第31話 神事

そんなじゃれあいのようなやり取りをしている内に、参道に並ぶ神官達が列を解いて移動を始める。その中に美紗紀さんの姿を見付けて、本人と目が合った。彼女は儀式での緊張を保ちながらも私に向かって微笑み小さく手を振る。


面持ちは変わっても私の知ってる美紗紀さんだ。


私もそれに笑顔で答えながら、応援の気持ちを込めて手を振り返した。


その時


「なんだい?うちの美紗紀と知り合い?せっかく紹介してやろうと思ったのに。」


快活な女性の声が私達に掛けられる。途端、行命様は盛大に嫌そうな顔をした。


何だか黄弦に来てから行命様の知らない一面ばっか見るな。


私は彼の珍しい表情に驚きつつ後ろを振り返ると、先程儀式を行った女性が黒馬を連れて立っていた。


彼女は隣の黒馬に寄りかかるとその首に腕を回し、ありありと興味の色を浮かべて私達を眺めている。隣の黒馬は先程までの勇ましい姿とは打って変わり、無邪気な仕草で彼女の顔に面を近づけて鼻を鳴らしていた。


「その台詞だと彼女に儂の事を話したのはやはりお前か、耀日(ようひ)。」

「何だい、その嫌そうな反応は。」


耀日と呼ばれた彼女は、行命様の表情に不満そうだ。


「お前の事だから、ろくな紹介をされてなさそうだと思ってな。」

「人をそんな性悪みたいに言ってくれちゃって。陰険根暗坊主のあんたよりかは百倍ましな性格してるつもりだけどねぇ。」

「誰が陰険で根暗だ。」


ひくりと行命様の口元が引きつった。


ひぃっ!!


私は内心悲鳴を上げて背筋を伸ばす。


これは怒られる前の反応だ!


私が怒られる訳ではないと分かっていても、身に染みた条件反射で体が反応してしまうのだ。


「そもそも天長地久の儀は毎年本殿の神主が行う取決めの筈。何故お前が弓を引いている。」

「そんなもんただの慣例さ!今年から逸見の神主に就任したからね、そのお披露目ってわけさ。」

「と、言って?」

「あたしがやりたかったから!」


腰に手を当て、ふんぞり返って言い放つ彼女に、行命様は頭が痛そうにこめかみを揉んだ。


「まだ建前が言えるようになっただけましか……。」

「だってズルいじゃないか。神主になったからって鏑流馬に参加出来なくなるなんて!!せめての特権使わせてもらわなきゃ神主になった意味が無いよ!」

「神職を何だと思っているのだ貴様は。神主の役目は無理強いを通す為にあるのではないぞ。鏑流馬に関しても、いい歳して若い衆から機会を奪うな馬鹿者。」

「先人が高い壁として目の前に立ち塞がってこそ、下の者は奮起するものさ!!」


得意げに親指を立てて己を指し示し、胸を張ってポーズを決める耀日様に、行命様はうんざり顔で沈黙した。


「それはそうとこのお嬢ちゃんは?」


しかし彼女は彼の反応に慣れているのか、会話の流れをぶった切って話の方向を私に転換する。


「い、伊織と申します……。」

「儂の弟子だ。」


いきなり狭まった顔との距離に思わず仰け反りながら答えると、行命様が説明を付け加えた。


途端、耀日様が目を見開いて固まる。


彼女はゆっくり視線を動かすと行命様を見上げた。行命様がそれに視線で答え、無言のやり取りを交わすと彼女は私に視線を戻し、驚いた……と小さく呟く。


「あんたに女の子の世話ができたのかい。」

「ぬ……。」


途端に極まりが悪そうに考え込む行命様を見て、私は慌てて否定した。


「行命様はとても良くしてくれます。私には勿体無いほどの師です!」


それを聞いて彼女は驚いたように一歩引いてきらきらと瞳を輝かせる。


「なんていい子なんだい!」


途端、感動の言葉と共に飛び着かれた。回された腕に力が籠って肋骨がミシミシと鳴る。


痛い痛い痛い!この人めっちゃ力強い!!


