろしい。

 殺し屋の誘いにあっさり乗ってくるなんて、無警戒にも程がある。

 仮に自ら『紅竜レッドドラゴン』を名乗っているのなら、狙われている自覚くらい持ってる筈だ。

 でも彼女からは、それが一切感じられなかった。

 怪しい……。心配なくらいに怪しいけど――、


 「――まっ、いっか」


 若干の不安要素はあるものの、そんな小さなことは関係ない。

 どれだけあれこれを考えたところで、引き金を引いた瞬間には、全てが終わっているのだから。

 レイは足元にあるケースに眼を遣ると、ロックを解除し、ゆっくりとその蓋を開いていく。

 中身が顕になると、目の前に漆黒の相棒が顔を覗かせてきた。


 「さっ、今日も頼むわね」


 そう囁き、レイはケースからその冷たい塊を取り出すと、優しく微笑みかけた。

 その細長い火器からの返答はない。ただいつも通り、主人の意思のままに弾丸を放つことだけを、脳の無い頭で考えていた。


 相棒の名は、SVLK-14S。通称、戦況を変える者ゲームチェンジャー。レイと同じロシア出身の、歴としたスナイパーライフルである。


 全長1430ミリメートル、銃身900ミリメートル、重量10キログラムと、女性が抱えるにはかなりの力を要求される。

 口径は10.36ミリメートルで、マシンガンの様に一度に連続発射する機構はなく、装弾された物を一発ずつ発砲する。いかにも狙撃に向いた機能だ。

 また、非常にタフな造りとなっており、マイナス40度の氷点下から摂氏65度の環境下でも問題なく使える。

 これだけを聞いても中々な性能だが、この銃の何よりも恐ろしいところは、その圧倒的射程距離。

 ライフルを始めとし、銃には弾丸の破壊力を維持したまま、狙った的に命中出来る有効射程距離というものがある。

 一般な狙撃銃の有効射程距離は大体1000から2000メートルだが、レイの持つ物は3000メートルを超え、最大射程にもなると、その距離は4000メートルに到達する。

 加えて、射出速度は秒速900メートルと、音速の三倍近くの数字を叩き出し、標的はその銃声を耳にする前に、既に撃ち抜かれているのだ。

 こんな物で遠くから狙撃されてしまえば、撃たれた者は何が起こったかすら解らず、周囲の標的達も困惑せざるを得ないだろう。

 

 正にゲームチェンジャー。戦況を変え、持ち主とその味方を確実な勝利へと導く、最強のスナイパーライフルに相応しい異名。


 だが、恐ろしいのは獲物だけではない。

 その性能を最大限に引き出し、完璧に扱うことの出来る、彼女の腕こそが真に恐ろしいのだ。


 「――気温18度。湿度76パーセント。風向きは南東で、風力は3ってところかしら。昨日の雨が降ったせいか、少し湿っぽいわね」


 眼を閉じながら、ブツブツと独り言を続けるレイ。

 肌を撫でる外気の調子を感覚のみで分析し、判断していたのだ。

 そして事実、その数字は当たっていた。

 およそ六年、スナイパーとして活動してきたレイの弾道計算は、温度計や湿度計といった計器を必要としなくても、正確な値を導き出せるまでになっていた。

 常人には無い、研ぎ澄まされた五感と集中力。

 銃の腕なら猫丸さえも凌駕する、持って生まれ、磨き抜かれた殺し屋としての才能。


 「よしっ!」


 眼を開くと同時、レイは準備に入っていく。

 ヘッドホンを首に掛け、ケースから相棒の重い体と共に、射撃姿勢を安定させる為のライフル用スタンド・アキュラシーバイポッドを取り出すと、それを装着させて置いといた。


 「さてと、先輩来てるっかな〜」


 ポケットからボタンとダイヤル、液晶の付いた小型の機械を取り出すと、レイはそれを操作しながらレーダーの様に映っている画面を見る。

 ピコンッと、大きな点が一つ現れると、すかさずライフルに取り付けられたスコープに眼を近付け、キリキリと音を鳴らしながら、位置を照らし合わせ、ゴマ粒サイズから段々と大きくなる歩く人間の顔を確認していった。

 そしてついに……、


 「おっ、居た居た」


 その少女ターゲットはやって来た。

 スコープの倍率を更に上げ、顔をハッキリと視認出来るようにする。

 約束通り、待ち合わせ場所の駅へ誘われて来ていることに一安心すると、紅音がスマホを手に持ったまま、何やら不敵な笑みを浮かべていることに気が付いた。


 「暢気なものね。これから死ぬっていうのに」


 呆れる様にレイがため息を吐く。

 メールの音読か電話でもしているのか、口を小さくパクパクさせており、不審に思ったレイは手元の機械を再び操作し、ボタンを押した瞬間、その機械から知らない人間の話し声や、重なった足音等の雑音が鳴り出す。


 「もうちょいボリューム上げようかしら」


 そう呟くと、レイは機械のダイヤルを回し、発せられる音量を大きくする。

 機械の正体は盗聴機能の備わったGPSだった。

 紅音をデートに誘う際、こっそり襟に取り付けていたのである。

 もし、この場に紅音が来なかったとしても、すぐ何処に居るか解る為に。

 殺し屋はたった一つのプランだけで動こうとはしない。

 万が一のことがあってもいいように、常に第二、第三の策を練っているものだ。


 『……な……』

 「全然聞こえない……。どんだけ小さな声で喋ってるのよ」


 更に音量を大きくし、ようやく薄っすらと声が聞こえるようになると、レイはそこに耳を傾ける。


 『……だな……』

 「?誰かと話して……」


 眼で顔を、耳で声を必死に捉えようとするレイ。すると――、


 『――……愚かだな……』


 スコープの向こうで口角を上げながら、盗聴器を介して届けられる紅音のその声に、



 『よもや、こんな所で私を仕留めようとするとは』

 「⁉」



 レイは驚愕した。

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