第26話 矢馳

赤く染まった木の葉がひらりと一つ、降り積もった落ち葉に乗った。その傍らで瞼を閉じ、座禅を組む行命様は独特な音を鳴らして息を細く長く吐き出す。その様はまるで一つの絵を見ているかのようで、その空間だけ清涼な気配が満ちていた。


その様子を、私は自分の杖を作りながら眺めている。息を整える事で体力の回復を図る手法らしいが、徐々に血の気が戻り始めた彼の顔色を見て何か別の理由もあるような気がした。けれど、私は一先ず彼の体調が回復しているのを感じて安堵する。


「……うむ。こんな所か。」


暫くして行命様が瞼を開けた。その頃には簡素な造りではあるが私の杖も出来上がっていて、今度は足に布を巻き付けていたところだった。


「本当にお医者様は呼ばなくてよろしいのですか?」

「うむ。だいぶ回復した。」

「……本当ですか?」

「信用無いな。当然やもしれんが。」


疑わし気に眉をひそめる私に彼は苦い顔をした。


「お前の方はどうだ?歩けそうか?」

「えぇ大丈夫です。杖も出来ましたし。」


そう言うと私は出来たばかりの杖を掲げる。それを見た彼は怪訝そうに首を傾げた。


「奇妙な形をしておるな。杖にしては手が凝ってるが。」

「松葉杖っていうんですよ。私の故郷では足を怪我した人が使う杖として普及していました。」


私は点検も兼ねて実際に杖を使って立って見せる。それを見た彼は感心した様子で呟く。


「お前の故郷の知識は役に立つ事も多そうだな。」

「いえ、学生でしたから知識もさほど深い訳ではありません。これは形が単純だから作れただけで、私達の知識をこの世界で活用するには更に専門的な知識が必要です。」

「ふむ……完成の形だけでなくその経過、生み出すまでの試行錯誤を知らねば無から有は生まれないという事か。」

「そういうことです。」


私が頷くと彼は思案するように顎を指先で撫でた。


「それより、行命様。ちゃんと約束は守ってくださいよ。山を下りて最初の町に着いたら必ずお医者様にかかること。それから少しでも体調が悪くなったら直ぐに休むこと。それまでは絶対に無理は駄目ですからね。いいですね!」

「分かった、分かった。」


ふんっと鼻息荒く彼に説教すると、彼は苦笑して手をひらひらと振った。


「それじゃ山を下りましょうか。」

「うむ。」


私は杖を付いてトコトコと彼に近寄ると、立ち上がった彼と並んで山道をゆっくりと下り始めた。



*****



暫く歩くこと一刻半(3時間)。山道の終点に近づくのに合わせて人の喧騒が耳に届き、私達は大きな街道へと行き当たった。黄弦へ繋がる街道であるためか、道幅も3間(約5.4m)と一際広いように感じられる。その中で色んな装いや、艶やかな装飾の荷物を持った人々が目の前を次々と通り過ぎていった。


「凄いですね。皆奉納に向かう人々なのでしょうか。」

「そうだな……。」


行命様の反応が薄い。見上げれば彼は人通りを見渡して誰か探している様子だった。


その時、弓を背負った旅人に引かれて、鞍を乗せた馬が目の前を横切っていった。


前世で見た馬より幾分小さい。だが筋肉の流線に沿って艶めく肢体と太く発達した足が仔馬ではないことを証明していた。


「矢馳流の神官とその連れ馬だ。」


綺麗な馬だ。そう思って眺めていると、行命様もそれを見ていたようで説明してくれた。


「矢馳流は馬と共にある宗派だ。矢馳が祭る神“矢馳雷ノ神”(やばせいかづちのかみ)の使いは馬だとされているため、それに通ずる神官は己の連れ馬を定め、共に旅をして修業を積む。」


行命様の説明を聞いて再びその神官の姿を追ったが、既にその人物は姿を消していた。


「儂らも行こう。往来に立ったままだと邪魔になる。顔見知りに会っても面倒だ。」


もしかして人を探している風だったのは、知り合いに会いたくないからだったのかな。神事なら彼の知り合いが参加してても可笑しくないし。


そう思いはしたが深く追求する事はせず、私達は往来の端を歩き始めた。ただ、広い道であっても人混みがかなり多く、私達が歩ける空間は狭い。しかも私は杖を付いているのである。隣で行命様が寄り添って防波堤となってくれているが、いつ人とぶつかって転んでも可笑しくない。


