第23話 その時、鬼は過去を振り返った

 ――鬼頭きとうまつり。16歳、高校二年生。

 小学校五年生の時、東京から転校してきた彼女は、当時、一番最初に声を掛けてきた素行の悪い友人に連れられ、万引き、不法侵入、投石によるガラス破壊等々――指で数えられる程度とは言え、決して小さくはない犯罪イタズラを重ねながら過ごしていた。

 しかし、中学に上がるその三日前。


 彼女の人生は、父の病死と同時に一変した。


 死因は癌だった。

 ずっと隠してたのだと言う。娘である祭、そしてその下に居る三人の弟妹達を心配させない為に。

 死んだら心配もクソも無い、当時の祭はそう思っていた。

 亡き父が遺した最期の一言。それは、


 『母さん達を…………頼む……』


 それから祭は変わった。

 勉強も今まで以上に努力し、二回目の期末テストでは初の一位を勝ち取った。

 悪い友達との付き合いも辞めた。

 母親を心配させるようなことをしたくなかったから。

 中学卒業後は自分も働くと言った。

 母親一人で家庭を支えるのは大変だろうと思ったから。

 母子家庭となってから、鬼頭家の家計は厳しいモノとなった。働ける身が一人だけで、五人の食費や光熱費、アパートの家賃等を切り盛りすることは厳しいの一言に尽きない。

 自分さえ働ければ、微力ながらも手助け出来るだろう。そう思い至り、祭は提案を持ち掛けた。

 だが母は拒否した。自分はそこまで弱くないし、四人の子供を育てるくらいへっちゃらだ。それならちゃんと高校、大学に進学し、祭の進みたい進路みちを歩んで欲しい。

 その言葉で、祭は悩みながらも決心した。

 何処か公立の高校を選ぼうとしていたが、当時の担任からは、何故か学費の掛かる私立の高校を勧められた。

 理由を訊くと、祭の学力と成績なら特待生の席を得られるかもしれないとの事だ。

 そこでも優秀な成績を維持し続ければ、入学金だけでなく、授業料やその他諸々の費用も免除してくれるのだと言う。

 茨の道だ。それでも、自分になら出来ると言う確信が、祭にはあった。


 そして去年の四月、見事特待生と言う称号を得た形で、祭は私立・彩鳳さいほう高校へと入学を決めた。

 それからの一年、祭はずっと学年一位をキープし続けた。

 加えて、入学から一月ひとつき後には、母がもっと楽出来るよう、下の子達が安心して進学出来るよう、週四でファミレスのバイトも始めた。

 想像を絶する程に大変だったが、祭にとってはちっとも苦ではなかった。

 何故なら、それが自分で臨みながらやっている事であり、それが父との約束だったから。

 全てが順調に思えた。少しずつ、ほんの少しずつではあるものの、確実に良い方向へ進んでるように思えた。


 だがその平穏は、呆気なく壊される程に脆く、簡単に覆されるくらい儚いモノなのだと、そう遠くないうちに思い知らされることとなる。


 時期としては、猫丸が転入してくる二日前の出来事だった。

 その日はちょうどファミレスでのバイトが休みだったが、だからと言って、休息を得られる一日ではない。

 ちゃんとやるべき事がある。

 家事、下の弟妹達の世話、全て片付けば寝るまでずっと勉強。

 暇な時間など一秒も無い。余裕なんて物が作れたのなら、それを弟妹達と過ごす時間に使うか、勉強に充てる。

 今日もいつものように、そうして時間を過ごす――筈だった……。


 『何やってんだテメェ等ァァァァァ‼‼』


 家路を急いでいる途中、偶然か、それともか。祭は見てしまった。

 自分の下に居る三人の弟妹達、次女のひな、長男のつかさ、三女のいのりが、別の高校の制服を纏ったガラの悪い四人の男達に囲まれていたのだ。

 否、囲まれていただけならまだ良い。男達はその愛しき弟妹達に暴力を振るい、あろう事か寄って集って虐めていたのだ。

 顔を叩かれてしまったのか、左頬を赤く腫れ上がらせながら泣き続ける末っ子の祈。

 その妹を必死に守ろうと、鼻血を流し、涙目になりながら抱き寄せる司。

 更にその上から二人を腕で覆い隠し、延々と背中を蹴られ続ける雛。

 三人の蹲る姿は、痛々しいと言う言葉で表すにはとても足りなかった。

 雛に至っては、悲惨と言っても過言ではない。

 この春から中学校に通い始め、姉のお下がりとして受け取った大事な制服は、幾多の足跡を遺し、ボロボロに成り果てている。

 五分や十分で付いた痕じゃない。きっともっと、その倍以上の時間に渡って蹴られ続けたに違いなかった。

 あまりに非人道的。腸が煮え繰り返る。

 現場に祭が駆け付け、男達に殴り掛かるまでには、十秒も掛からなかった。


 その翌日。

 昼休みに職員室から呼ばれた祭は、教員達から前日の問題行動について言及された。

 何でも、祭が他校の男子生徒に暴行していた所を、彼等と同じ高校の女子生徒に目撃されていたのだと言う。

 必死に弁明する祭。

 あれは虐められていた妹達を守る為だと何度も告発すると、学校側が一枚の写真を持ち出してきた。

 写っていたのは、抵抗しようとする男達を一方的に殴りつける祭の姿。

 上手い具合に、涙を流す弟妹達の姿は画角から外されている。

 目撃者である女子生徒が、証拠として用意してきた物らしい。

 それが働き、祭の悲痛な叫びを学校側が聞き入れてくれる事は無く。

