第5話 その時、猫は竜に勘違いした

 静寂の教室。猫丸と、突然名乗りを上げてきた謎の少女・竜姫たつき紅音あかねを除く三十八人の生徒達は、目の前で起こった出来事に言葉を失った。

 それと同時、その三十八人全員の頭の中に、ある思いが一致する。


 ――また始まった……。


 見ているこっちが恥ずかしい。

 湧き上がる様な共感性羞恥が全身に襲い掛かり、居た堪れない気持ちでいっぱいになる。


 「ハッハッハ!相変わらず元気がいいな〜、竜姫は」


 口を満開させ、大きく声に出して笑い上げている担任教師。

 何を笑ってるんだ。この状況を見て、何とも思わないのか。この人には羞恥心というものがないのか。頭がいっちゃってるのでは等々、教師を見る生徒達の頭の中にそれぞれの疑問が浮かんでいく中。


 ――さっきから何を言ってるんだ?この女は……。


 猫丸この男だけが、別の事に疑問を抱いていた。

 出会ってすぐ、意味の解らない事を叫びながら、自分の名を語ってきた謎の少女。

 その無理矢理な距離の詰め方により、猫丸は早速、目の前のクラスメイトに苦手意識を抱いてしまう。

 

 「む?どうした、そんな面妖な生き物を目の当たりにした様な顔をして」


 振り返ってから何も発さず、ずっと固まったままの猫丸に、紅音は首を傾げる。

 その直後、ポンッと急に手を叩くなり、まるで自己完結する様に、うんうんと何度も頷いて。


 「ああ成程、私の気迫と覇気溢れる自己紹介に、圧倒されてしまったのだな。フッ、私とした事が……」

 

 その時、猫丸の肚の中で、ムカッとする感情が煮え始めた。

 理由は解らないが、何やらこの少女に下に見られた様な気がする。

 何だろう、今すぐこのニヤけ面をぶん殴ってやりたい。

 そんな思いが、体の中で沸々と湧いていくと。


 「さっきから訳の解らない事をベラベラと……。お前は俺をおちょくってるのか?」


 自然と、猫丸の口から声が発せられた。

 何故だろう、この女には反発してやらないと気が済まない……。こっちが黙ったまま、一方的に口を開かれるのが、不思議と苛立って仕方がない。

 こんな気持ちでいるのは、あの我が儘な親父を除き、初めての事だった。

 ようやく猫丸が返答してくれた事に、紅音の方もパッと顔を明るくさせる。


 「おちょくってなどいない。ただ私は、自分の力を押し殺せない事に対し、反省しているだけだ」

 「その発言が、俺をおちょくってると言ってるんだ」

 「フッ、私もまだまだだな……。出会って間もない相手に、我が深淵の一端を見せ付けてしまうとは」

 「それ以上力を誇示し続けるのなら、今すぐ止める事だな。お前のその煩い口を、力尽くて閉ざしてやってもいいんだぞ?」


 やや雰囲気は良くないものの、会話?が弾み、教室の端という狭い空間の中で、猫丸と紅音、二人だけの世界が構築されていく。

 一方で、それを傍から見物しているクラスメイト達は、互いの目を見合わせながら、困惑してしまう。


 「なあ、何かまた竜姫が自分のゾーンに入っているぞ……」

 「でも、あっちの転入生の方は、何だかまともな感じがするな。やや喧嘩腰だけど、竜姫の意味不明な言動にも、普通に動揺しちゃってるし」

 「もしかしてアイツ、実は結構良識的なタイプなんじゃ……」


 第一印象と一変し、彼等の頭の中で、猫丸の評価が少しずつ上がっていく。

 そんな事はいざ知らず、猫丸は目の前の少女に青筋を立て、仄かに殺気を顕にしていると。

 

 「そう怒るな。私は嬉しいのだ。私と同じ、陽の当たる事のない、漆黒に覆われた世界の人間に逢えた事に……」

 「また意味の解らない事を……。俺がお前と同じ世界の人間だと?」


 少女の言葉に、思わず問い掛けてしまう猫丸。

 そんな彼に、紅音はコクリと頷いて、



 「そう、私も貴様と同じだ。――ブラックキャット」



 その鋭い双眸を合わせながら、そう告げた。


 「ブラックキャット……?」

 「名前略しただけじゃねーの?単純に。ほら、転入生の名前、丸って言ってたし」


 教室に居る生徒の誰かが、いち早く紅音の発言の意味を理解し、周囲の人間に伝えていく。

 事実、その者の言ってた事は正しかった。

 紅音が言ったのは、ただの猫丸の名前の略し言葉。

 それ以上でもそれ以下でもない。ただの縮小化された、あだ名だった。

 しかし……、


 ――今、何て言った……?『黒猫ブラックキャット』と言ったか……?


 二人の世界の外側に居た、赤の他人であるクラスメイト達が、次第に気付いていく中、


 ――この女……。何故、何故……!


 この男だけが、略称を告げられた当人である、この男だけが……――、



 ――何故‼向こうでの俺の異名を知っている!!??


