第4話 その時、猫は竜と目を合わせた

 ――淡く、鴇色に染められた桜の花びらが、一枚一枚、ゆらりと風に運ばれる。

 五月になって、桜が本領を発揮するのは、北海道ではよくある事例だ。

 長過ぎる冬が春の一部を飲み込んだせいで、限られた時間でしか咲く事を許されない。

 そんな、満開にもなれない花木達に今、猫丸は囲まれていた。

 

 「ここか……」


 目の前に白い、大きな建物が聳え立っている。

 窓ガラスが五つ縦に並んでいる事から察するに、ここは五階建てなのだろう。

 それだけを聞くと、大きいと言うには語弊があるのではと思う者が、少なからず居るだろう。

 だが、問題ない。その高いとも低いとも言えない高さを補う為か、その建築物は、途轍もなく長い棒が十字型に交差している様に造られている。

 上空から見ると、その巨大な姿はまるで大空を羽ばたく白い鳳。

 ここが学校。ここが父、寅彦が通えと言っていた、彩鳳さいほう高校。

 なるほど、これなら大人数で居たとしても、中に収容出来そうだ。しかし……、


 ――土地代が掛かりそうだな。


 静止したまま、無言でその建物を眺めている猫丸の横を、次々と同じ制服を身に纏った者達が通り過ぎていく。

 中にはスラックスではなく、膝に掛かる程度の長さをしたスカートを着用し、ネクタイの代わりに、同じ色をしたリボンを首から下げている者も居たが、彼等にはある一つの共通点が存在していた。


 全員、目の前を行く少年少女全てが、猫丸と同年代の人間だった。


 「百、二百……。いや、もっとか」


 学校は疎か、幼稚園や保育園にも通った事のない猫丸にとって、これ程の人数の、自分と同じ歳の位の人達が一堂に会するというのは、とても想像の出来ないものだった。

 一人も寄り道する事なく、同じ入り口へと足を運んでいく。

 どうやら、あそこが玄関らしい。

 猫丸は彼等の真似をする様に足を進めると、目の前で何度も開閉されていたガラスドアに手を掛け、それをゆっくりと押していった――


 ――履き慣れない上靴に足を入れ、カバンを右手に握りながら、猫丸はとある場所に向かっていく。


 「そう緊張しなくても大丈夫だぞ。皆優しくて、いい子達ばかりだからな」


 ずっと無言でいるのを不思議がられたか、隣を歩く、勝ち気そうな女性に声を掛けられた。

 歳はそれ程離れていない様に見えるが、身に纏っている服装が明らかに違っている。

 自分と同じ制服ではなく、仕事先でもよく見掛けられた、黒のスーツ姿。

 彼女は、自分が担任を務めているという二年三組の教室に猫丸を案内すると、扉の前で止まりだす。

 

 「それじゃあ、私は先に中に入るから。黒木さんも、私が呼んだら入ってくれ」


 その要求に対し、猫丸は「ハイ」と返事をすると、女性は頷くなり、扉を開けて、その中へと歩いていった。

 何やら向こうでガタガタと物音が聞こえてくるが、その後何事もなかったかの様に、つい先程まで目の前に居た女性の話し声が。


 「早速だが、今日は皆に重大なお知らせだ。なんと!このクラスに転入生がやって来たぞ!」


 その瞬間、今度はザワザワとした雑音が、耳に飛び込んできた。

 多数の視線が壁を介し、こちらに向けられているのが感じ取れる。

 

