第18話 諧謔

降りしきる小雨が木の葉を柔らかく叩く。空はよどんでいるが、そこから落ちてきた雨粒は美しく透き通っていて、生み出す音はひたすら優しく心を凪いでいく。深く息を吸った。流れ込む湿気で喉が潤い、冷涼な空気が肺を冷やして、私は充足感に満ちたため息と共に吐き出した。



暦は水無月。彼と出会ってから三か月が経過し、梅雨の季節となった。



旅の最中、森の散策で振り始めた雨を凌ぐ為に、私達は森に建てられた山小屋に避難している。私はその窓枠から空を見上げていたのだ。



何故都合良くこんな所に建物があるのか。それはこの国の宗教と関係がある。


仏教と神道においては、宗派によって差はあるが多くが修行や救済のため各地に旅をする傾向にある。そんな神官や僧が立ち寄ってくれる機会に巡り合えば、周辺の村としてはこれ程有り難い事はないのだ。



よって少しでも自分の村に関心がいくよう、道中に不安が無いようにこういった山小屋を建てる。


名目上はもしもの時に困った旅人を救う無償の善意という事だが、あからさまな下心、と、とらえることも出来る。



しかし行命様の考えは、『他者に何かを貰った時に返したく思うのも人の心情である』だ。



例えば何処かの僧が一つの村を救ったとして、それに感謝した村が本人でなくとも旅をする修行者達の助けとなろうと山小屋を建てるのは、そんなにやましいものなのかという事だ。



であればその善意を有難く受け取っておくのも礼儀である、と私達は旅の最中で似たような建物を何度か使わせてもらっている。そして、その話をした時に行命様はこうも言った。



『人からの善意は貴重であるからこそ有難い。』



先の説で考えればこれは村の者がその人物ひいては宗教者に感謝しているからこそ享受できる助けである。だが感謝というのは他人の評価の結果だ。いくら自分が良い行いをしたと思っても他者がそれを有難がるとは限らない。それ故に貴重なのだ、と。



「これ!伊織!!」


「ひゃいっ!!」



物思いに耽っていたら鋭い声が飛び込んできて背筋がびんっと伸びる。思わず抱えていた籠を落としそうになった。



「何を拾ってきた、お前は。」



恐る恐る声の方へ振り返ると、腕を組みながら仁王立ちで立つ行命様が私を見下ろしている。



「こ、これですか?」



私は籠の中身を指さした。先程雨が降る前に調達した山菜がこんもりと山を作っている。これから洗って調理しようとしていたのだ。彼は私に近寄って籠の中身を手に取る。



「これは何だ?」



彼の眉間の皺で嫌な予感を感じて、冷や汗が一筋つぅと垂れる。



「こ、こんな所に『八角』があると思って珍しいなーと、持って帰ってきたんです……。」



それを聞いた行命様がカッと目を見開いた。



「これは『シキミ』だ!『八角』がそう簡単にあるかっ!!」


「はい、そうでございますっ!!」



もはや条件反射で背筋に力が入るが、既に伸びていた姿勢は仰け反る勢いで硬直した。それを他所に彼は更に籠の中身を確かめると、気が遠くなりそうな顔をした。



「これは?」


「『行者にんにく』……」


「『バケイソウ』だ。」



ヒョイっと籠の中身を一つ捨てられる。



「これは?」


「『セリ』ではないかと……」


「セリはセリでも『ドクゼリ』の方だ、馬鹿者。」



また一つ籠から捨てられ、そんな問答を繰り返していると、あれだけあった山菜の山が底にちんまり残るだけとなった。



「見事に毒草ばかりだな。」


「はい……。」



意気消沈してか細い返事を返す私に対して、行命様の額にみしりと青筋が浮かび上がる。



「伊織ッ!お前は何度儂を毒殺しかけたら気が済むのだ!!」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃっっ!!」


「この前は『ふきのとう』と言って嬉々として『福寿草』をすり潰そうとしておったし、その前は『水仙』の新芽を見て得意げに『ノビル』と言い出すし──お陰でお前が野草を持ってくる度に肝が冷えるようになったぞ。」


