第25話 決意

「やだ。嫌だ!!死んじゃ嫌です行命様ァ!!」


私の必死の叫びにも彼は反応を示さない。支える重みが心の均衡を大きく揺らがす。


一体何が……どうして……!


要領を得ない言葉が支離滅裂に脳内を駆け回る。まるで石になったかのように体は緊張で強張った。


ぐるぐると混乱が脳裏を動き回っていて、その中で不意に、一際脳裏に轟いた言葉があった。


何をやっている!!!


爪が食い込むほど強く握る拳。私はそれを力一杯足に打ち付けた。


動け、呆けてる場合じゃない!動けよ私の足!まだ全部消えてないっ!!


私はやっと硬直が解け始めた体を叱咤し、行命様の背中側から手を入れて胸の前で手を組む。自分は膝立ちになり、そのまま後方へ倒れ込むように引っ張ると、すぐ側にあった平面なスペースに彼を横向きに寝かせた。


その状態で旅装束を緩め、着物を折り畳んだものを頭下に差し込み呼吸しやすい体制を作る。更に彼の体温を下げないよう、私の上着も脱いで布を何枚も掛けた。


後は……ここまでの道中で湧き水が出る岩場を見た。ここからそう遠くない。


「直ぐに戻ってきます。」


私は荷物から竹筒を何本か取り出して倒れる彼に告げると、立ち並ぶ木々を支えにして元来た道を折り返した。


足首から先が無かろうと移動には問題ない。手足の欠損など何度も何度も地獄で経験している。痛覚は消失しているのだ。それを考えればなんて事は無い。少しバランスが取りにくいだけだ。


しかし支えとなる木は等間隔に生えている訳ではない。少し離れた場所に生えた樹体に手を伸ばして前屈みになる。その拍子で足が地面を抉りながら滑り、私は地面に叩きつけられた。


「っ──!」


私はすぐに上半身を起こして捕まろうとした木ににじり寄り、もう一度それを支えにして立ち上がる。既に全身が泥だらけになっていた。


早く行命様のもとへ戻らなければ。


けれど私はその一心だけで何度も転びながら目的の水源へ向かった。



*****



四半時後、何とか水を汲んで戻ってこれたが通常の倍以上の時間を要してしまった。行命様の容態が急変してないか、焦燥に胸が掻きむしられるような時間だったが、彼は離れた時と同じように横たわっていて、近付いて呼吸を確認すれば安定したそれを感じることができた。


思わず彼の傍にへたり込み、安堵と不安が綯い交ぜになったため息が零れる。

私は持ってきた水で手ぬぐいを濡らして血で濡れた彼の顔を拭った。まだ熱がある。別の布を濡らし、彼の額に当てて押えた。


この処置が合っているかは分からない。喀血による貧血で倒れたのならば、血のめぐりを良くする薬等はあるが、この世界の薬は経口薬のみだ。飲み薬を意識のない者に与えれば窒息の原因となる。


となれば、私が出来るのはこんな些末な看病しかない。彼に付いた血を拭っていた手に悔し涙がぽつりと落ちた。


馬鹿だ、私は。


蒼波から頼むって言われていたのに、自分の事ばっかりで彼の体調の深刻さに気付いてなかった。


私のせいだ。彼に無理をさせたから……。


私は彼の血で汚れた手を拭き、そのまま祈るように握りしめた。


ごめんなさい。どうか、目を覚まして。きちんと謝らせてください。お願いだから……!


