第37話 覚醒

新たに松の木をくべた焚火が油に反応して勢い良く燃え上がる。その様子を朦朧とした思考を無理矢理繋ぎ止めてぼうと眺める少女に、儂は己の感情を表に出さないよう注意しながら眺めていた。


初めて会った春先からもうすぐ一年が経とうとしている。


箱入り娘のように大事に育てられたのが分かる子供だった。子供らしい我儘も素振りもその印象を強くした。


だがこの月日で伊織は美しく育った。あどけなさが残る表情は消え失せ、代わりに利発さが見えるようになった。


身長が伸びて体付きが変わったせいもあるだろう、細く長い首に乗った面は細く描かれた眉、二重の眼、真っ直ぐ通った鼻梁と、中性的でありながら整っている。


この年頃の子供が成長するとこうも変わるものかと驚いたものだ。顔つきが変わったのも大きな要因なのであろうな。


しかし今はそれも陰りを見せている。


元々肌の白かった子であったが、今は顔色から血の気が失せて紙のように白くなっている。唇は青紫色に染まって寒さから歯の根が合わず震えているし、そもそもこの十日で細い体が更にやせ細って見るに堪えない有様となってしまった。


十六になるような年頃の娘にこの様な仕打ちは良心の呵責に襲われる。本来なら肉体が出来上がった大人が行うような修業なのだ。後々の成長にも懸念が残る。


だが儂には時間が無いのだ。


薬で押さえているが身動ぎするだけで体の節々に痛みが走る。薬が効かなくなり動けなくなる日は近い。己の奥拉を操作して誤魔化していた死期が近付いていた。


それまでに己が渡せるものは出来るだけ伊織に残してやりたい。この子はかの仏達に託された子なのだから。


今まで隠していた事も話す覚悟を決めねばなるまい。それがこの子に託された使命の道標となるならば。


そう物思いに耽っていた時、隣で蹲っていた伊織がふらつきながら立ち上がった。


「もう少し休んでからでもよいぞ。」


思わずそんな言葉が口から出ていた。苦行を行う上で監督者が甘い言葉を掛けてはならない。しかし今の様子は余りにも痛々しかった。


「いえ、大丈夫です。頑張るって決めましたから。」


伊織はそう言うと己で両の頬を張り、今度はしっかりとした足取りで滝場に向かう。


刹那、ざわりと周囲の奥拉が騒ぎ出した。それに釣られるかのように己が内の奥拉もざわつく。


これだ。儂が伊織に苦行を課すことは正しかったと思わせる要因はこれだ。


本人は気付いていない。まだ覚醒には至ってはいないからだ。


だが現状でもこれ程の力を有している。


十日だ。たった十日でこれとは……。


神々の成り立ちは多くあるが、凡そは万物に宿る奥拉が遥かな年月を得て強大となり意志を持った存在と言われている。


ならば、今周囲に漂う奥拉は神の前身とも呼ぶべき力であろう。


それ等があれ程に引き付けられている。伊織の奥拉に共鳴しておる。


これ程の奥拉を放つ魂。本人の成長によるものだけではないだろう。


それが一度死して異界を渡ってきた魂だからなのか、要因は分からぬ。儂がこうして未だに動けているのも、伊織の影響も少なからずあるのだろうな。


御仏があの子をここに遣わした要因、その片鱗を垣間見た気がした。


先程疼いた奥拉を集中し整え、一息付いた所で自然と口端がつり上がる。


よもや、娘のように思っている子供に畏れを抱くことになるとは思わなかった。



*****



苦行を開始してから十三日後。行命様が言う報われる時は突如として訪れた。


夜明け前、益々冷たさを増した水に打たれて凍えながら経文を詠唱する。滝行の後に自分で歩いて暖をとれるくらいにはそれに慣れてきたが、今度は時間帯を変更して最も水温が低い時を見計らって行を行うようになった。また今日は一段と寒さが厳しく、流れが緩やかな浅瀬では氷が水面に張っていた。


今日はまた這いずることになるかもしれない。


そう思った時、上方から瞼を閉じていても目が眩むような強い光が差し込んだ。


夜明けか。一瞬そう考えたけれど光が強すぎる。


流れる水越しに閉じていた眼を開いて上空を見上げた。そこには昇ったばかりの太陽が顔をのぞかせていたが、その陽光に混じって玉虫色の光が私を照らしている。赤、橙、黄、緑、青、紫、様々な色に煌めきながら、太陽がその姿を現していくにつれ周囲の景色を染め上げていく。


