第8話 その刻、猫は勘違いを加速させた

 「「強大な……能力ちから?」」


 猫丸と眼鏡少女が、揃えて口から同じ疑問文を漏らす。

 無論、猫丸の声は向こう側に届いておらず、今から首を取ろうとする相手の言葉に反応し、体も動かないでいた。


 ――強大な能力ちからだと?あんな女のどこにそんな物が有ると言うんだ。


 内心では解っている。コレもどうせハッタリなのだろうと。

 解っている筈なのに、その姿の見えない不安材料が、猫丸の体を強く縛り付けていた。

 せめて、その正体だけでも確認せねば。その意図を偶然汲み取ったかの様に、同じく紅音の発言に反応していた眼鏡少女が、質問を投げ掛ける。


 「一応尋ねますけど、強大な能力ちからって、一体何なんです?」

 「フッ、良くぞ訊いてくれたな。まず、この左腕に秘められし能力ちからだが……――」


 呆れる様にため息を漏らす眼鏡少女。それとは逆に、ゴクリと固唾を呑み込む猫丸。

 正反対の面持ちで二人が構える中、紅音はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたまま、左腕に巻かれた包帯をなぞって、



 「――この封印が解かれた瞬間、私を中心に、半径500メートルの地帯が炎に包まれ、紅蓮の地獄と化すのだ‼その名も、『燃ゆる真紅の炎熱地獄クリムゾンインフェルノ』‼」



 と、何とも荒唐無稽なことを言い出した。

 それを聞いた瞬間、眼鏡少女は「ああ、成程……」と呟いて。


 ――また新しい設定か……。


 やれやれとばかりに、また一つため息を吐いた。

 まるで、いつものことの様に……。

 その頃、猫丸は……、


 ――何……だと……?


 額からダラダラと脂汗を掻きながら、石像の様に硬直していた。

 ギョッとし、大きく見開かれた右の瞳が、その動揺っぷりを物語る。


 ――半径500メートルが、一瞬で炎に包まれる?腕が顕になるだけで?そんな話は聞いたこともない。聞いたこともないぞ……!


 未知の告白に心を揺さぶられ、猫丸は咄嗟に頭を物凄い勢いで回転させる。

 それが嘘だと、紅音自身が創り上げた、ただの妄想だと知らず……。

 その頃、自分達を見張っている者がそんな状態に陥っていようとは露知らず、己の妄想に浸っている紅音に、眼鏡少女は「だったら」と続けて。


 「右腕だけでも、スッキリさせてしまえば良いのではないですか?紅音は右利きですし、利き腕だけでも動きやすくした方が……」

 「右はダメだ‼」


 突然、眼鏡少女の提案を、紅音が焦る様に否定した。

 急な大声に、猫丸と眼鏡少女はビックリしてしまうと、険しい表情をした紅音が右腕を強く掴み。


 「右は更に恐ろしい……。この右腕が解き放たれた時、左とは比べ物にならないくらいの甚大な被害が出てしまう……!」


 声色を下げ、まるで語りだした。


 「はあ……。どれくらい危険なんです?」


 最早何度目か解らない質問を、眼鏡少女は投げ掛ける。

 その問いに、紅音は一瞬無言になり、「えーっと……」と呟いたまま熟考した後。


 「……地球が半分消し飛ぶくらい…………かな?」


 段々と声を小さくし、最後の方は、近くに来ないとほぼ聞き取れないくらいの声量で答えた。


 ――後付け感……。


 ついさっき思い付いたんだなと察知し、眼鏡少女は尚も呆れながら、「そうですか」と適当にあしらう。


 同じ頃――、


 「ハァ……ハァ……ハァ……」


 壁に凭れ掛かり、床に尻もちを付いていた猫丸は、全身から汗を噴き出しながら、荒い呼吸を繰り返していた。

 武器を落とし、その手で胸を強く押さえる。


 ――今……何て言った?あの女、今……何て言っていた?


