第39話 親子

「だがそんな生き方で一族そのものが生き延びられる訳ではない。次第に血脈は減っていき、八百年が経った今、生き残っているのは儂一人のみとなった。」


そう締めくくって、彼は話し疲れたように息を付いた。


「……。」


私は余りにも壮絶な内容に絶句していた。国を巻き込む災禍の中心で亡くなった彼の一族は何を考えたのだろう。降りかかる理不尽に苦悩し、悲観し、絶望した過去を思うと私が想像するより悲惨な生涯であったのではないだろうか。


そして行命様は今までどんな苦難を経験してきたのだろう。それを思うと、今彼が浮かべている穏やかな表情は奇跡の様に感じた。


「儂が己の影に気付いたのも最近の事よ。これが己の血脈に染み込んだ呪いの正体かと、柄にもなく震撼した。……死期が近付いた事で感じられる様になったのであろうな。」

「そんな……。」


私は続く言葉を見失った。どう言えば彼の負担にならないのか分からないのだ。


暫く口を噤んで押し黙っていると、私はあることに気付いてはっと息を呑んだ。


「その災禍は一旦終息したのですよね?ならば何故蒼波の故郷は天変に沈んだのでしょう。たった四年前の事です。そもそも何故、”天変”という呼び名が定着したのでしょう。身近に起きうる災害という認識が市井に無ければ定着はしないはずです。」

「そうだ。天変は終息しておらん。四年前の天変が起きたあの日、儂の叔父が亡くなった。」

「え。」

「市井との関わりを絶った。それでもなお、我が一族が一人、また一人と死んでいく度に天変の頻度は多くなった。まるで枷が外れていくようにな。蒼波の故郷が天変に遭った後も、この国では二回も災禍に見舞われている。」

「どうして……。」

「分からぬ。だから”天変”なのだ。まるで八百年前から天の理が変わってしまったかのようだ、とな。」

「……。」

「一族は放浪の旅をしながら天変が起こった原因を探った。勿論儂も各地を回りながら手掛かりを探し、朝廷と繋がるため三蔵の位を頂くまで研鑽を積んだ。しかしそれでも答えは見つけられなかったのだ。」


そこまで話した所で行命様が咽る様に咳いた。私が慌てて懐紙を差し出すと、彼は受け取ったそれで口元を押さえ、私は咳が落ち着くまで彼の背中を摩る。暫くして咳が落ち着き、荒い息で口元から放した懐紙は喀血で真っ赤に染まっていた。


「しゃべり過ぎです、行命様。もうお休みになってください。」

「いや……だが、そうだな──白湯を貰えるか。」

「はい。」


私は急いで囲炉裏に掛けてあった鉄瓶から湯呑みに湯を注ぎ、直ぐに口にできる様に水釜から水も注いだ。


それを渡すと、彼は少しずつそれを飲み干して湯呑みを置く。


「さぁ、もう寝てください。」


私は彼の肩を支えて促した。しかし彼は再び口を開く。


「丁度一年前、今のように雪が降り積もっている時期だった。熱は無いのに妙に咳いてな。医者に掛かったところ肺に異物が出来ていると言われた。恐らく岩(癌)だろうと。岩は不治の病だ。発症すれば治る事は無い。」

「……!!」


私の世界では抗がん剤治療や手術で治せる病だ。だが漢方医学が主流のこの世界では打つ手はないだろう。


「持って一年、そう言われた。あと一年で死ぬ。そう思った時、儂は気付いてしまったのだ。」


途端にくしゃりと行命様の顔が歪んだ。それは彼が今までひた隠しにしていた感情がまざまざと現れていて、今にも泣きだしそうな、それでいて苦悩に満ちた苦し気な顔に、私は思わず縋り付くかのように彼の手を握る。それは彼の命の灯の危うさを表すかのように冷たかった。


「笑うてくれ、伊織。いくら仏の道を目指して研鑽し、素晴らしい位を頂こうとも、儂はただの人間でしかなかったのだ。儂の周囲にはもう誰もいない。己はただ一人朽ちていく。その様を想像し、死にたくないと思ってしまったのだ。このまま死にたくないと──そう、途轍もない孤独と恐怖に襲われたのだ。」