「はい!毎度すいませんでした!!」


「だったらせめて一度くらいまともな物を採取してこんかっっ!!」


「はいぃ!申し訳ありませんでしたッッ!!」



謝罪の言葉と共に勢いよく深々と頭を下げる私に、彼はまったく…とため息を付いた。



「間違って取ってくるにしても、何故よりによって凶悪な代物ばかりなのか……。」


「うぅ……すみません。」



またやってしまった……。私はしょんぼりと肩を落とす。



三か月経っても私のどん臭さは直らないようだ。



私はこの前の鍛錬を思い出す。



******



「やぁああ゛あ゛あ゛ッッ!!」


「鈍い!」


「っがはっ!!」



子気味のいい音がして私の胴に鋭い一撃が入る。よりによって一番痛い所に入ってしまった。



痛みに硬直して僅かに前屈みになる私に行命様はすかさず容赦ない一撃を脳天に打ち込む。



「っ〜〜〜ッッ!!」



星が飛ぶってこの事かと実感した。



「今のでお前は二回死んだぞ!!一撃打たれたからといって体制を崩すでない!!」



崩れ落ちた私に彼は怒鳴りつける。



「そもそも先程の一撃は何だ!!振りも遅い、構えも隙だらけ、やけくそで打ち込んでも自ら首を差し出すだけだぞ!!」


「っ申し訳、ありません!」


「謝るよりとっとと立て!せめて攻撃から守る仕草くらいしろ!この間に儂が何回お前を殺せると思っている!!」


「はいっ!!」



痛む身体に鞭打って気合いで立ち上がる。



「やァァアアア゛ア゛ッッ!!」


「まだ甘いッッ!!」


「っい゛」



もう一度気合いを入れて振りかぶった瞬間手首に一撃が入る。そのまま行命様は私に体当たりをかまして私を地面に転がした。



「うぐっ!!」



今度は打たれないように咄嗟に頭を守る。そしたらがら空きの胴を叩かれた。



「とっとと立てッ!」


「う、ぅう゛……。」



悲鳴をあげる身体を叱咤してよろよろと立ち上がる。もう既に体力は限界。大量の汗と悔し涙で顔面はぐしゃぐしゃだ。今も尚歯を食いしばる度に涙がボロボロと零れる。



それを彼は挑発するように鼻で笑った。



「泣いている暇があるのか。」



単純な私はその安い挑発に乗ってしまう。



「泣いてませんッッ!!」


「そんな余裕があるなら振れ!足を動かせ!!」


「泣いてませんったらッッ!!」


「だったらその顔は何だ!!答えてみろ!!」



この野郎ォッッ!!



尚も煽る行命様に私は怒鳴り返した。



「これは泣いてなんかいませんッ!鼻水ですッッ!!」



しぃんと時が止まる。


あ。



自分の発言に我に返って彼の顔を伺い見れば、ヒクッと行命様の眉が動いた。



「そこは汗と言わんかッッ!この大馬鹿者ッッ!!!」


「ぎゃんっっ!!!」



またも綺麗な一撃が入った。



******



阿保丸出しだ。思い出すと恥ずかしさで今にも突っ伏しそうになる。


事ある度にうんこうんこ言ってる小学生と同レベルである。


いくら取り作っても自分の器などこの程度だ、全くもって恥ずかしい。



それを自覚してから私は取り繕うような素振りはやめた。もう恥は散々さらけ出しているのである。今更だ。



と、まぁこれが私の日常。



旅の最中で丁度良いスペースを見付ければ剣術稽古が始まり、手頃な石があればそこに座って読み書きやこの世界の常識などの勉強が始まる。時間が経てばそのまま野営となってまた朝から道を歩いていくといった感じだ。



「しょうのない。有り合わせで何とかするか。」



行命様のため息交じりの呟きで我に返る。思考すると目の前から意識が飛んで行ってしまうのは私の悪い癖だ。



私は慌てて食事の準備をするべく、手持ちの食糧を取りに荷物へ駆け込んだ。




そうして湯気を上げる鍋の前で私達は向き合って椀の中身を啜る。残念ながら中身はわびしい結果となっているが、なるべく鍋には目を向けないようにして私は行命様に話しかけた。



