第11話 その時、猫は壁の前で立ち尽くした

 ――翌日。

 教室内にて、同級生達が各々友人同士で会話に興じている中。その端で一人、無言のままポツリと猫丸は席に座っていた。

 理不尽とも言える周囲の勘違いは、尚も現在進行形真っ最中。

 窓から差し込んでくる陽光がこんなにも暖かいのに、周囲は寒波でも到来しているのではと思う程に寒々しい。

 まだ冬でもないのに、コートを羽織りたいと思ったのは初めてだ。


 ――さて、どうするか……。


 担任が来るまでのこの時間、何をしたらいいのか解らない。

 いや、何をすればいいのかは解っている。問題は、その先に立ち塞がっている、壁の登り方だ。

 これがちっとも解らない。

 別段、この壁を突破する必要は、猫丸にとって毛頭ない。毛頭ないのだが……。


 ――何とかしないと、親父が煩いからな……。


 昨夜、煩わしい程に口を酸っぱくして言ってきた父の焦り顔が脳裏に浮かび、猫丸はため息を吐きながら頭を抱える。


 『いいか⁉この際もうどんな奴でもいい!誰か一人、何としても友達を作ってくるんだ!息子が折角の青春を灰色で染める羽目になるとか、親としてマジで耐えられねぇ!』


 ――あんなに必死になってた親父の顔、初めて見たな……。


 毎日毎日、ケラケラと気楽に笑い、常に心の中に余裕を携えていた父。

 そんな父があそこまで血相を変え、焦っていた姿が目に焼き付いたせいか、不思議と事が重大なモノに思えてきた。

 絶対にそんなことはない筈なのに。


 「オーッス」

 「なぁ、昨日俺が上げたゲーム実況動画、観てくれたか?」

 「おう!バッチリ低評価押しといたぜ!」


 段々とクラスが賑やかになっていく。

 気付けばもう予鈴十分前。空いていた席も、少しずつ埋まっていく様子が見て取れるが……。


 ――奴はまだ来ていないのか。


 隣の机が未だ空席なことに、猫丸は気付いた。

 その隣も、更にその隣も、座る人の姿は居なかった。


 ――あの席……。あそこに座る者は、今日も休みなのだろうか。


 ふと、自分の席から二席飛び越えた所にある机を見て、猫丸はそんなことを考える。

 この高校に転入し入ってから、一度も姿を見せてこない机の主。

 ただ休みが続いているだけか、はたまた元から空席なのか。

 考えるだけ無駄だと解っているものの、自分にとってはどうでもいいことだと何故か投げ捨てることが出来ず、猫丸はどうしても気にせざるを得なかった。


 ――クソッ!これもあの女のせいだ。


 あの女が現れたせいで、色んなモノに警戒してしまう。

 もしかしたら、他にもこの学校に紛れ込んでいるのでは。

 そんな思いが、ずっと脳裏から離れないまま、ガンガンと鐘を鳴らし続けている。

 父は言っていた。この高校の校長は、引退したかつての同業者が勤めていると。

 そんな人間が居るくらいなのだから、他に潜んでいたっておかしくない。

 まったく、心にもない建前とは言え、何が『学校で楽しい思い出を作りながら、目一杯休んで欲しい』だ。

 こんなの、普段の仕事よりも、神経を張り詰めてしまうじゃないか。

 依頼があれば、明確に敵がハッキリとしている殺し屋稼業。

 そんな日常を送ってきた猫丸にとって、不確かな存在が隠れているかもしれない高校生活は、何よりも緊張の走る地獄の所業。


 ――親父め……、とんでもない所に俺を送り込んでくれたな。


 まさか、表社会での生活がこんなにも気疲れするモノだとは。

 やれやれと思うなり、猫丸は机の上に右肘を置き、手に顎を乗せて、昨夜の雨が余韻となって残る外の景色を眺めた――その時。

 大きな欠伸をしながら、重そうな瞼を擦っている一人の男子生徒が、猫丸の前に座ってきた。

 猫丸の前で授業を受けている、同じクラスメイトだ。

 どうやら、彼は今一人らしい。


 ――とりあえず、まずは話し掛けてみるか。


 父からの要求を思い出し、猫丸は仕方ないと思いながらも、その男子生徒に声を掛ける。


 「おはよう」

 「え?あ、うん、おはよう……」


 急に後ろから挨拶されたことに、男子生徒はビックリしながらも、すぐさま同じ挨拶を猫丸に返した。

 勘違いが足を引っ張っているせいか、まだこちらを警戒しているらしい。

 が、完全に無視される程、避けられてはいないようだ。


 ――ひとまず、脈はアリと言ったところか。……さて、ここからが問題だ。


 会話の出来る可能性を見出すや否や、猫丸は昨日話していた父の助言を思い出す。


 『いいか?友達を作る最も簡単な方法は、共通の趣味を見付けることだ。そこから会話に発展させ、盛り上がってライン交換まで運んじまえば、もう友達の出来上がりよ!』


 応援を込め、自信を付けさせる様に告げられた、父からの有り難きアドバイス。

 友達作りにおける、至極一般的かつ、有効的手段。

 コレさえあれば、猫丸息子のボッチ脱却も夢じゃない!そう思っていた寅彦。

 しかし、彼は一つ、大きな失敗を犯していた……。


 「いきなりで悪いが、君の趣味を訊いてもいいか?」


 早速父の助言通り、まずは相手の趣味を直接聞き出そうとする猫丸。

 その質問に、男子生徒は若干の動揺を見せながらも。


 「しゅ、趣味?――えーっと、漫画やラノベ読んだり、アニメを観たりすることかな……」