 体を特に動かした訳でもないのに、その様子は酷く疲れている様だった。

 ……違う。疲れているのではない。焦っているのだ。

 内側から爆発する様に、猫丸の中で筆舌に尽くし難い程の焦りが、猛烈な勢いで押し寄せる。

 要因はただ一つ。

 それは、彼が俗世から遠く離れていたが故による、


 ――いや、俺は聞き逃さなかった。聞き逃さなかったぞ。あの女……――

 

 文字通り、己の無知が運んできた、



 ――右腕が解き放たれた時、地球の半分が消し飛ぶと!確かに言っていた‼



 ただの、勘違いである。


 額から溢れる汗が肌を伝り、屋上の床に小さな水溜まりを作り上げる。

 衝撃の事実を知ってしまったせいか、拳に力が伝わらない。


 ――待て……!よく考えろ、俺!腕が解放されたぐらいで、そんなことが有り得るのか?


 一瞬、猫丸の思考が正常に戻った。

 そうだ。どう考えても有り得ない。有り得る筈がない。


 ――左腕に関してならまだ解る。人体に兵器を埋め込んだり、サイボーグ手術を施したりすることは、こっちの世界では珍しくもないことだ。


 実際、その様な改造を繰り返し、殺し屋としての稼業を行ってきた者を、猫丸は目撃したことがあった。

 だが、腕が顕になっただけで、地球の半分が失われるという兵器は、見たことも聞いたこともない。

 そんな、核すらも優に超えてしまう様な超兵器が開発されたという話を、表は勿論、裏でも流されたことはなかったから。


 ――確定だな。あの女の言っていたことは、紛れもなく戯れ言。朝と同様、単なるハッタリだ。


 危うく騙されるところだった。

 生意気な女だ……、どこまでもこちらの心を揺さぶって。

 自分の知らないところで、紅音は何故か恨まれてしまった。

 腹から大きく深呼吸し、猫丸は心身を落ち着かせる。

 ようやく調子が戻ってくると、落としたナイフに手を伸ばしながら、その憎い少女に目を遣った。


 「流石、紅音は凄い能力ちからをお持ちですね」

 「だろう⁉」


 ストローを口に咥え、紙パックに残ったジュースを飲む眼鏡少女の中身無き感嘆に、紅音は自身満々に胸を張る。

 まだ何か喋っているのかと思いながら、猫丸はナイフの柄に指を当てた。その直後、



 「何故なら、私は伝説を生きる者。――『レッドドラゴン』なのだからな!」



 紅音は鼻息を荒くし、堂々とその設定を叫び上げた。

 その声に、眼鏡少女は「ハイハイ、凄い凄い」と、またしても適当にあしらう。

 その一方、猫丸は……、


 ――レッ……、『紅竜レッドドラゴン』……だと⁉


 またしても驚愕し、ナイフを手に出来ずにいるまま、硬直していた。

 一般の者なら、特に何も思うことなく、普通に聞き流すだけのただの単語。

 だがしかし、その異名は、裏社会に生きる猫丸の頭の中で、根強く、何度も反芻し続けた。


 ――まさか、本当に……あの女が?



 その存在は、世界中のどの殺し屋よりも広く知られ、そして恐れられていた。

 性別、年齢、獲物、殺した人数。何もかもが一切不明で、未知を形に表した様な殺し屋。

 解っているのは、その存在を目の当たりにした者は、敵味方関係なく、悉く消されてきたということ。

 そんな中。時と場所は違えど、偶然その仕事振りを目撃し、何とか逃げてきたという者達が現れた。

 いずれも瀕死の重症を負いながら、彼等は口を揃えて語る。


 ――アレは、文字通り存在だ。


 その一言を最期に、目撃者達は何者かに背後から撃たれ、例外なく事切れた。

 この遺言から、裏社会に生きる多くの者達が推察に動いた。

 その殺し屋は、この世のモノとは思えない程の強さを持っているのではないか。そうではなく、例外的な頭脳を所持しているのではないか。本当にそんな奴が居るのか。他にも証言を持つ者は居ないのか。