「あのぅ、行命様。先程はすみませんでした……。」


「分かった分かった。そう何度も謝らんでよい。」



彼は箸を持った手を左右に振る。ちょっと行儀が悪い。



「まぁ反省しておるなら良い事だ。まだ三月、一つ一つものにしてゆけば良い。【密教】もある故、儂も急かす事はせぬ。」


「密教?」



首を傾げる私に彼はあぁと答えた。



「仏教には【密教】という教えがある。密教には衆生の秘密、如来の秘密の二つがあり、衆生の秘密とは教えを説いても悟りを得ていなければその心理を真に理解することは出来ないという教え。如来の秘密とは未熟な者に教えを説くと、誤った解釈をしてしまったり、それが害を成してしまう事があるといった教え。つまり未熟者に説いては本人や周囲にも危険が及ぶので教えてはならないという考えが密教である。

まぁ、お前に野草の種類を教えた途端、食事の度に毒を拾ってくるのが良い例だ。」



うぐっ!一言余計なんだよ行命様は。


思わず顔をしかめるが本当にその通りなので私は言い返せない。



「つまり仏の教えを伝えるには、今のお前は知識でも肉体でもまだまだ未熟という事だ。」


「はい……。」



その言葉にまた落ち込んで肩を落とすと、彼は残った中身を掻き込んで椀を床に置いた。



「まぁ……腐らず頑張れば説くことも出来よう。精進せよ。」



それを聞いた私の心が一気に浮上する。ちゃんと弟子らしい事も教えてくれる気でいるんだ!



「はい!頑張ります!!」


「……単純──」


「はい?」


「何でもない。水をくれ。」



彼が呟いた内容が聞き取れなくて聞き返す私に、彼は咳払いをして首を振った。



私は彼の要求通り事前に汲んできた水を竹筒ごと渡す。そのついでに空になった鍋を片付けていると、彼は懐の薬入れから丸薬を何粒か取り出し渡した水で流し込む。



「それ……最近飲むようになりましたけど、何のお薬ですか?」



少し心配になった私が問いかけると、彼は眉間に皺を寄せてため息を付く。



「胃薬だ。誰かのせいで最近胃が痛くての。」


「ひどっ!!私だってわざとじゃねーもん!!」



あまりの言い様に憤慨するが、私の言葉を聞いて行命様の眉が跳ねた。



「お前はまた……何処でそんな言葉遣いを覚えてきたのだ。」


「故郷ですよ。こんなん日常的に皆使ってましたよ。」



彼は脱力して疲れたように眉間の皺を揉む。



「言葉遣いに関しても教えてる筈なのに、何故益々荒れてくるのか……。」


「猫被ってたんですよ。行命様が言ったんですよ、『体裁しか見せないという事はその人とそれ以上関わる気がない』って。」


「またそうやって人の上げ足を取るようなことを。」



渋面を作る彼にちょっと仕返しができたような気分になって、私は上機嫌に鍋を持ち上げた。



「さっさと片付けちゃいますからね、その食器も下さい。」


「分かった、分かった。」



彼は軽く肩を竦めると一式を渡した。私はそれらを持って水瓶に持っていく。

そうして食器を洗う為に柄杓に手を掛けると、窓枠から差し込む光が当たった。その手が一瞬透けたような気がしてびくりと動きが止まる。


しかし、瞬きしてもう一度見ると透けてはいない。通常のままだ。それにそっと安堵した。



前回から三ヶ月。”あれ”以降透化現象は起きていない。結局あれは何だったんだろう。不安に心を燻られながら考えていると、



「次の目的地だが──」


「──っ」



行命様が口を開いて我に返る。慌てて振り向いたが、彼は何処か遠くを見るような眼差しで戸口の方を向いていた。



「この時期になると何時も行く場所がある。」


「へ、へぇ……どんなところなんです?」



動揺を悟られないように取り繕って問いかけると、彼はちろりと私を見やって呟いた。



「どちらにせよ頃合いか……。」


「え?」


「お前に【天変】を見せよう。」



行命様はそう言って竹筒の水を飲み干した。

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