 親切に受け答えしてくれたことに、猫丸はすかさずお礼を言う。

 そして、すぐさま次の発展作業に移行しようと……、


 ――マズい……、詰んだ……。


 した矢先、猫丸はすっかりその場で立ち止まってしまった。

 これこそ、寅彦が犯してしまった痛恨の失敗ミス

 残念なことに、猫丸は男子生徒の様な一般の同世代が送っている趣味について、一切の知識・経験が無かったのである。

 無理もない。つい半月程前まで、猫丸は俗世とかけ離れた所で生活しており、先程クラスメイトの挙げた様な一般的娯楽は、昨日のアニメ視聴が初めての体験だったのだから。

 あの後、アニメには『漫画』や『ラノベ』といった『原作』という物が存在する場合が多いと、猫丸は父と側近に教えてもらった。

 。つまりそれは、その時までその存在があることについて、全く知らなかったということ。

 実際、目の前でそれ等を開いたことは疎か、手に取ろうとしたことも、どういったジャンルが存在するのかと言う知識さえも、猫丸には無かった。

 当然、それまで知識の無かった物を、さも知っていますよ風に語ることは出来ない。

 アニメだって、昨日一度観た程度で、一緒に語り合える程の引き出しは無い。

 そもそも、唯一視聴した作品自体があまりにも古過ぎて、どう考えても目の前の男子生徒とは世代が合ってるようには見えなかった。

 皆無にも等しきオタク知識。

 圧倒的とも言える、表文化の経験の無さ。

 立ちはだかる巨壁を前に、猫丸はただただ呆然と立ち尽くすばかり。


 「ど、どうしたの……?」


 返答に対するお礼後、一向に反応を示さない猫丸に、男子生徒は心配そうに尋ねた。

 その声に気付き、ハッと我に返った猫丸はしばらく考えた後。


 「いや、何でもない。急に変なことを訊いてしまい、済まなかった……」


 そう謝るなり、小さく頭を下げた。

 朝から急に話し掛けられたかと思えば、次の時には謝罪され、男子生徒は再び動揺する。


 「き、気にしないで。人に趣味を訊くことくらい、全然変でもないしさ」


 俯いている猫丸に、そう励ましの声を届けると、男子生徒は体の向きを元に戻し、それから声を発することはなかった。

 またしても親切に対応してくれたことに、猫丸は心の中で謝意を述べる。

 それと同時に、何の進展も起こせなかった己の不甲斐無さに、すっかり打ち拉がれてしまった。

 やはり、自分にはこの高校生活を、表社会での生活を送ることは不可能なのだろうか。

 悩む様にしてそう思っていた、次の時――


 「――おはようございます、黒木さん」


 突然、窓側とは逆に位置する隣の席の方から、挨拶を送られてきた。

 もしや、あの女がようやく登校してきたのだろうか。そう考える寸前、それは間違いだと猫丸は瞬時に気が付いた。

 何故なら、掛けられたその声は、幼さの残っているあの女の煩いそれと比べ、落ち着きがあり、そのたった一言から優しさが全面に溢れている様な、とても穏やかな物だったから。


 「お、おはよう……」


 挨拶を返すと共に、猫丸はその方を振り向くと、見覚えのある顔が目に入る。

 キラリと輝く丸い眼鏡に、季節外れの雪を思わせる様な色白の肌。

 余裕で背中を覆い隠す程はあろう長い黒髪は、丁寧な三つ編みに纏められ、右肩から前へと垂らされている。

 そして、制服の下には、明らかに同世代のそれよりも発育の目立った、神々しい双丘が。


 「あの、何処を見てるんです?」

 「すっ、済まない!自然と目を奪われてしまって……」


 思わず謝ってしまうや否や、猫丸は即座に顔を逸らした。

 その言葉に「はあ……」と、呆れ口調で呟く眼鏡少女。

 豊満な胸を静かに揺らしながら、ゆっくりと猫丸の元へと近付いていく。


 「な、何だ?」


 急に自分の側に近寄られたことに、猫丸は理由も解らず、警戒心を顕にしてしまう。

 その様子に、眼鏡少女はクスッと吹き出して。


 「いえ、名前の通り、本当に猫みたいだな〜って」


 からかう様にそう言った。

 訳の解らない発言に、一層警戒を重ねてしまう猫丸。

 けれども、他のクラスメイト達と違い、何の先入観も無く話し掛けてくれたことに対して、僅かに、ほんの僅かに嬉しさを感じていた。


 「お前……、確かあの女と一緒に居た奴だよな?あの女はどうした?」

 「あの女?ああ、紅音のことですか。あの子なら幾ら起こしに行っても起きなかったので、そのまま置いてってしまいました」

 

 猫丸の質問に、眼鏡少女はため息混じりに返答した。

 すると、突然ハッと思い出したかの様に、


 「そういえば、自己紹介がまだでしたね」


 右手を前に差し出し、握手を求める様な形で、


 「咬狛かみこま九十九つくもです。紅音からは、よくコマコマというあだ名で呼ばれています。どうぞよろしくお願いします」


 微笑みながら、眼鏡少女改め、九十九つくもは自らの名前を告げてきた。

 目の前に出された右手に、猫丸は一瞬視線を移す。

 その数秒後、真似する様に、今度は自分の右手を前に出すと、


 「黒木くろき猫丸ねこまるだ。こちらこそ、よろしく頼む」


 互いの掌を重ね、優しく握り合った。

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