第24話 その時、猫は自ら頭を下げた

 ――翌週、月曜。

 四限目が終わり、さあ昼食の時間だといつものように紅音が猫丸の首筋を掴む中。

 それは突如として流れた。


 『二年三組、鬼頭きとうまつりさん。至急、校長室まで来てください。――繰り返します。二年三組、鬼頭祭さん。至急、校長室まで――』


 校内に鳴り響く名指しの放送。しかも場所は校長室。

 一体何の用件で、そのような場所に向かうよう指示されたのか。当人の祭を含め、教室に居る多くのクラスメイトが皆目見当つかないでいた。


 「何だったのだ、今のテレパシーは?オーガロードよ、貴様一体何をしでかした?」

 「し、知るかよ!俺だって意味不明だっつーの!」


 横からの紅音の言及を受け流し、祭が走って廊下に出る。

 その消えていく背中を、椅子の後ろから引っ張ってくる紅音の手を握りながら、猫丸は静かに眺めていた。


 切らした息を整えるや否や、祭は目の前にある扉にノックをし、「失礼します」と告げると同時に開いていく。

 鼻腔に深みのある木の匂いがなぞられ、視界の先には顔に傷の付いた一人の老人が佇んでいた。


 「やぁ、こんにちは」

 「こ、こんにちは……」


 一瞬、何処ぞの組長なんじゃないかと思う程恐ろしげな顔とは裏腹に、穏やかな笑みを浮かべながら、その老人は挨拶をしてくる。

 動揺を顕にしながら、祭も同じように挨拶すると。その老人、彩鳳さいほう高校の校長を務める鳳崎おおとりざき忠宗ただむねは来い来いと手招きして。


 「そんな所に突っ立ってないで。さっ、入りなさい」


 言われた通り中に足を踏み入れ、失礼の無いよう祭は無音で扉を締める。

 次にどうしようかとオロオロしていると、忠宗が机を挟んだ二つのソファーのどれかに座るよう手を向けてきた。

 祭はお辞儀をすると、その片方の黒いソファーに体重を預ける。


 「済まないね、急に呼び出したりして」

 「ああいえ、お気になさらず……」


 両手にあるコーヒーカップの載せられた皿を片方祭の目の前に置くと、忠宗はもう片方をもう一つのソファーの前に置き、「よっこいしょ」と年寄り臭い呟きを洩らしながら腰掛けた。

 カップの中には淹れたてのコーヒーが満たされており、白い湯気の立つそれを一口運んでから、忠宗は真向かいに居る祭と目を合わせて。


 「さて、今回ここに来てもらった件についてだが……。君、解るかね?」

 「いえ……、全く…………」


 唐突な質問に、思わず目を逸らしながら応える祭。

 当然、答えなど解る筈もなかった。が、心当たりならあった。

 それは、自分が年齢を訴訟してまで居酒屋で働いている件。

 今までバレないよう、何とかひた隠しにしてやってきたが、つい先日、あのしつこく自分に付き纏っていた男に見られてしまった。

 まさか、その事を学校にバラされたか。

 間違いない。そうでもなければ、こんなタイミングで呼び出しなど喰らう筈がない。

 「よくも……」とも一瞬思ったが、校則や法律という規則を破ったのは自分。

 間違っている事をしているのは自分で、正しい事をしているのは猫丸向こうだ。

 こっちが悪く言われる筋合いは有れど、悪く言う筋合いは一つも無い。

 お門違いも良いところだ。と、祭がそんな事を考えていた次の時――



 「――鬼頭祭君、君の特待生資格取り消しを取り下げさせてもらう」


 「…………えっ?」


 耳を疑う宣告だった。

 目は丸くなり、開いた口が塞がらなかった。


 「あの、それってどういう……?」

 「言葉通りの意味だよ。同じ事を二度言わせないでくれ」

 「私のバイトの件についての話じゃなかったんですか?」

 「何を言ってるかはさっぱりだが、少なくともその話でない事は確かだ。それともなにか?私の耳に入るとマズい隠し事でもあるのかね?」

 「めっ、滅相もありません……‼」


 予想と全く違う用件に、祭は動揺に困惑を重ね合わせてしまう。

 そんな生徒を前に忠宗はクスッと笑うと、


 ――これで良いのだろう?黒猫ブラックキャット……。


 もう一度コーヒーを口に運びながら猫丸の姿を思い出した。

 

