第二章 鬼の隈は晴れない(書籍版 未収録)

第9話 その時、寅は静かに天を仰いだ

 ――六月初旬。

 季節の変わり目を迎え、彩鳳高校に転入はいってからおよそ半月。


 『そこまでだぜ、クソ野郎共!』


 外から漏れる雨音を聞きながら、猫丸は父、側近兼執事長の豹真ひょうまの二人と並んで、共にテレビアニメを視聴していた。

 無論、猫丸の意思ではない。父の寅彦とらひこが半ば強引に誘ってきたからである。

 嫌々と何度も反対したものの、最後は豹真の後押しにより、結局父の我が儘にまた付き合う羽目となってしまった。


 ――猫丸様も高校生になられたのですし、自分と同じ人種がどのような生活を送っているか。お勉強されても宜しいのでは?


 『バカ!何で来ちまったんだよ!俺のことはほっとけって言っただろ⁉』


 勉強か……。こんな作り物の映像から、一体何を学べというのやら。

 初のアニメ視聴ということで、寅彦が初心者にもハマるようにと、一昔前にありそうな青春モノを用意してきた。

 用意してきたまでは良かった。が、流石に一昔過ぎたか。絵柄や背景だけでなく、登場人物達の個性と常識が今のそれと大きくかけ離れている。


 ――何だあの奇抜な髪型は。頭にフランスパンでも乗せているのか?この男……。


 主人公のリーゼントヘアが気になってしまい、猫丸が一向に内容に集中出来ずにいた頃。

 盛り上がる展開に入ったのか、隣に座っている父の寅彦が、歳に似合わず少年の様な顔付きで、画面を食い入る様に観ている。

 もう片方では、勉強と称して寅彦と一緒にアニメを勧めてきた豹真が、正座の体制で猫丸達に付き添っていた。

 相変わらず寡黙な表情を浮かべているものの、決してつまんなそうにはしておらず、その目線は常に画面を見据えている。


 ――まさかとは思うが、コイツもそういった物に興味があるのか?


 十年以上、兄弟の様に育ってきた側近の意外な一面を知り、猫丸は密かに驚いていると。


 「来る!来るぞネコ!この作品切っての名台詞が!」

 「寅彦様お静かに。猫丸様も、私語は慎んでください」

 「あ、ああ、済まない……」

 ――俺、何も喋ってなかったよな……?


 何やら、二人のテンションが怒濤の勢いで上昇している。

 その様子に、猫丸は何とも言えぬ表情のまま、言われた通りに画面に目を向けた。

 光る液晶の向こうでは、ガラの悪い奴等に集団でボコボコにされている青年が、血を流し、地面に一人倒れ込んでいる。

 そこに、先程からずっと髪型が気になって仕方がなかった、この作品の主人公が駆け付け。倒れている青年に向けて、振り向き様に一言。



 『わりぃな。ダチを見捨てて逃げる程、俺は賢くねぇんだよ』


 「クウゥゥゥゥ‼」


 突然、恍惚の笑みを浮かべながら、寅彦が腹の底から声を張り上げた。

 今まで見たことのない父の姿に、息子の猫丸はとうとう頭がイカレてしまったのではないかと唖然する。

 念の為、豹真の方も一瞥してみると、今まで固かった表情が途端に崩れかけており、口をモゴモゴしながら、目をキラキラと輝かせている。


 ――何だ、この二人の反応は……?俺か?俺がおかしいのか?


 この場でただ一人、自分だけが感動していないことに、猫丸は思わず動揺してしまう。


 「おっしゃ行けェ!ブチのめせェ!」

 「????」

 「顎を狙うんです。そう、そこから首を圧し折って……」


 一方にはテンションが跳ね上がるあまり、その場に立ってジャブを連発する父。

 もう一方には主人公サイドを応援しながら、密かに拳を握り、怖いセリフを放ち続ける側近。

 その二人に挟まれ、もう何がなんだか解らなくなってしまう息子。


 ――コレが、アニメ……なのか?


