第13話 説教

その後今晩の宿泊先だという空き家に着くと、行命様は土間を上がり、一つしかない部屋の真ん中に座って自分の前を指し示した。



私はそれに素直に従い向き合う形で正座する。



「教えなければならない事が膨大だ。お前の常識との擦り合わせも必要だしの。まずはこの国の地形、政治、慣習等一般常識から始めるぞ。」



げっ。



思わず眉間に皺が寄る私を差し置いて、彼は己の荷物から紙や筆などの一式を取り出した。



だから私頭いい方じゃないんだってば。物覚え悪いってがっかりされないかなぁ……憂鬱だ。



 勝手に気分が暗くなっている所で、彼は取り出した紙に筆を走らせる。ある程度描き終わると彼はその図を指し示した。



「これがこの国、【倭郷】(わごう)の全土だ。」


「へぇ……。」



勉強が嫌いといっても流石に自分が今いる国の地形くらいは気になる。私は彼が描いた地図をまじまじと眺めた。そこには大まかに言うと瓢箪(ひょうたん)のような形をした島の姿があった。島の四分の一くらいの所で極端に地形が細くなり、辛うじて二つの島が繋がって国を作っているような印象を受けた。



「見て分かるように、倭郷では大きく二つの土地に分かれる。北の”北廉” (ほくれん)、そして南の”南尉” (なんじょう)。」



北廉といって彼が示したのが小さい方の陸地、大きい方が南尉だ。



「南尉は南北に長く気候が安定していて暮らしやすい土地で、今儂らがおる村も南尉の西の位置にある訳だが、それでも北に近づく程寒さが増していき、北廉に渡ると一年を通して冷涼だ。特に最北端にあたる白陗(はくしょう)は一年中雪に覆われているような土地であるため、人が生きていくにはかなり過酷な環境である。そしてその二つの陸の繋ぎ目にあるのが首都である”邦都” (ほうと)だ。」



彼はそう言うと瓢箪のくびれ部分に丸を書いた。



「北廉は本来人が住むべき土地ではないとして行き来を制限されておる。それ故に首都がこの境界に出来たのだという見解もあるな。遥か昔の話なので確かなことは分からんが。」


「ふむふむ。」


「続いて政(まつりごと)である。この国では頂点に王を据え、王の意志を受けて朝廷が庶政に働きかけて政治を回す。」



彼はそう言うと新しい紙に組織図を書き始めた。



「庶政の役割は主に三つ。徴税、施工、統制。税は米か金銭でもって納める。より多くの税を集めるにはより豊かな土地が必要であるから土地施工によって生産率を上げる。生産性が上がれば市民の暮らしも豊かになるので庶政への支持が上がる。それをもって市民を統制する。これが最良の為政であると言われておるな。旅をする儂らにも県を超える際に関税の義務があるから、それは忘れないように。」


「はい。」


「また、暦であるが、王が即位されると同時に新たに元号を定める。現王は志功(しこう)と定め、──元号から取って功皇(こうのう)とお呼びするのが一般的であるが──在位は八年目である。よって現在の年は志功八年。季節は春夏秋冬から更に十二月に分けたうち、年明けから三番目の月、弥生となる。」



うーん……大まかな政治体制や暦の数え方とかは前世と大きく変わらないみたい。これなら案外この世界に慣れるかも。



「それから儂と行動を共にする以上、把握しておかねばならいのは、この国の宗教である。」


「……!」



多分これが本題だ。私は気を引き締めて背筋を伸ばした。



「この国の宗教は大きく二つに分かれる。”仏教”と”神道”だ。伊織、お前は儂の姿を見て仏徒である事を理解していたような節があったが、お前の国でも仏教はあるのか?」


「仏教と神道、どちらの宗教もあります。けれど、私自身詳しく理解していたわけではありませんし、私の知るそれと違う場合もあると思いますので詳しく教えて頂けるとありがたいです。」



そうか、と彼は頷いた。



「ではこの二教に対する世間の一般的な認識であるが、仏教は死者を救い、神道は生者を救うとなぞらえられる。」


「なぞらえる……。」


「仏教については微妙に違うのだが、どちらにせよ人を救う思想に関しては相違ないのだから、受け入れやすいのなら市民の認識が正確である必要はないと儂は考える。」


「はぁ……。」



考えてみれば、前世ではお葬式を上げる際には仏式で、祈願には神社へお参りに行くのが一般的だったし、宗教に対する認識もそんなに違わないのかな。



「今はそんなところで良いだろう。」


「は、え?それだけですか?!」



なんか身構えてたのに拍子抜けしてしまった。そんな簡単な認識で良いのだろうか?



「ほう……ならば──」



驚く私の様子を見て、彼は疑わし気な表情で片眉を上げる。



「仏教とは、仏陀を開祖として説かれた宗教である。悟りの境地に至り仏へと為った仏陀の説いた教えに基づき、自らも悟りの境地に至る事が仏徒の目指す終着点である。この仏陀が残された教えとして基本となる考えが”一切皆苦”(いっさいかいく)”諸行無常”(しょぎょうむじょう)”諸法無我”(しょほうむが)”涅槃寂静”(ねはんじゃくじょう)の四点である。それぞれのお言葉の意味であるが──」



え?はい?んん?