 結果、祭は二週間の停学処分、並びに特待生資格の剥奪を余儀なくされる始末となった。


 『そんな筈あるまい!いくらオーガロードと言えど、バーサーカーに成り下がるような真似はせん‼』


 別件で同じく職員室に呼び出されていた紅音が、代わりに理不尽を指摘する。

 理由は解らないが、彼女にはよく話し掛けられていた。

 バイト先には、友人を引き連れてよく足を運んできていたし。今年同じクラスになってからは、もっと積極的に関わるようになってきた。

 そして今回も、偶然その場に居合わせていただけなのに、自分まつりの味方をしようと教師陣に突っ掛かる。

 そんなことをしていると、自分まで停学を喰らう恐れがあると言うのに。

 正直、休み時間も勉強に当てたい祭にとって、紅音のちょっかいは邪魔以外の何物でもなかった。

 うんざりしている部分もあった。何故自分にそこまで拘ろうとするのか。

 色々と解らない点はあったものの、今回ばかりは助けられた気がしていた。

 この場に一人、たった一人でも自分に味方が居てくれたから。

 何の得も無い筈なのに。むしろ、損以外の何も無い筈なのに。


 結局、根拠のない紅音の言葉も、当然教師陣の耳に届く事はなく、祭は処分を受け入れるしかなかった。

 家庭の事情により、働かないと生活がままならない現状を学校側も認知していたことから、バイトの禁止は免除された。

 いつもお世話になっていたファミレスも、普段の祭の働きぶりが評価されていたおかげで、クビを免れることが出来た。

 それだけでも充分助けられたが、特待生の資格を失ってしまった今、今後の授業料を支払う為、更に金を稼がなければならない。

 停学期間中に空いた時間を、いつものファミレスのバイトで埋めるだけではダメだ。

 もっと時給の高い、新しいバイトを始めなければ。

 その後、祭は休日と、平日で唯一ファミレスでのバイトが休みだった水曜日にメイド喫茶のバイトを入れた。

 慣れない仕事ではあったものの、何故か客からの評判は良かった。

 ただそれでも、授業料を払えるだけの金は集まりそうにない。

 私立の学費は高い。正規雇用の大人でも苦しめられるくらいの金額が必要だ。

 祭は悩んだ。もし全てのバイトをメイド喫茶に充てたところで、充分な額に届きそうにはないだろう。

 だが、これ以上バイトを増やすことも出来ない。

 今やっているバイトは、どれも時間ギリギリだ。

 深夜まで働けるようお願いしても、高校生だと知られている以上、それは聞き入れてもらえないだろう。

 一体どうしようか……。


 ――それは、苦肉中の苦肉。いつ自分の首を絞めるような結果になっても、おかしくない策だった。

 猫丸が追及した通り、祭は年齢を偽り、居酒屋でのバイトを始めたのだ。

 これも、自分の学費を稼ぐ為。

 これ以上、家族に苦しい想いをさせない為。

 幸いと呼ぶべきか、従業員や客達が自分を高校生だと気付くことは無かった。

 同じ高校の生徒は勿論、自分の顔を知る教師達が訪れることも無かった。

 そう、ただ一人を除いて……。



 「――成程な。そんなことが……」


 自身が転入してくる前の話を聞き、猫丸は薄っすらと輝く月を見上げた。

 どうりで、九十九つくもが話したがらない筈だ。

 祭自身も、相当話すのが辛かっただろうに。


 「母さんや妹達には、滅茶苦茶謝られたよ。自分達のせいで、苦労させてゴメンってさ。ったく、皆は何も悪くないってのに……」

 「家族は……、お前がここで働いている事を知っているのか?」

 「直接は言ってねぇが、多分全員気付いてるだろうよ。否が応でも帰りは遅くなるし。まっ、そろそろ母さんには辞めるよう叱られるかもしんねぇが……」


 苦笑と共に、か細い声で応える祭。

 その覇気の無さは、初めて学校で出会った祭と同一人物とはとても思えない程のモノだった。

 疲れが溜まっているのか、辺りは暗闇で覆われていると言うのに、目の隈がいつもより色濃く出ているのがよく解る。

 寝る間も惜しまずに働き続けた結果だろう。

 そのうち倒れてもおかしくない。


 「悪い事は言わない。この仕事は辞めろ。もし俺以外の奴に見付かれば、また停学を喰らう羽目になるだろうし、最悪退学だって有り得るんだぞ。それに、お前の体も限界だ。過労という言葉を知らないのか?」

 「まさか、母親より先にお前に叱られるとはな……」


 注意を受け、祭は少しの時間考える。


 「体は大切にしろ。お前は見た目より貧弱そうだから心配だ」

 「一言余計なんだよお前はよ!……俺は――」


 祭が何か言い掛けようとしたその時だった。

 突然、背中にある裏口の扉が開かれ、一人の従業員が顔を出してきた。


 「鬼頭さん。そろそろ入ってもらってもいいっスか?」

 「あっ、ハイ。解りました」


 応答を聞き、従業員は店の中に戻る。

 再び二人の時間が戻ってくると、祭は裏口の扉に手を掛け、猫丸の方を振り返って、


 「悪いな。ダメだと解っていても、自分が壊れると解っていても、やらなきゃいけねぇ事があるんだよ」


 そう言い残し、鬼は猫の前から姿を消した。

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