第12話 狼狽
「先ずは身なりを整える事からだな。」
私が落ち着くまで待っていた行命様は、開口一番にそう言った。
「その恰好は目立ちすぎるだろう。目のやり場に困る。」
「へ?」
目立ち過ぎるっていうのは分かるけど、目のやり場に困る?
私は慌てて自分の姿を確認する。長袖のセーラー服、膝に掛かる程度のスカート、黒ゴムで纏めたポニーテール。
先生に目を付けられるぐらいならと思う程度に、おしゃれに無頓着であった私だから、元居た世界では地味過ぎるくらいなんだけどなぁ……。どこがいけないんだ?
「村に戻る。誰かしらから譲ってもらうしかなかろう。」
そう言うと行命様は立ち上がり、私も慌てて道を戻り出した彼の後ろを付いて歩いた。
すると、村の入り口まで至ったところで仁王立ちする人物がいた。先程村に辿り着いた時に顔をしかめて何か陰口を話していた女の人だ。今もしかめっ面で私達を睨み付けている。
私はその表情に気付くと思わず行命様の後ろに隠れた。彼女のその顔が、かつて向けられた表情と重なったのだ。
公立の鞄を持って登校する私の姿を見て、心配する体で母にマウントを取るご近所の奥様方。自分の子供が私立の学校に好成績で合格したのを、私がいる前でしきりに自慢してたなぁ……。あの時の母はどんな表情をしていたのだろう。今と同じように母の影に隠れていた私は、その背中しか覚えていない。
こちらではどんな嫌味を言われるのだろう。彼はどんな反応を示すのだろうか。私は祈るように両手を握りしめる。
「ちょいと御坊様!!」
彼女が苛立ちを声に乗せて行命様に呼びかける。
「女の子をそんな恰好で連れまわすなんてどういう神経してんだい!!」
え……?
「い、いや、それは……面目ない。」
「ご先祖様の供養をしてもらった事には感謝してるけど、そういった気遣いがとんと無くて困るね、男ってもんは!!」
彼女は一通り行命様を怒鳴りつけると、後ろに隠れた私を心配そうに眉尻を下げて覗き込んだ。
「大丈夫かい?辛かったろう、今代わりの着物用意してやるからね。」
え、え?!これ同情されてる?何で?
予想外の言葉にびっくりして目を白黒させている隙に、彼女は私の手を取ってすぐそばの家屋に引き込んでしまった。
「まっとってくれ、確かあたしのお古があそこに……」
「すまんが男物の着物はあるだろうか?」
「はい?」
家に入って直ぐに着物を探そうとする彼女を行命様が引き留める。その内容に彼女は目を丸くした。
「この子を引き取ることにしたのだが、女と見られると危険も多いのでな。」
「あぁ……それもそうだね。」
彼女は納得したように頷くと、竹で組んだ箱から着物を引っ張り出す。
「少しでかいだろうけど、うちの息子の着物着ときな。その間に背格好が似た子供がいるところに掛け合ってみるよ。」
そう言うと彼女は引っ張り出したそれを私に押し付け、あっという間に家を出ていった。
ポカンと戸を見つめる私の様子に、私が状況を呑み込めていないことに気付いた行命様が気まずそうに咳払いをした。
「大方誰かに襲われたと思ったのだろう。儂だと勘違いされなかったのは幸いだが。」
「お、おお襲われたっ?!」
どうしてそうなる?!
「お前の国ではどうだか知らんが……女子はそんな大っぴらに足を出して出歩かん。精々農作業の時にたくし上げるくらいだ。」
えぇっ?!って事は此処ではかなり破廉恥な恰好だったって事?!そう考えると顔も顰めるのも当然だよ!
