第7話 その時、猫は竜の足跡を追った
――時は進み、三、四限目の終了後。
「行くぞコマコマ!」
「ハイハイ、急ぎましょう急ぎましょう」
昼休みを知らせるチャイムに合わせ、隣に座る友人の手を握ったまま、紅音は突風の如く教室を飛び出した。
それと同時、クラスの者達が続々と机の上に弁当箱を並べ、親しい仲同士で机をくっつけるなど。各々のやり方で昼食を摂っていく中。
――……よし、行くか。
猫丸も席を立ち、颯爽とその場を後にした。
目的地は決まっていない。だが、目標とする人物は決まっている。
教室を出てすぐ、視界の奥にその少女の姿を確認すると、向こうに気取られないよう一定の距離を空けながら、猫丸はその後を追い続けた。
やがて、向こうが階段に登っていくのを目にすると、一切の足音を立てぬまま、尚も追跡する。
「紅音は本当に、あの場所が好きですね」
「ああ、あそこに吹く風は、私に翼を与えてくれるからな」
上の方から、
耳を澄まし、何とか正確に会話の内容を盗み聞こうと試みるも、途中現れたドアの開閉音の様なものにより、それは阻まれてしまった。
数秒前まで、こちらに響いていた筈の二人の声が、途端に聞こえなくなる。
猫丸は急いで階段を駆け上がると、案の定、そこにはつい先程開かれた形跡のあるドアが。
――この先か。
ドアノブに手を掛け、細心の注意を払いながら、猫丸はそっとその戸を押し出した――その時。
涼しい春風に肌を撫でられ、空から射す白光に眼を眩まれながら、その視界に映り込んできたのは……、
「フハハハハハ!風よ!空よ!我が威光に崇めひれ伏し、畏怖の念を抱いて慄くがいい‼」
綿雲の泳ぐ大空に向かって腕を拡げながら、腹の底から笑い叫んでいる、ターゲットの姿だった。
空に向かいながら、一体何をはしゃいでいるのか。何を吠えているのか。何を高笑いしているのか。
不可思議極まりないあまり、猫丸は思わずポカンとしたまま静止していた。
――ハッ!ボヤボヤするな。勘付かれる前に、さっさと隠れるんだ!
音を立てぬよう、そっとドアを閉めるや否や、猫丸は急いで物陰に身を潜めた。
運良く、猫丸が追っていた二人の少女は入り口と逆方向を向いており、隠れた場所も、彼女達の死角に上手く位置している。
気取られることのないよう、猫丸は細心の注意を払いながら、耳を澄ませ、じっくりと目を凝らし、二人が何を話しているのか、ターゲットが何を考えているのかを観察する。
傍から見ると、その様はまるで二人の少女に付き纏っているだけの、ただのストーカーにしか映らないだろう。
気配を絶ち、まじまじと女子高生の背中を目に記憶させる格好は、正に慣れているとしか思えない様な上級者だ。
そんな上級者に、全身で風を感じている紅音は一切気付かぬまま、
「コマコマも一緒にどうだ?気分が高揚するぞ」
「私は遠慮しておきます。自分の一生に、拭い切れない黒歴史が刻まれそうなので」
真っ向から友人に誘いを断られたことを残念に思い、「そうか?気持ちいいのだがな」と小さく呟く。
その後、二人は協力して床にシートを拡げるや否や、白昼に澄み渡る青空の下で、共に弁当を囲んだ。
一見すると、それはどこにでもある様な、普通の食事風景。
何の変哲もおかしさもない、普通の女子高生が送る時間であった。
――相変わらず動きはない……。やはり、俺の思い過ごしだったか?