そう自嘲しながら項垂れる彼を否定して私は大きくかぶりを振った。


「誰が笑いますかっ!!それは人として当たり前の感情でしょう!!行命様は例え様もなく素晴らしい方です。それは貴方と関わった全ての人が証明してくれます!!!」


滲み出した涙を溜めて目を真っ赤に腫らし、精一杯否定する私の顔を見て、彼はふっと解けるように笑う。


「そんな情けない儂にな、地蔵菩薩が慈悲を掛けて下さった。」

「え?」

「季節が春へと移り変わる時、迷う心を少しでも落ち着けようと瞑想しておった所に、地蔵菩薩の声が降ってきた。」


『衆生を救う我が使命に従い、お前の苦悩を癒しましょう。法師よ、ある子供をお前に預けます。その子はお前の呪いの影響を受けません。残されたわずかな時、その子供を育てるのです。ここから西へ向かいなさい。その山中に件の子供はいます。……貴方に託しましょう、我らが一手を。』


「その言葉に従い向かった先で──伊織、お前が居た。」


思ったより大きな子供で驚いたが、と彼は今までの表情を誤魔化すように冗談っぽく言った。私は決壊しそうな感情を口を噤んで堪え俯く。


彼はそんな私を励ますかのように私の手を握り返した。


「伊織。お前と過ごした時は儂の救いとなった。どれだけ手がかかろうともお前と共にある事は幸せであると感じられた。自分が死ぬことになろうとも後悔なくこの世を去ることができる。そう思えるようになったのはお前がここまで立派に育ってくれたからこそなのだ。」

「行命様……。」

「だから、お前に聞きたい事がある。」


勢いよく面を上げた私の顔を見つめて、彼は優しく微笑んだ。


「儂は……お前の事を”娘”だと思ってもよいのだろうか?」

「……ッ!!」


堪えていた涙が堰を切ってボロボロと零れ落ちていく。


そうだ、そうなんだ。彼はこの世界に来たばかりで何もわかっていなかった私を親身になって叱り、生き様の道標をいくつも示し、私が一つできる様になれば自分の事の様に喜んで──それは一人の親としての有り方だった。


「……お父さん。」


ぽつりと言葉にすれば、それは心の中にすとんと嵌った。その響きは乾いていた土に水が染み込みやがて草木が芽生えるかのように、自然な事だと思えた。


「お父さん……お父さん……!!」


そうだ。前世でも父と母が居た。けれど私の心ではとっくに、彼は私の父親だったのだ。


それに気付くともはや言葉にすることも出来ずに、彼の胸に飛び込んでいた。


「ごめんなさい……!!わ、私──お父さんに何もしてあげられなかったっ!!いつも与えられてばっかりで……私は何も、何もお父さんに返してあげられなかった!!ごめんなさい、不出来な娘でごめんなさい……助けられなくてごめんなさい……っ!!」

「その様な事言うてくれるな。」


もう取り繕うことも出来ずに顔をぐしゃぐしゃにして、涙で咽て言葉もまともに言えずにただひたすら謝る私に、彼は私の背中を優しく叩きながら言った。


「お前は儂の自慢の娘だ。謝ることなど何一つとして無い。胸を張れ。お前ならばこの先何があったとしても乗り越えられる。儂はそう、信じている。」

「あ、゛あぁあっ──わぁああああぁああんッッ!!゛あ゛あ゛あぁあああッ!!!」


幼子をあやすように優しく囁かれた言葉に、私はただの子供に返って泣き叫ぶ。感情のままに縋り付いてむせび泣く私を、彼は泣き止むまでずっと抱きしめていてくれていた。


そして泣き疲れてそのまま彼の側で眠りについてしまい、目覚めると彼は横たわったまま目を開ける事はなかった。


そしてそのまま一日が過ぎて──明け方になった頃、彼は静かに息を引き取った。


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