第23話 成長

緑、赤、黄、艶やかな色々が景色を覆っている。ひらりと舞う落葉は降り積もり、踏み締める度に積み重なった土の力を押し返してきた。


短息すれば冷涼な空気が肺を満たして、吐く息は薄く白く尾を引いて流れていく。


バサリと落葉が広がった。地面には私の足跡が弧を描いている。刹那カンっと高い音と共に握る柄と柄がせめぎ合った。


譲らない。


そう気合を入れて丹田の重心を意識し、足を固定して押し返そうとする。すると、ふっと相手が鍔迫り合いから逃れた。


あ、と思った時には返した振りで肩を打たれる。


「ッ!!」

「重心を落としても足を止めるな!そんな事では急な動作に対応出来んぞ!!」

「はい!」


打たれた肩がジンジンと熱を持つがそれは無視する。私は柄を握り直し、即座に突きを放った。


「はぁっ!!」

「っ!」


ゴッと今度は鈍い音が鳴る。放った攻撃は行命様の守りに遮られていた。それでも彼を数歩押し返す事に成功する。


その隙を突くべく、続け様に向かって右側からの袈裟懸けを狙うが、瞬時に行命様が返しに入る気配を感じて踏みとどまった。代わりに空くであろう左側、胴からの切り落としの一撃を打ち込む。


スカッと刃が空ぶる。攻撃を転換した一瞬の間で避ける体制を作られてしまった。


拙い!


私は即座に刃を頭上に構える。そこに頭割りの一撃がガァンと打ち込まれた。


「一撃を躊躇ってる暇があったら打ち込め!その隙を取られているではないか!!」

「っ!申し訳ありません!」

「謝るより振れ!足を動かせ!」

「はい!」


私は距離を取って構え直すと気合いの意味も込めて返事を返し、次いで嘆息した。


やっぱり凄い。


行命様と出会ってから半年以上の月日が経ち、積み重ねた鍛錬のおかげで当初とは比べようもない自力を付けた私だけれど、武技を磨く度、一打を振る度、彼は一段高みから打ち返してくる。


なんせ、私はこれまでただの一度も行命様に打突を入れた事が無い。


たった半年。それだけしか剣と向き合っていない私が思うのも烏滸がましいのかもしれない。けれど刃を交える度に彼に感動と少々の嫉妬を覚えた。


なんとしても一撃入れて見せる。そんな意地とも言い知れぬ感情に任せて私は体力が尽きるまで刃を振るった。



*****



解した根を焚き火に翳すとぼっと髭根に火がついた。竹箸で掴んだその表面を一通り焼くと軽く降って火を消す。


──よし、焦げてない。


続き筵の切れ端で、焼いて細根を除去した根茎の表面を磨く。すると徐々に焼き目は薄まり、表面は特徴的な滑らかな黄色を現した。


全体が黄色に変わって磨き残しが無いのを確認すると、私は満足の意味もあって鼻息をつく。


「いかがです?」


私は隣で同じ作業をしていた行命様にそれを見せた。彼はじっとそれを見つめてうむ、と頷く。


「初めてにしては良いのではないか。」

「いつも見本を見ていましたからね。」


彼から合格を貰えた事に少し浮かれながらも、作業の手は止めずに次の根の処理を行っていった。


私達が行っているのは、黄連(おうれん)と呼ばれる植物を漢方の原料として調整する作業だ。


当初、行命様がどうやって金銭を得ているのか不思議だったのだが、こういった薬の原料となる植物を採集して薬屋に売っていたのだ。生を持っていくより乾燥、調製した方が高く売れる。山野で狩りをし、野草を採取して生きる糧を得ている私達はそれだけで十分生きていけるのだ。


当初、遭難していた私から考えてみれば、随分サバイバル知識が身に付いた。今では行命様の作業を手伝わせて貰うまでになったのだから。


「黄連は消炎、止血、沈静作用の傾向があり、特に胃の熱を取り去る作用が強い、でしたよね?」

「その通りだ。」

「では、この生薬については──」

「これはだな──」


勿論、作業の間は黙っているわけではない。この時間は貴重な勉強時間なのだ。


旅をする私達には教材という物がない。全ては行命様の頭脳に詰め込まれている。だから彼の教育は口伝が主だ。彼曰く、書く事で“後で見返せる”という甘えが出る、との事だ。