 止まることなく、膨れ上がり続ける伝説。

 その存在の不透明さ。そして、言葉では言い表すことの出来ない強さから付いた異名。それこそが……――、


 ――『紅竜レッドドラゴン


 「まさか、こんな所に居ようとはな……」


 予想外極まりないあまり、猫丸の口角が無意識に吊り上がる。

 緊張が震えに、震えが顔に移ったことにより、表情を保てなくなったからだ。

 今も尚、同業者達から最強と崇められ続けている猫丸。

 しかし、それは紅竜レッドドラゴンの強さがハッキリ明確化されてないが故での、仮の話。

 誰も猫丸こそが真の最強とは、思ってもいなかった。


 「やはり、あの女もこちら側の人間で間違いない。あの異名が口から出るということは、紛れもなく裏の人間である証拠だ。――だが……」


 いくら何でも、あの女が紅竜レッドドラゴンだというには、あまりに無理が有る。

 とうとう墓穴を掘ったな。

 注意力も無く、運動も人並み以下にしか出来ない奴が、世界中から恐れられている伝説の殺し屋な訳がない。

 頭脳の面でも、英文の和訳すらまともに出来ない時点で、大した者では……。


 ――待てっ!そう簡単に、可能性を捨て切るな!


 早まった思いを一旦抑え、猫丸はもう一度考えた。

 もし……。そう、もしの話だ。

 奴の言っていたことが全て、全て本当だとしたらどうだろう。

 各腕に、本当に未知の超兵器が内蔵されているとしたらどうだろう。

 紅竜レッドドラゴンは性別や年齢は勿論、使う武器すら不明の殺し屋。

 現時点で挙げられているのは、目撃者達にトドメを刺す為に使われたとされている銃だけだが、それ以外を使用する可能性は充分に高い。

 即ち、あの包帯の下にある物が、本物だという可能性も捨て切れないということ。


 ――地球を半壊させる程の兵器が有るというのは、正直未だ半信半疑だ。半信半疑だが……。


 紅竜レッドドラゴンとは、文字通りに存在。

 その拡散された遺言が、猫丸の思考を強く、キツく縛り付けた。

 あの女なら、紅竜レッドドラゴンの言うことなら本当なんじゃないか。

 有り得なくもない。あの、世の理を外れた様な存在なら。

 では、あの二限目の、体育の時の動きは何だ?

 注意力も運動能力もまるで無い、あの残念極まりない動きは一体……?

 一限目の時もそうだ。

 何故明らかに間違った和訳を、ああも自身満々に……。

 猫丸は熟考する。思考の海の中を泳ぎ回り、正解の陸地を探し求める。

 時間は限られている。向こうの方も、もうすぐ弁当を食べ終わりそうだ。

 口の中を白米で埋め尽くし、リスの様に頬を膨らましている紅音を見て、猫丸は暢気な奴だなと侮蔑を込める。


 「見事なまでに隙だらけの女だな。気付かれないようにしてるといえ、少しは俺が見ているかもしれないということに、警戒心を持ったらどうなんだ……」


 仮に本物の紅竜レッドドラゴンだとしても、これでは簡単に殺せそうな気がしてならない。

 裏社会を騒がせた存在とは思えない、そのあまりの貫禄の無さに、もし戦闘に発展しても自身の勝つ姿以外何も浮かばない。

 もしかしたら、本当に殺せるのでは?

 そう思いかけた、次の瞬間。ふと、紅音が英語の授業の時に叫んでいた回答が脳裏を過る。

 

