第10話 天変

そのまま手を引かれていると周囲に人気がなくなり、村で1本だけ一際大きく生える大樹へと辿り着いた。



二人でその木陰へ入ると、お坊さんは私の手を離し木の根元に座る。そして私にも座るようにすぐ側の地面を軽く叩いた。



難しい表情をしているお坊さんの顔を見ると口を開くのも躊躇われて、私は素直に指し示す場所へ座った。



彼はそれをチラリと確認すると、目頭を押さえて重い、そして長いため息をついた。



「訳が分からん……。」



零すように呟いた言葉は彼の正直な感情が滲み出ている。



それを耳にして演技ではなく、私は本当に彼を困らせているのを感じた。けれど訳が分からないのは私も同じ事だ。



映画のセットと考えても、役者が手が荒れるほど農作業に手慣れているだろうか。水田が広がるだけの風景のどこに撮影カメラがあるというのか。



何もかもが私の知る常識とかち合わない。まるでタイムスリップしたかのように、現代とはかけ離れた景色が広がっている。



「お前は、」



この状況を理解しようと必死に頭を捻っていると、お坊さんが口を開いた。



「混乱しているようだから、まず儂から質問しよう。お前はそれに答えてくれば良い。ひとまずは話を整理することからだ。」


「……はい。」



いつの間にか先ほどまでの丁寧な口調はなりを潜めていた。

彼の今までの話しぶりは無理をしているようで、私としては取り繕っているような様が不安であったから、そのことに素直に安堵して大人しく頷いた。お坊さんの言うことは口調が変わっても私を気遣った内容だったから。



「お前、歳は?」


「15歳です。」


「家族は?」


「父と母と私の3人家族です。」


「住まいは?」


「○○県○○市。」



その時、淀みなく投げられていた問い掛けに数拍の間ができた。



「……そこは北廉(ほくれん)、南尉(なんじょう)のどちらだ。」


「……えーと、それは日本のどのあたり、なんでしょうか……?」



お坊さんはまた眉間に皺を寄せて目頭を押さえた。



「倭郷(わごう)は分かるか?」


「地名、ですか?どこですか、そこ。」



私がそう聞くと彼はとうとう頭を抱えてしまった。



「今お前が立っている場所がそうだ……。」


「あ、この村の名前でしたか。」


「違う、国の名だ。」


「へ?」



一瞬何を言っているのか理解できなかった私は首を傾げる。彼は面を上げて私の顔を見ると再度口にした。



「今お前が立っているこの国の名称が"倭郷”(わごう)だと言っている。」


「え……?」



目を丸くして固まった私に対し、彼は続けざまに問いかけた。



「お前ここに来るまでに大きな災害に合わなかったか?」


「そうです!!私地割れに飲み込まれたと思ったら気づいたら森で倒れていて!!」



心当たりのある問いかけに私は食い気味に頷く。彼はそれを聞いて重々しいため息をついた。



「お前"惑人"(まろうど)か。」


「まろうど……?」



まろうど……客人?



「惑う人と書いて"まろうど"だ。」



まだ意味が分かっていない様子の私を見てお坊さんは言った。



「お前は"天変"に巻き込まれたのだよ。」


「天変……。」


「その様子だと天変も分からぬか。やはりのう……。しかしどう説明したものか。」



そう言うと彼は悩ましげに顎をさする。



「あの、天変に巻き込まれたってどういう……?」


「天変というのはな、一言で言えば"災害"よ。しかしただの自然現象ではない。」


「どう違うのでしょうか。」


「普段では起こりえない現象が起きる。故に我らが未来でも読めないかぎり察知することができん。それに伴って被害も桁違いになる。」



そりゃ地震とかは事前に察知するのは難しいだろうけど、起こりえないっていうのは大げさなんじゃないだろうか。



私が怪訝に思ったのをお坊さんは目敏く気づいたようだ。彼は眦を鋭くしながら私を見遣る。



「まだ分かっておらんようだな。例えばだがな、海で高波が起きるのは何が原因だ?」


「……最も多いのは大時化によってでしょうか。」



彼の問い掛ける声が少し固くなっているのを感じて私はこの場の空気が変わったのを悟った。



「普段ならばそうだ。だがある海辺の村で起きた天変では海が突如として生き物のように盛り上がったそうだ。波の穏やかな晴天の日にな。」


「――え?」



ぞっと寒気が走った。まるで氷の塊を背中に押しつけられたかのように。



「瞬く間に空を覆った波はそのまま村全体に叩き付けられた。家屋は押しつぶされ、人は濁流に散らされ、地面は食い破られたかのように抉られた。村があった場所には何もかもが残らなかった。ちょうど漁師たちも海から戻ってきていた頃で、村人全員が犠牲になった――と考えられていた。」


「助かった人がいたんですか?!」



私は思わず身を乗り出す。悲惨な話であっても生存者がいたという事実だけで救いはあったような気がしたのだ。



「五体満足ではなかったがな。その助かった少年はな、およそ100里(400km)も離れた山里で見つかったのだよ。その村の猟師が山に入った所、血まみれで倒れた少年を見つけた。

だが後ほど調べてみればその日は天変が起きた翌日だ。怪我を負った人間がどうやって早駆けでも八日かかる道のりを一日で移動できるというのか。

天変が起きると時折そういった摩訶不思議な現象が起きる。それに巻き込まれた人々を我々は"惑人"と呼んでいるのだ。」



惑人――だとすれば、私が地獄から抜け出せたのは天変と呼ばれる現象に巻き込まれたから?そうなると私が地獄から逃げ込んできたここはどこだ?



「そこで、お前の話に戻る訳だが、」



彼の言葉に思考から引き戻され、はっと息をのむ。



「儂にはお前の言う地名に全く心当たりがない。その着物の材質も縫製も見たこともない。何よりお前にはこちらでの常識が通じておらん。故に思うのだが、海を超えた先にはまだ誰も見ぬ国があると聞く。お前はそこから天変に運ばれてきたのではないだろうか。」



――違う。外国なんてもんじゃない。



今の話から、彼が言うように私のかつての環境とお坊さんの暮らす環境があまりにも違う事が分かる。



世界の果てはとっくに解明されていて世界地図は難なく買うことができる。海の先にある国の情勢すら用意に知ることができた。長距離を一日で移動する事も不可能ではない、現実的ではないだけで。



本当はとっくに分かっていた筈なのに。私はなんて馬鹿なんだろう。



地獄なんて超常の領域に居て、そこから逃げ出した先が元いた場所だなんて考えが、とんでもなく甘かったんだ。



私は異次元の世界に来てしまったんだ。

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