第3話 その時、寅は一抹の不安に駆られた

 翌朝。

 父、寅彦の陰謀より始まった、彩鳳高校への登校初日。


 「「「「おおおおおおお‼」」」」

 「とてもお似合いですよ、猫丸様」


 目をキラキラと輝かせた執事達と共に、豹真はその猫丸の制服姿に歓声を上げた。

 ワイシャツの上から紺を基調としたブレザーが羽織られ、ベルトで締め付けられた黒のスラックスが、猫丸の腰から下を隙間なく、完璧に包み隠す。

 最後に首元から青白色のネクタイが垂れ下げられれば、その姿格好は、まさしく歳相応の学生そのものだ。


 「昨日、試着した時にも思ったが、案外着心地は悪くないな。親父から聞いた話では、制服を着る時、何かしらの違和感に襲われ、慣れるのにしばらく掛かるのが普通との事だが……」

 「普段の仕事柄、猫丸様はスーツ姿で居る事が多かったですからね。もしかすると、それが服装のストレスを軽減させているのやもしれません」


 本来低評価を受けがちな制服に対し、殊の外好感触だった事を、猫丸は襟を整えながら、自然とその口から洩らす。

 その反応に、豹真は「おやっ?」と思い。


 「昨日はあれ程まで嫌がっていたのに……。本当は、やぶさかでないのでは?」

 「それはない。断じてない。次笑えない冗談を言えば、執事長の座から墜落させるぞ?」


 脅迫に近いジョークを挟みながらも、朝から親しげな雰囲気で会話を繰り広げる、猫丸と豹真。

 その繋がりの深さを感じさせる掛け合いから、他の執事達の頭に一瞬、歳の離れた兄弟の様な姿が浮かび上がった。その直後の事。


 「うーーっす……」


 屋敷の人間全員が集まっている大広間の扉から、ふてぶてしい欠伸と共に、ふてぶてしい男が現れる。

 それから僅か一秒後。先程まで和やかに猫丸と会話を弾ませていた豹真を含め。全執事達が一斉に口を揃えて、


 「「「「お早うございます、寅彦様‼」」」」


 と、外に洩れるんじゃないかと危惧させる様な声量で叫んだ。


 「おっ⁉何だよネコ、もう制服着てんのか!ホントは学校行くの、そんなに嫌がってねーんじゃねーのか?」

 「そんな訳ないだろ。未だ不服な事、この上ないって気持ちでいっぱいだからな」

 「またまたーっ、強がっちゃって!良く似合ってんぞ!馬子にも衣装ってヤツだな!」

 「なあ、その台詞は褒めたいのか、貶したいのか、どっちなんだ?」


 ニコッと満面な笑みを浮かべながら近付いてくる父に、猫丸はやや冷たい口調で応える。

 まだ嵌められた事に対して、許していない証拠だ。

 親の我が儘に振り回され、すっかり不貞腐れてしまっている息子。

 そんな事はお構いなしと、寝癖の付いていない頭を掻きながら、依然として笑っている父。

 ちなみに、寝癖が付いていないのは、そもそも付く髪が一本も無く、焼け野原にすらなれない、枯れた大地を所有しているからである。


 「ん?」

 「どうした?」

 「いや、今誰かに馬鹿にされた様な気が……。まぁいっか」


 そう言うと、寅彦は何の前触れもなく、突然手を叩き出した。

 それに応える様に、豹真を入れた四人の執事達が、立ったまま静止している猫丸に近寄っていく。


 「猫丸様、失礼します」

 「???」


 急に頭を下げてきたかと思えば、豹真達は猫丸にスッと手を翳すなり、一斉になって、その体を漁る様に触れていった。

 両手、両足、胸、腹と、次々と触られていく事に、一体何の目的があるのか、何をしているのか、てんで解らないでいる猫丸。

 しかし、その答えはすぐに現れた。


 「――!ありました!」

 「ここにも……。ああ、こっちにも!」

 「よし、全部俺ん所に持って来い」


 一通り体に触れ終わると、猫丸の元からすぐさま離れていく豹真達。

 その手と腕には、幾つかの小道具が抱えられており、それ等全てを寅彦の目の前に運んでいく。


 「えーまず、右腕から仕込み銃、左腕からは巻かれていたピアノ線を確認。次にシークレットナイフですが、ベルトのバックル型が一つ、カード型が二つ、鍵型とペン型がそれぞれ三つずつ……。そして最後、ブレザーの内側に隠す様に、投げナイフが全部で三十六本。計四十七点、凶器が確認されました」