 こうして、猫丸にとって初のアニメ体験は、困惑を残して幕を引いた。


 ようやくエンドロールが流れ出し、三人は息を吐いた。

 とても満足そうな二人に対し、猫丸の表情は酷く疲れている。


 ――もう、金輪際アニメは勘弁だな……。


 未知ではなくなったものの、苦手意識を強く心に植え付けられてしまった猫丸。

 正確には、アニメの内容云々でなく、共にしていた父達との温度差。場違い感に苦手意識を覚えてしまったのだ。


 「どうだ?俺の一押し作品は。中々の物だったろう!」

 「まあ、嫌いではないですね。特に、主人公と友人の間にある強い絆……。あの絶妙な描きようは、高得点です」


 猫丸を挟み、寅彦と豹真は先刻のアニメについて熱く感想を語り合う。

 逆に、特にコメントが何も思い浮かばなかった猫丸は、ただただ居心地悪く思うばかり。

 そのことにようやく気付いたか、ハッとした寅彦が沈黙する息子に話を掛ける。


 「ネコはどうだった?初アニメの感想は」

 「そうだな……。ああして絵を動かし、声を吹き込むことが出来る現代技術の進歩に、感服していると言ったところか」

 「お、おう……。そうか……」

 ――息子コイツは一体、何時代の人間なんだ?