「そもそも仏教が死者の為の宗教と言われる要因となったのが仏の一尊である地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の存在が大きく関与しておる。地蔵菩薩は無限の大慈悲によって、苦悩の生で下界を彷徨うことになった人々の魂を救い輪廻へと導くとして、市井に大きく普及した。故に間近に見る仏像は地蔵菩薩に纏わるものが多く──」



えぇっと、その、あの、ええっと……?


「と、なるが──」



彼はつらつらとよどみなく紡がれていた説法を切って、だらだらと冷や汗をかく私をちろりと見やった。



「今までの話、理解出来たか?」


「……少しだけ。」


「さもありなん。」



私にはまだ早いという事は分かりました。



「と、とりあえず!仏教に関しては大まかな事は分かりました。では神道が生者を救うと言われる所以は何なのでしょうか?」


「うむ。それは神道が万物に宿る八百万の神々の力を得る宗派だからだ。」


「うん?」


「つまりだな、神への祈りを通して超常の現象を現実に再現できるという事だ。」



はい?!という事はこの世界、もしや超能力とか魔法のような不思議現象が起きるファンタジー世界ですかっ!



ヤバい、一気にテンション上がってきた!もしかしたら私にも使えちゃったりするのかな?!



「”神降ろし”ができる神官は稀であるが、神道が庶民にありがたがれるのは必然であろうな。なんせ生きていく上での糧に直結で影響する。」


「た、例えばどんな事が出来るのでしょうか?!」



思わし気にため息を付いた行命様に対し、そわそわ落ち着かない様子の私を見て彼は片眉を軽く跳ね上げた。



「旱魃の地に雨を降らせたり、逆に嵐を鎮めたり、自然に纏わる現象はある程度実現出来るな。」


「仏教もその様な超常が実現出来るのでしょうかっ?!」


「出来ん。」



きっぱりと言い切った彼の返事を聞いて、私のテンションは一気にしぼんでしまう。



「えぇ……結構地味──」



思わず下り落ちた心情のままポロっと不満を零してしまった。途端、行命様はカッと目を見開く。



「仏の教えを何だと思っているのだ!!この大馬鹿者がッッッ!!!!!」


「ぎゃんッッ!!」



怒声に煽られて反射的に体が仰け反った。今までで一番の怒号に鼓膜がきぃんと悲鳴を上げる。



「仏陀の教えは、人生の在り方について思考する有難い教えであるぞ!!そのように腑抜けた考えであっては悟りを目指す事すらおこがましい!!そこになおれ!今は軽く把握できれば良いと思っていたが、それ以前の問題だ!!とくと説法してやる!!!」


「あ、あの、申し訳ありませんでした!心改めるので、どうかご容赦を……。」


「ならん!!申し訳ないと思うならつべこべ言わずにそこになおれッ!!!」


「ひぃっ……!」



鬼の形相で再び怒鳴られ、私はべそをかきながら佇まいを正した。



「良いか、先ずは開祖であられる仏陀がどういうお人であったかという話だが──」



そこから彼の説法は延々と続いた。それはもう日が暮れて辺りが暗くなるまで続いた。その間硬い板間の上で正座である。足を崩そうとするものなら、その途端に小突かれる、直す、の繰り返しだ。ストレートに足が痛い。血流が滞って痛覚以外の感覚が消失してしまったんじゃなかろうか。



というか行命様もその間ノンストップである。延々と長々しく難しい説明を噛むこともなく流れるように紡ぎ出している。いつ息継ぎしてるんだろうか。というか資料もなしによくこれだけの事話せるな。全部暗記してるのか?本当は中に機械でも入ってるんじゃなかろうか。



摩耗する体力と思考の中で行命様サイボーグ説が浮かび上がったところで



「──である。理解したか?」



彼が言葉を途切れさせた。



「……あい。」


「これに懲りたら二度と仏を貶めるような発言はせぬように。」


「はい、申し訳ありません……。」


「では、これまで。」



そう告げられたと同時、私はその場にバタンと寝転がった。



「足がっ足がぁ~~ッ!!」


「これ、とっとと立ち上がりなさい。」


「無理ですぅ……足が痺れて動かないんですってばぁ。」


「ったく、しょうのない……。」


「え、ちょ、ぶはっ」



行命様は呆れたように呟くと、隅にあった筵と掛布団代わりの着物をバサバサと私に掛けた。



息が苦しくなった私は慌てて布を掻き分けて顔を出す。それを腕をくんで見下ろした彼は一つ息を付いた。



「そのまま寝なさい。明日は早朝にこの村を出るぞ。」


「……はぁい。」



私はその言葉に甘えて布にくるまった状態で痺れが収まるのを待つ。



その間灯りの火が吹き消されて月明りのみが部屋を照らし、今まで入ってこなかった虫の鳴き声が子守唄となって、私はいつの間にかそのまま眠りについていた。

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