 ――それは、今からちょうど三日前にして、猫丸が祭の働く居酒屋を訪れた翌日の事。


 「成程……。確かにその話を聞く限りだと、その鬼頭君とやらに非は一切無いな」


 紅音と九十九つくもの二人からのお誘いを断り、昼休みに校長室に来ていた猫丸は祭が教えてくれた暴力事件の実態を忠宗に話していた。

 ただし、祭が規則を破り、居酒屋でバイトしていた件については一切触れていない。

 それを話してしまうと、祭の評価を落とし切ってしまう事は疎か、猫丸がここに来た意味すら無くなってしまうから。


 「ええ、ですからお願いです。どうか鬼頭に、特待生資格を再び与えてやってはもらえないでしょうか?」


 深々と頭を下げ、懇願する猫丸。

 そんな彼の要求に、忠宗は……、


 「いいよ」

 「証拠ならすぐにでも用意します。それでも無理なら、貴方の要望に応えられるような仕事を……えっ?いいんですか?」

 「いいよ。同じ事を二度言わせないでくれ」


 即答で返され、猫丸は目を丸くした。

 やけにアッサリしている。こんな確証も無い話を聞いただけで、本当に要求を呑んでくれたのだろうか。

 と、内心疑いに掛かっている猫丸の意思を読み取ったか、忠宗は尚も続けて口を開く。


 「正直言うとね、その生徒の特待生資格がどうたらっていう話には毛程も興味無いのだよ。資格を返して欲しいとの事なら、幾らでも返してあげるよ」

 「はぁ、それはこちらとしてもありがたい話ですけど……。でも、どうせ裏とか有るんでしょ?」

 「随分と疑り深い子供だね。まったく、黒木の奴はどんな育て方をしたのやら……。――まぁ、君のお察しの通り、タダって訳じゃない」


 「やはりか」と猫丸が思う。

 目の前で険しい形に変わっていく表情に、忠宗はクスッと小さく笑った後、その強面を更に強調させるかの如く、ナイフのように鋭い眼光を更に鋭くして。


 「黒木猫丸君……。――いや、黒猫ブラックキャット。ここからは生徒と教師という立ち位置でなく、ただの殺し屋と元殺し屋として、血に染まったケダモノ同士で話をしよう」


 一気に雰囲気が真冬並みに凍り付く中で、そう告げてきた。


 「……何がお望みで?」

 「そう恐い顔しないでくれ。ただの交渉だよ。鬼頭君に特待生資格を返してやる代わりに、今回の件については貸しとさせてもらう。無論、君へのね」

 「貸し……ですか。そんなモノでいいんですか?」

 「そんなモノ?そんなモノとは随分と過小評価な言い方だな。君に貸しを作るというのは、どれだけ大金を積まれる事より価値のある宝だよ」


 邪悪な笑みを浮かべながら語り続ける忠宗。

 何か裏が有るとは読んでいたが、まだ見えない闇が隠れていそうで、不気味の一言で尽きない。

 寅彦ちちもそうだが、歳を喰った裏社会の住人というのは何を考えているのか解らないから困る。


 「……まぁ、いいです。こっちの願いを聞いてくれるのなら、何でも」

 「その意気さ。流石、あの男の息子だね」

 「それ、どういう意味です?」

 「おっと、気に障ったかね?」


 不服とばかりに仏頂面を見せつける猫丸に対し、忠宗はニヤニヤと口角を吊り上げる。


 ――相も変わらず難しい子だ……。

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