 初めての体験なのだし、仕方ないかと思いながらも、予想外の返答が来たことに、寅彦は動揺してしまう。

 しかし、自身の息子が少しずつ表文化に触れていっていることに、内心密かに嬉しさを感じた。


 「ネコも、いつかこんな友達を持てるよう頑張れよ」


 流したアニメの内容に結び付けて、寅彦は応援する様に笑い掛ける。

 その言葉に、猫丸は一瞬無言になった後、


 「なあ、親父……」

 「ん?」


 真っ暗な画面から父親の方に顔を向け、軽い気持ちで尋ねる。



 「友達って、どうやって作るんだ?」


 「…………」


 寅彦は笑みを浮かべたまま静止した。

 窓の向こうからは、騒々しい雨音に紛れて雷鳴の轟く音が聞こえる。

 深く息を吸った後、まさかと思い、息子の質問に父は質問で返す。


 「ちょっち待ってくれ我が息子よ。えっ?お前さん、今何と言った?」

 「だから、友達ってどうやって作るのかを訊いてるんだが」

 「あーうん。オーケー、それは聞こえてる。だがその前に、一つ訊かせてくれ」


 首を傾げる猫丸。そんな息子を見て、父は問い掛けた。


 「ネコ、お前ひょっとして、友達居ない?」

 「ああ。だからこうして、その作り方を訊いてるんじゃないか」

 「〜〜〜〜ッッッ――」


 その時、寅彦は天を仰いだ。

 気付いてしまった。悟ってしまった。

 最愛の息子が今現在、クラスでボッチであるということに。


 「嘘だろ?お前、もう学校入って二週間だぞ⁉マジで友達出来ていないのか?」

 「ああ、出来ていない」

 「話し掛けられたり、一緒に飯食べに行ったりとかは?」

 「無い。一度も無い」

 「Oh…………」


 質問に悉く即答で返してくる猫丸に、寅彦はとうとう何も出て来なくなってしまった。

 その様子を見て、自分の主人がどのような状態に陥ってるかを察知した豹真が、変わる様に問い掛ける。


 「猫丸様、失礼を承知してお尋ねしますが、クラスメイトの方々に、何か無礼を働いた記憶はありませんか?」

 「無礼と言われてもな……」

 「人間関係と言うものは複雑です。もしかすると、自分の知らないところで、他人を傷付けているやもしれません」


 指摘を受け、猫丸は更に頭を悩ませる。

 熟考に熟考を重ね、細部の細部まで記憶を漁るが、やはり答えは出てこない。


 「ふむ、心当たりが無いと言ったところでしょうか?」

 「ああ、誰かと会話した記憶も、行動した記憶も無いからな」


 この時、猫丸は嘘を吐いた。行動した記憶こそ全く無いが、会話した記憶なら確かにある。

 が、その相手が良くなかった。

 あの女……。自分と同じ裏社会の人間でありながら、自分より先に学校に在席していた、あの女。

 しかも、自分より遥か高次に位置する存在であり、今も尚、全裏社会を騒がせている、あの女。

 登校初日、猫丸は帰ってから今に至るまでずっと、紅音に会ったことを隠していた。

 もし教えれば、家族総出となって、紅音の、もしくはに移っていただろう。

 だが、それが叶わないことは目に見えている。

 反撃を喰らうのは必然。最悪、全滅になってもおかしくない。

 何故なら、自分がその洗礼を受け、文字通り手も足も出ないことを思い知らされたのだから。


 ――大事にする訳にはいかない……。最低限、警告は守らなければ。


 過去の自分を思い出す様に、改めて決意を固める猫丸であったが、完全にその火は消えてなかった。

 完璧とも言える隙、そして自分が超えたと確信を持つ時が来れば……――



 ――必ず奴の、紅竜レッドドラゴンの首を刈ってやる……。


 「猫丸様?」

 「……ん?ああ、済まない。少し考え事をしていてな」


 回想に耽ている途中、突然無言になったことを心配され、猫丸は豹真に頭を下げる。

 その直後、息子の現状にどうしたものかと頭を悩ませていた寅彦が、念を押す様にもう一度尋ねた。


 「なあ、ホントに心当たりはねぇのか?何かこう、教室で感じる違和感とか、そういうのってなかったりしねぇ?」

 「違和感……。そういえば、初日に教室に入ってから、何故か周りからずっと避けられている気がするな。俺の顔を見るなり、何やらヒソヒソと話していたし……」

 「顔?」


 そう聞いて、寅彦と豹真は一緒になって、猫丸の顔を注視した。

 一見、少々中性的ではあるものの、整った顔立ちをしている自慢の息子、自慢の主人。

 長年一緒に居たせいか、それ以外何者にも見えない猫丸の顔を、二人は懸命になって見続けた。


 ――うーん、怖がって寄り付かないのではとも思ったが、そんな要素はどこにも見当たんねーし。強いて言うなら、左眼の眼帯くらい……。


 すると、寅彦は咄嗟に、その黒い眼帯に目を向けた。

 何故だろう、何かが引っ掛かる……。


 ――眼帯……、眼帯……、眼……た……い……。……ハッ!もしや……――


 遂に、寅彦は気付いた。気付いてしまった。

 猫丸が避けられている理由も。猫丸の顔を見て、クラスメイト達がヒソヒソと話している理由も。

 全て、気付いてしまったのだ。


 ――なるほどな。あの時感じていたもどかしさの正体は、だったのか……。


 それは彩鳳さいほう高校転入初日の朝。愛する息子の門出を見送った時のこと。

 思い付く限りの不安材料を取り除き、これで何も心配要らないと思った――その直後。

 ふと、自身の胸に言い表すことの出来ないざわめきが走った。

 何か忘れている気がする。そんな気がしてならないのに、それが一体何なのかハッキリと解らない。

 まるで白い靄に邪魔されているかのように、一向に像を掴めない。

 だが今ようやく、ようやくその靄を取り払うことに成功した。

 もっと早く気付いていれば。そんな後悔が寅彦の背中に重く伸し掛かる。


 「猫丸、解ったぞ。お前がクラスで浮いてる理由……」

 「本当か?」

 「寅彦様、それは一体どういった理由ですか?」


 頭を重く抱える寅彦に、未だ原因が解っていない猫丸と豹真が食らい付く。

 既に手遅れの現実に、寅彦は独り打ちのめされながら、自分の元へと迫る息子の片目を見て。

 一大事であることを、心の底から訴える様に告げる。



 「ネコ。お前、中二病だと勘違いされてんぞ」

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