 ただ一人、気付いていなかった。


 体中に電流が走った様な衝撃を受け、足の指先から髪の毛先まで全てが硬直し、動かなくなってしまう猫丸。

 目を見開き、表情は固くなり、背中の冷や汗が滝の様に止まらなくなった。


 猫丸をあだ名で呼ぶのは、父を含め、限られた親しい仲でしか存在しなかった。

 呼ばれていたあだ名も、「ネコ」というたった一つしか存在せず、それ以外の呼び名で呼称される事は、人生で一度たりとて無かったのである。

 また、彼のもう一つの呼び名である「黒猫ブラックキャット」は、猫丸の仕事内で繰り広げられた戦い振りを見て、裏社会の者達が勝手に作り上げた異名、二つ名。

 したがって、彼をその名で呼ぶ者は、その世界を生きる者以外有り得ない。

 そう、有り得ない事……。

 

 ――まさか、一番危惧していた事が、早速暴かれてしまうだなんて。


 まさかの急展開に、焦りを隠せずにいる猫丸。

 動揺、焦燥、混乱、困惑。ありとあらゆる精神攻撃が一斉に襲い掛かり、猫丸の思考と判断を鈍らせる。


 「お前……、何故その名を。――一体何者だ!?」


 自然と手がポケットにあるペン型のナイフに添えられ、今にも殺しに掛かりそうな猫丸は、思わず、対面する少女に正体を訊きに入った。

 たった一人だけ違うテンションに、周囲のクラスメイト達は再びドヨドヨとし始める。


 「お、おい……、何か『何者だ』とか訊いちゃってるんだけど……」

 「嘘だろ……。せっかくまともな奴がやって来たと思っていたのに……」


 落胆するクラスメイト達。しかしその一方で、ここにまたしてもただ一人、他の者達とは違った反応を見せる者が。


 「何者だ……か。フッフッフ、言った筈だぞ――」


 先程までとは一変した、猫丸の驚きように感化され、紅音も段々とテンションが乗ってくる。

 一度は言われてみたかったセリフ「一体何者だ」。それは、彼女の持つ琴線に濃厚なまでに触れ、影響となり、紅音の勢いは増すばかりであった。


 「――私も貴様と同じだ……とな」


 最初は意味が解らないと、あっさり投げ捨てていたセリフ。

 だが現在、猫丸はそんなセリフすらも、考察せずにはいられなかった。


 ――『同じ』というのはどういう意味だ?


 自己紹介の時、彼女は名前と共にこう言っていた。


 『我が名は竜姫たつき紅音あかね!待っていたぞ!私と同じ、闇の世界の住人よ!』


 私と同じ……。闇の世界……。私と……同じ……――


 ――まさか⁉


 その時、猫丸の中で発生した、合う筈のない辻褄が合ってしまった。


 ――間違いない……、この女……――!


 それは、今にも切れてしまいそうな糸が、幾重にも重なり合い。絡まり、紡がれ、強靭かつ決して解かれる事のない様な、



 ――俺と同じ世界の人間だ‼



 新しい一本の紐が、出来上がった瞬間だった。


 ――これで合点がいった。この女は紛れもなく、俺と同じ裏社会の人間!そうでもなければ、俺の目の前で、「黒猫ブラックキャット」などという単語は生み出されない。

 

 見当違いも甚だしい考察。

 ただの偶然と妄言が結び付いただけで、何の正しさも持たない推察違い。

 しかし、猫丸はその事に一切気付かない。

 それどころか、彼の頭の中では、その厄介な勘違いが加速していた。


 ――それにしても解らない……。何故コイツは俺の正体が解るなり、ここでそれを顕にした?


 何が目的か?何が狙いなのか?それ以前に、何故この女は、この学校に席を置いていたのか?

 まさか、猫丸じぶんがこの学校に通い始めると解るなり、ここに訪れたというのだろうか?

 解らない……。解らないが、コイツを野放しにしておくのは非常にマズい!


 ――この女……、ここで殺すか⁉


 他人の眼がある事を忘れ、猫丸はただ目の前の少女をどうするか。それしか頭になかった。

 見る限り、体格はそこらに居る者達と変わらない。

 戦闘になったところで、自分が負ける要素は微塵もないだろう。

 ナイフで頸動脈を斬るか、首を圧し折るか。

 どちらにしろ、その気になれば二秒も掛からない事だ。

 殺れる……、確実に!

 猫丸は足と腕に全集中力を込め、紅音の細首目掛けて突撃を試みようとした。その時……――


 「おーい、お二人さーん。仲良くやってるとこ悪いけど、そろそろホームルーム終わらせないといけないから。その辺で切り上げてくんなーい?」

 「……ハッ!」


 担任の呼び声に、一瞬冷静さを取り戻した猫丸。

 徐々に徐々にと、体の力が抜けていった気がした。


 「フッ、どうやら、続きはお預けと言ったところか」

 「…………」


 満足げな表情を見せ、ふっ飛ばしてしまった椅子をいつの間にか元に戻してくれていた隣の女子生徒にお礼を言うと、紅音はゆっくりと着席する。

 それに合わせ、猫丸も自分の椅子を引きながら、そこに腰を下ろした。

 ようやく場が落ち着いたのを確認すると、担任教師は目の前に並ぶ、計四十人の生徒達に話を始めた。


 「えー、早速色々と面白い事になってた訳だが、黒木もここに来たばっかりだし、解らない事も多いだろう。その時は、皆が優しく声を掛け、助けてあげるようにな――!」


 終わりを告げるチャイムが鳴るまで、話を続ける担任教師。

 各々がその言葉に対し、複雑な心境を抱えていく中。


 ――どうする……?どちらにしろ、この女をみすみす放置しておく訳にはいかない。タイミングを見計らって、殺してしまおうか。いや、この女の目的、立場がどこにあるか明確でない以上、迂闊に手は出せない……。


 猫丸は今も尚、隣に座る紅音の処理に頭を悩ませていた。


 ――ひとまず今日一日、この女の調査に当たるとするか。


 こうして、猫丸という殺し屋兼高校生の、一人の少女へ向けた勘違いの連鎖が、幕を開けた。

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