私は今更ながら羞恥に駆られ、慌てて渡された着物で足を隠した。
「い、今から着替えますからっ!!あっち向いてて下さいよ!」
「分かった、分かった……。」
彼は疲れたように言うと背を向けて小上がりに座る。それを確認して私は渡された着物を改めて確認した。そしてはたと固まる。
どうやって着るん……。
私まともに着物なんて着たことないよ。精々夏祭りで浴衣着たぐらいだし、それも着付けしてもらったから行程なんて覚えていない。
着物の前合わせってどっちが上だったっけ……?袴?もんぺ?らしき着物の紐も、どうやって結ぶんだろう……。
一頻り悩んだが、このまま突っ立っててもしょうがないので、勘だけで一式を身にまとう。
「着替えました!」
私が声を掛けると行命様は振り返った。途端、残念な人を見るような物悲しい表情をしてため息を付く。
「着付けから教えねばならんのか……。」
「何ですか、その反応。上手く着れたでしょ!」
「その自信はどこから来るのだ……。いいか、まず合わせが逆だ。こちらの方が上に──」
「ぎゃあ!!変態っ!!」
「誰が変態だ、馬鹿者っ!!襟元を触っただけであろうが!!」
「位置を考えて下さいよっ!!完全にいけない所に当たるじゃないですかっ!」
「そこの配慮ぐらい持っておるわっ!!人を何だと思っておるのだ!!」
と、そんな事で喧嘩が勃発したが、その後家主の奥さんが戻ってきて着付けを教えてくれたお陰でその場は収まった。
何だか少しやつれたように見える行命様を差し置いて、鏡はないが改めて着替えた自分の姿を確認する。
筒袖(つつそで)と呼ばれる手首に少し届かないくらいの長さの袖の着物に、括袴(くくりはかま)という少し短めの袴、それの裾を押えるように穿いて脛を覆う脚絆(きゃはん)。靴下どころか足袋を履く事すら一般的ではないので、外を歩く時は裸足に草履姿だ。そんな服装で以前と変わらないポニーテールが少々違和感があるけれど、道行く人の目を引くほどではない……と思う。
「どうだい?着心地は。」
「え、ええ大丈夫です。でも……」
家主の奥さんが声を掛けてきた。私は思考から引き戻されて言葉をつっかえるが、恐る恐る訊ねてみる。
「どうしてここまでしてくれるんですか?」
「さっき言ってなかったかい?そこのお坊様がこの村皆のご先祖様の墓にお経を挙げて下さったんだ。こんな辺鄙な所じゃ身内で墓作ってやるくらいしか供養できなくてね。初めてまともなお経をあげられたことに感謝してるのさ。けれどきちんとした銭を渡せる蓄えなんかないからね、何か代わりにお布施になる口実を皆探してたから丁度良かったんだよ。」
「そう、だったんですか……。」
「村長が代表して渡そうとした時も『最も蓄えが少ない春先に貰うのは忍びない』と言って中々受け取ろうとしなかったお坊様だ。あんたも無愛想だがいい人に拾われたね。」
「……だと、思います。」
私は複雑な心情になりながら着物の裾を握る。清潔だが使い古してくたびれている布の肌触りが、まざまざとリアルを実感させた。
「何とか見れるようにはなったな。」
そんな私の姿を見た行命様は、やっと納得したように頷いた。そこに奥さんが声をかける。
「お坊様、明日にはこの村を出るって言ってただろう?その間この子の数日分の食いもんぐらいは用意しとくよ。」
「いや、そこまで世話になるわけには……」
「村の衆から少しずつ集めればなんてことないさ。皆もそのつもりになってるから、むしろ受け取ってくれないと困るよ。」
「む……」
「それじゃあ、昨日の空き家で待っててくれるかい。今晩もそこで泊まる予定だっただろう?」
「誠にかたじけない。お気遣い痛み入る。」
彼はその提案に折れて軽く頭を下げる。そして不意に私の方に視線を向ける。そこで私ははっと我に返り奥さんに声を掛けた。
「あ、あの!何から何までありがとうございました。」
慌てて勢いよく頭を下げる。視線が下に向いたせいで彼女の姿は見られなかったが、その時相手の雰囲気が和らぐのを感じた。
「どういたしまして。お役に立てたんなら良かったよ。」
面を上げると彼女はにっこり微笑んでくれていた。行命様の方は微かに頷くように目を伏せているのを見て、私は実感する。
今、私は初めて彼から”教わった”のだ。
小さなことであったけれど、私を導くという意思を彼が表してくれた瞬間だった。それを自覚すると私の心に小さな温もりが灯った。
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