第25話 その時、鬼は静かに悪態をついた

 場面は戻り、忠宗ただむねから再び特待生資格の取得を認められたまつり


 「あの、一つ訊いてもいいですか?」

 「何かね?」

 「どうして急にこんな話を……?」


 あまりの唐突さに違和感を覚え、何とも言えぬ疑念を抱いていた。


 「別に。君が停学前に話していた、他校の生徒に暴力を振るっていた理由が本当か……。調べてみたところ、剥奪するには少々理不尽ではないかと思ったまでだよ」

 「……学校側は、あの時ちっとも聞き入れてくれなかったのに……ですか?証拠の写真だってあったんですよ」

 「それについては、こちらからも謝らせてもらいたい。我々も、たかが一枚の写真に振り回されていた。失態だったね」

 「…………」


 簡単に話を鵜呑みに出来ず、祭は素直に受け取ることを躊躇ってしまう。

 何処か嘘くさい。薄っぺらい。必死で裏がある事を言葉で隠そうとしているようにしか見えない。

 そもそも、資格取り消しの際は職員室に呼び出されたというのに、今回は校長室――自分達以外誰も居ない空間に、わざわざ呼び出してくること事態が怪しい。

 

 ――何を企んでやがる……?


 一方で、意外にも慎重に動いてくる祭に、忠宗は密かに悩んでしまう。


 ――参ったな……。少し予想外だ。


 もっと淡々に事が運ぶと想定していたのに、思いの外喰い付いてこない。

 上手い話には裏があると言うが、今回の件に至っては、向こうに何も裏はない。

 デメリットは何一つ無いし、快く受け入れてくれさえすれば、こっちにとっても良い事尽くめだ。

 が、それは裏を返せば、向こうが受け入れる事を拒否すれば、あの話も無かった事になってしまうということ。

 それだけは避けたい。彼から頼み事を請ける機会など、今後一切現れないかもしれないのだから。


 ――仕方ない、少し攻め方を変えるとしよう。

 

 「鬼頭君」

 「ハイ?」

 「君、勉学に励むだけでなく、バイトも頑張っているんだって?」

 「ええまぁ、両立は大変ですけど……。それが何か?」


 突然の逸れた質問に、祭は依然として怪しみながらも受け答えた。

 その返答に、忠宗は「そうかそうか」と呟くと。


 「ただ、ここの学費を稼ぐのは大変だろう」

 「‼」


 ピクリと、祭が反応を示した。


 「君の家庭についてはよく知っている。母親一人で多人数の子育ては苦労物だし、ここの学校の学費まで稼ぐとなると、学生一人のバイトが加わったところで、雀の涙もいいところだろう」

 「……何が言いたいんです?」


 低いトーンで祭が尋ねる。

 重苦しい空気の中、忠宗は尚も続けて。


 「つまりだ。君や母親を助けるという意味でも、この資格は手にするべきで……」


 誘いの言葉を言い切る寸前、祭が遮るように言ってきた。


 「昔、母が教えてくれました。『人の弱みを話に入れてくる時程、そこには薄汚い何かが隠されている』――と……」


 その瞬間、忠宗は口を閉ざした。

 マズい、完全に失敗した。彼女にとって、これは間違いなく悪手だった。 


 「校長先生、貴方が仰っていることは、間違いなく正しいです。私や母を助ける意味でも、特待生資格は喉から手が出る程に欲しい。でも……――」


 祭は忠宗の顔に怖気づく事なく、目を合わせて告げる。


 「――何が目的かは知りませんが、うちの家族を使って唆そうとしているのなら、許しませんよ」


 ナイフ……いや、研ぎ澄まされた日本刀の如く鋭い眼で睨む祭。

 そのただならぬ雰囲気から、殺し屋にも引けを取らない殺気を忠宗は肌で感じると。


 「いや、違うぞ。君は何か勘違いしている。私は決して君を唆そうなど……」

 「なら本当の事を言ってください。私が資格を受け取る事で、貴方に何のメリットがあるのか。貴方が今回の件で、私を呼び出した本当の理由は何か」

 「……そ、それは…………」

 「…………」


 しばらく無言の続く中、女子高生の圧力に負けた元殺し屋の男は、今まで奥底に眠らせていたモノを口から出した――


 ――その頃、毎度の如く紅音から見知らぬ食べ物を受け取り、トイレと称して廊下に逃げてきた猫丸は、

 

