第10話 その時、寅は後悔に駆られ苦しんだ

 「中二病……?」


 初めて耳にする病名に、猫丸は頭上に疑問符を浮かべた。


 「親父、何だその恐怖さの欠片もない、寧ろ耳を擽ってくる様な名前をした病気は?」

 「病気……。まぁ一種の病気なのかな、これも……」


 微妙な反応を見せてくる父に、猫丸の疑問は募るばかり。

 そこで、今度は豹真にその病気について訊いてみることに。


 「豹真は知ってるか?その中二病とやらについて」

 「一応、大まかには……」

 「そうか、じゃあ親父の代わりに教えてくれ」


 解説を頼まれ、豹真は快く了承するが、その表情には怪しげな雲行きが映っている。

 どうやら、寅彦が危惧していることの意味を察知し、心配が伝染してしまったようだ。

 一人危機感を抱いていない主を前に、豹真はふと寅彦の方を一瞥する。

 視線に気付いた寅彦が、目を合わせながらコクリと頷いた。


 ――解りました……。


 悟った様に、豹真は頷き返す。

 その後、深刻そうな面持ちでいる寅彦の意思を汲み取るや否や、一旦切り替える様に咳払いを挟んで。


 「ではお教えします。中二病というのはですね……――」



 ――中二病。

 それは、主に思春期を迎えた少年少女の一部に発症し、過剰な自意識やそれに基づく振る舞いを表す、正式化されていない心理的病気のこと。

 その病に罹った者は、不自然に大人びた言動を取ったり、根拠も無く自分が特別な存在であると思い込んでしまうのだ。


 「えーっと、つまり……?」

 「つまり、周囲に自分を見掛け以上に強く見せようと、背伸びする人達のことを言うのです。年甲斐もなくわざわざコーヒーをブラックで飲んだり、何が良いのかよく解ってもいないのに敢えて洋楽を聴いている人などが、これに当て嵌まります」

 「成程……。ところで、何の根拠も無しに自分を特別な存在だと思い込むというのは?」

 「そのままの意味ですよ。例えば、『自分は生まれつき特殊な能力を持った逸材で、この能力ちからを欲しようとする権力者達に世界中から狙われている』などの様な設定を、自分の脳内世界に創り上げる――といった感じです」

 「な、なるほど……」

 ――詳しいな……。


 豹真の淡々とした解説に、猫丸はフムフムと頷き続ける。

 しかし、不可解な点が一つあった。


 「ん?ちょっと待て。何で俺がそんなおかしな病人と間違われるんだ?さっきの話を聞く限りだと、俺はその条件に一つも当て嵌まってない様に見えるんだが」


 猫丸が首を傾げるのも無理はない。

 先程豹真が解説したのは、中二病の中でもごく一般的で、かつまだマシな部類に入るもの。

 真に恐ろしいのは、この後である。


 「中二病は言葉遣いや振る舞いだけに留まりません。酷いものは内だけに収まらず、体の外にも浮き彫りとなって現れます」

 「更に上があるのか?」

 「ええ。また幾つか例を挙げるとすると、指先の空いた手袋を装着したり……」

 「手袋としての役割は?」

 「怪我もしてないのに、体に包帯を巻き付けたり……」

 「包帯としての役割は?」

 「これまた怪我もしてないのに、意味も無く眼帯を装着したり……」

 「眼帯としての役割は?」


 更に説明を加える豹真。

 新しく出てきた具体例に、猫丸はすっかり呆れ果てていると。


 「……って、おい、ちょっと待て。だから何で俺がそれに当て嵌まる様な誤解を受けているんだ。俺はそんな無意味極まりない行動を取る様な異常者と違うぞ。この眼帯も、負傷の痕を隠す為に付けているだけであって、別に意味も無くしている訳じゃ……」


 その眼帯に覆われた左眼に手を添えた瞬間、猫丸の脳内にとある答えが浮かび上がった。

 その内容は、想像するだけでも屈辱的で、何故だか酷く苛立ちが込み上げてくるもので……。


 「なぁ、まさかとは思うが、それだけで俺も、その異常者の枠組みに数えられているんじゃないだろうな……?」

 「「…………」」


 額に青筋を浮かび上がらせながら、猫丸は寅彦と豹真に尋ねた。

 が、二人からの返答は来ない。揃って違う方角を向いており、意図的に猫丸から目を逸らしているのが解る。

 反応を見て、猫丸は「ああ、やはりか」と理解した。


 「中々勝手な思い込みをしてくれるじゃないか、クラスの連中は。眼帯コレを付けているだけで、俺がそんな扱いを余儀なくされるとはな……」

 

 知らなかったといえ、周囲から二週間近くも侮辱されていたという事実に、猫丸はプライドを傷付けられた様な思いでいた。

 そんな煮え滾る怒りを察してか、寅彦は息子を宥めると同時に、念を押す形で話を掛ける。


 「ま、まぁ、向こうも先入観があってネコを勘違いしてるだけなんだし。すぐ誤解も解けんだろ!だからその……、ムカついたから全員殺すとか、そういうことはしないようにというか……」