その教育方針のおかげか、人が話し出すのをトリガーに集中力が増すようになった。前世より遥かに身体能力が向上したのもあって身体に血流が巡り、脳を動かす感覚を覚えるようにもなった。


そう、私の肉体も変化しているのである。


贅肉は諸共こそげ落ち、代わりに筋肉が付いて身長も伸びた。前と比べると遥かに軽く強い体を手に入れたのだ。


地獄の世界ではいくら走っても成長する事は無かった。力を付けたら反攻される恐れがあるからだろう。


だが、地獄からそのまま渡ってきた体なのに、変化するのはどういったことなのだろう。私の肉体については考えれば考えるほど謎が深まるばかりだった。


そんな事を考えながら話していると、不意に行命様が軽く咳き込んだ。


「大丈夫ですか、行命様。体調が優れないのですか?今湯を沸かしましょうか。」

「いや、いい。最近風が冷たくなってきたからな。それに噎せたのだろう。」

「なら尚更白湯でも呑んだ方がよろしいではないですか。寝る間の暖の為にどうせ湯は沸かすのですし、今用意しても問題無いでしょう。」


そう告げると私は急いで道具を片付けると、用意してあった水を入れた鍋を焚き火に乗せた。作業を続けようとしていた行命様はそれに微妙な顔をする。


「最近小姑のようになってきたな。」

「気のせいです。」


彼の視線を無視して、私は寝る間の暖を取る湯たんぽとおわんを取り出す。


彼は鍋を覗いた。


「少々湯の量が多くないか?」

「余った湯を使わせて貰うので。これでも女子なんですからね、言っときますけど。」

「ぬ……そうだな。」


お椀を差し出しながら告げると、彼は気まずそうな顔をして受け取る。それが一瞬、思春期の娘を持った父親のような表情に思えて胸が温かくなった。


そういう表情をしてくれるくらいには、私の事親しく感じてくれているんだな。


暫くすると水が沸いて、彼が白湯を取ったのを確認すると鍋を持ち上げる。


「覗かないで下さいよ!」

「人を何だと思ってるのだ!とっとと行きなさい!」


勿論冗談だ。昔みたいに本気で言ったりなんかしない。


彼もそれが分かっているから、怒った振りをしながらシッシッと手を振る。


そんなやり取りを名残惜しく思いながらも、私は行命様から離れて近くの水源の河原へ降り立った。


空を見上げると今日の夜空は雲が無く、月明りが煌々と辺りを照らし出している。


ガシャンと少し強く鍋が砂利に落ちた。途端に私は長いため息と共にその場に座り込む。


変な表情を見せてないだろうか。普通に振舞っていられただろうか。


先程のやり取りから一転して心情は暗く濁っていった。


私は草鞋を解いて足袋を脱ぐ。そこには──輪郭でしか形を認識できない両足。更に裾を捲りあげれば、脛の辺りまで透化は進んでいた。


まだ熱い湯に手ぬぐいを浸し、透けている両足に当てた。感覚が無い。ゴシゴシ強く拭っても痛みすら感じなかった。


ただの棒を地面に押し付けている感覚。動く度襲われる違和感に恐怖を覚えたが、幸い意思の通りには動いてくれるのでまだ誤魔化せている。けれど、完全に消滅するのもこの様子だと時間の問題だろう。


そうなったら行命様にどう説明すれば良いの?


彼がどんな反応をするのか想像してしまうとぎゅっと顔が歪むのが分かった。



*****



湯浴みから戻ると、行命様はこれからの行程を告げた。


「次は『黄弦』(こうげん)へ向かう。」


“黄弦”(こうげん)は首都からほど近い位置にある町で、今私達がいる場所からは北西に八里(約32㎞)離れた所にある町のことである。


「三日後に黄弦の“黄湖”(おうこ)で大きな奉納がある。」

「奉納、ですか?」

「神道における、“矢馳流”(やばせりゅう)の奉納だ。矢馳流は多種多様の宗派を持つ神道において最も信仰が多い流派だ。お前は神道の奉納を見た事が無いだろう?」

「ええ、そうですね。」

「視野を広く持つ事は重要だ。別視点の解釈を得てこそ物事への深い理解は伴う。」


神道か。この国の二つある宗教の片方。その中でも多くの宗派に枝分かれし、多種多様な特徴を持っているという。


神官には蒼波に会っているけれど、その奇跡の御業を目にした事はない。


私は期待感で僅かに胸が熱くなるのを感じた。

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