 「まったく、あの女はどうしていつも俺に妙な物を食わせようと……――ん?鬼頭じゃないか。どうしたんだ?そんなに慌てて走ってきて」


 視界の向こうから物凄いスピードでこちらに駆け寄ってくる祭に声を掛けた。


 「ハァ……ハァ……。く、黒木……」

 「何だ?息を切らしたままでは、よく聞こえないぞ。そう言えばさっきお前、放送で校長室に呼ばれていたが、一体何を話してきたんだ?」


 膝に手を付いて呼吸する祭に、素知らぬ顔で猫丸は尋ねる。

 すると、


 「しらばっくれてんじゃねぇぞ……!」

 「⁉」


 祭は猫丸の胸ぐらを掴み上げ、怒声をぶつけた。

 何がどうして祭が怒っているのか、さっぱり解らない猫丸。

 しかし、その答えはすぐに教えられた。


 「全部話したぞ、校長がよ。先週、お前が頭下げに、校長室にやって来たってな!」

 「……!」


 まさかの事態だった。

 あの校長、もしや猫丸じぶんが殺し屋だということをバラしてしまったのか。

 もしそうだとするなら、かのじょも生かしておく訳にはいかない。

 腕を解く振りをし、懐に忍ばせたナイフを手にしようとした――その時。


 「優しさのつもりかよ……!」


 目の前に立つ祭から、込み上げてくるような声が洩れた。

 それは何処か痛々しく、


 「俺は、こんな事して欲しくて、あんな話をした訳じゃねぇぞ‼」


 そして、申し訳無いという気持ちが、溢れんばかりに押し寄せるように出てきた言葉だった。

 同情して欲しくて話したんじゃない。自分の代わりに解決して欲しくて話したんじゃない。

 ただ、話すしかないと思ったから話しただけ。話しても良いと思ったから話しただけ。聞いてくれるだけで良いと思ったから話しただけだ。

 たった、それだけだったのに……。


 「俺の為に頭下げたっつーなら、もう二度とそんな真似は止めろ!コイツは俺が自分で解決しなきゃならねぇ事だったんだ!お前に助けられる筋合いはねぇんだよ!」


 悲痛な叫びを上げ続ける祭。

 最もな意見である。普通、このような直談判に向かうのは他人の猫丸ではなく、当人である祭の役目。

 頭を下げるのも、懇願をするのも、本来なら全て彼女の役目だ。

 事情を知ったからというだけで、代わりにわざわざ頼み込むことはおかしい。


 ――なんで。どうして……。


 全く理由が解らず、祭は疑問の波に呑み込まれてしまう。

 そんな彼女に、猫丸は一旦ナイフから手を放し、


 「誰がお前の為だと言った?」

 「…………え?」

 「俺がお前の特待生資格の来復を望んだのは、お前の為じゃない」


 掴み掛かった祭の手をゆっくり解き、優しく包み込むように握って、



 「俺の為だ」



 囁く程に小さな声で、そう告げた。

 思わず、祭はポカンとした顔を曝けてしまう。

 

 「あの時、店の外で言っただろう?『悪い事は言わない。この仕事は辞めろ。もし俺以外の奴に見付かれば、また停学を喰らう羽目になるだろうし、最悪退学だって有り得るんだぞ』と。お前がこの学校を去ってしまえば、ただでさえ数の少ない俺の友達候補が一人減ってしまう」

 「だっ、誰がお前なんかと……!」

 「それに……――」


 思わぬ宣告に、顔を真っ赤にしながら祭が否定しようとすると、猫丸は続けて口を開いて。


 「――それに、過労で倒れ死にされても、こっちが困るからな」

 「‼」


 隈だらけの眼を見開き、祭は驚愕した。


 『それに、お前の体も限界だ。過労という言葉を知らないのか?』

 『体は大切にしろ。お前は見た目より貧弱そうだから心配だ』


 脳裏をよぎる猫丸の言葉。

 見透かされたようで、見破られたようで、見据えられたような自然の言葉。

 

 「解ったら、もう深夜まで働くのは辞めろ。――じゃっ」

 「あっ……」


 最後にそう言い残すと、猫丸は祭の前から消えていった。

 その背中に、祭はふとした想いで手を伸ばしてしまう。

 