「っう……。」


その時、彼の閉じられた瞼が震える。


「行命様!!」


意識が戻ろうとしているのを感じて、私は彼の名を呼んだ。


薄く開かれる眼。最初それは焦点が合わず瞳が左右に揺れたが、次第に認識し始めた景色に私の姿を認めて彼はか細く息を吐いた。


「伊織か……そうか、儂は──」

「行命様!お体の具合はいかがですか?!痛む所はございませんか?!」


切羽詰まった様子で迫る私に、彼は弱弱しくも可笑しそうに笑う。


「そう焦らんでも大丈夫だ。」

「どこが大丈夫なんですか!!」


私はヒステリックに叫んだ。ボロボロと涙を零す私の様子を見て、彼は苦笑する。


「すまんが、起こしてくれるか。今は力が入らん。」

「っはい!水は飲まれますか?」

「うむ。」


私は急いで行命様の体を起こして近くの木に寄り掛からせると、少し落ち着いた様子の彼に竹筒を渡した。


彼は一口水を含むと、口を濯いで吐き出す。そして二口以降はゆっくりとそれを呑み下し、次いでため息交じりに呟いた。


「気分がいい……とは言えんの。鉄錆臭い。」

「行命様。今から私が山を下りてお医者様を呼んできます。それまで休んでいてください。」

「その足でどうやって山を下りる。」


彼は私の足元を見遣る。それを追って視線を下ろすと、泥だらけになった着物、そしていつの間にか彼のではない血の染みを見付けてそれを慌てて隠す。


「私は杖でも作れば何とでもなります。それより行命様の方が深刻ではないですか。」

「予想はしていた事だ。その為の薬もある。」


やはり。行命様は自分の体調の事を自覚していたんだ。


「申し訳ありません……。」

「何故謝る。」

「私がもっと早く行命様のお体が悪い事を気付いていれば下道を行きましたのに。」

「それは違う。山道を行く事を選択したのは儂であるし、これは儂の認識が甘かった故の結果だ。お前には心配を掛けた。申し訳なかった。」


そう言うと彼は何時ものように項垂れる私の頭に手を乗せた。そのやり取りが胸が引きつるほど切なくて、私は頭を垂れたまま懇願した。


「でしたら、山をおりましたらどこか落ち着いた所に留まって養生しましょう。旅の生活はお体には宜しくないはずです。」

「ならぬ。」


びくりと肩が跳ねる。彼の発した口調のあまりの重々しさに私は戦慄を覚えた。


「ならぬのだ、それは。」


もう一度彼はそう言った。私が恐る恐る面を上げると、彼の表情は硬く強張っており、その瞳は暗く重く沈んでいた。


「儂にはそれが許されぬ。もし一所に留まるとすれば、それは儂が死ぬ時だ。」

「そんな……死ぬとかそんな事言わないで下さい!!」

「伊織。」


行命様が私の名を呼ぶ。その声はどこまでも落ち着いていて、私を見つめる彼の瞳は先程のような暗い感情は鳴りを潜め、ただまっさらに凪いでいた。その悟りきった瞳に私の心は迫りくる不安で押しつぶされそうになる。


「儂は死ぬのだ。」


息が止まった。目を見開き次第に震え始めた私を見つめて彼は悲し気に笑う。


「もう長くない。」

「……どうして……そんな事を仰るんですか。」


やっと息を吸って出た言葉は、虫が鳴くようにか細かった。


「もう隠せんからな。」

「そうじゃ……そうじゃありません。お医者様に見てもらえばきっと……きっと治ります、今からでも。」

「どうにもならん。それは分かっていた事なのだ、お前に会う前から。」


そう言う彼の表情に一切迷いや苦しみは無かった。ただそこにあったのは、私を気遣う慈愛の心だけだった。


けれど、私は行命様ほど強くなれない。


どうして!どうして行命様が死ななければならない!!彼程の人が何故──!!


「どうして……。」

「それが儂の運命だからだ。」


心で叫んでいた言葉が口を付いて出て、彼はそれに答える。


「脈々と受け継がれてきた理だからだ。伊織、お前も大きな運命を持った人間であるはずだ。」


今度は私が倒れそうになっているのを察したかのように、彼は私の肩に手を置いた。


「閻魔大王に会いに行け。お前がここに来た意味を知るために。」

「そんな、私は……。」

「勇気が無いと言ってくれるな。お前は十分強い子だとも。見知らぬ世界で一から知識を蓄え、ここまで成長した。簡単にできる事ではない。」

「それは違います。それは行命様だからこそで、行命様がいてくれたからこそで……」


涙声が詰まってまともに話が出来ない私のぐちゃぐちゃの顔を、彼は自分の袖で拭ってくれる。


「そう言える事がお前の成長の証だとも。」


優しい、春風が吹くかのような温もりが言葉とともにそよいでいった。その温もりに包まれた事で、私は一つの決意を固く心に打ち付けた。


「分かりました。閻魔大王に会います。」

「そうか……。」

「けれどそれは今ではありません。大王に会ってもこちらに戻ってこられる保証はありませんから。最後まで行命様のお側にいさせてください。」


彼は大きく目を見開いた。


「私にはまだ自分の使命とやらに向き合う覚悟が出来ません。私には到底仏が望む事を為せるとは思えないからです。余りにも私は未熟すぎる。だから……」


私は行命様の手を握り、頭を垂れて祈るように額を付けた。


「だからどうか……未だ弱い私を導いてください。来る最後の時まで。私の師は貴方一人なのですから。」

「……。」


静寂が下りる。彼はじっと私を見下ろしていた。私は彼が返事を返すまで頭を上げるつもりはない。それを察したのだろう、彼は静かに一言告げた。


「分かった。」


その返事を聞けて私はぎゅうと瞼を強く閉じる。


良かった。


心からの安堵に唇が震えた。彼が私の気持ちに応えてくれた事。そしてその返事を聞いて尚、後悔を全く感じなかった自分の心に安堵した。


私の透化現象の進行はどの位早く進むのか分からない。もしかしたら彼の命が尽きるより先に私の存在が消滅してしまうかもしれない。


けれど、もっと教えて欲しい事がある。叱って欲しい事も、褒めて欲しい事も沢山、抱えきれないほどたくさんある。


そして、死に向かっている不器用で優しい彼を少しでも支えてあげたい。


例え生き残る選択肢が潰えようとも、私は残された時を彼と共に生きる。そう、決めたのだ。

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