授業時に加え、特に目立った行動を見せてこない紅音に、猫丸の不審感は募るばかり。
いや、言動は思いの外――というより、異常という枠組みを通り越しているんじゃないかと思う程に
大人し過ぎた。おかしい程に。
隣に同じ世界の、同じ暗闇の世界を生きる人間が座っていたにも拘らず、紅音からコレといった動きは一切見られなかった。
朝、あれ程こちらを警戒させる様な発言を面と向かってしておきながら、コレは一体どういうことなのか。
そして何より、あの二限目。体育の時間もそうだ。
注意散漫。運動音痴。ハッキリ言って、いつでも簡単に殺せる気がしてならない。
こちらの正体に気付いていながら、あの態度と自信。まるで自分が、猫丸と同等の実力を持っていると言わんばかりの口振り。
それ等全てが、この四時間で嘘の様に思えてきた。
ただ単に、大見得を切っていただけだったのか。それに踊らされていただけで、単にこちらの勘違いだったのか。
――勘違い……。
頭を悩ませ、答えの生まれない考察をひたすらに繰り返す猫丸。
しばらくが経過し、悩みに悩みぬいた結果――彼の頭の中で、一つの結論に至った。
「まあ、奴が結局何だろうと、このまま野放しにしておくのは危険だ。ただでさえ朝の時に、周囲に俺の正体をバラそうと企み、実行に移した奴だからな。このまま生かしておく訳にはいかない」
そうして、猫丸は左右の手にナイフとピアノ線をそれぞれ握り締めたまま、紅音の動きを尚も監視する。
隙を見せた瞬間、確実にその命を刈るつもりで。
この短い時間で、何度も人の注目を浴びてる様な奴だ。
急に居なくなれば、間違いなく騒ぎが起こるだろう……。
しかし、このままずっと生かし続け、共に一年を過ごす羽目になるのはもっと危険だ。
いつまた余計なことを喋られ、余計な情報が周囲に漏らされるか、解ったものじゃない。予測さえも出来ない。
近くに居る眼鏡の少女には悪いが、眠らせた後、あの女についての記憶を消してもらうよう手配しよう。
父の我が儘がきっかけといえ、この先もこの学校に居続けるには、どうしても彼女が障害となる。
殺らねば、殺らなければ。
今……、ここで――!
猫丸は意を決し、遂に問答無用で手に掛けることだけを考えた。
薄暗い物陰の中で、銀色の光が鈍く輝く。
視線の先に居る、食事をしながら楽しんでいる少女達の会話を聞き逃すことのないよう、猫丸は目と耳に集中を込めた。
その一方で、
「――そうだ紅音、前々から言いたかった事があるのですが……」
「……?言いたかったこと?」
太陽の反射光により、眼鏡が眩しいくらいに白く輝いている少女が、思い出したかの様に新しい話題を切り出した。
紙パックに刺さったストローから口を離すなり、その口から放たれた言葉に、真向かいに座る紅音は首を傾げる。
「今日……というより、いつもですか。紅音は体育の時にも、必ずその包帯を巻いていますよね?」
どうやら、紅音の両腕に巻かれた包帯についての話の様だ。
その質問に、紅音は元気良く頷くと。
「ああ!勿論だ。いつ如何なる時にも、欠かさずしているぞ!それがどうかしたのか?」
肌の上から覆われている白い部分を撫でながら、質問を返した。
それに対し、眼鏡少女は何の感情も示さない様な真顔で、
「それ、外したらどうなんです?」
「何を馬鹿なことを⁉」
サラッと言われた一言に、紅音は信じられないとばかりに驚愕した。
カチャンと音を立てた一膳の箸が、シーツの敷かれた床の上で仲良くコロコロと転がっている。
このままでは汚れてしまうと思い、眼鏡少女はすかさずそれを拾ってやる一方、紅音は先程の友人の言葉に、未だ固まったままであった。
「コマコマよ、突然何を吐かすかと思えば……。
「だって、そうじゃないですか。紅音は特に怪我をしてる訳でもないですし、どう考えたって不必要ですよ?」
淡々と告げ続ける眼鏡少女。
――確かに、今日一日はずっと包帯を身に着けていたな……。あの腕で、普通にスポーツにも興じていたし。
少女の発言に、遠くから見ている猫丸も同調する。
彼女の言った通り、紅音の両腕に巻かれている包帯は、包帯としての役割を全く果たしていなかった。
むしろ、腕が縛られるだけで、窮屈以外の何物でもない。
それなのに何故、彼女は包帯を纏っているのか。
そんな疑問が、猫丸の頭にふと浮かび上がる中。
「不必要などではないぞ!コマコマよ、私が何の意味もなく、腕に包帯を巻き付けている訳がないだろう!」
「と、言いますと?」
そんな疑問に答える様に、
「この腕にはな!私の中に眠る、強大な
紅音は、遠くの猫丸の耳にもハッキリ聞こえる声量で、堂々と返答した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます