第12話 その時、猫は渋々頭を下げた

 「――ねぇ見て、アレ。咬狛かみこまさん、あの転入生と話してるわ」

 「ホント、物好きよねー」


 猫丸と九十九つくもの遣り取りを見て、遠くの席に居る女子達が陰口を始めだす。

 他の席でも、猫丸達の方を見ながらヒソヒソと話しをしていた。

 その様子を感じ取ったか、二人はやれやれとばかりにため息を吐いた後、その握り合った手をゆっくりと離す。


 「まったく、好き勝手言ってくれますね」

 「ああ。済まないな、俺と関わったばかりに……」


 自分が原因だと悟った猫丸が、申し訳なさそうに口を開く。

 続けて頭を下げようとしたところ、九十九が「そんなことないですよ」と否定して。


 「黒木さんは、何も悪くないじゃないですか。悪いのは、黒木さんのことを勘違いしてしまっている、皆です」


 優しげな言葉と共に、猫丸に謝罪を止めさせた。


 「勘違いか……。お前は周りと違い、俺をこの眼帯だけで判断したりはしないんだな」

 「当たり前じゃないですか。たったそれだけで人を解った気になり、決め付けてしまうのは良くないことですよ。先入観を完全否定するつもりはないですが、それが全てとは決して限りませんし」

 「咬狛……」


 微笑みと共に告げられた、九十九の言葉。

 有り難いと思う反面、猫丸は何処か複雑な心境でいた。

 一体この気持ちは何なのか。どうしてこんなにも心苦しく、痛く、居た堪れないのか。

 まるで、刃先が欠ける程に錆びたナイフで、何度も何度も刺し続けてくるような感覚……。


 「――ところで……」

 「ん?」


 正体の解らない違和感に襲われ、何とも言えない想いでいたところ、九十九が思い出したように尋ねてきた。


 「黒木さん、さっきまで何やら考え込んでいる様子でしたが。何か悩み事でもあったんですか?」


 その質問に、猫丸は「ああ」と呟いた後。


 「実は昨日、親にいつまでも一人で居ることを注意されてな。おまけに、早く友達を作ってきてくれと頼まれてしまった」

 「ほうほう、なるほどなるほど」

 「あまり煩く言われるのも嫌なので、早速今朝、友達作りに励んでみたんだが……」

 「フムフム、それでそれで?」


 相槌を打ちながら、興味深そうに迫ってくる九十九。

 その反応に、若干困惑を抱きながらも、猫丸は更に続けて話した。


 「その、あまり成果を感じられず、存外困り果ててしまってな……」

 「あ〜〜、それは残念でしたね。うん、残念残念!」


 腕を組み、豊満な胸を更に強調させながら、何度も九十九は頷きを繰り返す。

 話の途中から、もう全ての結果が解っていながらも、それを悟られないように残念と連呼し、取り繕った形で何度も。何度も繰り返す。


 「やはり、俺への勘違いが悪影響を及ぼしているのだろうか?」

 「まあ間違いなく、足を引っ張っているでしょうね。黒木さんと関われば、自分まで周囲からハブられてしまう。そう思っている人は、少なからず居るでしょうし」

 「むぐっ!そ、そうなのか……。そうなんだな……」


 余計な追加ダメージを喰らい、心にまた更に傷を負ってしまった猫丸。

 それを見て、自分の発言が毒だったことを瞬時に察知し、九十九はすかさず謝りに入った。


 「す、すみません!失言でした。別に、皆が皆がそうだとは限りませんし、そう気を落とすことも……」

 「いや、大丈夫だ。むしろ、自分の置かれている現状が、より解りやすくなった。感謝する」


 励ますつもりが、逆にお礼を言われたことに九十九が驚く一方。

 最初から手の打ちようがないことを実感し、猫丸はいよいよ悩み込んだ。


 ――どうする?このまま一人で過ごしていくことを、親父達に打ち明けるか?


 しかし、そんなことをすれば、間違いなくあの父親は困り果てるだろう。

 正直、自分はそれでも構わない。

 一人だろうと何だろうと、自分にはどちらでもいいことなのだし、そこまで真剣に考える必要もない。

 父親の要求が何であろうと、いつも我が儘を押し付けてくるような親なのだし、これくらいの仕返しはあってもいいだろう。

 ただ、このまま周囲に勘違いされ続けるのも、それはそれで癪だ。

 

 ――別に、親父の為だとか、そういう訳じゃない。絶対に。


 どちらでもいいのなら、せめて自分が後悔しない方を。

 これはあくまでも自分の為。そう言い聞かせながら、猫丸は解決策について考えに耽ていた。その時――、


 「そうだ!」


 突然、何かが閃いたと言わんばかりに、九十九が手を打った。

 ポンッと軽い音が鳴ると同時、胸をワンバウンド揺らすや否や、猫丸の目の前に一本の人差し指を突き立てて。

 


 「黒木さん、私と友達になりませんか?」


 「へ?」


 突然の提案に、猫丸はポカンとしてしまう。

 半月前、父の寅彦に明日から高校生になるよう言い渡された時と、同じ顔だ。

 それを見て、言葉足らずな部分を埋めようと、九十九が説明口調で話した。


 「だって、猫丸さんは友達を作りたいんですよね?」

 ――正確には、親父に頼まれたからなんだが……。まあ、いいか。

 「あ、ああ……。だが、さっき話した通り、周囲から俺への勘違いが影響して、それは難しいとなっている訳で……」


 猫丸は弱気なことを放つ。

 その言葉を聞き、九十九は首を傾げた。


 「黒木さん。黒木さんの方も、何か勘違いしていませんか?」

 「俺が?」


 猫丸の疑問に、九十九は「ハイ」と答える。


 「黒木さんの言葉を聞く限り、『皆の勘違いを晴らす』ことを目的に考えているように思えますが、違いますよね?そうではなく、『友達を作る』ことが目的な筈――なら、私でも問題ない筈ですよ」

 

 笑い掛けて告げる九十九。

 その言葉にハッとした猫丸が、「確かに」と呟いた。

 いつの間にか、自分の頭の中で焦点がズレていた。

 前提に拘るあまり、大局を見失っていた。


 「だが、それだと咬狛まで勘違いを受ける羽目に……」

 「問題ありません。そんなものを一々気にする程、周囲の評価に頓着していませんし」


 そう言って、九十九は平気そうに猫丸の心配を一掃する。


 「優しい奴だな、お前は」

 「ハイ、とってもいい人なんですよ。私って」


 褒められた直後、九十九は鼻を高くすると同時、エッヘンと自信満々に胸を張りだした。

 胸部の辺りからギチギチという音が聞こえ始め、白シャツが悲鳴を上げている。

 もうすぐボタンが弾丸のように弾け飛ぼうとする時、その直前で九十九は姿勢を正し、再び猫丸の顔を見ると。


 「あっ、そうだ。もし良かったら、今日のお昼、ご一緒しませんか?お近付きの印ということで」

 「昼?一緒に……だと?」


 唐突なお誘いに、猫丸は一瞬固まった。

 昼に一緒。九十九この女と一緒に昼食。

 転入してからの二週間、九十九はいつもあの屋上で昼食を摂っていた。

 昨日の雨が残っているかもしれないから、別の場所という可能性もあるが。

 いや違う。場所なんてどうでもいい。問題なのは……、


 ――あの女も、紅竜レッドドラゴンも一緒かもしれないということだ。


 九十九の側には必ず紅音が付いている。

 今はまだ姿が無いが、やって来れば間違いなく、昼食時も顔を合わせる羽目になるだろう。

 自分の抱く畏怖の対象と一緒。正面からのぶつかり合い。

 今から四時間後に控えているかもしれない未来に、猫丸は固唾を呑み込んだ。


 「なあ、一つ訊きたいんだが……」

 「何でしょう?」

 「あの女も、竜姫たつきも一緒に来るのか?」

 「勿論。私も、いつもあの子から誘われていますし。休みじゃなければ、今日も一緒ですよ。それがどうかしましたか?」


 念の為に訊いた質問に、解っていた返答がやってくる。

 そして、後から付与された質問に対し、猫丸は一瞬目を逸らしてから。


 「いや、その……。アイツは少し苦手と言うか」

 「ダメですよ!紅音も私にとって、大事な友人なんですから。それに、言ったじゃないですか――」


 一拍を置いてすぐ、九十九がニイッと笑った。

 先程までの優しげな笑みではなく、あの我が儘な父親を想起させるような。

 意地悪で、ずる賢くて、こちらを楽しげにからかってくるような笑みを見せながら。


 「――『私と友達になりませんか』って」


 そう言った。

 ようやく九十九の意図に気付いた猫丸であったが、時既に遅し。

 とっくのとうに、向こうの掌の上だ。


 「あの子も私も、互いに一人だけしか友達が居ませんからね。ちょうど、新しい友達が欲しかったところなんです。あの子も貴方のことを気に入ってますし、きっと受け入れてくれるでしょう」

 「し、しかしだな……」

 「言いたいことは解ります。でも、これは黒木さんにとっても、悪い話ではないと思いますよ?友達が一気に二人も出来るんですから、黒木さんのご家族も大変喜ばれるでしょう」