ふと、気付いた。これは虹の色だ。私達が見る虹は太陽の光が屈折して見せている、その光が本来持つ色だという。


その考えに至ったとき、私の周囲から先程よりも多種多様な色が沸き立った。それは虹色の光と交じり合い、また分裂して視界一杯に色の奔流を巻き起こす。


その力強さに圧倒されて仰け反り、押し出されるかのように倒れ込んでしまうと、視界はいつもの風景へと戻っていた。


心臓がバクバクと激しく脈打ち、息が荒い。


私は確信した。奥拉だ。万物に宿る奥拉を今見たんだ。


ありとあらゆる存在が持つ力、奥拉。たとえ一つ一つ小さなものであっても、合わさればその奔流は圧倒的で、矮小な自分など一度呑まれてしまえば瞬く間に消し飛んでしまう。これが世界を形作る力。


私は自然とはかくも強大で、偉大であることをこの時理解した。


それから私の体調は劇的に変化する。


万物の奥拉を感じ取れるようになったことで、その一部の力を借りる事に成功したのだ。


行を行う中で意識を集中し奥拉を察知。そして意識のみで奥拉に呼びかけると奥拉が応えてその力を貸してくれる。


奥拉の光が己の肉体に沁み込んでいくと同時、身体の奥底から活力が湧いてくるのだ。


そうすると修行の後で倒れる事もなくなり、また以前とは比べ物にならないくらいもりもりと食べるようになった。


そのお陰か骨が浮いていた体に再び筋肉が付いて、更に身長も伸びる。


おかげで全身の成長痛に付き合う羽目となった。



*****



そして暦は冬へと移り変わった。


瞑想によって静謐に均された精神によって、万物の奥拉を誘い己の肉体に沁み込ませていく。己と自然の奥拉が混同し、一定の間隔で呼吸を行うのに合わせて丁寧に、慎重に、整えていく。


やがて波立ったそれが完全に自分の中で馴染んでいくのを感じ、私は大きく一息を付いた。


白い吐息が空間に線を描き、身動ぎをしたことで頭や肩に積もっていた雪がばさりと地面に落ちた。


「よし。」


私は座禅を組んでいた川の中腹にぽつんと飛び出た岩の上から立ち上がると、すぐ側で膨大な水が流れ落ちる絶壁から飛び降りる。


十間(約18m)もの高さ。冷たい風をかき分けるように落ちていく。見る見るうちに近付く滝つぼを見据えて先程整えた奥拉を足先に集中させた。


足先を下にして触れる水面。確かな手ごたえ。


途端、落ちゆく身体を受け止めて水面が撓んだ。その後、押し返してくる反動を脚力に換えて水面を飛び跳ねる。一歩、二歩とそのまま水の上を歩いて岸辺へと降り立った。


今では奥拉の力を借りてこんな芸当まで出来るようになった。


ふぅと一息付くとその場で思いっきり伸びをし、肩を回して体をほぐす。その最中で両手を組んで前に思いっきり腕を伸ばすと、それは太陽の光に照らされて透けていた。


苦行での覚醒の後、急速に全身の透化が進んでいる。


両足は既に膝下まで消失し、義足の調節もめいいっぱいまで伸ばしていた。消失が膝上まで進行したら義足は意味をなさなくなるだろう。


両腕の透化は、指先の感覚の消失まで進んでいた。無くなるのも間近に迫っている。


その事から私は一つの考察を立てた。


行命様が驚いていたのだが、私の覚醒は通常よりとんでもなく早かったらしい。そして奥拉とは万物に宿る魂が発する力だ。


私は覚醒していくにつれ、この世の存在ではなくなっている。


肉体が消失し、魂そのものに近づくことで結果、魂が持つ力である奥拉を感じ取れるようになったのではないか。勿論修行がきっかけとなって覚醒したのだから、それも大きな要素としてあるだろうが。


そうなると、もしかしたら私が見る奥拉と、その他の人たちが見る奥拉では違う場合もあるのかもしれない。いわば生者の景色と死者の景色、といったところか。


「私、本当に死んでるんだなぁ……。」


透けた両手を眺めながらしみじみと独り言ちるが、心情に暗い所は無い。


なんだかもう、うじうじ悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたのだ。


広大な世界からしてみれば私の悩みなど、なんとちっぽけなものか。自然の強大さを感じ取るとそう思うようになり、ならば残された時を思うように生きてみようじゃないかと、何もかも吹っ切れてしまった。


だから、今までの事にケリを付けよう。


自分の能力にある程度の目処が付いた事で、私は今日、一つの決意をしていた。


もはや日課となっていた滝行の後の瞑想を済ましたので、私は行命様の元へ戻ることにした。


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