 「親父、俺はそこまで沸点の低い男じゃない。流石にそんな野蛮はしないから、安心してくれ」


 あまりの父の焦り具合に、思わずため息混じりに返答する猫丸。

 息子が意外にも冷静さを欠いてなかったことに対し、寅彦はホッとすると、ゆっくり肩の力を抜いていった。


 ――しかし、これは何とかしないとな……。


 このままずっと息子が勘違いされ続けるのは心苦しい。

 一刻も早く、この状況を打開せねば。

 そう思った寅彦はしばらく考えに耽た後。


 「とりあえず、その眼帯は取っちまった方が良さげかもな」


 今からでも出来そうなことを提案した。

 勘違いの原因とも言える、左眼に付けられた黒の眼帯。

 コレがある以上、猫丸の交友関係に進展が起こるのは難しいだろう。

 これからもずっと、息子がボッチで居続ける姿は、想像するだけでも胸が苦しくなる。

 とにかく、この眼帯を外させて、明日からちゃんと友達作りに励んでもらわなければ。

 息子の限られた青春を守る為、心の底から渇望する寅彦。

 そんな父の願いを、猫丸は――、


 「嫌だ」


 真っ向から否定した。

 「えっ?」と、まさかの一言に思わず寅彦は固まってしまう。


 「ど、どうしてだネコ?傷を見せたくないからとか、そんなところか?だったら、俺が市販に売ってある白いヤツを渡すから、明日からはそれで登校を……」

 「そうじゃない。傷を見せるのが嫌だとか、白が嫌だとか、そういうことじゃないんだ……!」


 猫丸は何度も首を横に振り、左眼を覆う眼帯をとても大事そうに押さえる。

 その様子と言動に、余計意味が解らなくなった寅彦は更に問い掛けた。


 「じゃあ、一体何だってんだよ?」


 一体それの何が特別なのか。何が他と違うのか、全く解らない。

 そんな父の疑問に、猫丸は俯きながら、


 「だってこれは……」


 完熟したリンゴの如く頬を赤らめ、目の前に居る寅彦から若干目を逸らす様にし、


 「これは……親父が昔、初めてプレゼントにくれた物だから……」


 相手にギリギリ聞こえる様なか細い声で、恥ずかしそうにそう答えた。

 その返答に、寅彦はふと天井を見上げると。


 ――あああああああああ〜〜っっっ……‼そうだったァァァ‼


 すっかり忘れていたことを思い出し、過去の出来事を頭に浮かび上がらせた。


 それは、遡ることおよそ八年前。

 殺し屋として必要最低限の訓練を終えた猫丸が、初仕事から帰って来た後のこと。

 左眼を負傷し、顔に痛々しい傷痕を残してしまった息子を見て、不憫に思った寅彦は、


 『お父さん……。これ、何?』

 『初仕事のご褒美だ!どうだ?格好いいだろ?』

 

 今現在も猫丸が付けているのと全く同じ、黒の眼帯を手渡した。


 『格好いいかもしれないけど、俺、どうせならもっと強い武器とかが欲しかったな。それがあったら、またこんな怪我もしなくて済むし……』

 『おまっ、貰ってすぐ正論混ぜた不満ぶつけてくんじゃねーよ!子供ならもっと、やったーとか、嬉しーとか、そういう可愛らしい反応しろっての!』


 あの時、あんなに不評じみたことを言っていたくせに、まさかずっと大事にしてくれていたとは。

 思わぬ息子の心遣いに、感動せずには居られなかった寅彦。

 しかしそれ以上に、



 ――何であの時、眼帯なんて渡しちまったんだ昔の俺ェェェェェェェェ‼



 思わず呪いたくなってしまう程の後悔が、その感動すらも呑み込んでしまっていた。

 噴火と同時、火口から噴出したマグマの如く、内側から己への嗷嗷たる非難が沸き上がり、勢いよく押し寄せてくる。

 何故あの時眼帯を、しかもよりによって黒いのを選んできてしまったのだろう。

 昔の息子猫丸の言う通り、もっと強力な武器とかを持って来れば良かった……。


 「そうだったのですか。それでは、置いていく訳にはいきませんね」

 「ああ、コレは俺の命より大切な物だからな。肌見離さず、ずっと共にしていくと決めてるんだ」


 誓いとも言える、猫丸の心の底から告げられた言葉に、豹真は仕方ないと思いながらも、どこか嬉しそうに微笑み、静かに頷いた。

 その頃、同じく猫丸の言葉を耳にしていた寅彦は、


 ――もうやめてェェェェェェ!それ以上俺を追い詰めないでェェェェェェェェ‼


 その想いが逆にトドメとなったか、目に薄っすらと涙を浮かべながら、心の中で藻掻き苦しみ、のたうち回った。

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