 「むう……」


 反論が浮かばず、すっかり向こうの意のままにされてしまった猫丸。

 よりによって、一番警戒しないといけない相手の元に、自ら入り込んでいく形になるとは。


 「もし断れば、黒木さんはまた一人になってしまいます。ご家族も悲しまれます。さっ、どうします?」

 「…………」


 流れるように選択を余儀なくされ、猫丸は口籠った声を発する。

 もうすぐチャイムが鳴ってしまう。時間があまりない。

 限られた猶予の中で、猫丸はひたすらに熟考した後。ハァと大きくため息を吐いて、


 「解った……。どうかよろしく頼む」

 「ハイ!それじゃあお昼、楽しみにしてますね」


 ゆっくりと小さく、渋々頭を下げた。

 了承の声を貰い、「やったー」と嬉しそうに九十九は喜ぶ。

 その直後、校内中にチャイムが響き渡り、教室の扉が開かれた。


 「オーッス。んじゃ、とっととホームルーム始めんぞー」


 扉の向こうから、いつものスーツ姿をした担任教師が現れる。

 それと同時、クラスメイトが一斉に自分の席に戻っていき、着席を始めた。

 さっきまでそこに居た筈の九十九も、自分の席に座っている。


 ――結局、あの女は来なかったか。


 自分と九十九の間にある机を見て、猫丸はそんなことを思った。

 そこの椅子の上には、誰も座っていない。

 更に言えば、九十九の右隣にある席も、依然として空席のままだった。


 「今日は鬼頭きとうと……。ありゃ、竜姫も休みか?珍しいな」


 出席簿を開きながら、担任教師は誰も居ない二席に目を送る。

 欠席者の名前を記した後、今日の予定を適当に伝え、


 「――よし、それじゃあそろそろ終わるか」


 十分程経過した頃、ホームルーム終了を日直に指示しようとした。すると――、


 「――ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……‼」


 豪快な扉の開閉音と共に、額を汗で濡らした紅音が、荒い息遣いと共に現れてきた。

 どうやら、ここまで全速力で走ってきた直後らしい。


 「済まない相川あいかわ先生!遅れてしまった!」

 「おーう、おはようさん。とりあえず、早く席座って、息整えろよー」


 掠れた声で謝ってくる紅音に、担任教師は手を振りながら優しく対応する。

 扉を閉め、汗だくになりながら、紅音は言われた通りにゆっくり自分の席に向かっていくと、自分よりも先に、既に着席していた九十九を見て。


 「酷いではないかコマコマ!勝手に一人で行ってしまうだなんて!起こしに来てくれなかったせいで、私はこの通り遅刻してしまったぞ!」

 「私はちゃんと起こしに行きましたよ。なのにずっと眠っている、紅音が悪いんじゃないですか。ていうか、そろそろ自分で起きれるようになってくださいよ」


 プンスカと怒りながら、言い掛かりを付けてくる紅音。

 それに対し、九十九は困ったような顔で言い返した。


 ――やはり、ただの寝坊だったか……。


 案の定、学校に遅れて登校してきた紅音に、猫丸は何とも言えぬ表情を浮かべる。

 また今日も、波乱の一日が幕を開けようとしている。

 いや、今日はいつもと比べ物にならない日となるだろう。

 先に待ち受ける昼時のことを考え、猫丸の中でひっそりと緊張が走った。

 その頃、口論を続け、いつまで経っても席に座らない紅音に、担任教師がもう一度声を掛けようと、


 「おーい、お前等そろそろその辺に……――」


 ――した、その時だった。

 突然、紅音の入った扉が再び音を立てて開けられた。

 スッと自然に入ってきたのは、猫丸と同じ男子制服に身を包んだ高身長の生徒。

 シャツの裾がスラックスにしまわれていなかったり、ネクタイが首元から緩められたりと制服がかなり着崩され、短い髪は明るい金色に染められている。

 長い足で教室内を一歩一歩と進み歩き、やがて九十九の右隣にあった空席に近付くと。


 「邪魔……」

 「ギャウン!」


 ちょうどそこで立ち止まっていた紅音に向けて、思いっ切りその尻を膝で蹴り上げた。

 衝撃の入った箇所を押さえながら、紅音は涙目で悶絶する。


 「だ、大丈夫ですか?紅音」

 「うう……、何のこれしき……」


 強がっている紅音を、九十九がよしよしと慰める。

 同じ頃、着席したまま動かないでいた猫丸は、この高校に来てからずっと主の居なかった椅子に座っている、先程教室に入ってきたばかりの生徒に目を向けていた。


 ――あの男、紅竜レッドドラゴンにああも容易く膝蹴りを加えるとは……。何と命知らずな……!


 冷や汗が頬を伝り、咄嗟に目を見開いてしまう。

 そんな中、何事もなかったかのように座る生徒に、担任教師が何処か安心したような顔で、


 「よっ、元気そうだな、鬼頭」

 「…………」


 その挨拶が放たれた直後、ホームルームの終了を伝えるチャイムが、教室中に鳴り響いた。

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