 「……何がだよ。バカ野郎……」


 自分以外誰も居ない筈の場所で、祭は静かに悪態をつく。

 伸ばした手を自分の元に持って来ると、今度はそれを強く握った。

 何処か苦しいようで、何処か悔しいようで。

 何処か救われたような、そんな痛みだった。


 その後、再び校長室に赴き、祭は言われた通り特待生資格の再取得を行った。

 そして放課後、そそくさと校舎を出るなり、いつもと同様バイトへと足を進ませる。

 今日は後ろにあの迷惑な三人が来ていない。

 それは何処か安心するようで、何処か淋しいような複雑な感情だった。


 ――なにバカな事考えてんだろうな、俺。


 歩きながら変な事を考えていた自分に、思わず嫌気が差してしまう。

 前はこんな感じじゃなかった。

 もっと人に冷たく、他人の事なんて考えていられないくらいに心に余裕が無かった筈だ。

 それなのに、どうしてこんなにも救われた気持ちでいるのだろう。

 また特待生になれたからとか、そういう簡単な話だけじゃない。

 もっとこう開放的というか、でも何処かむず痒いというか、不思議な感覚だ。

 長らく忘れていたのかもしれない。ずっと切羽詰まるような気持ちでいたからか。

 今日はいつもより、体が軽い気がしてならない。もう、知り合いの誰かが来るんじゃないかと怯えながら、深夜のバイトに出向く必要が無くなったからか。

 もうすぐバイト先のファミレスに着く。

 このバイトが終わったら、一度居酒屋に顔を出し、辞める手続きをしよう。

 店の人には色々と迷惑を掛けたり、色々言われたりするかもしれないけど。そこはどうにか許してもらおう。

 そんな事を計画しながら、街道の端を歩き続けていた――その時。


 「やっ!祭、久し振りね!」


 突如として、自分の通っている彩鳳さいほう高校とは違う学校の制服を身に纏った少女が、祭の目の前に現れた。


 「お前……、もしかして亜実あみか?」

 「そーそー!アタシアタシ、小学と中学時代の蜘蛛井くもい亜実ちゃんだよー。いやー、懐かしいね!また背ぇ高くなったんじゃない?」


 キャハハと笑いながら近寄って来る、祭のかつての旧友。

 予想外の対面と急な距離の詰め方に、祭も思わず動揺していると。


 「ま、まあな……。こっちは嬉しくも何ともねぇんだけど」

 「そうなのー?アタシは羨ましいけどなー、キャハハ!――そんなことよりさー、ちょっとコレ見てくんない?」

 

 そう言って、亜実はゴテゴテにデコレーションされたピンクのケースに入ったスマホを、祭に差し出す。

 電源が既に入れられていたのか、画面にはとある小さな店で働く男性並みに高身長の女性が働く姿を、外から撮った画像が映されていて……。


 「…………え?」


 その画像を見た瞬間、祭は絶句、唖然、愕然を連続させた。

 見覚えのある店。見覚えのある内装。そして、見覚えのある顔がそこにはあった。


 「嘘……だろ?」


 一歩も動けない程に固まり、眼は見開いた状態をキープする。

 酷薄な笑みを浮かべ、亜実はスマホを取り上げると。


 「そういえば祭、アンタ『とくたいせい』ってヤツにもう一度なれたんだっけ?」

 「⁉な、何で……それを…………?」


 おかしい。おかし過ぎる。特待生資格を再び取得したのは今日の昼の出来事だ。

 自分以外でこの事を知っているのは、校長や猫丸を含め、限られた人間のみ。

 ましてや、他校の生徒である亜実がその事を知っている筈が……。


 「いーからいーから、そんなこと!あっ、それよりさ、そのとくたいせいって学校の色んなお金を払わなくていいんだよね?じゃあさじゃあさ、祭ってたくさんバイトしてるからいっぱいお金あるし、お金を使う機会もなくなった訳でしょ?」

 「いや、コレは下の奴等の進学に……」

 「アタシさー、今月使い過ぎちゃって。今けっこーキッツキツなんだよね。ねー祭、せっかく会えたんだし、何か食べに行こーよ。勿論、祭の奢りでね!」

 「いや、俺はこれからバイト……」


 勝手に話を進める亜実に、祭が一言入れようとしたその時、亜実はもう一度スマホを見せ付け、


 「行くよね?ま・つ・り♡」

 「…………」


 無理矢理に黙らせ、そのまま祭のバイト先であるファミレスとは逆方向に進んでいった。

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