そう思った矢先、二人の幼い男の子が目の前すれすれを横切った。


「ひゃあっ!」

「大丈夫か。」


驚いてよろめいた私を行命様が肩を掴んで支えてくれる。


子供達はそのまま私に気付いた様子もなく、きゃらきゃらとはしゃぎながらその場を掛けていく。お祭りで浮かれているんだろうな。そう思うとあまり責める気にはなれなかった。


その時。


「ゴラァっ!!ちょっと待ちなさい!!」


背後から怒声が飛んできて思わずびくりと肩が跳ねる。子供達にも届いたようで、二人は足を止めて振り返った。


私も振り返ろうとした時、馬の蹄の音と共に声の主が隣に現れる。


その人は弓を背中に背負い、栗色の馬を連れた私より少し年上くらいの少女だった。彼女は手綱を持ちながら腕を組み、仁王立ちになって凛々しい顔立ちを顰め子供達を見ている。


その姿を認め子供達は顔色を変えた。


「お馬を連れてる……神官様だ!」

「よっちゃんどうしよう……怒ってる!」


子供達はこちらが可哀そうに思えてくるくらい慌てだした。


「ちゃんと周りを見なきゃ駄目だろう。この子怪我してるじゃないか。もう少しで転ばすところだったんだよ!きちんと謝んな!!」

「ご、ごめんなさい!!」

「あたしじゃなくてこの子!!」


怒られて勢いよく頭を下げた二人に彼女は私を指さして更に叱りつける。


「ごめんなさい、おねぇちゃん!」

「ごめんよぉ!」

「い、いいよいいよ。転ばなかったし、この通り何ともないから!大丈夫だから!」


彼女に急かされて涙目になってる少年達が哀れで、私は杖を脇に挟みながら勢いよく両手を振った。


そのやり取りを見届けた彼女は、先程とは打って変わってにっこりと快活に笑う。


「よーし!よく言えました。えらいえらい!」


少女は子供達の前にしゃがみ込み、二人の頭を両手でわしわしと撫でた。


「今のかっこよかったぞー。きちんと謝れるのは大人の証拠です。女の子にモテモテになるぞ!」

「ほんと!」

「お、今の反応は好きな子がいるな?」

「うん、ときちゃん達にね、綺麗な石見つけたから見せたかったの。」

「そーかそーか、だから急いでたんだね。そんな少年達にもう一つ助言です。周りにも優しく出来る男の子はもっとかっこいいぞ!」

「そーなの?」


明るく語り掛ける彼女の様子に、すっかり脅えは引っ込んだようで子供達は無邪気に首を傾げる。


「そー、だから急いでる時も周りを良く見る事。今みたいに人を驚かせちゃうからね。そんな事してたらかっこ悪いぞ!」

「それは嫌だ!」

「嫌ー!」


口をそろえて嫌だと言い、ぶんぶんと強く首を横に振る子供達に、見ているこっちも微笑ましく思えた。彼女もそう感じたのか優しく微笑んで両の小指を差し出す。


「よーし、それならねーちゃんと約束。皆に優しくなる事、悪い事したらちゃんと謝る事。かっこいい大人への第一歩だ!」

「うん、頑張る!」

「かっこよくなるー!」


二人は顔を輝かせて彼女が差し出す小指に己の指を絡めた。そのまま指切りげんまんと歌いながら上下に振り、指切ったの合図で手を放した所で少年達は満面の笑みを浮かべて私と彼女に手を振る。


「おねぇちゃんごめんねー!」

「神官様、ばいばーい!」

「ばいばーい!」


彼女も手を振り返し、駆けながらその場を去る二人を見送った。私も二人に手を振り返しながらその光景を眺めて感心する。


叱りつつも子供達が後を引かないよう上手くまとめてしまった。子供の扱いが上手い人だな。


そう思っていたとき、彼女は立ち上がって私を振り返った。


「さて、あんたの方は大丈夫?」

「はい、お気遣いありがとうございます。」

「いいってことよ。こういう時はお互いさまってやつさ。」


気さくな素振りに親しみやすさを感じる。


「貴女のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


神官でありながら気取った所がない彼女に益々好感を覚えて、私は自然と名を訪ねていた。


「あたしの名前は美紗紀(みさき)。こっちは相棒の琥珀(こはく)。矢馳流“逸見神社”に連なる神官さ。」


そう名乗ると彼女は白い歯を見せて笑った。

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