第38話 呪詛
真昼の青空から差し込む太陽に照らされて、降り積もったばかりの雪が煌めいている。白に反射した光が目に眩しい。私は目を眇めて全てが銀白色に染められた景色を見渡した。
今日はいい天気だな。これなら過ごしやすそう。
私は物置に貯めておいた薪木を抱え直して、山小屋の戸口を開く。
土間に荷物を置き草履を脱いでふと面を上げると、小上がりの先に敷かれた布団から半身を起こし、換気のために開けた小窓から外の景色を眺める彼の姿があった。
すぐ側の囲炉裏にくべられた薪がパチリと小さな音を立てて弾けたのが耳に心地いい。そんな穏やかな一風景。
無意識に止まっていた足を動かして土間から上がると、窓の外をじっと見つめている彼に声を掛けた。
「行命様、今日は良い天気でしょう?気分は如何ですか?」
「悪くはない。」
私を振り返り柔らかく微笑む彼。しかし以前より大分痩せてしまった顔付きに私の胸は鈍く痛んだ。
「そろそろ窓、閉めましょうか。この前みたいに熱を出してはいけませんから。」
「そうだな、もう……景色は楽しんだ。」
彼は私の問いかけに応えると小さく息を付いて瞼を閉じ面を伏せた。
私は畳んであった半纏を広げて彼の元へ持っていく。足元を見やると窓から差し込む光に照らされて伸びる影。それを目にしてぴたりと足が止まった。
だが直ぐに何でもないように影を迂回して彼の肩に上着を掛ける。
「お体は冷えていませんか?これ、着てくださいね。」
「あぁ。」
掛けた着物を引き寄せる彼を視界の隅に見遣って窓をぱたんと閉めた。途端に薄暗くなる室内。囲炉裏の火に照らされて彼の顔の陰影が更に濃くなった気がした。
「伊織。」
その時、行命様が呼び掛ける。彼は伏せていた面を上げて私を見つめた。その表情はどこまでも穏やかで、眼差しは私の心情を何処までも見通すかの如く澄んでいて。
「聞きたい事があるのではないか?」
続いて紡がれた言葉に、流石だなと独り言ちた。私がどう切り出そうか考えていたのを察してくれたのだ、この人は。
「教えていただけるのでしょうか。」
「無論だとも。」
私は彼の傍らに座って姿勢を正す。これから切り出す言葉に緊張して背中に冷や汗が伝っていくのを感じた。
「行命様。」
「うむ。」
「貴方の影から言い知れない気配を感じるのです。貴方はこの正体を知っておられるのですか?」
私の問い掛けに、彼はすぅと双眸を細め頷く。
「知っている。」
私は彼の傍らに伸びる影を見つめた。今まで気付かなかった自分の正気を疑う程、それは何処までも暗く、粘着質で、本能から受け付けられないと感じられる奥拉。
まるでこの世の不吉をかき集めたかのような気配が、彼の影から漂ってくるのだ。
これに気付いたのはつい最近の事だ。
それからは、じわりじわりと忍び寄るかのように滲む邪悪に彼が飲み込まれやしないかと恐々し、しかし彼に説明しても良いものなのかと苦慮しているうちに、ふと気付いた。
彼が極力自分の足元を目にしようとしない事を。意識して自分の影に視線を向けずにいるかのような素振りに気付いた。
だから今まで問い倦ねていた。
彼は一拍の時を掛けて細く息を吐くと、私の懸念に答えた。
「呪詛だ。」
「呪われているというのですか、行命様程の方がどうして……!」
「儂個人が呪われているのではない。呪われているのは血脈の方よ。」
憤りに声を震わせる私の言葉を彼は否定した。
「話さねばならん。今まで引き伸ばしてきてしまった全てを。」
「……!」
目を見開く私を見遣って彼は微笑む。
「長くなるが聞いてくれるか。」
「……はい。」
行命様はため息を零すかのような静かな口調で語り出した。
「今から八百年以上昔の事だ。」
*****
当時、現在の仏教や神道のような明確な宗教組織は無く、”陰陽道”と呼ばれる思想が奥拉を行使する術として普及していた。
それがどの様な術であったのかは詳しくは残っていないが、ある術者一族は天の動きを読み未来を透視する術によって、当時の皇族を支える強大な地位を確立していた。
そして八百年前、この一族は未曾有の災害を予知した。
山が割れ、海は干上がり、瘴気が蔓延り、疲弊した国土は世界に沈むだろうと。
これが後に”天変”と呼ばれ、この国を長きにわたって苦しめる災禍の序章であったのだ。
天皇の命のもと国中の術者達が動き、あらゆる策を講じた。それは文字通り国が作り変えられる程の術式を国土に刻み込んだという。それを主導していたのは災禍を予知した術者一族であった。
だがその努力も気泡に帰した。ある町は大地が割れて住人が尽く地割れに呑み込まれ、ある山は火を噴き二つの村を溶岩で焼き尽くし、またある港町は押し寄せた大津波で土地ごと海に沈んだ。
国中で起こった災禍に巻き込まれ、各地を指導していた術者一族は尽く命を落とした。この時、指揮した一族含め多くの術師が災禍に抵抗し、皆無残に死んでいった事で”陰陽術”と呼ばれる思想は途絶えてしまったのだという。
三日後、国中を巻き込む災害は一旦落ち着きを取り戻した。しかし空は黒く澱み、血のような雨が降り、河川の水が腐って病が蔓延し、作物は尽く枯れていく。
その様な地獄の様相が二年も続いた。国の人口は三分の一にまで減り、当時の政治体制が効力を示さぬ程市井は荒廃しきっていた。
だが、国は生き残った。
予知の通り国土そのものが消え失せる事態は免れたのである。
二年が過ぎて国土に回復の兆しが見え始めた時、朝廷の上層部は安堵した。予知された災禍は乗り切ったのだと。我々は助かったのだと。
そんな最中に再び災禍が起きた。山そのものが一つ崩れ去って山中に住む住民どころかその麓の町一つが土砂に埋もれて消えたのだ。
国中を巻き込むものではなかったが、明らかにただの自然災害と片付けるには異様な現象。
そしてそこには、かつて国を上げて災禍を阻止せんとした術者一族の血縁がいた。
一族は陰陽術を使う術者が全て死して朝廷への影響力を無くしたものの、国を救うため第一線で奔走した功績が考慮され、生き残った血縁は各地に散らばりその地で身分を保証されて暮らしていた。
しかし、その者たちが暮らす土地に限って次々と災禍が起こる。災害から生き残った血縁が別の土地で暮らし始めた時、またその土地で異様な災害が起きた。
もしや、この一族が災禍を起こしているのではないか?最初の予言も一族の虚言で、奴らこそがこの国を滅ぼそうとしているのではないか?
そう考えた朝廷によって一族は国から追われる立場となった。
術者一族は権力を有していた時分からありし情報網を駆使し、国中を逃げ回った。国そのものが敵になったとしても、彼らに協力せんとする者たちはまだいたのである。
だが、そのことで一族は追われる事とは別に自分達に降りかかる災禍に気付いた。
一族に関わった人間が次々に病に倒れていくのだ。長く共にした者ほど深い病にかかって死んでいく。
私達は呪われているのだ。
そう気付いた一族は血縁以外との関わりを極力絶ち、人がおらぬ辺境を浮浪しながら生きていくことにした。
その事で国を襲う災禍は再び落ち着きを取り戻した。そして下界との関わりも絶った事で次第に一族の名も人々から忘れ去られていった……。
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