「あのひねくれ坊主にこんっっないい子が弟子になってくれるなんて……!!あたしゃ涙がちょちょ切れそうだよ!!」


更に私の顔に頬擦りまでし始める彼女に、私の首が悲鳴を上げた。


首!首もげるぅ!!


「今度はひねくれ者か。」


そう言って嘆息する彼だが、今はへし折れそうな私の体の方が大事だ。


行命様!見てないで助けてェ!!



*****



「やぁ~はっはっは!ごめんごめん。つい加減を忘れちまってね。折れてないかい?」

「……何とか。」


ちっとも悪く思ってなさそうな彼女の謝罪に、私はくたびれた返事を返す。


あの後、耀日様に羽交い絞めにされた私は、鏑流馬に間に合わなくなると行命様に救出された。


よろよろとふらつく私の様子で危うく締め落としそうになった事に気付いたようだったが、わざとだったらもう口きいてやんないからな。


鏑流馬を行う馬場に三人で向かいながら、私は一人眉間に皺を寄せてふてくされていた。因みに耀日様の連れ馬は既に本殿の馬房に預けられている。


「そう拗ねないでくれよ。観戦には特等席を用意してるからさ。うちの美紗紀の晴れ舞台だ。めいいっぱい応援してやって頂戴な。」


そう言って私の肩を軽く叩く彼女を見上げる。


「やはり美紗紀さんは耀日様と師弟の間柄なのでしょうか。」

「そうよー。あたしが育てた唯一の弟子さ。」

「あれ?神主であられるのならもっと弟子がいても良いのでは……。」


私の疑問に、耀日様は悩まし気に唸った。


「それがねぇ……見込みがある奴には声掛けてたりするんだけど、なかなかうんと頷いてくれなくてねぇ……。結局残ったのが美紗紀だけなんだ。」


殆どの人が拒否するなんて、どんなしごきしてるんだこの人は。


「皆、お前の破天荒ぶりを知っているからだろう。どんな無茶を要求されるか分からん。彼女はよく音を上げないものだ。」


行命様がため息交じりに呟くと耀日様は心外だとでも言うように唇を尖らせた。


「何だい、あたしのどこが破天荒だい!これだけ品行方正を心掛けているっていうのに!!」


えぇ……?