 「んじゃ、今から紹介するから。入って来て、黒木さん」


 先程と同様に、猫丸は「ハイ」と返事をすると、扉に手を添え、ガラガラという音と共に入室した。

 四十はあろう集団の視線が、まるでリンチを掛ける様に、猫丸に集まっていく。

 別にどうという事はない。今までにもこういった経験は幾つもあった。

 付け加えると、過去にその視線を向けてきた者達は例外なく、その手に獲物を握らせていた。

 それと比較すれば、あんな手ぶらで、暢気に椅子に座っている無防備な連中の視線など、大して気にする程じゃない。

 常人離れかつ常識離れした理由により、転校生にしては珍しく、一切の緊張を見せない猫丸。

 一方、そんな不思議な少年を見て、教室に居る生徒達の反応は……。


 「なあ……、アレって……」

 「いやいやまさか、そんな事は……」

 「ねえ、ちょっとアリじゃない?」

 「う、うん……。ちょっと……ね」


 歓迎と呼ぶには、少し違っていた。

 ザワザワと煩かった話し声が、次第にドヨドヨとしたものへ変わっていく。

 そんなあからさまな変化に、猫丸は一瞬違和感を覚えながらも、平然と構え、目の前に並ぶクラスメイト達に、


 「黒木猫丸です。どうぞ、よろしくお願い致します」


 堂々と自己紹介をした。それも、本名で。

 偽名を名乗ろうかとも一瞬考えたが、あの憎い父が、まさかの本名で届け出を出してた事を思い出し、すぐに選択肢から外した。

 自分より圧倒的に長く業界に居るくせに、そんなミスをやらかすとは。

 いや、おそらくこれも単なる嫌がらせ。面白いからという、安直さが招いたに違いない。

 何故なら、寅彦はそういう男だから。


 「んじゃ、黒木さんはそこの空いてる席に座って」


 担任教師が指を差すそこは、角の一番奥にある、誰も座っていない窓際の席。

 日差しがよく当たり、とても暖かそうな場所だった。


 「解りました」


 指示に従い、猫丸はゆっくりと足を進める。

 通り過ぎていった者達が次々と方向転換を始め、尚も視線を飛ばしてくるが、一切気にはしなかった。


 「なあ、まさかって事は……」

 「おいおい、そりゃ勘弁だぞ。ただでさえ一人でも厄介だってのに……」

 

 何やらヒソヒソと話しているようだが、耳を貸す程のものでもないだろう。

 そんな事より、今はとっとと着席して、今後どうするべきかを考えなければ。

 まず第一に気を付けるべきは、自分の正体がバレてしまう事だ。

 突然こんな所に送り出され、正直未だに困惑しているが、冷静に動きさえすれば、トラブルが起こる事はないだろう。

 まずは今日一日、比較的大人しく過ごすんだ。

 頭をフルに回転させ、自分の置かれた状況を整理すると同時、その解決策を組み立てていく猫丸。

 ようやく自分の席に到着し、カバンを机の横にあるフックに引っ掛け、椅子に手を伸ばそうとした。その時――



 「――フッフッフ……、よもやこんな所で邂逅を果たすとはな」



 突然、薄気味悪い奇妙な笑い声がボソッと聞こえ、猫丸はその方に体を向けた。

 すると、隣の席に座っている少女が、眼を閉じ、腕を組みながら、不敵な笑みを浮かべているのが解った。


 ――何だ、この女は?


 その様を一言で表すなら、妖しさが服を着ている様な少女だった。

 椅子に座っていてもよく解る、小柄で華奢な体格。

 歳に似合わず、幼さが全面に浮き出た顔立ちに、ニヤケ口からひょっこりと顔を覗かせる小さな八重歯。

 肩に掛からない程度に纏められた黒髪には、アクセントを加える様に、紅い十字の形をしたヘアピンが付けられている。

 

 ――怪我でもしているのか?やけに念入りに巻かれているが……。


 少女の両腕を見て、猫丸は一瞬気になった。

 袖口から見える白い包帯が、少女の腕から掌に掛け、覆い尽くさんばかりに巻き付けられているからである。

 これではペンを握るのも難しいだろう。そう思っていた矢先の事。

 バンッ!と、その心配を真っ向から否定する様に、少女は両手で机を叩きながら立ち上がった。

 その勢いで、椅子は脚を引き摺りながら倒れてしまう。……が、少女はそれを一切気にも止めず、



 「我が名は竜姫たつき紅音あかね!待っていたぞ!私と同じ、闇の世界の住人よ!」



 左腕を真っ直ぐ伸ばし、自身の名を叫ぶと共に、その細い人差し指で、猫丸をビシッと差してきた。

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