 「そうか……」


 淡々と告げられた豹真の報告。ズラーッと並べられた凶器の数々を前にし、まるで昨日の猫丸と入れ替わった様に、今度は寅彦が深々とため息を吐いた。


 「親父?何をそんなに、現実に打ちのめされた様な顔をしてるんだ?」


 一体何が不満なのか。

 父の呆れる様子を見て尚、猫丸はそれが理解出来ず、首を傾げた。


 「なあネコ。お前、コレを持って一体どこに行くつもりだったんだ?」

 「どこって、学校に決まってるじゃないか。昨日そっちが言い出した事だろ?」

 「あーうん、そうだな。うん……」


 ――これは……、かなり深刻だな。


 その言動と反応から、息子は無意識だという事実を真に受け止める寅彦。

 それと同時、本番を直前に、気付けて良かったと、心底思う。

 これは、ちゃんと教えてやらねば。

 父の胸の中で、何かを決心する灯火が付いた。

 ゴホンと小さく咳払いし、目の前で疑問符を浮かべている息子の眼を見て。


 「ネコ、朝から色々と準備してもらっておいてなんだが、これ等は全て没収させてもらう」

 「何故だ?周囲から注目を浴びる事のないよう、不審に思われない様な装備を選んだつもりだが……」

 「そういう事を指摘したいんじゃない。――いいか?これからお前が高校に向かう目的は、今まで仕事の為にやってきた潜入などではなく、あくまで普通の学生として過ごしていく事だ。殺し屋としての自覚を棄てろとまでは言わないが、せめて、こういった物騒な物は持ち込まないでくれ」


 長年、裏社会の人間として生きてきた猫丸にとって、たった一日で、これまでの常識を棄て、普通に生きるというのは至難の業。

 寅彦も、その点については重々承知しており、それを解決するのは、おそらく無理だろうと考えていた。

 とはいえ、このまま現状を放置しておく訳にもいかない。

 ならばせめて、申し訳程度でもいいから、少しでもマシな状態で送り出そうと、当の本人である息子に説得という教育を施す。


 「手ぶらで未開の地に赴くっていうのは……。せめて、ナイフとピアノ線だけでも、許可して欲しいんだが」

 「いや、それもちょっと……」

 「昨日、あんな我が儘を持ち掛けておきながら、俺の要求は呑み込めないとでも?これでもかなり、そっちに配慮を示したつもりなんだが」

 「うぐ……」


 痛い所を衝かれ、寅彦は口籠ってしまう。

 それからしばらく考えに耽り、どうしようかと悩みに浸り続けると、


 「絶対、絶っっっ対、使う機会が来る事はないと思うぞ?それでも持って行くのか?」

 「ああ、無いよりはマシだ」


 最終的に、息子の意を汲み取る形で落ち着いた。

 了承を得るなり、豹真達に回収された、ペンの見た目をしたナイフを一本と、ピアノ線を手に取っていく猫丸。


 ――まぁ、しばらく経てば、荷物にしかならないって嫌でも気付く事になるんだし。少しずつ改善させていくとするか。


 一見、妥協とも取れる決断だが、これまでの自分を大きく変えるのは誰にだって難しい。

 長い目で見届ける事を決意し、寅彦は左腕にピアノ線を巻き直している息子の姿を眺めていると、


 「よし、これで準備万端だな」

 「ああ、うん、そうだな……」


 ふと、寅彦の頭の中に、新たな問題が浮かび上がった。

 それは、まるで靄が掛かっているかの様に朧げで、先程の件と比べれば大した事のない様に思えるが。


 「何だ?まだ何かあるのか?」

 「ああいや、別に何も……」

 「言っておくが、これ以上聞き入れるつもりはないからな。親父の我が儘には、ほとほと呆れてるんだから」


 だが確かに、疎かにしてはいけない事実である事に、違いはなかった。


 ――何だ?この何とも言えないもどかしさは……。


 形の見えない、一抹の不安感に襲われ、寅彦が再び頭を悩ませる中。

 そんな父に見向きもせず、猫丸は足元にあるカバンを手に取って、


 「それじゃあ、行ってくる」

 「「「「行ってらっしゃいませ、猫丸様‼」」」」


 執事達の言葉を背に受けながら、外の世界へと消えていった。


 「行ってしまわれましたね、寅彦様。……寅彦様?どうかされましたか?」

 「大丈夫だよな?本当に、何もないよな……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る