この発言には私でさえも首を傾げてしまったが、行命様は更に青筋を浮かべて目をかっ開き耀日様を睨み付ける。


「戯け!忘れたとは言わせんぞ。かつてお前が起こした騒ぎで儂がどれだけ尻拭いに奔走させられたと思っておる!」

「そんなの昔の事じゃないか。それにやったのだって、新興宗教を名乗った詐欺師集団をぶっ壊したり、ちょいと気に入らない貴族を一発殴ったりしたくらいだろ?」

「くらいな訳あるかっ!!」


おおぅ……予想以上にやらかしていらっしゃる……。


あまりに豪快な武勇伝に、私は背筋がひやりとした。


でもそうか。二人はそれだけ深い付き合いなのか。そう考えると彼らのやり取りも、気の置ける間柄だからこそ交わせる会話な訳で。


何だか二人のやり取りが微笑ましく思えてくる私だった。


「伊織、何を笑っているのか。」

「ひぃっ!何でもございません!!」


しかしそれもドスの効いた声で氷点下まで急降下した。八つ当たりしないで欲しい……。


「さてさて!お二人さん、お喋りはここで仕舞いだ。ここから馬場に入るよ。」


耀日様の言葉で我に返る。どうやら目的地のすぐそこまで来たらしい。けれど彼女が指し示す入り口は関係者専用らしく仕切りが張られていた。


「あの、ここから入っても大丈夫なんですか?」

「あたしが良いと言ってるから大丈夫さ!」


余計に不安になって行命様を見上げると、彼は視線に頷き返す。


まぁ……用意してると言っていたし事前に許可は取っているんだろう。


私は促す彼女に従って仕切りの縄を潜った。


そうして向かった先は、騎射に移る神官達の待機所だった。ここならば馬場の様子も、矢を放つ矢馳の姿も後ろからよく見える。


これは……確かに特等席だ。


境界線を越えて一気に押し迫る熱気に圧倒されていると、合図の太鼓が何度も打ち鳴らされる。鏑流馬が始まるのだ。


周囲の高揚は更に高まる。皆が固唾を呑んで馬場を眺めていた。


これが神事であるがために、誰もが厳かな心地で儀式の始まりを待つ緊張感の中、初発の神官が馬場の入り口に立った。


初老の男性だった。一発目という緊張するであろう場面であってもその表情は静謐であり、跨がる馬も足踏みをしつつ一定の呼吸で鼻を鳴らして肉体を整えている。


やはり全国から選ばれた矢馳達である。始める前からその熟達ぶりを見せつけられたような心地だった。


瞬間、初老の神官は進む馬場を見据える。と同時に、地から湧き上がる黄金色の燐光。


まただ!儀式で見た光……!


私がはっと息を呑むと、彼は掛け声と共に馬を走らせた。


速い。敷き詰められた砂場を蹴り上げる程力強く駈ける騎馬。それに合わせて揺れる体躯、しかし弓手の上半身は殆どぶれない。彼がなめらかに矢を番えて弓を引くと、黄金色の光は鏑矢の矢先に集中した。


その様は水が流れるが如く流麗。


カンッと矢が放たれた。鏑矢は的の中心に命中。その瞬間観客から唸るような歓声が沸き起こった。的の傍らに立った審判がバサリと赤い傘を開く。


彼は続けて残る二つの的を全て中心に命中させて馬場を走り抜けた。最初の傘に続いて二つ、三つと赤が花開く。どうやらあれが的を命中させた印らしい。


またもや観客から静かな歓声が沸き上がった。今度は興奮冷めやらぬ様子でざわざわとどよめきが止まらない。


私も息も忘れて見とれていたのを思い出して、ほぅと感歎のため息をついた。


「さすがだね。」


耀日様がぼそりと呟いた。彼は矢馳の中でも名の知れた方なのだろうか?いつになく落ち着いた口調に驚いて彼女を見やると、常に浮かべていた軽薄な表情が消え失せ怖い程真剣な目付きで馬場を見つめていた。


がらりと変わった雰囲気で私の心情に戦慄が走る。


普段ふざけていても、神事となれば他人が尻込みするほどの気迫を見せる。


これが矢馳流において神主まで上り詰める人間なのか。


私は密かに彼女に対する尊敬の念を深めた。


観客の高揚が未だに落ち着かない中、次の弓手が馬場の入り口に立つ。この興奮の中はかなりのプレッシャーになるだろう。


私は緊張した面持ちで立つ目の前の神官が少し哀れになり、後に続くであろう美紗紀さんの事が心配になった。


その後、私が哀れに思った神官の弓引きは予想通りあまり芳しくなく、一つの的は完全に矢を外してしまった。


その後何人かの神官が弓を引いたが、最初の神官を超える成績を出した者はいない。また、耀日様や彼が矢に込めた黄金色の光を扱う者もいなかった。


あれを扱える人間も、矢馳の中では貴重なのだろう。


「行命様。最初の方以降、あの光を纏う方はいらっしゃらないようですが……。」


私の問いかけに彼は笑みを浮かべる。


「そうか、彼の【奥拉】(あうら)も見えていたか。」


行命様は楽し気に、しかし悩まし気に見える面持ちで顎を撫でた。


「それを説明するには些か長話になる。今は儀式に集中しなさい。」

「……はい。」


奥拉。また聞いたことが無い単語に興味がそそられるが、私は大人しく頷き美紗紀さんの出番を待った。

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