 『もし貴様が我が怒りに触れた時、全ては紅蓮の炎に包まれるであろう‼そして、灰燼と化したその世界で、貴様は漆黒に染め上げられ、絶望の涙を流すのだ‼』

 「……ハッ!まさか――」


 その時、猫丸の頭の中で、散りばめられたピースが嵌っていった。

 それは決して正しい絵を作ることはなく、一枚一枚異なる穴に埋まっていって……。


 ――アレは、ただの馬鹿げた回答ではない。


 続けて、その後に起きた会話が流れる。


 『フッ、中々やるな、ブラックキャット』

 『これくらい当然だ。それより何だ、さっきのふざけた回答は。和訳は滅茶苦茶な上、後半明らかに付け加えられた様な内容も入っていたぞ』

 『フッ、アレをただの回答と勘違いするとは……。貴様もまだまだだな』

 『何だと……?』


 あの時は発言がただただ鼻に付くばかりで気付かなかったが、今ようやく解った。

 猫丸が紅音の怒りに触れた時、全ては紅蓮の炎に包まれるという言葉。

 加えて、紅音の左腕に秘められし、半径500メートルを炎に包む超兵器。

 これ等が意味する、紅音の朝の発言。それは……――、



 ――アレは、警告。奴から俺へと送られた、「攻撃すれば反撃ころす」という警告だ……!



 この瞬間、猫丸の勘違いがとうとう土壺に嵌った。

 完成されたパズルは、不運にも思い描いていた絵と全く異なり、所々で裏を向いている。

 だがしかし、猫丸はそれに気付かない。間違った方向へと加速する考察は、猫丸を更なる過ちへと運んでいく。


 ――とすると、あの体育の時間は?あの自然としか思えない動きは、どう説明付ける。


 違う。確かに自然に見えた動きだった。

 自然に見えたからこそ、あの時自分は、自分が完全に上に居ると思い込んだ。思い込んでしまった。

 だが、それが奴の罠だった。

 もしあの思いのままここで突っ込み、危害を加えようとすればどうなってたか。

 警告を無視し、武器を手に取っていればどうなってたか。

 無論、反撃に遭っていたであろう。返り討ちにされていたであろう。

 殺されていたであろう。


 ――とすると、アレは演技だったということか?俺が警告に気付かないまま、手に掛けようとする馬鹿かどうかを確かめる為の……?


 危なかった。あと少し遅ければ、確実に殺られていた。

 思えば、いつも自分は後手に回されている。

 あの時、朝に初めて顔を合わせた時から、向こうは先手を打っていた。

 そこからだ。自分が奴の掌の上で踊らされていたのは。


 「なるほど……。これが異次元との戦いか……」


 屋上に身を隠してから、常時頭を働かせていたことが廻ってきたか。猫丸は疲弊し、力無いまま広く真っ青な天を仰いだ。

 同じ頃、終始猫丸の存在に気付かなかった紅音は、眼鏡少女と共にシーツを畳み、空の弁当箱を手に持って、


 「さてと、お腹も膨れましたし、午後も張り切っていきましょう」

 「エネルギー満タン!体力全快!私の中で満ちたやる気が業火となり、激しく燃え盛っているぞ!」

 「ハイハイ、燃え尽きちゃって、授業中寝ないようにしてくださいね」


 笑顔で元気一杯に叫びながら、そのまま屋上を後にした。

 一人残された猫丸。疲労はそのまま重しとなり、鉛の様な体でゆっくりと立ち上がる。

 半ば放心状態の様子であったが、その面持ちはすっかり気の抜けたものかと問われれば、違っていた。

 

 「ククク……」


 笑っている。

 肩を震わせ、三日月の様に口を吊り上げながら、逸る気持ちを抑える様に、猫丸は小さく笑っていた。


 「まさか俺が、こうも容易く敵に踊らされる時が来るとはな。なるほど、確かにコレはだ。だが――面白い。面白いぞ、竜姫紅音!いや、紅竜レッドドラゴン‼」


 ターゲットが居なくなかったことが解るなり、その名を堂々と叫び上げる。

 初めて自分が、心の底から負けたと思える人間。

 長らく隠し続けていた姿をようやく現してきた、高く聳え立つ巨大な目標。

 ようやく逢えた最強の姿を思い返し、猫丸は恐怖と興奮の入り混じった感情を胸に仕舞った。

 そして、そこには居ない筈の好敵手に向かって、獲物を前にした猫の様に睨み付けると、


 「その首、必ずこの黒猫ブラックキャットが喰らってやろう」

 

 固く結ばれた意思の中で、そう宣言した。


 あらぬ激動から繰り広げられし、猫と竜の一年物語。

 この二人を繋ぐ救いようのない勘違いは、まだ始まったばかり――

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